セレダランスの街を一望できる場所は、ゼイランド城にある。国王がとくに通う場所で、気晴らしなどに外を眺め、自らが護らなければならない街を見ることができるのだ。 その高台は比較的開放されている。城に住む兵士たちや女中たちもよくよく通うが、国王がいるときは誰も恐れ多くて入らない。 イシュは迷いついて高台についていた。高台とはいえども、城の屋上のような場所だ。大きな風が、朝の清々しい陽気の中を駆けている。今日も天気は晴れだろう。 石壁に両手を置いて、顎を上にのせる。昨日の晩は『無碍に帰すとクレヴァー王子に怒られるから』という人の話で、城に泊めてもらったのだ。 「あぁあ……」 とイシュは大きく嘆息する。紐で一つにまとめた髪が、風に荒々しくなびく。 「……クレヴァーさんにジェンさん、大丈夫かな……」 ゼイランド城の文明レベルは、世界でも有名なほど高い。心配するようなことはほとんどない。最高峰の医学も詰まっている城なのだ。 だがイシュは、『ゼイランドの城はすごいらしいぞ』という噂しかしらない。医学がどうの、機能や文明がどうのということの詳しいことはほとんど知らない。レイゼランズでは珍しいと思っていた人工の灯かりが、一般的であるということに驚きはしたが。 「クレヴァーはさほど死なん。ジェンもおそらく大丈夫だろう」 唐突に声が掛かって、イシュはびくりと肩を震わせる。――独り言まで聞かれたようである。 イシュは恐る恐るふりかえる。聞き覚えのある声は、今一番聞いてはいけない人間の声ではないだろうか、と。 「今日は天気がいいな」 と、声の主――ルーゼントはしれっとして言う。イシュはルーゼントの顔をみると、頭を下げて、ジェンやヘイウスを真似て拳を手の平に当てる。 「おはようございます、陛下」 「おはようイシュ・フィングラス、朝には誰もいないのがここの常だったものでな。少し驚いている」 ルーゼントはイシュの顔を一瞥すると、イシュの横に並んでセレダランスの街並みを眺める。太陽の光を背負いながら、目を細めてうっすらと顔に笑みを浮かべる。 イシュはルーゼントの顔を上目遣いに眺める。クレヴァーと同じ銀色の髪であれど、雰囲気は全くと言って良いほど違う。ゆったりとして自然だ。クレヴァーはどこか鋭利な刃物のような雰囲気がある。 「クレヴァーのことだが」 ルーゼントは再び口を開いた。 イシュは頭を上げて、訝ってルーゼントの顔を眺める。 「クレヴァーさんですか?」 ルーゼントは首だけでイシュにふりかえり頷く。イシュはルーゼントと顔が合うと、片方の顔の筋肉を動かして、微弱に笑いを作って見せる。 「クレヴァーに会ったら、大広間へ来るようにと。そのときはイシュも同じく来るがいいだろう」 「……一つ、訊いてもいいですか」 イシュはルーゼントの顔を見据えながら、らしくもなくゆっくりと言葉をつむぐ。声が少しだけ低く、それほど気分がよいわけではないことを示唆している。 ルーゼントは短く失笑すると、「何だ」と問う。イシュは間髪いれずに訊いた。 「俺が『イシュー・フェンガラス』である、と陛下はお考えなんですか?」 ルーゼントは石壁に肘をついてイシュに向かい直る。顎を掴み「ふむ」と。 「さてな、どうだか」 「ごまかさないでください」 「答えを欲しているように見えるが」 「はい、欲しいです。できれば違うんだという答えが」 イシュは静かにルーゼントを見据えながら、吐いた。顔は微弱に苦痛を湛えている。――小さな願いを、持ちつづけてきたのだ。崩されて快いものではない。 ルーゼントはイシュから目線を外すと、「なるほどな」と、口を開き、再びセレダランスの街並みを眺める。 「どちらにしろ、私には断言しかねるということだよ、イシュ」 イシュは胸に手を当てると、一瞬俯き、顔を上げた。 「っだって! イシューって人は死んだんじゃなかったんですか!」 ルーゼントは悪戯に笑った顔でイシュの顔を一瞥し、失笑する。 「魔族が人間を食らうのならな」 「食べませんよ……陛下。もしかして、それ知ってて『死んだ』なんて、吹聴してまわってたんですか?」 「吹聴とは人聞きが悪い」 「ほとんど嘘に違いないですよ! 何やってんですか国王ともあろうお方が!」 ルーゼントは悪戯に笑みを浮かべると、イシュから目線を外す。 「娯楽だ」 「嘘ですね」 「わかるか、イシュ」 「娯楽でそんな人が死んだなんていうはずないじゃないですか」 「その通りだ。だが、物事には色々な可能性がある、一概してそうとは言えない」 ルーゼントは唐突にイシュの眼を見据え、言う。イシュはルーゼントと眼が合うと、思わず息を呑んだ。 