21.足跡

   追手の数も徐々に減り、ブランクの邪魔をするのは通行人がほとんどになってきている。
 木製の手錠は叩き割った。邪魔なのは、あえて言うのならば両足の重石。けれど疲れたときほどの重さではないし、足を怪我していたなら動かないだろう。そう思えば特別困るほどのことでもない。
「道を開けろ!」
 背後からの怒声。
(いいのか?)
 ブランクは嘲るように奇妙な音で鼻を鳴らす。
(俺に近づいたら、死ぬぜ?)
 マウェートでのブランク・ウィザンを辞めると決めたときから、ブランクは何が何でもウィアズに帰ると決めていた。
 十一年。思い返せばはるかに長い年月を、敵国と呼ばれる国で過ごした。愛着がわくだろうと人は言うだろうけれど、ブランクはマウェートに対して愛情を持ったことが一度もない。
 なぜなら、ウィアズこそ故郷だと知っているから。
 ウィアズ王国の先住民族、ウイズ族。彼らと融和し、土地を統治するために人々は苦労したものだという。
 歴史の浅いウィアズ王国だというのに、ウィアズ王国に住む人びとの中に、ウイズ族の血が流れていない人間は少ないのだろう。ウィアズ王国ではウイズ族と同じ、黒髪に黒い瞳が一般的だった。
 とはいえ、別の色がいないわけでもない。様々な色が住む。だからこそあやふやなのだろう。――区別が。
「ブランクさん」
 呼ばれてふと、ブランクは目線だけ声の方向へと送った。路地の前にフードを深く被った人物が立っている。ブランクは顔を歪めた。
「こっちに。手伝います」
 静かな声音、男のものだ。ブランクはにやりとする。
 ふへ、と短く鼻を鳴らして言われた方向へと走る。すぐ後ろをフードを深くかぶった人物がついてくる。
「よくやるお子さんだ」
 フードの男は答えない。ポケットから鍵を取り出すとブランクの目の前に放り投げる。目の前に落ちてきた鍵をブランクは反射的に拾った。
「時間を稼ぎます。足のそれ、一応面倒でしょう」
「どういうつもりだ?」
「あんたの脱走騒ぎは、俺にとって有益になるので。簡単に捕まってほしくないだけです。これも」
 言って、腰に提げていた剣を同じようにブランクに放り投げる。ブランクは再び反射的に拾い、顔をにやつかせた。
 ブランクが使っていた剣だ。どういう経緯で、どうやって手に入れたのか知らないが、二つとも、ブランクにあれば強力な手助けになる。
 ローブの男が立ち止まった。
 腰のあたりから短剣を取り出し、振り返る。ブランクは立ち止まり、とりあえず足枷を取りながら鼻を鳴らした。
「お前さん、弓士だろう」
「はい」
 追いついてきた二人の兵士に対峙する。剣士だろう。立ちふさがる人物に向かって剣を抜いた二人に、ローブを深くかぶった男――カランは失笑した。
 マウェートに来る前は相手が高等兵士だったことを思えば、なんて気楽な相手だろうと。
 そもそも、マウェートがウィアズの地上隊の錬度に勝ることはあまりない。逆に天空隊と魔道士たちの錬度、すべてにおいての数はマウェートが凌駕している状況ではあるのだけれど。
 つまり、ウィアズに生まれたからには一対一だなどと、ぬるいことを言ってはいられない。カランも言うつもりはなかった。
 まず一人の剣を短剣を使って片手で受け流す。連続して襲ったもう一人の剣は身をかがめてかわした。かわしたと同時、空いていた手でもう一本短剣を取り出して、受け流した剣の持ち主の足の腱を斬る。
 狭い路地。長い剣を振り回す剣士が数いても、半端な実力ではお互いが邪魔になるだけだ。
 カランはよろめいた一人の剣士を盾にした。つき飛ばしてもう一人にぶつけると、そのまま足の腱を切った剣士の喉を突きさして止めを刺す。邪魔になった剣士をどかした、まだ無事な剣士には、どかした瞬間に、同じように喉に鋭く短剣を突き刺した。
 辺りに、一気に血の匂いが広がった。追手はひとまず他に来ない。
「ふへっ、本当によくやるお子さんだ。クリス・アステリー?」
 カランは血を浴びたフード付きのローブを脱ぎ捨てた。ブランクから離れるように路地の別の道への曲がり角へと向かう。
「一七だったか? 本物の年齢だろう、お前の顔をみりゃあな。俺はもう三十三か。だいたい十一年だ、こっちに来てからな」
 ブランクがふう、と息を吐いた。
 路地に入り込む遠くの喧噪。まだ見つかってはいない。カランはブランクの姿がぎりぎり見える場所で立ち止まった。
「ウィアズに帰ったら、調べたことを全て報告する」
 時代遅れかもしれないが、と至極小さな声で続けてブランクは空を見上げた。
「それと、クォンカに会いに行こう。たぶんあいつは今も、ウィアズで同じように剣士をしてるんだろうな」
 たぶんでなくても知っているはずだろう。高等兵士クォンカ・リーエ。どういう関わりなのだろうとカランは少し訝ったけれど、かぶりを振った。
「あとはウィアズの式典、一回くらい出てやってもいい、それはいい。でよう。それで、お前はどうするんだ」
 ブランクがカランを見た。カランはブランクを見て、無表情のまま顔を逸らす。
「俺は、」
 しんしんと降り続ける雪。マウェートでは珍しくない天気だ。
「まだクリスだから、明日」
「そうか」
 奇妙な音でブランクが鼻を鳴らした。愉快そうにカランを見る。
「ならいい。俺は別にいい」
 カランは小さく頷いて、ブランクと別れた。
 空を見上げれば曇天。
 朝から変わることなく振り続ける雪。城下町の道にはすっかり雪が積ってしまっていた。足跡が付いているのを見つけて、カランは顔を歪めた。
「そっか」
(ここは、マウェートなんだよな)
 思いて、カランは大通へと向かった。
(期限は明日、か。どんなに急ぐんだとしても)
 もしかしたなら、とウィアズにいる二人の高等兵士の顔を思い出した。
(俺が任務を成功させることは、結果にあまり関係ないのかもしれないよな。そもそも、俺をここに送って、)
 カランは微かに目を細めた。奇妙な気持ちだなと思った。恨めしいとも思えたし、ありがたいとも思えた。
(成長させたかった、だけなのかも、な)
 この気持ちを正確に表す言葉がある。
『ありがた迷惑』
 こうなったら必ず、彼らに比肩できるほどの実力をいつか、手に入れてやろうとカランは思った。
  
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