――真っ暗だけでもないか、と知恵は上も下もない空間の中、立っている姿勢で半眼になって思う。どうやら知恵の思考を聞いていたらしい甲斐が知恵の視界の中に現れ、悪戯に笑って見せた。
「そうだよぅ、真っ暗だったら忍が困るし」
「僕はセンテアとナイズの間だったら目を閉じてても行けるよ。甲斐も大体はわかってる道のりだろう?」
「まあね、俺の仕事センテアが主だし」
「甲斐はセンテア以外でほとんど仕事しないだろ……まったく」
 本当はあっても困るんだけど、と忍は口に出さなかった。知恵を盗み見てみれば、知恵は『不機嫌』をうまく表現した表情で、怒っているのであろうことは傍目によく分かった。忍の目線をたどった甲斐が、「あ」と目を丸くした。少しして笑い始めた甲斐を、知恵が睨み付ける。曰く心の中で「どこに行くか聞いてないんだけど」と、知恵が。
「あはっ、忘れてた?」
「何を忘れてたんだい? 甲斐は」
「行き先」
 忍がきょとんと目を丸くして、少しの間沈黙する。知恵を見やり、「あっ」と今更ながら声を上げた。
「ごめん! 言い忘れてた!」
「ホント、よくついてきてくれたよねぇ」
「人事のように言うなよ。忘れてたの甲斐だって同罪なんだから」
「だってほら、俺はこういうの今回が初めてだし」
「僕だってこんな問題があった出迎えは久しぶりだよ」
 嘆息交じりに忍が呟く。さらに小さな声で愚痴るように続けるのだ。
「たとえばバカがつくほど足が速い当事者に全力で逃げられるとか、友人に妨害されるとかあっても、攻撃されるのは久しぶりかな」
 甲斐の笑い顔が苦笑に変わっていく。知恵は二人のやり取りを見ながら、何気もなく口を開く。上も下もない空間で、立っているのか座っているのか、動いているのかさえも分からなかったけれど。
「仲いいのね」
「え?」
 忍が驚いて知恵に振り返る。知恵に驚かせよう等の他意などまったくなかった、ただ純粋に口に出たというだけである。何かを考えていたわけでもない。
 同じように甲斐が驚いたような顔で知恵に振り返った。知恵は二人の顔を見ると不機嫌そうに顔を歪め、「だから」と。
「仲、いいのねって。二人とも同期なの? 同い年?」
「いや……僕らに同期って言葉自体、珍しいから。それに僕と甲斐なら、ナイズの時間で四十年以上違うんだけど……見た目判んないからね。僕ら不老だっていったら信じるかい? 僕らというか、選出者という存在が、なんだけど」
「信じるわけないじゃない。そんな幻想じみた話」
「どれもこれもが現実だよ。この空間もね」
 忍がいたずらに笑って、周りをくるりと指差した。知恵は当たりを見渡し、「そうでしょうね」と、嘆息交じりに答える。
「現実にいるもの。信じなきゃいけないじゃな――」
 ガクン、と唐突に知恵の視界がゆれた。同時に脳みそを揺さぶられた感覚があって、思い切り舌を噛んだ。
(――ふざけんなっ!)
 知恵はぐるりと回る視界を睨み付け、胸中で思い切り怒鳴りつけた。甲斐が知恵の横で小さく悲鳴を上げ、片手で耳をふさいだ。苦笑を浮かべ「俺じゃないのに……」と力なく呟く。甲斐は顔を上げ、前方にいる忍に向かって口を尖らせた。
「にーんー、いきなり動かすのは酷いよぅ」
「あははっ、僕も少しくらい驚いてもらわないと面白くないからね」
 知恵はようやく止まった視界の中に忍を捕らえ、思い切り睨み付ける。睨み付けている間も、身体が動いているような感触がある。風はなくとも、雰囲気、がする。
【世界の狭間】と、忍が言った場所にあるものは、黒い空間に点々と光る様々な色の球体。気分的には宇宙にでも放り出されたかのようだった。
 星の位置が徐々に後ろに移動していくのを視界の端で捕らえ、「ねぇ」と、知恵は口に出して忍に問いかける。忍は少しだけ振り返り、「なんだい?」と小さく首を傾げた。睨み付けられているのもなんのそのである。
「『センテア』、『ダイセンド』、『ナイズ』。場所の名前でしょ? どこに行くのよ」
「それもきちんと話してなかったね。ナイズっていう世界に行くんだ。センテアに住んでた知恵にとっては、『異世界』になるね」
「異世界?」
「うん、君はそこで暮らすことになる……と、これは(ひじり)さんが教えてくれるはずだよ。僕はとりあえず道案内」
 また違う名前が、と知恵は胸中で苦虫を噛み潰す。どうやら忍と甲斐にとっては、出てくる名前、名前が、日常の中から切り離せないほど当たり前で、無意識に口に出してしまうのだろう。相手が知っていようが知っていまいが。
 知恵の横で甲斐が満面の笑顔を知恵に向けた。
「普段はなかなか会わないんだけどね。でも、俺にとって二人の存在は大きいから」
「皆が、皆にとって、かな。大きいの大きさは人それぞれだろうけど。僕たちは仲間だから」
 忍が少しだけ照れたような顔を浮かべ、小さく声を出して笑った。甲斐が「そうそ」とけらけらと笑って、知恵に向かって片手を差しだす。
「だから、知恵も仲間。改めてよろしく、知恵」
 邪気のない満面の笑顔で差し出された甲斐の手に、知恵は手を差し出す気などなかった。それでも妙にこそばゆい。笑いをこらえて『よろしく』と、言い返してやろうかと思った瞬間。
 忍が前方を眺め、声を上げた。
「あー……挨拶してる最中悪いけど、着いたよ。僕たちの――選出者たちの世界、ナイズに」
 直後、視界が緑色の光に包まれて、全ての感覚が一瞬消え失せた。
 

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