太陽が本格的に輝き出そうと、準備運動をはじめる。気温は急激にあがっていくだろう。朝から空には雲一つなく、駆ける風が微弱に暖かくなってくる。身体に当たる陽光が、酷く暖かい。 イシュは、ゆっくりと口を開く。ルーゼントに見据えられて嫌に動きにくい。 「俺には理由がわかりません」 ルーゼントは一度瞬きすると、イシュから目線を外し、石壁から肘を外すと「ふむ」と声を発する。 「もしも本当にイシュー・フェンガラスであるのなら、教えよう。だが、そうでないのならば絶対に教えるわけにはいかない。どちらがいい? イシュ・フィングラス」 イシュは嘆息して気を抜くと「はい」と。 「どっちでもいいです。でも、どっちかっていったら教えてもらわないほうが良いかも」 「なるほど、それも一理だな」 ルーゼントはけらけらと笑うと踵を返してイシュに背中を向ける。 イシュは風に打たれながら、ルーゼントの背中を城に入り見えなくなる最後の時まで見つめていた。 ――違うといって欲しかった、「イシューではない」と。 親であったとしても、どうして捨てたのかと訊く勇気はない。聴く勇気さえない。 生きていてごめんなさいと、言いたくはなかった。 イシュがクレヴァーと再会したのは、直後のことだ。ルーゼントと入れ替わりに、城の屋上に現れたクレヴァーはイシュを見つけず、少しばかりうつむいた状態で歩く。 白銀色の細い髪が、さらさらと音を立てているようになびいていた。 イシュはクレヴァーを見ると、微弱に顔に笑みを作る。クレヴァーは今だイシュを見つけてはいないが、イシュははっきりと見ていた。 「おはようございます、クレヴァーさん」 クレヴァーは至極ゆっくりと顔を上げ、イシュの顔を見やる。クレヴァーの顔には魂が抜け落ちているような雰囲気があった。 クレヴァーはイシュを見ると、短く失笑し、「あぁ、おはようイシュー」と小さな声で応える。 「セレダランスの街並は美しいだろう?」 「はい、でも、昨日ヅリエンディが来て壊しちゃったところがあるのが、ちょっと残念ですね。すいません」 「イシューが謝ることはない、むしろ私が謝りたいくらいのものだ」 イシュは訝って片眉を上げる。クレヴァーはイシュの目の前を通り過ぎると、石壁によりかかる。 太陽の光に照らされながら、クレヴァーはゆっくりと目を細め、自虐のような笑みを口に浮かべる。悲しみを帯びて見えるのが、ひきたって綺麗だ。 「私は、本当に何も知らなかった。ゼイランドの皆に、とても悪いことをしていたように思う」 イシュは微弱に笑みを湛えてクレヴァーの顔を眺める。――自分と似ているのに、対するような白銀の髪が、別人に見せてくれる。おかげで少しばかり見入ってしまった。 「クレヴァーさんは皆に好かれてますから大丈夫ですよ」 「あぁ……それは。本当に私自身を、なのかが分からない。私は王子であり、カレント王妃の遺児だと言われ続けてきた。私の本質がどうのということまで、誰かが気遣ってくれているだろうか」 イシュは口を開きかけて、止めた。 「私がただの人間であったのなら、誰が私のことを想ってくれただろう……皆に悪いとは思っていても、疑念は沸いてくる。私は、愛されるべきほど頭はよくはないし、世間のことも何も知らない。イシューが羨ましい」 「俺は何も言えないんですよ! だから、羨ましがるなんてことしないで下さい!」 イシュは半ば必死になって即答する。声がうわずっていることに自覚していれども、どうしてか口が勝手に動いていく。 ――何か、悔しい。クレヴァーに羨ましいといわれることが、酷く悔しい。 「クレヴァーさんは良い人です! 俺は、どこで会ってたって絶対そう思っていたと思います、だから!」 「イシュー。叫ぶと頭に響く」 クレヴァーは至極落ちついた声で言った。顔にうっすらと笑みを浮かべ、イシュの顔を眺めながら、笑いを堪えているようでもある。 イシュは口を止め、少しばかり顔を赤らめて、そっぽをむいた。 「すいません。でも俺はイシューさんじゃないです」 クレヴァーは何も言わなかった。イシュの横面を見ながら、静かに笑いを湛えているだけだ。やはりどこか寂しそうでいて悲しそうだった。 イシュは横目でクレヴァーの顔を見やり、自分も少しばかり笑って見せる。 「でも、クレヴァーさんに会えてホントに良かった」 クレヴァーは唐突に吹き出したかと思うと、声を上げて笑う。石壁に片手をつきながら、腹を抱えて笑っている。 イシュは「なんで笑うんですかっ!」と叫ぶと、憤慨してクレヴァーの顔を眺めた。 クレヴァーはしばらく、全てを吐きだすかのごとく笑っていた。 イシュとクレヴァーは二人並んで大広間の扉をあけた。