120.己が神に捧ぐ

   同じ頃、マウェートの宿の一室にいたピークは魔法の反発を受けて窓の外を見た。――エアーにかけた魔法が無理やりに解かれた反発だ。位置は、やはりマウェート王宮。途端王宮の方向から大きな魔力を感じた。距離があるにも関わらず、感じられるほどの。
『……もういいのか?』 
 通信の先ウィアズでカランが問う。ピークは椅子から立ち上がり、窓へと歩きながら「はい」と。
「位置はなんとなくわかりました。夜なら俺もなんとかなりそうでしたが……事情が変わりました。強行突破っすかねぇ、これ」
 魔力が確実に少しずつ近づいてくる。おそらくエアーにかけていた姿を変える魔法を、ピークがかけたことがばれたのだろう。
「王宮にかけられたシールドの魔法陣の位置、教えてくれただけでもかなり助かりました」
『教士』
 カランとの通信の間、副官のビジカルはずっと傍にいた。ノヴァとクォンカはあらましを聞き終わると、ノヴァを迎えにきた副官のレコルトに連れられて第三大隊の出征のための会議に向かった。カランは用事だと伝えておくとノヴァが言っていた。
『リセさんが軍からいなくなって、消極的になりましたね』
「ん?」
『リセさんの結婚式に出るための休暇だったはずですが?』
「あー、はい。絶対無事に帰ります」
『前祝いに派手にやってきても、俺は批判しませんよ』
 珍しいことを言うなと思って、ピークは少し笑った。いつも落ち着けと諭すほうの人間なのに。
『ついでに言うと、派手にやるところ久々に傍で見たかったですよ。なので失敗したら思いっきり批判した本書いてやる』
 どういう理屈かと、ピークは軽く声を上げて笑う。
「そりゃあ怖いっすねぇ、ビジカル」
 言いながら身支度を進めた。エアーが持っていた荷物の中から剣を取り出して、他は簡易に召喚した、狼の形に木の枝のような角が生えた召喚獣にくくった。荷物をくくられた召喚獣は言葉を話さず、だが不満を表したが、ピークが指を鳴らすと開けた窓から空へと走り出して行った。
 ピークはいつもの赤紫のローブに腕を通し、上から変装用の深緑色のコートを羽織る。
「さあ」
 視線を送れば空間に魔法陣が描かれた、窓の外。
「行くぞライディッシュ。久しぶりに命がけで暴れるっすよー」
 ぱちん、と指を鳴らせば魔法陣からピークの使役召喚獣雷の覇者ライディッシュが、ゆっくりと姿を現す。
「んじゃ、ビジカル、カラン。いってきます。お後はよろしくお願いします」
 ライディッシュが完全に姿を現す頃には宿の周りは大変な騒ぎになっていた。流石は魔道士の最高峰マウェート。魔法陣でにわかに騒ぎだし、現れた召喚獣を見て言い当てた。ライディッシュだと。
 そして今、ライディッシュを召喚できる存在は一人だけ。使役している人間以外に召喚されることはない。
 ピークが窓から飛び降りてライディッシュに跨れば喧騒の中から叫び声。
「じゃああれが、ピーク・レーグンだ! ウィアズの――雷神だ!」
 跨ったと同時、辺りにバチンと音が響いた。響いて同時、ライディッシュが宙を蹴った。ライディッシュに跨るピークに風は来ない。ライディッシュが自らの魔力でピークを守っているからだ。
 急激に近づくマウェート王宮から黒い竜に跨る少年が飛び出してきた。黒い竜の尾は二つに割れ、翼はいくつも体についている。頭は一つ。体は漆黒。まるで影。
「げ」『あれは』
 ピークとライディッシュが同時に声を出した。
『一度倒したはずだな』
「ライディッシュの方がよくわかってるじゃないっすか」
『術者がいればいくらでも蘇るぞ』
「はいはい、俺も死なないように気を付けます」
 言ってピークはちっ、と舌打ちした。一八年ほど昔、ピークはそっくりの召喚獣と対峙したことがある。本気を出さなければ死人を出すところだった。
 あの時は後ろに後の魔道士隊の隊員たちがいた平原だった。けれど今はマウェートの王都の上空。死人を出さずに勝てる見込みがない。
「貴様……よくも我らを騙したな! 殺してやる!」
 少年は殺気を微塵も隠さず込めて叫ぶ。みるみるに近づく少年の姿、竜から黒い帯がいくつも伸びてきた。触れば魔力を奪われる。最終的には肉体ごと。
 少年が跨る竜は『魔道士喰い』の異名を持つ召喚獣ボートヴィート。ボートヴィートの起こした悲劇はいくつもあり、そのいくつかは本にもなっている。魔道士たちに忌み嫌われる召喚獣。裏切りの魔道士と呼ばれる所以の召喚獣でもある。
 ライディッシュはピークの指示も受けずにただひたすらに伸びた黒い帯を巧みにかわす。ピークはライディッシュの鬣に顔をうずめるほど姿勢を低くしてしがみつき、片手を掲げて魔力を集めた。
 ――他人が作ったシールドを破る方法はいくつかある。
 シールドを解除させる黒魔法での方法。同じくシールドをぶつける白魔法での方法。
 最後は圧倒的な力で突き破ることだ。
(カランが言っていた内容が正しければ、王宮を守るシールドは魔法陣で作られている。この前カランが魔法陣を消して暫く起動しなかったと言っていた、なら)
 一つを壊して入り込み、エアーを回収して町の外まで逃げる。おそらく少年は追ってくるだろう。ここで戦えば文民にひたすらに被害が広がる。事実ライディッシュが避けた黒い帯が地上まで伸びて、運悪くぶつかった人間がしなびて最後には塵に消えた。魔力を吸い上げたボートヴィートはますます活気づく。
「ライディッシュ、向かって右。あの高い塔の真上だ」
『了解した』
 ライディッシュが宙を蹴る。実態がある召喚獣とはいえ、光のごとき足の速さを持つと言われる召喚獣だ。ひとっ跳びに上空にたどり着く。
 ライディッシュが上空につくとピークは片手に集めた魔力を光に変えた。変えた光を凝縮して塔の屋根の真ん中にある魔法陣に向かって投げつけた。光は閃光となり、塔を串刺しにし――マウェート王宮のシールドが消える。
 追いついた少年が手を振れば巨大な漆黒の鎌が横なぎに襲ったが、やはりライディッシュが宙を蹴り避けて、ピークが開けた穴から塔の内部へと入り込んだ。
「あの……天魔の魔道士め……」
 苦々しく呟いて少年は上空で待った。天魔の獣の魔道士――ピークが、赤紫の眼の人間を連れて行こうとしていることは、わかっていたから。



