知恵の頭の中は疑問符ばかりだ。 なんでどうして、繰り返してばかり。知りたいものなんてよくわからないのに、疑問符ばかりが浮かんでくる。それはまるで文章のようで映像のようで。 「なんで、あんたは、」 差し出された手に答えることはなく、知恵は甲斐を睨んだまま。 「笑えるのよ、そうやって、ずっと。自分の本音なんか言わないくせに、人の本音ばっかり知らなきゃいけないんでしょ」 「俺は自分の本音なら言ってるよ? だってそうじゃないと不公平じゃない」 「本当の、本音。繕うぐらいなら誰にだってできるじゃない。あんただって知られたくないことも、知りたくないこともあるんじゃないの」 「でも俺のは勝手に聞こえてくるでしょ。そういうの操作できないんだ。知恵が『隔たり』見えるのと一緒かな」 「一緒じゃないわよ。私は昔から知ってたから、人の間には『隔たり』があるって。いっそ見えてせいせいしたくらい」 「じゃあ俺もそう言おうかな。いっそ知れてせいせいしたって」 あは、と声を立てて笑った、甲斐の後ろで緋月が立ちあがって軽く埃を払った。 「分かった。こいつ聖んとこ行かせろ。なんで説明受けねーんだよ」 「聖さんの説明は難しいからなあ、余計混乱するでしょ」 「お前だけだ、俺は……なんとなく理解した」 「あはは、緋月も一緒だ。理解できなかったんだねっ」 「勝手に聞くなっ、馬鹿野郎!」 「だから勝手に聞こえてくるんだって」 ふん、と緋月が不機嫌そうに鼻を鳴らした。しゃがみこんだ甲斐をひっぱって立たせて、反対の手を知恵に差し出した。顔は酷く不機嫌そうだったけれど。 「おら、行くぞ。あがいたところでこうなっちまったもんは変えられねぇんだから、それとどうやってうまく付き合ってくかだろ。わかんねーならわかんねーって言いやがれ。頭ん中身がわかんのは、こいつぐらいだからな」 「あははっ、そうそう。言ったじゃない、口に出さなきゃわかんないよって。緋月もうまいこと言うなぁ」 「うまいかあ?」 大きく嘆息して、緋月はぽいっと甲斐を投げた。甲斐の調子はどうやら戻ってきたらしい、軽い調子でちょこちょこと歩いて、体勢を整えた。 顔は笑顔のまま。甲斐は啓を見やった。 「さっきからどうしたの? 啓。おかしいって?」 「あぁ……いや」 啓は三人から目線を逸らして、苦笑のまま嘆息した。 「何か言いたそうだなって、思ってたんだ。『元素』たちが……伝えたくて伝えられないことがあるんじゃないかなってさ。この靄」 「そういえば、今日は濃いね」 甲斐も辺りを見回して、首を傾げた。 「どうしたんだろう」 「こういう時は大抵、エレクトがらみか、」 ふっと啓が目線を下した。下ろした先に緋月と知恵がいて、手を出さない知恵に業を煮やした緋月が、知恵も引っ張り立たせていたところだった。 「ダイセンドがらみなんだけど、昨日の今日だから、ないとは思うんだけどな」 靄が、さらに濃くなっていく。 ■ ビルの最上階には聖と瑠璃の執務室がある。管理者たちの管理者。『監視者』と『伝達者』が世界を見張り、指示を下す。 今朝の啓との仕事の報告に最上階にやってきた忍は、顔を引きつらせた。 「……エルフォース。何やってるんだい?」 執務室には聖と瑠璃の二人の他にもう三人。そもそも管理者の全員が入れるほどに広い執務室で、書類の類も必要ないから部屋の中はただ広い印象を受ける。三人増えているところで別段狭くは感じない。 エルフォースは今朝の通りに長い棒を担いだまま、片手は瑠璃が入れた紅茶。「ん?」と、紅茶を飲みながら忍に視線を送った。 「説教の途中だ」 「自分の世界でやってくれよ……エレクトのことよく捕まえられたね」 「丁度ウォーレンがいたからな。どうした、報告か?」 「うん。聖さん」 聖はイレギュラーの三人がいるのにも関わらず動じない。そもそも忍は聖が動じたところを見た時がない。