大広間の横にいる兵士が、半ば茫然として見守る。 二人の身長は同じだった。同じ背で、同じ顔だ。髪の色と服装が違うだけで全て同じだ。「あれじゃあ奇妙だな」と誰かが呟く。 大広間にいたのは、ルーゼント一人だけだ。国王でありながら、ルーゼントは護衛一人つけない。一人になる代わりに、立派な剣が椅子に立てかけられている。剣帯は太く、紅い。 ルーゼントは大きな椅子に腰掛け、手を組んで二人を待ち構えていた。口の端を上げ、少しばかり含んだ笑いを浮かべている。 「なるほど」 と、ルーゼントは口舌を切った。 イシュとクレヴァーは同時に顔を歪め、ルーゼントの顔を注意深く見る。 ルーゼントは笑いを浮かべながら、至極すんなりといってのける。 「よく似ているな」 「……また、その話なんですか……?」 イシュは壇の前で立ち止まり、大きく嘆息する。クレヴァーは壇の上に上がり、ルーゼントの横に立ち、目を細めてルーゼントを見やる。 「父上、何の用ですか?」 ルーゼントはクレヴァーを見やり「怒るな」と言い、片手を振る。 「しばらく休暇を取ろうと思ってな」 「『国王陛下』ともあろうおかたが、この忙しい今、休暇をとるつもりなのですか?」 クレヴァーはあきらかに毒の入った口調で吐いた。ルーゼントは短く笑い飛ばす。 「そう怒るなクレヴァー。少しリーズ大陸に行ってみたいと思っただけだ」 「リーズ大陸に何をしに行かれるのですか、父上。リーズ大陸にはまだ正式な国交のある国がありません。第一、魔族の本拠地が存在します。誰かが賛成するとお思いですか?」 クレヴァーは至極ゆるやかに言う。ルーゼントは顔をしかめ、クレヴァーの顔を見上げる。――クレヴァーの言葉のほうが正論なのだ。 「リーズ大陸に?」 声を上げたのはイシュだ。突っ立ったまま二人を見上げ、眼を開いている。 「リーズ大陸に行くんですか?」 ルーゼントはイシュを見やり、頷く。即座にクレヴァーが何か言いたげにルーゼントを見やったが、イシュは少しも気付かなかった。 「それじゃ、あの!」と、興奮した面持ちで拳を握る。 「俺乗せてってもらえたりしませんかっ?」 ルーゼントは満面に笑みを浮かべると「無論だな」と頷く。直後、クレヴァーはルーゼントを睨みつけ、怒鳴りつけた。 「リーズ大陸には私が行きます!」 イシュはとっさに耳を塞ぎクレヴァーを見上げる。クレヴァーの額には青筋が浮んでいて、食いしばった顔を見れば、どうやらまだ堪えているようでもある。 「父上は国で、ゼイランドを護って頂けませんか!」 ルーゼントはニヤニヤと口に笑みを浮かべると、足に頬杖をついた。 「ならば、クレヴァー。どこに船で入るつもりだ?」 「レイゼランズへ」 クレヴァーは拳を握りながら、苦々しくいう。イシュは二人を見上げ、刹那に息を吸い込む。 「ちょっと待った! レイゼランズに港なんかありゃしませんよ!」 「海岸があれば無理やりでも入らせる」 「戦争するつもりですかっ! レイゼランズはアンコータブルなんですからね! 自治区ですがっ!」 「アンコータブル?」 クレヴァーが唐突に声を低めた。イシュを見下ろし、眉間に皺を寄せている。 アンコータブルは魔族の国だ。首都の名前が同じくアンコータブルであり、住んでいる人間も全て魔族。 イシュはクレヴァーを見上げながら、心持ちしりごんだ。クレヴァーの横でルーゼントが顔を手で仰ぎながら、イシュの顔を興味深げに覗く。 イシュはやれるだけ去勢を張った。 「そっ、そうですよっ! リーズ大陸はほとんどアンコータブルのものなんですから」 「それは初耳だな、大国があったはずだろう」 「魔族の侵略に抵抗できるわけないです! 歴史から見たらほんの一瞬でなくなりましたよ」 イシュは吐き捨てるように言い放つ。ルーゼントは眉をあげたまま、イシュの顔を見下ろし、「ふーむ」と緊張感のない声で唸る。 クレヴァーは眼を閉じ、拳を強く握る。奥歯を噛み締め、刹那の後、溜まりかねたように叫んだ。 「それでは! 父上! 話が違います!」 「私は聴いた話をそのまま言っただけだ、嘘は言っていないぞクレヴァー」 クレヴァーが沈黙し、イシュは苦笑を浮べる。 (やっばいこといっちゃったかなー……俺) 沈黙だった。 大広間に流れた空白の時間は、浪費の時間であったようにさえ思われる。黙っていても何も始まらないのだ、言葉が嘘であったとしても、嘘が言葉になったのか言葉が嘘になったのか確かめる方法は実際に見ることしかないのだ。 クレヴァーは眼を開け、イシュを見据えた。目線は至極落ちついていて、先ほどまで怒鳴っていた人間とは思われないほどだ。 「イシュー、リーズ大陸に行こう。