 塔の内部に入り込んだピークを見たエアーは、表面上無表情のまま立ち上がった。先ほどピークが放った閃光で牢の一部も溶けてなくなった。あまりの光に眼がかすんでいるが、問題ない程度には見える。
「助かった」
「まだ助かってないっすけどね」
 ピークはライディッシュの上からエアーに向かって剣を放り投げた。エアーは無造作に受け取って、知らず安著の息を吐く。――愛剣だ、久しぶりに握る。
 一緒に巻き付いていた剣帯ですばやく剣を腰に吊るすと、「で」と。
「これからどうするつもりだ」
「逃げます。確認したかったことができなかったことは、もうどうでもいいです」
 命が一番大事っすからねとピークが真顔で言えば、エアーがさして面白そうでもなく鼻で笑った。ピークが開けた穴を跳んで越えると、越えた先には目を開けたまま転がる金色の髪の人間。転がる人間の顔に軽く手をかざしてから、シャッと音を立てて剣を抜いた。
「お前のおかげで見られた」
 身動きしいない金色の髪の人間に向かって剣を躊躇なく振り下ろし、腕を斬り落とす。次に首。斬り落とした腕を掴むと、ピークに向かって軽く放り投げた。
「わっ、何すんすか」
 切り落とされた腕からは血が出ていない。死体かと――思えばまだ温かい。むしろ熱い。
「脈、あるんじゃないのか」
 言われて脈をとれば確かに、脈を打っている。定期的に。
「この部屋にたどり着くまで、腕、頭、足、胴体、バラバラで吊るされていた。人間だけじゃない、動物のものもだ」
 エアーはまた軽く動いて入り口に向かうと、入口を無造作に開ける。入り口の両脇には黒いローブの人間。とっさに振り向いた二人を、これも躊躇なく一太刀ずつで殺害した。――自由になってすぐだ、まるで血に飢えていたかのよう。
 こちらはきちんと血だまりをつくり、倒れこむ二人の黒いローブの人間の脇にしゃがむと、二人共のフードを取る。二人の頭を確認すると、「で」と、再び。
「あれが待ってる空から逃げるつもりか?」
 塔の上空ではボートヴィートにまたがった少年が待ち構えている。ピークが肩を竦めた。
「えぇ、まぁ。それしか道ないっしょ」
「あぁ」
「なんで、お前もライディッシュに乗ってください。お前が乗れば安全度が増します」
「これか」
 瞼を軽く触り、エアーが自嘲した。
『ピーク』
 ライディッシュがわざわざエアーにも聞こえるように声を出した。ライディッシュが鼻面を上空へ向ける。
『先ほどから上の人間の邪念が膨れている』
「あー……」
 さて、どうするか。
 暗黒魔道士の暗黒とは、他を塗りつぶすという意味のこと。天魔の魔道士にとって天敵なのはそのせいだ。他人の魔力を塗りつぶしていく。
 以前暗黒魔道士と戦ったときは勝てた。そもそも実力が雲泥の差だった。今はおそらく拮抗している。勝てる自信がない。
 自信がない、と思ってしまったなとピークは苦笑した。魔法は常に自分を信じなければ使えない。
 頭上を見上げて考え込んだピークを見てエアーが鼻で笑った。
「俺の眼を利用するなら利用すればいい。俺の体質もだ」
 言われてエアーを見たピークは「あ、なるほど」と、ぽっかり口を開けて指を鳴らした。
「その手がありました!」
「あぁ」
「じゃあよろしくっすよ、エアー」
 近づいたエアーの肩に手を置き、ピークがもう一度指を鳴らすとエアーの姿が忽然と消えた。







