>> 一章 白銀の軌跡、黒き彗星 <<




   セレダランスの街は賑やかな街だった。港には行商人たちがたむろし、道を埋め尽くすほどの人が歩いている。大通りから少し抜けると、少しだけ閑散とした感のある住宅街がある。大きな屋敷の庭には綺麗に着飾った婦人達がお茶会を、貴族の子どもが剣を振りまわして剣術師範に向かっている。
 イシュ・フィングラスは、セレダランスの街に足を踏み入れて数分だった。船でやってきたのだが、港から人の流れに押されて、今に到る。
 イシュは、鉄色(くろがねいろ)の細い髪と、青い眼を持つ、端麗な顔の青年だった。腰には少しだけ長めの長剣を提げ、旅人らしいぼろぼろのマントで身を包んでいる。腰の背後には、黒い何か剣のようなものを括り付け、見るからに怪しい。特徴的なものは髪型だった。細い髪が中途半端に伸びて、何かの特殊な液体で顔の後方へと固めていた。固まる具合といったら中途半端で、水についてしまえばあとはおしまいである。体格は華奢ではなく、戦う冒険者のそれをしている。髪型も服のセンスも悪いが、顔だけは良かった。だが顔には不精髭が伸びて、なんともむさくるしい人間に仕上がっている。
 イシュは住宅街の真ん中で立ち止まって、頭をかいた。固まった髪の毛が手に当たって微弱に痛いが、怪我をするわけでもないから無視をしておく。
「……広場ってどこだよ、な。オイ」
 住宅街には、婦人の笑い声と子どもの叫び声が木霊している。それが無償に悲しい。
 イシュがゼイランドの王都セレダランスの街にきた理由は、広場で行われるという闘技大会に出場するためである。なんでも闘技大会で優勝した人間には、王からメダルが貰えて、賞金も貰えるらしい。メダルには興味はないが、賞金には興味があるのは、イシュが最近旅費に困っているせいであったりする。
 立ち止まって大きく欠伸を漏らした。遠くからの喧騒が徐々に近づいてくるが、おそらく大通りを通って過ぎ去って行くだろう――と。
「そこの男! 道をどけろ!」
 唐突に大声を響かせて、兜を被り大きな槍を携えた兵士が小走りで近づいてくる。イシュは「い」と短く声を発すると、軽く地面を蹴って道の端へと退く。
 走ってきた兵士は、兜に顔のほとんどを隠されて、目は見えない。見える口をみれば、しわを寄せて怒鳴る直前だ。
「貴様! 今日は何の日だと思っている! 今更その髪型はいいから、とっとと膝をついて頭の位置を下げろ! この国のルールを知らないとはいわせねぇぞ! オイコラ!」
「兵士さん兵士さん、途中から口調変わってますよ」
「じゃぁっかしぃ! お前とっとと伏せろ!」
「変わってる!」
「何んでもいから、」
 と兵士は矛先をイシュの脳天の直前に突き出す。イシュは苦笑を浮かべ、両手を上げた。
 兵士は声を潜めて、叫ぶ。
「とっとと伏せてくれ! お前背が高いんだからよ!」
(ちょっとまった! 背が高いのが悪いのかっ!)
「お願いだから座ってくれ! 頭下げないでも良いから、あと十秒――!」
 兵士は槍をさらにイシュの目の前に突き出す。イシュはぎょとしてとっさに膝を折り曲げた。兵士はイシュが座ると同時に、元来た道へと踵を返していく。
 イシュは道の端にあぐらをかいて頬を人差し指でかき、兵士の背中を見送る。兵士の走って行った場所から何やら黄色い声が発せられている。うえに、何やら人だかりが近づいてくる。
 イシュは頬をかいている人差し指の動きを止めさせた。――何か、とてつもなく嫌な予感がするぞ、と。
(……)
「これを受け取ってくださいませんか?」
(……ん?)
「今日の日をどれだけ待ちわびたことか!」
(……あれ?)
「国王陛下が来てくださらないと聞いたときとても悲しみましたが、今はそれ以上に喜びがありますの!」
(……国王陛下?)
「あ、あの! 一度で良いですから私の名前を!」
(あ……あぁ……)
 イシュはあぐらをかいて頬杖をつくと、すぐ傍まできた団体を唖然として眺める。先頭を白銀色の髪をした青年が黙々と歩き、両脇に先ほどの兵士と、もう一人同じ格好をした兵士が並んでいる。二人とも、真ん中の人間より背が低い。
 先頭を歩く青年の腰には立派な剣がぶらさげられていたが、あまり血の匂いがする風ではない。端麗な顔の作りは、か弱さというよりも力強さを見せつけるようながんとした雰囲気がある。――今の状況が彼にとってとてつもなく嫌なものだからなのかは定かではないがのだが。
 イシュはとりあえずあぐらを掻いたまま青年の顔を見やった。青年は道の端に座り込んでいるイシュを目の端で捕らえると、短く「あぁ」と呟き、立ち止まった。
「旅の方ですね。この街はいかがですか?」
 イシュはあぐらをかいたまま青年を見上げ、笑みを浮かべる。――この人、逃げるために俺に話しかけたよなと。
「実は……さっぱり分からなくて途方にくれてたり……」
「なるほど途方に……この街は広いでしょう」
「広ってか、人間が集まって街が見られたもんじゃなくって……」
 イシュが真顔で言い放つと、青年は喉を鳴らしてけらけらと笑った。笑い方からして身分が良いのだろうことが伺える。青年の身振りも、他の人間に比べてさらに随分といいものだ。
 イシュは苦笑を浮かべ、頭をかく。目の端に嫉妬に燃える女性達の目がうつる。
(……誰かに似てんだけど、誰だったかな……?)