イシューがイシューであるのか、アンコータブルがどうして侵略したのか、私は知りたい。案内してくれ」 まるで有無をいわせない口ぶりだ。イシュはクレヴァーを真直ぐに見返すと、「はい」とはっきりと答える。――どの道、レイゼランズへはそろそろ帰るつもりだったのだ。帰る道が一人でなくなったくらいのものだ。 「でも、俺はイシューさんじゃないですよ」 イシュは譲らない。クレヴァーは何も応えなかった。 商人の貿易船にのって数日。リーズ大陸の大国――今は小国と同じほどの領土しかない――タイラタ共和国の首都に到着する。イシュとクレヴァーは二人だけで、リーズ大陸の大地を踏むと、その足で一日だけ宿に泊まることにする。 イシュはどうしても、腑に落ちないことが一つだけあった。街を見に行くんだというクレヴァーの横を歩きながら、腕を組んで眉間に皺を寄せて問う。 「クレヴァーさん、俺すっごく不思議なんだけどさ」 クレヴァーは辺りを見まわしながら、訝って片方の眉を上げた。 「何か、おかしいことでもあるか?」 「あの『王子』って連呼する王国が、俺にクレヴァーさんを任せるはずないような気が」 「それならたぶん、どこかにいるんじゃないか?」 クレヴァーはしれっとして言ってのけ、イシュから目線を周りの屋台に移した。――とはいえ、屋台もアンコータブルに侵略された難民たちが不用品を売っているだけのようなのだが。 イシュは少しばかり不機嫌そうにクレヴァーを見やる。 「ヘイウスさんな気がするな」 「ヘイウスなら父がだめだといってもついてくるだろう。実害がないから無視しないか、イシュー」 「イシュだっ! いい加減にしてくれよなホントに!」 「私は読み方に沿った呼び方をするといったはずだ」 やはりクレヴァーの顔は至極涼しい。イシュはうらめしそうにクレヴァーの顔を見ながら「はーい」とまったく了解していない顔でいった。 イシュは半眼になると、頭をかきながらクレヴァーの反対側を眺めた。――二年ほど旅をしてきたが、タイラタ共和国の首都は全くかわっていない。難民の数は多少なりと増えている気もするが、街の人間もどうやら慣れたらしい。 「イシューだ」 と、唐突に背後から声がかかる。 イシュは「あ」と短く声を発すると、急に立ち止まった。――クレヴァー以外で「イシュー」と呼ぶのは、一人だけだ。 クレヴァーは訝ってイシュの顔にふりかえり、立ち止まる。イシュはクレヴァーの顔を見やり、悪戯に笑いを浮かべ片手を挙げる。 「レディ・マーニャっていう人だよ」 「『イシュー』だと言ってなかったか?」 「そ、レディだきゃ何回言ってもイシューだって言いやがる……」 イシュは顔を少しばかり歪めると、ゆっくりとふりかえる。 通りの真ん中に大きな布の袋を担いだ女性が立っている。レディである。真直ぐな白銀色の髪を腰まで伸ばしている。顔は無表情だが、綺麗だった。 「イシューが帰ってきた。連絡ものだ」 「レディ、俺イシュな」 「イシュー」 レディは真直ぐにイシュの顔を見据えながら断言する。イシュは半眼でレディの顔を見る。 「イシュだって、いい加減覚えろよレディ!」 「イシューだ。いい加減諦めろ」 イシュは口を閉じて、短く嘆息する。 クレヴァーは興味深そうにイシュに歩み寄る。 「イシューだと呼ばれていないか?」 「そうですよ、レディだきゃ絶対にイシュって呼びやしない……」 イシュは息を一気に吸い込む。 「イシュだっ!」 「「イシューだ」」 と、二つの声が重なった。男の声と女の声で、妙に綺麗にそろって耳に入り込む。 (……なんだかなぁ) イシュは嘆息して、片手に顔をうずめた。クレヴァーとレディは二人そろってイシュの顔を見ている。クレヴァーにいたっては少しばかり笑いの含んだ顔だ。 「もう……どうでもいい」 イシュはどうやら諦めることにしたらしい。クレヴァーはイシュの返答を聞くとけらけらと笑って見せる。 レディはクレヴァーを見、唐突に指を指す。 「二人目」 クレヴァーはレディの顔を見、沈黙する。――何が二人目なんだろう。 イシュはまた嘆息して片手を挙げる。 (まだ直ってねぇんだな……) 「何が二人目なんだよ、レディ」 「イシュー」 「違うっ! 俺は一人だけだ!」 「なら、クレヴァー?」 と、レディは小首をかしげてクレヴァーの顔を見上げる。クレヴァーとレディの距離は遠く、小首をかしげ、クレヴァーが沈黙している間に人が間を通って行く。 (名乗ってはいない……はずだが) クレヴァーは恐る恐る口を開く。レディは首をかしげた状態のまま動いていない。 「私の名前はたしかにクレヴァー・リーヴァですが……」 「人違いか?」 