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広場に集まった人々は縦横無尽に走り回る。それぞれどこへ向かっているのか。自分の家なのか、王宮へ救いを求めているのか。
カランは縦横無尽に走る人々の間を、すり抜けるように中央に向かった。中央ではブランクが、現れた兵士を返り討ちにしながらカランとは逆に外へ向かっている。
逃げだせるはずがないのにな、とカランは思う。この大勢の中、たった一人、追撃から逃げられるはずがない。
にもかかわらずブランクは暴挙に出た。
本当にただの変人だったのか?
確かに、カランは経緯は違うまでも、この時点で城下町を混乱させようとは思っていた。ブランクに追手が回れば王宮はその分手薄になる。最終的な目的を果たすためには好都合になる、はずだった。
だが、やはり何かが納得いかない。
「……っくそっ」
考えていても仕方がない。すでに頭上など見上げる人間がいなくなっている中、カランは処刑台の上へと向かう。最中、唐突に目の前に自分に殺気を向けた兵士が現れた。
「クリス! やはりお前の手引きか!」
「こんな事態で、」
イラついた理由は二つある。
一つは自分が急いでいるのに目の前に現れた邪魔者であること。
もう一つは、確かにブランクを捕らえなければらない状況で、何の事実も確証もなく、別の人間を捕らえようとしたこと。
「無実の人間に構うな!」
ホンティアが寝坊した自分を、思い切り殴ったことを思い出した。同じ気持ちだったのかもと思う。今では冗談のように言うけれど、確かに、あれは自分が悪かった。
カランは拳を握ると、刹那に踏み込んで目の前に現れた兵士の顔面を殴りつけた。一瞬だけ驚いたような顔が、見えたような気がした。だがカランに殴り飛ばされた兵士はごろりと地面に転がって気絶してしまったようだった。確認するすべもない。
「一応、加減してやったのにな」
本当に一応だけ呟いて、カランは気絶した兵士を一瞥した。すぐに目的地に向かって走りだす。
処刑台の上には既に、人はいなかった。カランは処刑台の上からブランクの姿を探した。人の流れが縦横無尽すぎてブランクの方向を見失ってしまったのだ。
西に向かう道の中に、ブランクを見つけた。カランは見つけてすぐ、処刑台から飛び降りる。この高さながら平気だろうと思うと同時、試してみたいことがあった。
「メアディン」
特定の言葉を唱えることで、魔法は形を成す。想像の力と言葉の力で天魔の獣たちが力を貸すのだと言われている。
落下の最中、急激に身体が湧くような感覚に襲われた。落下の速度が急激に遅くなり、ふわりと、カランは地面に落ちたけれど。
(……気持ち、悪……っ)
思わずよろめいて地面に手をつけた。
「クリスっ?」
再び呼ぶ声を聞いて、カランははとして顔を上げた。ひとごみの中から必死に走ってくる人物を見た。――ニック・アステリー。
完璧にまいたはずだった。ニックが処刑台の上を見ていたなどと考えもしなかった。
「何してんだ、クリス! お前あの高さは流石に骨が……っ」
「平気だって言ってるだろ」
カランは顔を歪めた。
心配をしている、いつもニックは“クリス”を気にかける。――いや、“クリス”だけではない、他の弓士も、他のすべての人間も。自分のことなどどこかに忘れてきてしまったかのように、ただ人を想う。
「もういいと思うって、言っただろ」
ニックがカランの前で足がすくんだように立ち止まった。
「何を……何がもういいんだ?」
やはり震えているけれど、ニックはカランに問いかける。カランの姿を見つめたまま。カランは立ちあがってニックを睨んだ。
はらりと、頭上から大粒の雪が。カランの頬に落ち、溶けてさらに落ちる。
「なぁ、クリス」
ニックは震えるまま、一歩前に進む。カランはニックを睨み据えたまま動かない。
「まだ、引き返せるよ。な、クリス」
“クリス・アステリー”。
カランのポケットの中には、デリクから渡されたクリス・アステリーについての資料がある。ブランクの処刑が決まって後、再び偶然会ったデリクが、ニックも一緒に部屋に招待してくれた。その時ニックには見つからないように手渡してくれた資料。
いつか返しますねと言ったけれど、返せる自信はない。
なぜなら自分は“カラン・ヴァンダ”だ。“クリス・アステリー”ではない。
「疑ってるんだろ?」
「違うっ!」
必死になってニックが否定する。
“クリス・アステリー”という諜報員が、昔マウェートにいた。ウィアズ王国の王国軍に入り込んだ。そして、死んだのだ。
ニックの、叔母である。
「このままじゃお前が、いなくなっちまいそうで、俺……っ!」
「俺はクリスだ」
突き放すようにカラン。
ニックの脇をすり抜けて歩く。ニックは震えたまま、動けずにいた。
「違う……俺はそんなこと言いたいんじゃないっ!」
力の限りにニックが叫ぶ。カランは一瞥もせずに人ごみへと走る。
「クリスっ!」
ニックがカランに振り返った。カランは呼ばれても振り返らない。――決別のために。
マウェートとの繋がりの全てを、断つために。
ニックはカランの背中を見つめて立ち尽くす。両手を握って、向うところを知らぬ拳を空に振り下ろした。
「友達だって思ってたの、俺だけなのかよっ!」
たとえそうじゃなくても、とカランは思う――振り返らずに。
胸をかき乱すものを押しつぶすように、空の手で胸元を握った。
たとえそうじゃなくても、自分はカラン・ヴァンダだ。
帰りたい場所がある、決して譲れないものがある。
たとえ何を、犠牲にしてでも。
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