 青年は唐突に膝をつくと、イシュの眼前で高貴な笑いを作る。
「広場までご一緒しますか? 今日は闘技大会が行われます」
 イシュは一瞬にして顔を輝かせると、青年の顔を嬉々として見つめる。
「広場、教えてくれるんですかっ! 実は闘技大会に出ようかと目論んでたんですけど、道に迷ったんですよ!」
 途端、青年の横に立っていた兵士が目で、「遠慮を知れっ!」と怒鳴りつける。が、目だけでイシュが気付くはずもない。
 青年は、再び喉をならしてけれらけらと笑い、胸に手をあてて顔に笑みを湛える。
「自己紹介が遅れましたね、私の名前は、カレント・フェンガラス。普段はカレントと呼ばれています」
「俺はイシュ・フィングラスです。リーズ大陸のレイゼランズの出身で、セレダランスには初めて来たんですよ」
「リーズ大陸ですか、なかなか遠い。リーズ大陸には一度行ってみたいものです」
「ははっ! でも俺にはリーズ大陸も案内できそうにないですけどね!」
 イシュはけらけらと笑い、頭をかいた。カレントは満面に笑みを浮かべ、ゆっくりと地面から膝を離して立ちあがり、イシュへと手を差し伸べる。――と。
「失礼します『クレヴァー王子』!」
 カレントの横に立っていた兵士が、唐突に声をあげ二人の間に割り入った。カレントは手を引き、苦笑を浮かべてイシュを見やる。イシュはまだ状況もなにもわかっていないような顔で兵士を見上げた。やはり兵士の顔は口以外全く見えないが、そうとう焦っているのが傍目に分かる。
「王子? カレントさん王子なんすかー」
 とイシュは至極のんびりとした口調で言い放つ。『クレヴァー』といわれて呼ばれていたのは、どうやら頭の中から叩き出したらしい。  カレント――クレヴァー・リーヴァ=ゼイランド・サーは、肩をすくめイシュを見やり、一歩後ろへさがる。
 兵士はイシュを背中にし、クレヴァーの前に立ちはだかると、胸を張って堂々と言ってのけた。
「クレヴァー王子! このイシュという男、先ほど連絡が入った窃盗犯です! 広場に行く前に私が! 留置所までつれていきますので、残念ですが!」
 クレヴァーは困ったように顔を歪め、手を髪の中に入れ、後ろへとかきあげる。
「目の前で叫ぶな、聞こえる」
「これは失礼しました。では、さらに失礼します」
 兵士は言うと、イシュの腕を持ち上げ、猛ダッシュで元来た道を走り始める。イシュは引きずられながら「何もしてねぇー!」と悲鳴のごとく叫ぶ。イシュの声がまるで木霊するかのごとく響いていく。
 クレヴァーは嘆息すると、踵を返し、進行方向へと身体を向けた。後ろで気まずそうにした女達が、こっそりとクレヴァーの顔を覗いている。
 クレヴァーは至極小さな声で。
「……過保護なんだよ……くっだらな……」
 と。
 クレヴァーの声は街の喧騒に掻き消され、誰の耳にも入らなかった。

 兵士に引きずられてクレヴァーの前を強制的に去らせられたイシュは、兵士の狂人的足の速さに大きく息を吸ってゼイゼイとねをあげる。立ち止まった兵士は槍を脇に抱え、手を腰にあてイシュを見下ろし、地面をダン、と踏みつけた。
「貴様、あの御方が誰かも知らずセレダランスに来やがったのか、オイコラ」
 イシュは大きく息を吐くと、まだあがっている呼吸のまま、大きく何度も頭を上下に振る。
「王子でもいいじゃんよー、普通あそこまで過信的にならないっての。あと兵士さん、また口調変わってる」
「ざかしいわっ! クレヴァー様は、今は亡き王妃カレント様の最後の遺児。そして未来のゼイランドを築いてゆかれる大事な御方だぞ!」
「んなの知るかっ!」
「んだとオイコラ!」
 イシュは胸を張って兵士の顔を睨みつける。兵士は負けじとイシュの顔を見上げ、意地のように睨みつける。
 イシュは息を飲み込むと、怒鳴った。
「窃盗犯扱いされて黙ってられるかっ! 産まれてこのかたこれでも今まで犯罪一つもおこしちゃいねぇ潔白体だ!」
 兵士も負けじと声を上げる。
「その格好で、よくいうもんだぜ!」
「これは俺の趣味だ!」
「もっとましな趣味しやがれ!」
「うるっせぇ! だいたい話しの筋がずれてんだよ!」
 むー、と鼻から声をだして、二人は睨み合ったまま少しの間を過ごす。間、二人のいる通りには人が行き交い、何か珍しいものを見つけたように着々と人が集まって行く。
 二人はいつのまにか集まっていた野次馬を同時に一瞥し、ゆっくりと相手の顔を見やった。
 兵士は兜を取ると、大きく嘆息し、イシュから目線を外して首を垂らす。
「悪い、王子のこととなると、頭に血が上ってだな……」
 イシュは肩から息を抜くと、同じく嘆息する。
「別に……色んな所まだみてねぇな、って実感できたから」
「そうか……そうだ、」
 兵士はイシュの顔を見やり、少しばかり笑って見せる。兵士の黒い髪は兜に圧迫されて少しばかり歪な形をとっていたが、兵士の笑みは全てを覆い隠すほど明るい。先ほどまで酷い口調で叫んでいた人間とは思えないほど、童顔である。
「俺が広場まで送ってってやろう、闘技大会に出るなら、俺が飛び入りの申請だしてやってもいいぞ。窃盗犯にしちまった罪滅ぼしだ」