レディは違う方向に首をかしげて、腕をくんだ。同時に担いでいた布袋がドサッと音を立てて地面に落下する。 イシュは「ほら」と言いながら、荒々しい足取りでレディの傍へと歩み寄る。地面に落ちた布袋を拾い上げて、レイディナの代わりに抱える。 レディはイシュにはまったく関係してはおらず、腕を組んだまま無言の無表情で悩んでいる。 唐突にレディは手を打つと「そうだ」と、やはり無表情のまま声を上げた。 「イシューと顔が同じよしみだ。クレヴァー・フェンガラスという人間知らないか」 「レディ、一人で来たんじゃないだろうな」 「イシュー、あれは、クレヴァーだ」 「はいはい、クレヴァーさんはクレヴァーさんだよ。だから一人できたんじゃないだろうなって訊いてんだろ?」 「大丈夫、ノティリアがいるはず」 イシュは半眼になってレディから目線を外すと「はずってなんだよ」と胸中で嘆息する。 クレヴァーは半ば唖然としてレディの顔を眺めていた。――綺麗であるのにもかかわらず終始無表情だから、何を考えているのかさっぱり予想がつかない。名前を言い当てたうえに、本名までも、である。白い肌がまるで死人のようで、青い目が冷たく何もかもを見通してしまうのではないかとさえ、思われた。 だが、クレヴァーはすぐにかぶりをふる。 (イシューの友人が悪い人間だとは思いたくない……) 対して言えば、イシュの友人だからこそ怪訝するということもあるが、クレヴァーの頭の中には少しも浮び来なかった。――「類は友を呼ぶ」などという言葉の「類」の分別がないのだから。 イシュはレディの顔を半眼で眺め、まるで保護者のような口ぶりである。「久しぶり」だの、「元気にしてたか」だのといったものは少しも出てこない。 レディは背伸びしてイシュの頭をなでた。 「尖ってないぞ」 「尖るわきゃねぇだろ、レディ」 「いつも、尖ってた」 「あれは、面倒くさかったからだ。それよりレディ、この袋重いぞ。お前重いの忘れてただろ」 「あぁそうだ。重い、イシュー持ってくれ」 「その付け足したようなのはなんだよ……持つけどさ……」 「優しい」 「俺は優しかねぇっての……」 イシュは鼻から息を出して「んー」と唸った。レディはけれけらと笑うと、イシュの肩を手の平で二度ほど叩く。 クレヴァーは二人を眺めながら、ふと、ほかに目線をやった。唐突に口をぽっかりと開いて、至極冷静にイシュの後ろを指差す。 「イシュー、あれは?」 イシュはクレヴァーを見やり、指差した方向を見やる――背中に大きな鳥の翼がある人間が、逆光に立ってこちらを見ている。 イシュは鋭く息を飲み込む。唐突にレディの腕を掴み、力の限り自分の手前へと引く。刹那、レディのいた場所に白い羽根が突き刺さり、石の地面へとめり込む。 イシュは荷物を置くと、クレヴァーを一瞥して、レディの身体を軽々と持ち上げる。 「クレヴァーさん! レディ頼みます!」 言うと、レディの身体をクレヴァーの方向へと放り投げる。レディはけらけらと笑いながら「魔族は真面目だ!」と、嬉々として叫ぶ。 クレヴァーはほぼ条件反射のようにレディの身体を受け取る――レディの身体は軽く、舞い降りるように腕の中に収まった。 レディはクレヴァーの腕に収まると「悪い」と真顔で言う。クレヴァーは苦笑を浮べて沈黙するしかなかった。 イシュは長剣の柄に手をかけながら走り、叫ぶ。 「いい加減理由言えよ!」 鳥の翼をつけた魔族は、逆光の中で目を細める。――カンにレディを狙えといわれ、その子であるユソラにはイシュを狙えといわれているのだ。 「答える義務はないぞ! お前こそ死ねない理由言えよ!」 「誰が死にたいかっ!」 イシュは半ば呆れて即答する。魔族は少しばかりすねたように、翼を少しばかり震わせて翼から羽根を宙へと舞わせる。 唐突に羽根が刃物へと形を変えた。――魔族の能力の一つの「変化」である。自分の身体を、想像し、相性のいいものに変化させることができるのだ。 刃は躊躇することなく、人ごみの中を走るイシュへと直進する。イシュは顔を歪めると、長剣を抜き太陽にかざした。途端悲鳴を上げた誰かがイシュのいる場所から走り去り、雪崩れ現象のように人が無節操に走りまわる。――トラウマだ。魔族による掠奪の悲劇がフラッシュバックしている。 イシュは襲いかかる刃をにらみつけ、一つを叩き落した。だが他の刃はことごとく身体に突き刺さる。 (死なない) イシュは理由もなく、確信する。刃へと形を変えた羽根が身体に半分以上突き刺さり、刺さった場所からは血が流れる。 魔族はいらいらとして顔を歪め、翼をかく。 「なんで死なないんだよっ! とっとと死ねよ! 俺が怒られるじゃないか!」 