翌朝。
 窓から入り込む光で知恵は眼を覚ました。いつもなら眼を覚ます前に母親の声が聞こえてたたき起こされるのに、今日はその声はなく。なんとなく起き上ってぼんやりと周りを見渡すと、見慣れない部屋。――そうだ、と思い出すのに五分かかった。
 昨日忍に案内されてこの世界――ナイズの様々を回った。
 世界自体はとても小さいらしい。知恵のように異世界から連れてこられた人間はこの建物――ビルに部屋をそれぞれ持っていて、人間はそれしかいない。世界のほとんどは緑で囲まれている。ナイズに来た時始めに着いた場所はそのまま広場という。異世界に行く時の集合場所になるから必ず覚えたほうがいいと忍が言う。
 世界に街――商店街は一つ。機械の店員たちが他とは交流せずにせっせと働いている。必要なものはここで手に入るのだという。街の隣には小さな農地があって、やはりここも機械が管理していた。
 人の姿がほとんどなかった。この世界にいるのは、知恵で一七人。けれどたまにもう少し人口が増えるよと忍が笑いながら言った。隣で啓は苦笑していて、「今日も一人増えてる」と呟いた。
 誰のことかと思ったけれど、すぐにわかるはずだからと忍が笑った。
 それから夕暮れまで色んなところを歩いて、食事をしてから帰った。部屋に戻るころには真っ暗で、空には月と星が浮かんでいた。
 綺麗な空だった。センテアで知恵が住んでいた町では月は見えても星はあまり見ることができなかったから、よけいに。
 知恵は外を改めて見やった。
 今日も綺麗に晴れているらしい。カーテンを少しだけ開けて外を見れば滅多にみない綺麗な朝焼け。知恵は軽く身なりを整えて部屋を出た。
 何をしたらいいのか、誰かに訊こうと思っていた。
「……お前に限って言うべきでもないんだろうけどさ、」
 ドアを少し開けると誰かの声が聞こえた。会話しているようで、返す言葉を期待しない声。
「気に病むなよ。お前も、知恵もだけど」
「え?」
「え?」
 丁度ドアを開けて外に出た瞬間、声の方向を知恵が見れば、そこには昨日会ったばかりの啓の姿。ぽかんとして知恵の顔を見た。
「あ……早い、んだな」
「別に、昨日早く寝過ぎたから起きただけ」
 二人とも居心地が悪そうに沈黙してから、先に知恵が嘆息した。どうしてうろたえているのかが馬鹿らしく思えたからだ。
「おはよう。啓こそ早いのね」
 いつもの調子を心がけて、知恵。啓が苦笑した。
「おはよう。聞こえてた、かい?」
「少しだけね。今出てきたばっかりだもの」
「そっか」
 啓は苦笑のまま。
「気になる、よな。やっぱり」
「別に。聞かれたくない話なんでしょ」
「まあ、言ってしまえばね」
「じゃあいいわよ、話さなくて」
「そうか……そうだな。なんか甲斐が知恵を気に入った理由がわかる気がするよ」
「何それ」
「いいや、『別に』?」
 啓が悪戯に笑って肩を竦めた。知恵は不機嫌そうな眼つきになる。知恵の顔を見て啓はやはり笑った。
「俺はこれから仕事に行くんだけど、知恵は何かあるのか?」
「ないけど。それを誰かに訊けたらいいなって思って外に出てきただけ」
「そうか。指示がない時は大抵仕事はないから、散歩でもしてくるといいよ。誰かもいるかもしれないし、休める時は休んでおくのもいい」
「やることないってことじゃない」
「かもね。そのうち忙しくなるだろうから、今のうちに満喫するのもいいかもしれないよ」
「実感ないけど」
「はは、かも。力のことだって、まだ実感ないんだろう?」
「そっちは、少しは、あるけど」
 答えて、知恵は啓と自分の間にある『隔たり』を見た。自覚してからは常に感じる。個体と個体の『隔たり』。壁のようで境界線のようで。あやふやな。
(なんて、前と変わらないけど)
 知恵は啓から目線を落とした。自分の部屋のドアを閉めて、啓が前に立っているドアを見やる。
「誰がいるの?」
「あぁ、ここか。ここは――甲斐の、部屋だよ」
「甲斐の? そういえば見なくなったけど、忙しいの?」
「甲斐が忙しいなんて大変だよ。槍が降る」
 楽しそうに笑って、啓。
「ナイズじゃ他の人たちと会わないことも珍しくないんだ。気にしない方がいいよ」
「そう」
「うん。俺はそろそろ行くね、もし今日あの人たちに会ったらよろしく言っておいてくれよ」
「あの人たちって?」
「会えば分かるよ、“あの人たちだ”ってさ」
 やはり楽しそうに笑って、啓はゆっくりと動き出す。ドアに向かって「じゃあ」と軽く別れを告げて、通りすがりに知恵にも別れを告げた。眼の前を通り過ぎる啓を少し見送って、知恵。嘆息した。
「……私もエレベーター乗るけど」
「……そうだよな」
 苦笑した啓に知恵は肩を竦めて、珍しくきちんと作動したエレベーターに送られて地上階で分かれた。
 

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