 イシュは一瞬にして明るい笑顔を作ると、大きく頷く。仕草はまるで子どものようで、身長と外見とが入れ替わった親子のようにさえ見える。
「ありがとう! 恩にきるぜ!」
 兵士は髪に手をいれて頭に風を送りながら「ははは」と至極さわやかに笑う。
「別にいいって。ただ、髭だけ剃っとけよ、むさくさいから」
「それはダメだ」
「あぁ?」
「髭を剃ると毎回毎回ロクなことが――」
 イシュは口を止めて両手を上げ、兵士から顔をそらした。兵士が抱えていた槍の矛先をイシュの眼前に突き出し、睨みつけているのだ。兜を被っているときは分からなかったが、かなり怖い。
「てめぇ逆らおうってのか、俺が百歩譲ってるときによ、オイコラ」
「口調変わってる変わってる。逆らいませんから、お願いですから槍どかして……」
 兵士は「あぁ」とさわやかにいうと、槍をどけ、満面に笑みを浮かべた。イシュは頭をかいて小さく嘆息する。――ホントは剃っても剃ってなくても、ロクなことなんかおこりゃしねぇよな……。


×    ×    ×


 闘技大会が行われる広場には、人が砂糖に集る蟻のように集まっていた。空から見れば、広場を様々な色の頭がカラフルに彩り、もともとの広く落ちついた広場の様子は少しも見えなかった。
 砂糖の部分に当たる中心はぽっかりと空白ができていた。見れば、空白の縁には、兜をかぶり、槍を持った兵士が並び、集まっている人々を抑えている。そして中には、砂糖の上に登った二匹の蟻がいる、という寸法だ。
 イシュは、人ごみから少し離れて、クレヴァーつきの童顔の兵士――ヘイウスの目の前で準備運動をしていた。言われたとおりに髭を剃って、少し苦笑を浮かべている。
 ヘイウスは兜と槍を脇に抱えて、片手で顎を掴んでうなる。
「お前の名前は、イシュ・フィングラスなんだな?」
 と、これで七回目である。イシュはいい加減飽きてきたのだが、口答えせずに「そうですよ」と毎回相槌を打つ。口答えをしたなら、きっと怒るにちがいない。
 ヘイウスは唸り、今度は眉間をかいた。
「お前、ほんっとうに、イシュ・フィングラスなんだな?」
「そうですよ、なんなんですかさっきから」
「いや……」
 ヘイウスは口を汚して、また唸った。
「……どっかで会った覚えはないしな」
「そりゃセレダランス初めてですしねぇ」
 イシュはけらけらと笑って、首を回した。
 喧騒が一層騒がしく叫んだ。勝敗が決っしたのだ。
「次の選手は、飛び入り参加――イシュ……」
 と司会者が唐突に口を止める。連動するように辺りがいっきに静まり返る。イシュは中央へ歩きながら、片手をあげ、叫んだ。
「イシュ・フィングラスです! 読めなかったらすいません!」
 イシュが空いた場所へと登場すると、俄に人々が騒ぎはじめる。中央に立っていた司会者は、イシュの名前とプロフィールが書かれた紙を見、ちらりとイシュをみやってから、覚悟したように再び声を上げた。
「飛び入り参加イシュ・フィングラス! 勝ちぬけるのかジェン・クレーズ!」
 言うと、司会者は顔を振りながら端へと避けて行く。――『まさかな』と。
 イシュとジェンは向かい合って立った。
 ジェン・クレーズは王国剣士だ。黒い髪に黒く長い布を腰に巻いている。彼が動くと、長い布が軌跡となって流れ、まるで黒い星が流れているようにみえるのだ。だから彼は「黒彗星」と呼ばれている。
 対するイシュは、ジェンに対抗するように身体を覆っていたマントを脱いでぐるりと腰に巻きつけて結んだ。マントの下に着ていたのは、若干くたびれた感のある薄い服だった。手にはグローブがはめられて、腰には少しだけ長い剣が提げられている。ジェンとは正反対のように白と黒と赤と青の色がある。だが派手ではなく落ちついた感のある服だ。
 イシュは長剣に手をかけ、深深と頭を下げた。ジェンも同じく頭を下げ鞘に収まった剣に手をかける。
 司会者が端で、イシュのプロフィールが書かれた紙を軽く読み上げ、凝視し、もう一度頭を振ると、片手を上げて息を吸い込む。
「さぁ、試合開始だ! 死ぬなよ!」
 開始の合図が掛かると、二人同時に剣を抜いた。刹那、二人の間で銀色が陽光に反射し、甲高い音を立てる。
 剣が交差した。
 ギリ……とイシュは奥歯を噛みジェンを睨みつけた。ジェンも同じく苦々しい顔でイシュの顔を見据える。
 二人同時に地面を蹴って間合いを取る。着地すると当時、イシュは即座に地面を蹴り、ジェンに襲いかかった。ジェンは剣を両手で構えイシュを待ち構える。
 イシュは剣を横から振った。ジェンは当たり前のようにイシュの剣を自分の剣で受けとめ、続けざまに振られる剣の切っ先をことごとく防ぐ。
 何度か剣を振り回してから、イシュは口に笑いを湛えて地面を蹴り、後方へと退く。ジェンは追わず、訝ってイシュの顔を見やった。
「たっのしーな!」
 と至極明るい声でイシュは言い放つ。ジェンは顔を微弱に歪め少しばかりしびれた手を振り首を回す。――一体何が面白かったのだろう?