「勝手なことじゃねぇかよ!」 「お前だって死にたくないだけだろ!」 「だけじゃねぇよ!」 「なら、どうしてなんだ! 理解に悩む!」 魔族が吐いた言葉は、昔クレフト・ユレリラがイシュに向かって訊いたことがある言葉でもあった。魔族は顔を膨らませてイシュを睨みつけていた。 イシュは魔族を見上げたまま、突き刺さった刃を抜き、答えない。――答えが分からない。 (何か、違う……やっぱり生きてる心地がしないんだ) 足に刺さっていた刃を抜き顔を歪めて小さく苦悶の声を漏らす。 (生かされてる気がする……どうしてだろ) 頭の中に「生きろ」という言葉があるように思う。「死ぬな」と、誰かが叫んでいるような気がする。 イシュは全ての刃を抜くと至極小さい声で、答えた。魔族を睨みつける目に、力はない。 「誰かを、殺されたくないんだ」 魔族は訝って口を閉じる。 イシュの後方の彼方でクレヴァーとレディは並んで二人を見ていた。流れる人々の中に佇み、クレヴァーはレディが走りだそうとするのを優しく抑えている。 レディは人差し指をイシュの前方へ向け、叫ぶ。 「遅い!」 刹那、唐突にイシュの目の前に黒髪の女性が踊り出た。手に銀色に光る剣を携え、ニッコリと笑いを湛え、レディを見やる。 「ごめんなさいレディ」 彼女――ノティリアは、左右の目の色が異なっているのが印象的だった。深い紺色の左目と、淡い赤色の右目が細められてレディを一瞥する。 続けてノティリアはイシュを一瞥した。 「言いたいことは山ほどありますけど、今は魔族を追い返すことに全力をかけましょう、イシュ」 イシュは嬉々として笑い、ノティリアの背中を少しだけ叩いた。久しぶりにイシュだと呼ばれたのが、酷く懐かしいうえに嬉しいのだ。 「あぁ! ノティリアも元気そうだなー」 「そういう話しは後で。生きたままオリヴァーさんに会いたいでしょう?」 イシュは口を止め、苦笑を浮べて人差し指で頬をかいた。指先は自分の血で汚れて、かくという感触よりもなでたと言う感触のほうが強い。 イシュがノティリアに並んで剣を構えた瞬間である。しぶしぶと戦闘体制に入った魔族の横に、人影がどこからともなく降り立った。 ユソラだ。 ユソラは鳥の翼をつけた魔族に耳打ちする。魔族は「本当ですかぁっ! しょうがないなぁ!」と叫び、踵を返して空へと飛び立つ。 ユソラは逆光のまま、人々が荒れ狂う街の中に静かに立つ四人を見下ろした。 レディはクレヴァーから逃れると、ユソラのいる場所へと駆けながら叫ぶ。 「ユソラ!」 ユソラはレディを見、小さく舌打ちして突き放すように叫ぶ。だが、逆光に照らされて顔は見えなかった。 「レディ・マーニャ!」 途端、レディの身体がびくりと振るえて立ち止まる。まだイシュとノティリアがいる場所にさえ到達していない。 ユソラは踵を返しながらイシュを睨みつける。 「イシュ、お前はいずれ殺す。それまで自分が生きる理由くらいは見つけていろ」 「待てよユソラ!」 ユソラはイシュの声を耳から追い出し、一番奥に立っているクレヴァーを見やる。 「クレヴァー王子、絶望する前にゼイランドへ帰れ。ここはイズリズ大陸ではない」 クレヴァーは訝ってユソラを見上げたが、何も言わない。――絶望とは何だ? ユソラは鼻で一笑すると、足場を強く蹴り彼方へと消えていった。 「ユソラ……」 レディが小さく落とすように呟いた。三人が同時にレディの顔を見やる。レディは俯いたまま、頭を横に振る。 「買い物、どうしよう……」 ズル、と何かが滑ったような気がする。イシュは人差し指で頭をかきながらレディへと歩み寄ると、頭に手を置いて軽く頭を叩く。 「トラブルは毎度のことだから気にすんな」 レディは頷き「うん」と答える。 ノティリアはイシュの背中に寄りかかり、剣を鞘に収める。カチン、と最後まで鞘に収まった音を立て、小さく頷く。 「『クレヴァーさん、レディ頼みます!』っていう、クレヴァーさんって、そちらのお方?」 イシュは弾けるように顔を上げてレディから目を離し、クレヴァーを見やった。クレヴァーは苦笑を浮べ、ゆっくりと三人へと近づく。 「クレヴァー・リーヴァです。わけあってイシューと共に来た者です」 ノティリアは満面に笑みを浮かべると、クレヴァーに向かってうやうやしく頭を下げた。クレヴァーが『ゼイランドの王子』だということを悟っているわけではなく、彼女の性格のなのだ。 「ノティリア・グルティアといいます。見苦しい顔ですが、以後宜しくお願い致します」 ノティリアは顔を上げると、左右の色が違う目で微笑む。クレヴァーは少しばかり息を呑み「こちらこそ」と応えたがぎこちない。 