聖の机には瑠璃とエルフォースが腰掛けている。いくら広い机でも、二人も腰掛けていたら窮屈にも感じようもの。 ――眉ひとつ動かしていない。 「聞こう」 視線は片手に持った白い紙に注いだままだ。忍は苦笑を浮かべて「慣れたけど」と思う。 「見てた通りです。『元素』の異常については、エレクトが一瞬で治したので様子をうかがうこともできませんでした」 「の、ようだな。原因は分かりそうか?」 「それも啓に聞きたかったんですが、エレクトが」 「お前を脅してナイズに連れてきてしまったな。その後は甲斐と行動を共にしている」 「やっぱり。それで、どうしてわざわざ調査する必要が? 『元素』が乱れるのはいつものことじゃないですか」 「朝靄が、晴れていない」 「?」 「誰が言ったのかは忘れたが、ナイズで気象に異常がある時は、元素たちが何かを言いたがっている時らしい」 ちらりと聖が忍を見た。 「『空間』は大人しいか?」 「『空間』は……」 言われて忍は感覚を自分ではなく『空間』に合わせた。 「――あっ!」 「お」 忍が叫んで素早く踵を返した。エレベーターを呼ぶと、何も言わずに乗り込んで消えた。 エルフォースがのんびりと紅茶をすする。細長い棒でぺしぺしと目の前に正座しているエレクトとタイラの頭を叩きながら、目は聖が持っている白い紙に。 「さっき開いたのは、この宿所の中、物質の部屋だな。お、真麻が忍の登場に怒ってるぞ。ふむ、水把がいないな。今度はさっきの知恵のところだ。ん?」 「あらぁ」 エルフォースとは反対側に腰掛けた瑠璃も紅茶を片手に聖が持つ白い紙を覗きこむ。聖の持つ白い紙には様々な場所が映し出されている。一角に朝靄の風景が映し出され、その中でぼんやりと、五つの人影が。 「久しぶりなのはいいんだけどぉ、登場の仕方が紳士ねぇ」 「ふむ」 エルフォースが少し、考え込むような仕草をした。 「まずいな、甲斐には退場願うぞ」 「あら」 映像の中で同時に知恵と甲斐の姿が失われた。失われた甲斐の姿は、実物が部屋の中に登場。 ぽかんとしている甲斐のことは全く見ずに、聖は瑠璃に視線を送った。 「水の窟だ。教えてやれ」 「あらすごーい、まだ現物見つけてないのに」 「この靄はその理由だろう。ところで瑠璃」 視線を紙に戻して、聖。 「紅茶を取らせてくれ。甲斐はそこに座れ、逃げるな」 するりと瑠璃が机から降りた。甲斐はポカンとしたまま。唐突にこの場所にいるのだ、驚くのも当然だ。 瑠璃がどいた机の上の紅茶を取って一口、飲み込んで聖は甲斐を見た。 「何をしている、座れ。事態が収まるまでこの部屋から出ることを禁じる」 「事態ってなんですか?」 「亮が現れたことこそ事態だ。水把も捕まっているのだろう?」 「だったらなおさら俺がここにいるわけにはいかないんじゃないかなって……思うんですけど……」 「滅多に口を出そうとしないエルフォースがそうすると言ったのだ。従うしかあるまい」 「はあ」 苦笑を浮かべて甲斐は大人しくソファに座った。エルフォースの姿はすでに執務室の中にない。 座ったが、甲斐は落ち着かない。聖は甲斐の姿を見ていなかったが、一つ嘆息。瑠璃がけらけらと笑った。 「実際に傍にないと心は聞けないはずよね、甲斐?」 からかうような妖艶な笑み。 「なら見せてもらいなさいな、たまには聞こえない状態で見るのもいいんじゃない? ねぇ聖、構わないでしょう」 「あぁ、構わない」 「だって! ほら、いらっしゃい。面白いことになってるから」 けらけらと本当に楽しそうに笑いながら、瑠璃は再び聖の机に座った。甲斐はおずおずと聖の背後に回った。聖は現状を整理することに集中しているので、聞こえてくるのは難しいことばかり。瑠璃は純粋に楽しんでいるだけ。 管理者たちの多くがそうだが、甲斐もまた、この二人が苦手だった。 |