 イシュは長剣を片手で持って肩を回すと、両手で構え、「よし」と気楽に声を発する。
「ジェンさん、本気でいくぜ」
「私もなめられたものだな」
 ジェンは言うと、片手で剣を構えた。また二人同時に地面を蹴り、今度はジェンが宙に飛び出した。
 イシュの長身を越える跳躍である。イシュは空振りした剣の勢いで踵を返そうと脚に力をこめる――と、先に着地したジェンがイシュの背中にむかって剣を振る。寸でのところでイシュの背中に切っ先は触れなかったが、腰に巻いていた布が少しばかり短くなった。
 イシュは小さく舌打ちすると、踵を返した勢いのままジェンに剣を振り下ろす。ジェンはすぐ剣を持ち上げ、イシュの剣を受けとめたが、勢いづいた剣に押されるかたちで退く。
 イシュは即座に地面を蹴ってジェンを追った。ジェンは微弱に顔を歪めると、剣を振り上げる。
 再び二人の間で銀が光り、甲高い音を立てて静止する。今度は二人の頭上だ。二人とも歯を食いしばってすぐ退く。

 広場の傍にある時計台の二階に、クレヴァーは登り、高台となった場所から広場を見下ろしていた。クレヴァーの眼から見えるのは、顔ははっきりしないまでも、二人の人間がそれぞれの武器を持って戦っている姿だ。二人の声も、喧騒に掻き消されて聞こえてこない。
 クレヴァーは目を細め、現在戦っているジェンとイシュを見る。
「よく見えないな」
 クレヴァーはわざと聞こえるように呟いた。隣で一人だけになったクレヴァー付きの兵士が肩を震わせ、恐る恐るクレヴァーを見やる。  クレヴァーは横目で兵士を見やり、剣呑な目つきで言ってのける。
「私も近くで見てみようかと思う」
 兵士は予想していた言葉に「おやめください!」と悲鳴を上げた。
「王子が出てゆかれては混乱してしまいます!」
「いいだろう? そのために別個にマントを持ってきたんだから」
 クレヴァーは満面に笑みを浮かべて、服の中からベージュ色のマント――身体全身を覆うタイプだ――を取り出して見せる。兵士は唖然としてクレヴァーの顔を見やり、首を垂れた。
(こういう時の王子押しつけやがって……ヘイウスの馬鹿野郎っ)
「……危険なまねはしないで下さいね」
 クレヴァーはマントを頭から羽織ると中で悪戯に笑って見せた。
「分かっている、すぐ戻る」
 言うと踵を返して時計台の二階から飛び出す。石造りの時計台の中を、綺麗な装飾に目もくれずに外へと飛び出した。
(ヘイウス、たまには面白いことをするじゃないか)
 クレヴァーは『イシュ・フィングラス』を広場へ連れて来たのだろうヘイウスへと走りながら賛辞を送る。
(それよりも、もしかしたら階級を上げてやるべきかな?)
 ――イシュ・フィングラスだ。彼は何かひっかかる。
 クレヴァーはマントが剥がれないように注意しながら人ごみを無理やりに突き進む。集まった人々が迷惑そうにクレヴァーをみやるが、王子であることには全く気が付いていないようだ。
 クレヴァーは一番前に着くと、兵士の間からイシュとジェンの戦う場所を覗く。二人は相変わらず一歩も退かずに戦っている。もしかしたら勝敗が決するとき、どちらか一方が死んでいるかもしれない。――それは困る。
 クレヴァーは人々を抑えている兵士の肩を掴んで動く二人をじとして見つめた。
「悪いが、イシュ・フィングラスのプロフィールが書かれている紙を見せてくれないか?」
 目は闘っている二人を見て離さない。兵士は横目でクレヴァーを見やり、顔を見ると鋭く息を吸い込み「はい」と動揺した声で応え、反対側にいる司会者の元へと、開いた場所の端を走っていく。
 イシュが跳躍してジェンに向かって剣を振り上げた。――と、腰に巻いているマントが浮き上がって腰の背後にある剣の飾りを短時間だけ露にする。
 クレヴァーは踏み出す手前で立ち止まり、二人を凝視する。――正確にはイシュ・フィングラスをだが。
 兵士が戻ってくると、「ありがとう」と短く礼を言い、クレヴァーは最初の名前のみを見、すぐ顔を上げた。
「止めろ! 闘技大会は中断する!」
 辺りが刹那、黙り込んだ。だがすぐ非難の声に変わって行く。闘っている二人は気が付いてさえいない様子だ。
 クレヴァーは少しばかり頭に血が上った様子で、被っていたマントを荒々しく取り払い、もう一度叫ぶ。
「闘技大会は中断だ! 二人を止めろ!」
 クレヴァーを見た人だかりの中から悲鳴に似た歓声が飛ぶ。クレヴァーの目の前では止まることがない二人の闘いが繰り広げられている。
 とっさに二人を止めに入ろうと走った兵士が、クレヴァーを見、叫ぶ。
「無理です! 捕まえられません!」
 二人はやはり気がついていない。再び甲高い音が聞こえて二人は間合いを取り、走り出した。
 クレヴァーは短く舌打ちをすると、自分の長剣に手をかけて二人へと着実に近づいていく。兵士がクレヴァーを止めようと腕を掴むが、クレヴァーは完全に頭に血が上っているらしく、兵士の手を、腕を振るという行為だけでいとも簡単に振り払った。
 ――『危険なまねはしないで下さいね』と、兵士の声がかすかに耳に響いたが、クレヴァーはあえて無視をする。
(今度こそ捕まえてやる、絶対捕まえてやる)
 カチャリ、と長剣の柄を掴んで半分だけ剣を抜いた。二人は走っていた状態から急激に曲がり相手へと地面を蹴る。クレヴァーも同時に二人の接触場所へと走り、剣を抜き去る。
「クレヴァーに水をかけろ! 頭をひやさせるんだ!」
 悲鳴のごとく叫んだのは、激務から逃れて娯楽にやってきたばかりの、ルーゼント・デリクル=ゼイランド――ゼイランド王国の現国王で、クレヴァーの実の父親である。