知らないことばかりだった。ゼイランドは富んだ国で、セレダランスは他国に知られるほどの文明を持ち、裕福な貴族たちが多く住む。この街の難民の悲惨さと、恐慌する民の姿と、異形の目で微笑む女性がいることなど、思いもしなかった。まるで別世界に飛んできたような気さえする。 「ノティリア、お前どうやってきたんだよ」 イシュは血が出る場所を軽く抑えながら、少しばかり顔を歪めてノティリアを横目でふりかえる。ノティリアは肩をすくめ「いつもの方法に決まっているでしょう?」と、生来の小さくしとやかな声で答える。 ノティリアはゆっくりと歩き、買い物袋を持ち上げる。クレヴァーは訝って眉をひそめる。 「いつもの方法?」 イシュは顔を上げ、今更思い出したように目を開いてクレヴァーを見る。 「あ、はい。バスの定期線がないので、馬車で」 「馬車?」 「はい、馬車で」 イシュは満面に笑みを湛え、頷く。クレヴァーとイシュの間に立ったレディは二人を見上げ、勢い良く手を上げた。 「クレヴァーは馬車を知らないか」 クレヴァーはレディの顔を見、苦笑を浮べ「えぇ」と、答える。レディは嬉しそうに顔に笑みを湛える。 「馬車は、馬が引く!」 「……何をだよ、レディ」 「車をだ」 「……」 イシュは沈黙する。 クレヴァーはゼイランドの車を思い浮かべる――馬で引くようなものではなさそうだが。 クレヴァーは腕を組み、真面目な顔で虚空を睨みつけながら黙る。考え込んでいるのだが、まるで怒っているようにさえ見える。 ノティリアは何も言わない。『見れば分かる』と誰かが言うのを待っている。レディは至極不思議そうに二人を交互に見やり、首をかしげる。 「まぁ……みりゃあ分かりますって」 「あぁ、そうさせていただくよ」 言うと、二人同時に嘆息する。 レディはうっすらと笑みを浮かべると、二人の腕を両手に掴むと、無理やり歩きだす。 「行こう!」 二人はレディに引きずられるように前方向へと身体を傾け、イシュが即座に非難の声を上げた。 「レディ! 引きずるなよっ!」 レディは歩きながらイシュを見上げ、首をかしげる。イシュは引き攣った顔を作ると、顎でレディが掴んでいる場所を指す。――先ほど魔族に負わされた傷がある。 レディはイシュを掴んでいた手だけを離し「悪い」と短く謝る。 クレヴァーはレディに引きずられながら、声を上げて笑った。イシュはうらめしそうにクレヴァーを見やる。 「予定狂いますよ?」 「私はいいさ、困るのはあっちのほうだ」 クレヴァーは楽しそうに笑っている。イシュはクレヴァーの顔を見ながら、少しだけ顔を歪めて申し訳なさそうに笑ってみせた。 喧騒の彼方で「すぐに出発する準備だ!」と叫ぶ、誰かの声が聞こえたような気がしたが、イシュは故意に無視をする。 (ごめんなヘイウスさん、俺のせいじゃないんだ) イシュの顔に浮んだ笑顔が苦笑いでしかなかったことを気がついたのはノティリアだけだったが、何も言わなかった。もとより、何かを言うつもりは毛頭ない。 馬車に揺られて半日にほどの場所に、レイゼランズはあった。 どこまでも続いていきそうな荒野の向こう側にポツンと一軒。黒く淀んだ海が見える場所に、家がある。家の近くには大きなゴミ捨て場があり、積み重ねられたゴミは斜陽に照らされて、何か歪な形の影をとっていた。ゴミ捨て場は今はもう使われていないらしく、周りに道はない。 「イシュー、動くとうまく巻けない」 レディは馬車の上で、イシュの露になった傷を目の前に包帯とハサミを両手で持っている。揺れる馬車の上で身体が上下に大きく揺れている。 イシュはレディの顔を見やり、真顔で返答する。 「俺は動いてねぇぜ、馬車が跳ねたんだ」 「馬車、跳ねるな」 ――無理だろう。 クレヴァーは横で聞きながら、胸中で大きく嘆息する。レイゼランズへ続く道はなく、いたる場所で馬車は跳ねる。だが馬を操るノティリアは快適そうである。 「クレヴァー、馬車を抑えろ」 と、レディは真面目な顔でクレヴァーへ振り向き言う。クレヴァーはレディと眼が合うと「え?」と極短い声を発する。――まさか話題をとばされるとは思っても見なかったのだ。 イシュは首を垂れ、レディの肩に手を置く。 「レディ、それは無理だぜ。俺の傷くらいほっといても治るから、その危ない手つきでハサミ持つの止めてくれ」 「過保護はいけない」 「過保護じゃねぇよ、なぁ、ノティリア」 「知らないわ。イシュがレディに必要以上に優しいのは傍目にみて分かるくらいだもの」 「それを過保護という、イシュー」 「過保護じゃねぇってのっ!」 イシュは少しばかり声を上げてレディを見やる。