60.魔道士の一人と一人

   唐突に強い魔力の気配を感じて、ピーク・レーグンは最前線で少しだけ背後を見た。
 強くなりつつある雨の中、まだそれほど濡れていない、けれどまるでずぶ濡れになったかのように、アタラ・メイクルがそこにいた。
「ピーク、本当に最前線にいるのか」
 ピークは無言のまま訝った。雨の中、雨音にかき消されながらも指揮を飛ばし、だが劣勢を感じて少し考えていたところだった。
「話、本当なのね。リセはどうした」
「……後方で休んでます」
 答えるのに、少し間が空いた。アタラはピークを見なかった。ピークもアタラから目を離し、襲い来る敵兵に対して攻撃魔法を放つ。雨が降り注ぎ乱戦となった今では、得意の雷の魔法は、少し控えていた。
「……そう」
 相槌を打ったアタラにも、間が空いた。
 さらにピークは訝って、少し後方に退くついでに、アタラに少し近寄った。
 いつもならばピークが睨みつけられるか、怒鳴られるかなのに、今のアタラに気丈さがない。助けを求めて彷徨っているかのよう。
「王妃様が」
 近づいたとはいえ、ピークにアタラの表情を見る余裕などない。三分の一程度にアタラの言葉を聞き、他は戦いに集中している。
「御病死、なされた」
 静かな暗い声。アタラは自分に襲いかかる敵はシールドで弾いていて、気がつくとピークもそのシールドの中。ピークはその事実に気がつくと、少しだけ頭をかいて、「そっすか」と軽く答えてみせる。
「私は、ウィク様の――」
 アタラの声がかき消えた。訝ったが、やはりピークは聞き直さなかった。軽く「うん」と答えて、再び前方を見る。
 人の群れ。
 縦横無尽に駆け巡る剣士や騎士。
 形にならない様々な音、様々な声。
「その色は助けを呼ぶことを許さぬ色。呼び寄せられたる獣たちが慄き、助けを呼ぶ声を見捨てさせる色」
 アタラが小さく唱えるのは、呪文のような言葉。聞き覚えも、読んだ記憶もない呪文だなと、ピークはアタラを一瞥して、他に指示を飛ばす。
「青き光の世界は暗闇の手前までに浸食され、しかし抵抗を続ける」
 続けられた呪文にピークはアタラを見た。アタラがゆっくりと片手を前に差し出す。アタラの魔力が何かに形作られていくのがわかる。しかし、どんな魔法なのかは予想つかない。
「青き光は戦い続けるだろう。倒れようとも諦めず、光をもたらそうと光を放つ」
「……アタラ」
 前に行こうとした足を、ピークは止めた。
 魔法で壁を作って、アタラを見た。
 アタラは差し出した手に力を込めて続ける。過去に見た、未来を告げながら。
「青き光は束になりて、暗闇作る白き雲を押し返す。必ず……必ず、勝つって、決まってる!」
 手の平に集められていた魔力が、一気に形になった。爆発するような魔力にピークが思わず退いて、目を細めた。
 細めた先で、アタラの手からあふれ出るような魔力の鞭が、縦横無尽に暴れているのが見えた。
「そりゃ、お前の心の中身は分からないっすけど」
 小さな声で、アタラに届けようとも思わずにピークは呟いた。
(泣きたきゃ、素直に泣きゃあいいのに)
 言ったら間違いなく殺されるだろうな、とピークは失笑する。
 この暴れまわる魔力はアタラの心の現れだ。
(……って俺も人のこと言えないか)
 ピークは片手で宙に魔法陣を描いた。アタラの魔力は膨大で、敵を倒してはいるけれど、仲間も巻き込まれている。この状況で仲間まで失うのはもってのほかだ。
 ただでさえ、相手よりも数は少ないのだ。
「辞めろ! ……つって辞めます? アタラ」
「黙れ! 不真面目の塊め!」
 アタラはピークに一瞥もくらわさない。ピークは肩をすくめると、描いた魔法陣の横で、ぱちんと指を鳴らした。
「アタラの魔力の暴走を止めろ、ライディッシュ!」
 ピークが叫んだ、途端。魔法陣があった空間に獅子の顔と四肢、竜の胴体と翼と尾を持つ召喚獣が現れた。現われた召喚獣ライディッシュはアタラの扱う鞭に咬みつくと、少ししてその鞭を食いちぎり、かき消してしまった。
 かき消えた反動に、アタラが地面にペタリと座り込んだ。座り込んで悔しそうに呻く。
「邪魔をするな……! 不真面目の塊のくせに……っ!」
「やー、こんな状況で言葉っすねぇ」
 ピークはへらへらと笑いながら、アタラの傍に寄った。召喚されたライディッシュがついでとばかりにピークの身辺を守ってくれて、少しばかりピークには余裕があった。
 ぽん、と指の先でアタラの頭を撫でれば、アタラは噛みつかんばかりの表情で見上げてくる。ピークはけらけらと、楽しげに笑った。
「いや、アタラが必ず勝つっつーんですから勝つんでしょうねぇ。力が湧いたなぁと思ったんで」
「慰めでもしてるつもりか! お前なんかに心配されなくても私はっ」
「はいはい、平気っすよねー。天下のアタラ様っすから」
「ピークっ!」
 怒鳴られて、ピークは「はいはい」と軽く答えながら前に進んだ。アタラはゆっくりと立ち上がりながらピークの背中を睨みつけた。
「お前だって、苦しいから前線にいたいってのもあるんでしょうが」
 アタラの言葉も呟き。ピークに届く声量ではない。届かせるつもりがない。
 ――願わくば(イル・ゼン・デンブ)、皆の無事を。
 叶えよう(アル・ゼン・デング)
 叶わないと知っていて答えたアタラの、少しばかりの懺悔だった。
  
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