 だが時はすでに遅く、二人が剣を打ち合ったと同時に、剣がぶつかった部分を、クレヴァーは自分の剣の切っ先で勢い良く突いた。途端、二人の剣は弾き飛ばされ、イシュとジェンは何も無くなった手の平を一瞥し、唖然としてクレヴァーを見やる。
 クレヴァーはすぐに剣を収めると、イシュを見た。両肩を掴んで無理やりに座らせる。イシュは尋常ではないクレヴァーの目を見、苦笑を浮べながら足を折り曲げて大人しく正座した。
「イシュ・フィングラスだと?」
 クレヴァーは酷く重々しい声で言う。イシュと最初に会ったときの、明るめの声とは全く違い、ヘイウスよりも更に怖い。イシュは苦笑を浮べたまま硬直する。
 唐突にクレヴァーの頭の上に冷たい水が落ちた。クレヴァーの後頭部から勢いづけてかけられた水だから、確実にイシュにも顔面の方向から掛かる。
 ――クレヴァーは目を閉じて沈黙する。イシュもとばっちりをうけて、軽く青筋を浮べながら沈黙する。辺りも同調するかのように沈黙し、小鳥だけが鳴きながら飛んで行く。
 安著の息を漏らしたのは、国王ルーゼントだ。小太りで、クレヴァーと同じ白銀の髪を持つ男だ。
「父上」
 としばらくしてクレヴァーはようやく口を開き、小さい声で言った。ルーゼントはゆっくりとクレヴァーに向かって歩きながら「なんだ」と問う。
 クレヴァーはイシュの肩を掴んで目を閉じた状態のまま、口以外微動もしていない。
「私を正気に戻そうとするのはいいのですが、もう少しましなやりかたを知りませんか」
「ことは一刻を争う」
「人をしかけられた爆発物のように言わないで頂けませんか」
「お、良い喩えだな」
「よくはありません」
 イシュはクレヴァーに肩を掴まれた状態のまま半眼になってクレヴァーから目線を外す。――なんだかよくは知らないが、とんでもない王子だ。
 ふと、辺りに広がった水溜りを見た。水溜りには自らの姿が映る。水に濡れて、立てていた髪は全て落ちてしまっていた。
「あ」
 と、イシュが唐突に声を発した。
 クレヴァーは目を開けるとイシュの顔を半眼で見る。今だ会った時とは別人のような気がする顔だ。
 イシュはクレヴァーの顔を見、片手の腕の関節を曲げてクレヴァーを指差す。
「俺に似てんだ、やっとわかった」
 再び、沈黙が流れる。今度はルーゼントも黙り、イシュは疑問符の飛んでいる広場を作り上げることに成功する――とはいえ、イシュ自身には何の考えもなかったのだが。
 クレヴァーは肩の力を抜いてイシュから手を離すと、イシュの肩に額をつけ、崩れ落ちるように地面に腰を下ろす。手を力なく地面につけると、イシュの肩に顔を隠した状態で、叫んだ。
「イシュー・フェンガラス!」
「誰かと一緒のこと言ってんじゃねぇよっ! イシュ・フィングラスだっ!」
「イシュー・フェンガラスだ!」
「リーズ大陸じゃ、イシュ・フィングラスって読むんだよ!」
「ウソだ、それはウソだイシュー!」
 言うと、クレヴァーは顔を上げてイシュの顔を両手でつかみ、涙を浮かべながら微笑みを湛え、イシュの顔を見据えた。
「文字だけは、全世界共通だから」
「そんなっ、オリヴァーさんがどうしてそんなウソつかなきゃいけないんだよ!」
「イシュー・フェンガラスは、」
 とクレヴァーは両手を離し、イシュの腰にくくられている、黒い剣のようなものを無理やりイシュの背中から取り外し、イシュに突きつけて見せる。
「イシュー・フェンガラス=ゼイランド・サーだからだ」
 イシュはクレヴァーから剣を奪い返すと、訝って片方の眉を上げる。
「……ゼイランド・サー?」
「『ゼイランド王国の王子』という意味さ」
 イシュはクレヴァーの顔を見据え、訝って片方の眉を上げる。口は今にも笑い出しそうだ。笑い出さないのは、笑ったら怖そうだから、である。クレヴァーはイシュから剣の飾りを奪うと、もう一度イシュにつきつける。
「あー……と。イシュ・フィングラスか、イシュー・フェンガラスか?」
 徐に声をかけたルーゼントは、酷く申し訳なさそうに二人の顔を覗く。二人は同時にルーゼントに振りかえり、
「イシュ・フィングラスです!」
「イシュー・フェンガラスです!」
 と二人同時に叫んだ。ルーゼントは苦笑を浮べ、頬をかくと、片手を振る。
「とにかく無礼罪だ、連行するぞ」
「は、ちょっと……」
 イシュが悲鳴を上げる暇もなく、ルーゼントに合図をされた兵士たちがイシュに群がって羽交い締めにする。どこから取り出してきたのか、ロープを取り出して、両手を後ろ手にくくり、そのまま全員で担ぎ上げる。――そうでもしないと、たぶん、逃げられる。
 イシュは兵士たちの群の中で「ちょっと待てぇっ!」と悲鳴のごとく叫んだが、誰も助けはしなかった。そのままイシュは城の方向へと運ばれて行く。
 対戦相手だったジェンは、自分の剣とイシュの剣を拾うと、自分の剣を鞘に収め、ルーゼントに一礼する。
「剣は剣士の命です」
 ルーゼントは小さく頷き「うむ」と承諾の言葉を返す。ジェンはニコリともせず、クレヴァーを一瞥するとイシュの後ろへと走って行く。
 クレヴァーはイシュの背中から奪った黒い飾りを両手で持って、力なく地面に座り込んだ。
「父上」
 と、クレヴァーは喧騒の中で呟く。ルーゼントは片方の眉を上げ、おどけたような表情を作る。
「どうした? イシューはカレントと共に死んだことをお前も重々承知していよう」