 ――神よ、と少年は願った。
 何年前かすでに数えてはいないけれど、死病にかかり息も絶え絶えになりながら願った。
 神よ、いるのならば救ってくれ。
 苦しみから、憎しみから。
 死病にかかった少年を、人々は見捨てた。洞窟の奥に押し込め、食事も水も与えられなかった。
 自分が何をしたのか。何の報復だ。
 食欲も失せて目はかすむ、のどは乾く。死病で全身が痛む。
 水すら摂っていなかったけれど目から水が零れ落ちて、声を出す力もないのに嗚咽が零れた。
 ただひたすらに願った。
 助けてくれ、救ってくれ。この憎しみを晴らしてくれ。
“魔道士喰い”のボートヴィートが現れたのはその時だ。ボートヴィートが村の人々の魔力を吸い上げ、少年の命を救い、訪れた暗黒魔道士が少年に“逆巻きの下法”を伝えた。下法により年を取らなくなった代わりに病気も進まなくなった。
 病気が進まなくなっても呼吸は時折乱れ、発作のように全身に苦しみが走るけれど、生きられた。憎しみを晴らす機会を与えてくれた。
 それはきっと、暗黒と呼ばれた魔道士たちを率いた神のおかげだ。
 だからずっと願っていた。待っていた。
 再臨を。


>□


 少年のほんの上空に転移させられたエアーは素早く剣を抜いた。空中だから地上ほどはうまく動けない。けれど慣れた作業だ。
 剣を頭上に構まえ、そのまま振り下ろす。少年は呆けてエアーを見つめていた。重力とともに剣が少年の体を縦に通り過ぎると、少年の体から血が溢れ出し、黒い竜が霧散した。
 ――何故。
 落下しながら少年が絶命する様を見つめながらエアーは思う。
 何故、抵抗しなかったのか。少年の実力があれば何かしらの抵抗ができたはずだ。
 ――何故。
 金色の髪を忌み嫌いながら、天魔の獣たちの魔道士たち、天魔の獣たちを信仰する人々を毛嫌いしながらもマウェートに来たのか。
 ――何故。
 少年の体も落下していく。エアーは目を閉じて思考に蓋をした。






 少年の体が斬り裂かれて鮮血が空に舞った。エアーに躊躇はなかった。
(信頼しすぎだろ。ったく)
 ピークはボートヴィートが霧散するのを見てからライディッシュに合図して空へ跳んだ。少年より先に落下してくるエアーをライディッシュが咥えて回収すると、そのまま王都を離れるべく宙を蹴る。
 マウェート王都はものすごい騒ぎだ。王宮にすら声が聞こえるほど。急がなければ討伐隊が編成されてしまう。
『返せ……』
 ふと、声が聞こえた気がしてピークは振り返った。死んだはずの少年の声だ。
『返せ、我らが神を!』
 振り返ると落下していたはずの少年から黒い翼が生えるのが見えた。胸から出ていた鮮血も真っ黒く染まり、幾つもの黒い翼へと姿を変える。
 死んだのではなかった、己の血を代償にボートヴィートをその身に宿したのだ。
 ――まさか、あの“魔道士喰い”を使役していたとは。
 ピークに従うように速度を落としたライディッシュも背後を見ていた。咥えられた状態のエアーも。
「ライディッシュ、全速で郊外に逃げろ!」
 ピークが叫ぶと同時、少年の周辺に黒い煙が一気に広がった。爆発的に広がる煙から間一髪で逃れて、光のごときと呼ばれる足で郊外へと逃れれば、やはり少年が幾対もの翼で羽ばたきながら追いかけてくる。
「あれは、不死身か?」
「じゃないと、助かるんすけどねぇ!」
 やけくそで叫びながらピークは片手を掲げてパチンと指を鳴らした。身の回りにいくつもの光の玉が現れ、もう一度鳴らすと背後の少年へと閃光となって飛んで行った。
 ジュ、と音を立て黒い翼の一部が失われたがすぐに再生する。王宮の郊外には出ていたけれど黒い帯が近くの木に巻き付いて、木が砂塵に変わった。
「国に連れて帰るわけにはいかないんでそこら辺降りるっすよ、エアー! なんとかして勝たないとおちおちちゃんとした休暇もとれません!」
 後半は少しやけっぱちだ。低空に降りたライディッシュがエアーを放り投げると、エアーは地面で前転はしたが、無事着地。地面に片膝をつき、いつでも抜けるように剣に手をかける。少年に対峙するために地面に降りたピークの背中に、エアーは表情に感情一つも込めずに応えた。
「なんとしても、だ。ピーク」
 ピークは振り向かず、「あはは」といつものへらへらとした重みなどまったくない、胡散臭い笑顔で笑った。
「そっすねぇ、なんとしても勝つっすよ、エアー」
 答えてまたパチンと指を鳴らした。
  
Back←// Utautai //→Next 
inserted by FC2 system