22.黒髪の君、別れの語り

   デリクは、ブランクの処刑に立ち会わなかった。王族で立ち会った人間はいない。この休日、デリクはセフィ・ガータージと短い時間だけ会話して、あとは自身の訓練と休養に使った。
 セフィ・ガータージはもうすぐ戦地に赴く。城下町から遠い場所だ、帰ってくるのは早くてもふた月先か。
 ふう、とため息をついてデリクは自身が執務室に使っている部屋を開けた。公な自分の部屋は別にあるのだが、デリクはこの小さな部屋にベッドも本棚も置いていて、ほとんどこちらを使っている。
 ふと、風が顔に当たってデリクは顔を上げた。後ろ手でドアを閉め、窓辺を見やる。小さな机が前に置かれた窓の淵、弓を背負う男が座っている。高い位置で髪をまとめていて、顔立ちもよく見える。――クリスなのだと、デリクが気がつくのに少し時間がかかってしまった。
「……クリス、か?」
「はい。遅かったですね、デリクさん」
 答えて、“クリス”が振り返る。デリクは失笑すると無造作に歩み寄って近くの椅子に腰かけた。
「待っていたのか。衛兵が何も言わなかったから、気が付かなかった」
「それはそうですよ。俺、勝手に入ってますから。衛兵さんたちも知りません」
「なんだって?」
「気配も音も消すの、得意みたいです。まぁ、今回は外からですけど」
 カランは飄々と答えて、失笑する。デリクは目を細めた。
「なぜいるんだ?」
「デリクさんと話をしようと思って。知りませんか? 俺実は追われてるんです」
 やはり飄々と、カラン。デリクは嘆息した。
「それを私に言うのか。何をしでかした」
「ブランクって人、覚えてますよね。あの人の処刑が今日で、でも逃げられたんです、ブランクさんに。その手引きしたのが俺じゃないかって、根も葉もなく言われました。頭にきて殴っちゃったので、捕まえたいらしいです」
「何をしているんだ。世渡りが下手だな、クリスは」
「えぇ、ここに来てからは本当に」
 まぁ、とカランは続ける。
「うまく渡ろうと、しなかったからかもしれませんけど。それはそうと、デリクさん」
「なんだ?」
「ある学士がですね、画期的な、ある説を発表したんですよ。その学士、実はある偉大な学士の弟子だったんですが、その発表した翌日、そんなでたらめを言わせるために弟子にしたんじゃないって破門されたらしいんです。結局その学士の説が正しいって言われるんですが、大体の学士は絶対に違う、そんなことがあるか、って突っぱねてるそうですよ。いわゆる、出る杭は打たれる、ってやつですけど……なんだか、打たれる方は理不尽ですよね、デリクさん」
「……なんの、話だ?」
「俺がここにきた理由、知りたいんじゃないかと思って」
 マウェートの夜は暗い。微かな光が雪に反射して微かな明かりにはなっているけれど、確かではない。デリクはゆっくりと椅子から立ち上がってカランの顔を凝視した。
「理不尽だと思いませんか?」
 カランはだが平生としたまま。デリクは眉間に皺を微かに寄せた。
「理不尽なんですよ。きっと打つ方もそれを感じてる。それでもやっぱり誇りが許さないらしくて」
「“クリス・アステリー”?」
 カランは改めてデリクの顔を見た。まっすぐに見つめる赤い瞳。王族の決まりから外れているとはいえ、確かに彼はマウェート王国の王族だった。
「なんですか? デリク殿下」
 少しだけ沈黙が流れた。二人とも静かな声音だ、だが声が途切れれば静寂が耳に刺さるだけ。
「もう、終わりにしようと思ったんです。変でしょう? 俺は結局、あの時のことを後悔し続けてる。これじゃいけない、後悔だけじゃ仕方がないって思ったので」
 マウェート王宮は、カランにとって迷宮のようだった。ここに居る間、迷い、手探りで進んだ。
 そしてなぜ、迷宮を彷徨っているのかを知った。
「デリクさん、本当にいいんですか?」
「何をだ?」
「天騎士になること、お父上と対立すること、王座を弟に奪われること、セフィさんとここしばらくまともに話をする時間が取れないこと。たくさんありますよ」
 デリクはカランの姿を見つめて、数秒口を閉じた。カランは米神を少しだけかいて、撥が悪そうに眼を逸らした。
「俺には、関係のないことだと思いますが」
「クリス・アステリー」
 再び、フルネームでデリクがカランの偽名を呼ぶ。まるで『お前はクリス・アステリーなのだ』と教え込むように。
 おそらくカランの正体など最初から分かっていたのだろう。
「別に、構わない。全く平気だといえば嘘になるかもしれないが、いいだろう。私は自由を好んだが、不幸にもこの境遇に生まれてしまったというだけだ」
「そう、」
 カランは失笑した。
「ですか」
 微笑を浮かべて、デリクを見た。
「借り、ですね。それでいいですか」
「あぁ、貸しだ。いつか返してくれ」
「自分で言っておいて、無茶だとは思いますけどね」
 カランは窓の枠を掴んでデリクに振り返る。
「それじゃ、俺はそろそろ行きます」
「あぁ」
 微かに笑い、カランは二階の窓から飛び降りる。下は柔らかい土の、柔らかい雪が積もる場所。そも、高い場所から飛び降りることにカランは躊躇を覚えたことがない。怪我をしたこともほとんどなかった。
 天井の高いマウェート王宮だというのに、二階から飛び降りて緩やかに着地する。
 デリクはカランが去る姿を窓の外に見送って、椅子に腰かけ机に頬杖をついた。
「“クリス・アステリー”か」
 呟いて失笑する。
 見やった外には朝から降り続ける雪。
 開け放たれた窓から雪が――白い雪が入り込み、机を濡らす。部屋の中を寒空のように冷やしていく。
 それは、最後の時だった。
 同じように共通する時間を辿る人間たちの誰かが、最後を遂げる時である。幾何時も死にゆき、生まれくる人間たちの――。
 マウェート暦百三年。冬の真っ只中にある十一番目の月、三十日目。出るはずであった十一番目の月の形は、撓って細い、弓のような三日月であった。
  
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