「えぇ、聞かされた限りでは。納得しようと、ずっと思っていました。でも、まだ一歳のことですから、覚えているはずもないことです。もしかしたら最初からいなかったのではないかと、何度も思いました。でも、そんなのは嫌です」
 クレヴァーは首を垂れ、頭を大きく振って水気を飛ばす。ルーゼントはクレヴァーを見下ろし、突っ立ったままだ。
 クレヴァーはイシュの飾りを胸に寄せて抱くと、目から透明な涙を流した。水と混ざって、傍からみればかけられた水が滴っているのだとしか思えない。
「イシューは生きています。私には、分かります。最初に会った時からどこか感じていたのです。彼は、私にとって何かであると」
 ルーゼントはクレヴァーを見下ろし、膨れた顔をさらに膨らませて頭をかく。人だかりの中から一人、二人とだんだんとルーゼントとクレヴァーに近づいてくる影がある。
「行くぞ、クレヴァー。闘技大会は中止だ」
 クレヴァーは無言で立ちあがり、ルーゼントの後ろを歩いた。クレヴァーの背後とルーゼントの前方を、かけつけてきたクレヴァー付きの兵士二人が護り、クレヴァーはずっと無言のまま城へと入っていった。


×   ×   ×


 城に連れられたイシュは、一度牢屋に入れられると、数分後に牢から出され、絢爛な城の中を歩いた。王国剣士であるというジェンがイシュの横を歩き、先導している。
 唐突にジェンは腰に巻いた布の中からイシュの長剣を取りだし、イシュを見もせずに差し出す。イシュは訝りながら剣を受け取り、ゆっくりと鞘に収める。
「ありがとう、ジェンさん」
「同じ剣士だ。剣の重さは知っている」
 イシュは少しばかりはにかんで笑うと「そっか」と。
「同じ剣士か。言ってくれる人、ジェンさんが初めてだよ」
 今度はジェンが訝ってイシュを見やった。イシュは少しばかり頬を赤らめていて、恥かしそうに人差し指で頬をかいている。歩く速さは変わることがない。ジェンは心なしか歩く速さを緩める。
「イシュ殿ほどの力量を持つ人間を剣士と呼ばずして、なんと呼べばいい」
 イシュはジェンにならって歩く速さを緩め、ジェンから目線を外して虚空を見やる。
「そうだな、今まで言われたところじゃ『こんな変人風情に』とか、『顔だけよけりゃいいと思ってんじゃねぇよ』とか。気が付いたら単語で表わしてもらったことないな」
 イシュは涼しい表情のまま、「うーん」と鼻から息を出して唸る。手をポケットに突っ込むと、くしゃくしゃになった紙を数枚取りだし、眺める。――懐かしい。
「……『イシュ』って、名前で呼ばれるくらいだったかな……もう、結構前だけど」
 ジェンはさらに歩く速さを緩める。――興味がある。このイシュという人間の半生というものは、自分とは随分違うものであるに違いないのだ。
 ジェンは少しばかり顔に笑いを作り、イシュを見据えた。いつのまにか歩みは止まっている。イシュも同じく立ち止まり、苦笑を浮べ取り出した紙をポケットに突っ込んだ。
「イシュ殿、旅は面白いか?」
 イシュは小さく首をかしげ、「あぁ、面白いぜ」と即答する。ジェンは「やはりな」と呟き、性癖なのか、イシュの顔を真直ぐに見据える。
「私は、ゼイランドから出たことがない。出る理由を知らない。イシュ殿が旅に出た理由を聞かせていただけるか? 住んでいた場所が辛かったということはないのだろう?」
「辛かったっていったら、辛かったさ。貧乏だったからさ」
 イシュは即答すると、乾いた笑いを立てる。眉間に少しばかり皺が寄って、元気はあまりない。
(故郷を出た理由か……)
「生きてるってことを証明したかったから、オリヴァーさんにはそう言ってる」
「オリヴァー?」
「俺の育ての母さんさ。孤児院やってて、色んなことを知ってる。オリヴァーさんの言うことはほとんど当たってて、俺にとったら神様みたいな人さ」
 イシュは顔に笑いを作り、「へへ」とはにかんで笑ってみせる。両手をポケットにつっこんで、ゆらゆらと前後に揺れ、照れを隠しているようだ。
「でも、オリヴァーさんは言うんだ。『あなたが生きているということは、私たちが証明できる。あなたが証明する必要はないのよ』って。俺感動したけどさ、それでも帰りたくないんだよな」
 イシュは言うと、けらけらと笑った。ジェンはぴんと伸ばした姿勢のまま、少しばかり腰を曲げたイシュを見下ろしている。促すように、無言だ。
「何かが足りないんだ、ジェンさんには分かる?」
「考えられなくもないな」
 言うと、ジェンはゆっくりと進行方向へと歩き始める。イシュは大人しくジェンの後ろに従って歩く。
 ジェンは前を見据えながら、生来の無表情で続ける。
「私には、何かが足りない。イシュ殿と、もしくは一緒なのかもしれない。何なのかはわからないが、クレヴァー王子や、メディナ様のお子様たちもそうなのかもしれないな」
 メディナって誰だろう、と思えど、イシュは深く訊かない。ジェンの言葉は何処か独白じみて、あまり深く突っ込みたくはない。――王宮の何かに巻き込まれるような危惧があったりもするのだが。
 後は、二人とも無言だった。ジェンが話すような性格をしていないせいで、イシュもなかなか話しかけられない。
 ジェンが再び足を止めた。ジェンの横には大きな扉がそびえ、扉の両脇には兵士が槍を立てて控えている。
 イシュは「げ」と声を漏らす。ジェンはイシュを一瞥すると、短く失笑する。
「国王陛下がお待ちだと、私は言うのを忘れただろうか」
 ジェンはしれっとして極穏やかに言う。イシュは涙を浮かべてジェンを見やった。――本気で言った気になってたに違いないんだ、このジェンって人は!