顔には苦笑いが浮んでいる――かなわないんだよな、この二人には、と。 クレヴァーは馬車の荷台であぐらを掻いて、頬杖をついていた。王国では絶対にやれない格好だが、クレヴァーはこの格好が気に入ったらしい、座ったまま荒野を眺めている。 (荒れた土地だ……) 幻想じみた世界のようにさえ見える。ゼイランドは一年中緑の草原が多い国だった。緑の色がない場所というのは、違和感がある。 イシュは、リーズ大陸でも有数の荒れている場所で育ったのだ。今年で十七になったイシュだが、十五でレイゼランズを飛び出すまでは、緑という場所は夢の彼方だった。あるとさえ知らなかった。最初に草原を見たとき、イシュは「一面の絨毯、すっごいなっ!」と、一人草原に向かって嬉々として叫んだほどだった。 イシュは上着を着ながら、遠くに見えるレイゼランズを見やる。寂しさを湛えた家が、いやに懐かしい。昔から何度も見た風景だが、今は新しいもののようにさえ、見える。 ――唯一の、故郷。 徐々に近づいたレイゼランズ――オリヴァーの家――に、馬車を向かえようと立っている影がある。黒く焼けた肌に、波のかかった灰色の長髪を一つにまとめている。小柄な女性であり、灰色の髪は白髪であるようにさえ思われる。オリヴァー・イジッカだ。 オリヴァーは手を後ろで組んで、ノティリア操る馬車を笑顔で迎えた。 「おかえりなさい、ノティリア、レディ」 馬が甲高く鳴いて、オリヴァーの目の前で停止する。ノティリアはすぐに馬車から降りると、オリヴァーに近づいて小さくお辞儀をする。 イシュは馬車が停車すると、荷台から飛び降りてオリヴァーへと走った。オリヴァーはイシュを見つけると、「まぁ!」と組んでいた手を胸の前で組む。 「ただいま! オリヴァーさんお久しぶりです!」 「おかえりなさいイシュ! よく帰ってきてくれたわ!」 オリヴァーは悪戯に笑うと、イシュの手をとって握手を交し、背中を抱いた。 離れると、イシュの顔を見、短く笑ってみせる。 「大きくなったわ、もう見上げなくてはいけないんですもの、油断していたわ」 「ははっ! 昔はクレフトの奴にチビチビ言われたからなぁ!」 イシュが言うと、オリヴァーはころころと喉を鳴らして笑った。 馬車の荷台から、クレヴァーはゆっくりと顔を出す。――なんだか、邪魔者のような気がして気が退ける。 オリヴァーはクレヴァーの顔を見やると、一変して笑いを止めた。――イシュと顔が似すぎている。髪の色が違うだけというのが、妙に不気味だ。 (……来るべき時は、来た、と……) オリヴァーは刹那目を伏せる。イシュが唐突に帰ってきた時点で予測はしなくてはいけなかったことだ。 「オリヴァーさん?」 オリヴァーは呼ばれ、弾けるように顔をあげイシュの顔を見やった。イシュは至極不思議そうにオリヴァーの顔を見、首をかしげている。 オリヴァーは微笑を湛え首を横に振る。 「レディが何か言いたそうだわ、荷台から降ろしてあげてくれるかしら?」 「あ、うん」 イシュは踵を返して、荷台へ向かう。途端、クレヴァーと目が合い、「あ」と短く声を発し、すぐオリヴァーへと向き直る。 イシュは苦笑を浮べ、クレヴァーに手の平を向けた。クレヴァーは荷台から降りようと、縁に手をかけ、一気に跳び上がった。 「オリヴァーさん、言ってなかったっけね。クレヴァーさん、レイゼランズに来たいって言うから」 クレヴァーは着地し、地面に一度手をつくと、イシュの横に並んで礼をする。 「クレヴァー・リーヴァといいます。レイゼランズで、あることを確かめたいと思い、イシューについてきました。お分かりですか?」 オリヴァーは必要以上に真直ぐに見るクレヴァーを見据え「はい」と答える。口調はどこか固い。だが、決して動かしてはいけないものがある。 「ようこそいらっしゃいました。今日はお泊りくださいね」 言い、オリヴァーは少しばかり笑って見せる。笑みは優しく、イシュは何度も見た笑顔だった。ただ、オリヴァーの顔にどこか影がある――イシュは気がつかなかったが、クレヴァーは目ざとく見つけ、胸中で首をかしげる。 (どうしたというんだ?) レディはクレヴァーの自己紹介の間に一人で飛び降りると、地面にごろりと転がった。イシュはレディが転がった音を聞きとめると、「何やってんだ!」と叫びレディに歩み寄り、体を持ち上げる。 レディはイシュに支えられて立つと、人差し指をクレヴァーに向け、オリヴァーを見ながら、言う。 「クレヴァーだ。ただいま」 クレヴァーはふりかえり片方の眉を上げた。レディは真顔でオリヴァーを見据えている。 土ぼこりを吸った透明な風が黒く淀んで、日の暮れかけたレイゼランズを通り過ぎて行く。 |