「言っちゃいませんよ! ってか、どこに行くとか全然聞いちゃいませんでしたよ!」
「悪かったな」
 ジェンはしれっとして言うと、微妙に笑みを浮かべる。整った顔に笑みが浮ぶと、どこか違和感のある美しさが出る。――いつも無表情なジェンだからこそある、違和感の美しさだ。
 ジェンはイシュから目線を外すと、獅子の顔をしたノッカーを力強く叩いた。
「ジェン・クレーズです」
 扉の奥で何かが勢い良く倒れた音が響く――ガタン! と、硬いものが故意に地面に倒された音だ。
「入れ! くれぐれも気をつけてな!」
 扉の奥から、国王ルーゼントの声が聞こえる。イシュは苦笑を浮べ、一歩後退さる。――何か、とてつもなく嫌な予感がするぞ、と。
 ジェンは退いたイシュの腕を掴み引き寄せると、片手だけで扉を勢い良く開く。途端、イシュの目の中に映った光景は、今まで見たことのないほどの絢爛さで、イシュは茫然と扉の奥の部屋を眺めた。
 高い天井はドーム型で、白地に様々な絵がかかれている。下からではあまり細かく見られないのにもかかわらず、色使いは見るからに細かく、線は繊細だ。描かれているのもといえば、伝説の人物であるとか、おそらくゼイランド創生に関わる誰かであるとか、人物が中心だった。天井の脇には大きな窓があり、青や赤、黄色などの色に染められ、広い室内を淡く彩っている。側面には窓がなく密閉された部屋だが、広さに目が行き、密閉されたとは微塵も感じられない。部屋の横に水が流れており、太陽の匂いを包み込んだ水が部屋の空気を洗浄しているようにさえ思われた。
 三百人ほどは軽く入りそうな部屋にいるのは、国王であるルーゼント・デリクルと、王子クレヴァー・リーヴァだけだった。ルーゼントは入り口から真直ぐにある少しだけ高くなった壇にある大きな椅子に腰掛けている。横にクレヴァーが立つ。クレヴァーの横にあったらしい燭台は倒れていて、聞こえたのは燭台が倒れた――された――音だったらしい。
 ジェンは一向に動こうとしないイシュの腕を掴んで、無理やりに歩かせる。イシュは始め頑として動かず、助けを求めるかのごとくジェンの顔を必死で見つめる。だが、ジェンはイシュの顔を少しも見ない。イシュはしばらくして諦めたように足を動かした。
 ジェンとイシュが中に入ると、扉のそばに控えていた兵士が動いて、扉を閉めた。イシュは扉にふりかえり、「あぁあ……」と小さく呟く。
(……なんで、俺が……)
 とは、言えない境遇かもしれない。オリヴァーからバンクに送られてきた剣のような飾りはクレヴァーが片手に握っている。もともとはセレダランスに来なければ良かったのだ。闘技大会が前日登録制などということさえ調べなかったイシュ自身が悪い。
 イシュとジェンは真直ぐにルーゼントに向かって歩く。
 ギュ、ギュ、ギュ、と靴底のゴムと、なめされ光る石が擦れて音を発する。普段は気にならない歩く音さえ聞こえる、静かな空間だ。クレヴァーは憮然として二人をじとして見つめる。ルーゼントは苦笑を浮べ、クレヴァーを横目で見やった。「落ちつけ、クレヴァー」と至極優しい声で言う。
「王国剣士を雑用に使うとは、父上も覚悟のいったところですね」
 クレヴァーは至極不機嫌そうに吐いた。呼ばれたジェンはぴくりと反応を示しクレヴァーを見上げる。今だ立ち止まる位置には達していない。
 ルーゼントは頭に載せていた王冠を大きな椅子の端にかける。
「ジェン・クレーズが是非ともやってくれる、といったのでな。クレヴァー、物事の可能性は一つだけではないぞ」
「何て言われようが、今日は私が説教をしたい気分です」
 即答し、クレヴァーは腰を曲げて先ほど――イシュとジェンがノックをした時に倒した燭台を元の位置に立てなおす。
 ジェンとイシュは、国王がいる壇に続く階段の前で立ち止まる。ジェンは手の平に拳をつけ、深深と礼をし、踵を返す。イシュは「え」と小さく呟き、踵を返そうとするジェンの服を掴む。が、ジェンは横目でふりかえると、イシュの手を振り払って部屋から出るべく歩みを進めて行った。
 イシュは茫然とジェンの背中を眺め、おそるおそるふりかえった。
 クレヴァーが半眼でイシュを見下ろしている。ルーゼントは大きく欠伸をすると、イシュを見下ろして、腿に頬杖をつく。
「イシュ・フィングラス。そこに座ってもいいぞ。話しは長くなりそうだ」
 イシュは遠慮なく無言で床に腰をつけてあぐらを掻いた。――もう、遠慮などしてやるものかと。
 ルーゼントは小さくからからと笑うと、満面に笑みを湛えてイシュを見下ろす。
「クレヴァーを知っているか、イシュ」
 イシュは訝ってルーゼントを見上げる。ルーゼントの顔には含むものは一つもはいってはおらず、満足そうに満面に笑みを湛えている。イシュは恐る恐るクレヴァーを見やる。クレヴァーは何か言いたそうに奥歯を苦々しく噛み締めている。
 イシュは嘆息する。
(俺に、何の用があるっていうんだ、この人たちは)
「今日初めてですよ、俺はセレダランス初めてきたんです……ってクレヴァーさんにも言ったような気がするんですが」
「えぇ、聞きましたよ、『イシュ・フィングラス』?」
 クレヴァーはイシュに対して、満面に笑みを湛えて言う。『イシュ・フィングラス』の部分を強調しているところが、妙に嫌味だ。
「リーズ大陸のレイゼランズの出身だそうで。地図を調べましたが、どこにも名前はありませんでしたね」
 イシュは顔を上げると、クレヴァーの顔を見上げ、少しばかり驚いたように目を開き、「はい」と答える。
「レイゼランズは、町でも村でもないんですよ。オリヴァーさんの家の周りって感じで」
 言うと、イシュ「ははっ」と笑って、足の裏を合わせ両手で掴み、ゆらゆらと揺れ始める。
「レイゼランズだっていうと、なんか街みたいな感じあるでしょ?」
「えぇ、すっかり間違えていました」
 言いながら、クレヴァーの握った手が細かく震えていたのだが、イシュは全く気がついていない。「クレヴァーさんってやっぱ感じいいよな」という思いが、盲目にさせているのだ。
 ルーゼントは頬杖をやめ、背筋を伸ばした。ポケットの中身を探りながら至極冷静な顔で「クレヴァー」と名前を呼ぶ。
「普通に話せ、お前が怒り出したらそこに放り込む以外方法がないんだからな」
 ルーゼントは顎で部屋の端方にある水の方向を示す。クレヴァーはあきらかに額に青筋を浮べ、目を閉じる。
「……えぇ、そうさせていただきます……」
 クレヴァーは言うと大きく息を吐く。イシュはぽっかりと口と目をあけてクレヴァーを観察する。クレヴァーがもう一度大きく息を吐くと、クレヴァーの肩が大きく上下に揺れる。
「イシュー、私の名前は、クレヴァーという。クレヴァー・リーヴァ。でも、本当はクレヴァー・フェンガラス。イシューと同じ苗字だ」
「イシュですって、伸ばすの止めにしましょうよ」
「イシューだ。私は文字に則した読み方をさせてもらうよ」
 イシュは口を閉じ、クレヴァーを見上げる。クレヴァーはうっすらと目を開けると、下にいるイシュを見据える。目には憤慨はなく、どこか寂しそうな目だ。
「イシューは、私の双子の弟だった。でも、今から十六年前の、お母様が亡くなられたその日に、行方不明になっているんだ。混乱の最中だったから誰も確信はなかったけど、死んだのだろうと言われてきた。父上が、そう言ったんだ」
「……それで、俺がイシューさんだっていうんですか? ちょと、押しつけがましいな」
「それはない。イシュー。現にイシューと私は似ているし、イシューは孤児だったんだろう?」
「うん、まぁ、孤児だったらしい」
 言うと、イシュは満面に笑みを湛えて、「へへ」と笑った。
「でも、どっちでもいいんだ。それに孤児でもよかったかな。皆と一緒だったから寂しくなかったし。皆一緒だったから誰も何にも言わなかったしさ」
「ずるい……な」
 クレヴァーは酷く小さな声で呟く。横に座っているルーゼントはポケットからくしゃくしゃになった紙を取り出し、素知らぬふりでのばす。
 イシュは首をかしげて、クレヴァーの顔を見上げる。
「ずるいって、俺が?」
「あぁ、イシューがすごくうらやましい。でも、私は王子だ。そんなことを本当に思ってはいけない」
 クレヴァーは顔を上げ、髪の中に手を入れて、「よし」と息を吐きながら声を吐き出す。
「イシュー、信じてくれないか。イシュは、イシューで、私の弟であるということを」
 イシュは顔を膨らませると腿に頬杖をついて、クレヴァーから顔をそむける。
(俺は、オリヴァーさんを信じるんだ、こんなところで裏切ってたまるもんか!)
 ――オリヴァーはずっと、イシュをイシュと呼んできたのだ、優しい笑みを疑うことなど、今更してしまったなら、おそらく裏切りだ。
 イシュは吐き捨てるように叫んだ。
「俺はイシュ・フィングラスだ! イシューじゃない! 産まれたときから、親なんていなくて、リーズ大陸で育ったんだ!」
「イシューだ! この剣はゼイランドのものだ!」
 クレヴァーは持っていた黒い剣のような飾りを突き出して叫ぶ。イシュはクレヴァーに振り向き、床を叩いて立ちあがる。
「イシュだ! 絶対絶対絶対ぜぇえっったい、イシュだっ!」
「イシューだ!」
 二人睨み合ったまま、立ち尽くし微動にしない。イシュは顔を膨らませ、クレヴァーは駄々をこねているかのごとく意地になって退かない。
 ルーゼントは至極冷静で、二人が言い合っていた間ずっとのばしていた紙を満足そうに光りに透かし、「うむ」と。
「イシューと共に、カプセルが大量になくなっている。ゼイランド王国特製のカプセルなんだが」
 唐突に口を挟み、ルーゼントは徐に腰を上げ、王冠を頭に載せる。
「覚えはないか?」
 イシュはびくりと肩を振るわせ、硬直する。――カプセル。
 ルーゼントは片方の眉を上げ、手を腰に置いた。
「あるのか?」
「ありますけどっ!」
 半ば意地になってイシュは叫び、ルーゼントを見やる。目の端にクレヴァーの勝ち誇ったような顔が映るが、故意に無視をする。――なんか、負けたくない。
「それが、ゼイランドのものだっていう証拠なんて一つもありゃしませんよ! 俺自身はみたことなんてないんですからね! だいたい、」
(どうして、見たときなかったんだ?)
 ふと、イシュは疑問にかられて叫んだ状態で口を止める。
(どうして、だっけ?)
 イシュは沈黙する。ルーゼントは沈黙したイシュを気にも留めず、クレヴァーに目をやる。クレヴァーはルーゼントを見、短く嘆息する。
(私たちが怒鳴るのを小気味よげにみていたな、このクソ親父)
「クレヴァー」
「はい、何ですか?」
「外が騒がしいな」
「……え?」
 クレヴァーは耳を尖らせる。イシュが沈黙している今、クレヴァーとルーゼントがそろって声を出さなければ、水の流れる音しか聞こえない。元々この部屋は雑音が入ってこないように設定されて大きく作られたのだ。外が騒がしいなどということに気が付けることはない。  唐突にノッカーが悲鳴を上げて扉をたたいた。ルーゼントは取り立てて慌てることもなく「どうした!」と叫ぶ。外から聞こえる声は、畳み掛けるかのごとく叫んだ。
「街中に魔族が現れました! 要求は『イシュ・フィングラスと名乗る男を殺させろ』とのことで!」
 イシュは弾けるように顔を上げ、叫ぶ。
「ユソラ!」
「そうです、そう名乗っています!」
 イシュは即座に床を蹴ってクレヴァーから剣の飾りのようなものを取り返し、すぐに踵を返す。
 細く中途半端に伸びた髪が風になびき鉄が光る。
「イシュー!」
「イシュだっ! 絶対戻ってくるから、ここは容赦願いますよ!」
 言うと、大きな扉の取っ手に手をつけ、体重を乗せて引く。扉はしぶるようにゆっくりとイシュへとついていく。
 クレヴァーは即座に走り出し、イシュへと続いていく。
「要求を飲む必要はない!」
「当たり前!」
 言い、イシュは少しだけ開いた場所に身体を移動させ、叫ぶ。
「死ぬ気なんて全然ありゃしねぇぜ!」
 イシュと、追いついたクレヴァーが扉の隙間から外へ出ると、扉は待っていたかのごとく重々しい足取りで元の位置へと戻っていった。

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