9.紫水晶(アメジスト)

  『君に、この隊に所属する魔道士たちの運命を託そう』
 ぱら、ぱら、と真白なページを捲りながらアタラはふうとため息をついた。無意識に考え事をしてしまっていたらしい。
 アタラは書庫の中、一人椅子に座って本を眺めていた。
 魔法が宿る本。見つけたのはつい最近。この書庫の中で埃を被って静かに眠っていた。
 ――創ったのは、誰だろう。
 アタラは目を細める。
 歴史は比較的浅い魔法だ。もしかしたらもう一人の魔道士隊長のピーク・レーグンかもしれないし、他の誰かかもしれない。一番可能性が高そうなのはアタラの前任の高等兵士であるメリジョ・バンダーとピークの二人が遊びながら作った魔道具。書庫にはそういった類の本がちらほらと置かれていた。
 二人はウィアズ王国軍初代魔道士隊長にして、世界にも名高い魔力と技術を持つ魔道士だ。そしてメリジョ・バンダーの後を継いだのは赤紫の髪を持って生まれてきた自分。
 天魔の獣たちに愛されたかのような三人の魔道士が存在するウィアズ王国で何故、対するように、古に天魔の獣たちに反逆した剣士と同じ赤紫の眼を持つ少年が生まれたのか。まるで魅かれるように剣士になった幼馴染をふと思った。
『言い返してやるよ、お前は誰だ?』
「私は……」
 ページをめくる手を止めた。思わず呟いてアタラは顔を顰めて口を閉じた。
「そこにいるのは誰だ」
「あら、気がつかれてないのかと」
 答えた声は高い。本棚の影から現れたのは、ホンティア・ジャイム。
「失礼、アタラ。第一大隊五番隊長と言ったらわかるかしら?」
 わざとらしく恭しく礼をする。アタラはホンティアを見やって、短く嘆息した。
「ホンティアか」
「御名答」
 答えてホンティアは二コリと笑った。かと思うとわざとらしく人差し指をえくぼにあてて言うのだ。
「でもティアって呼んでね? そっちの方が女の子みたいに聞こえるから」
「じゃあ私からも要望がある」
「あら、なあに?」
「こんな登場の仕方はやめろ。心臓に悪い」
 ホンティアがくすりと笑った。アタラに近づきながら「えぇ」と、軽く答える。
「私もこんな登場の仕方は本意じゃないんだけど、アタラ気がついちゃうんだもん」
「わざと気がつかれようとしていたように思ったけど?」
「あら、そこまでばれてるの?」
 ホンティアは上機嫌に笑って、アタラの座っている椅子の横の椅子に腰かけた。アタラはホンティアを一瞥すると、視線を真白な本に落とす。
「それで? 何の用なの?」
「それはズバリ! クォンカがくるから!」
「はた迷惑な……」
 ぼそり、と低い声が他所から聞こえてきた。やってきたばかりのクォンカがうんざりといった顔つきで明るみに現れる。隣にはカタン・ガータージ。
「おい、ホン。お前はどこで俺とアタラが会うと知った」
「私はクォンカのことなら何でも知ってるもの」
 ホンティアは机に頬杖をついて嬉々として笑っている。クォンカが眉を顰めると、さらに楽しそうにくすくすと笑う。
「冗談。噂を聞いたせい」
 クォンカが眉をあげた。無造作に二人に近づくと、同じ机の向かい側の椅子に腰かけた。
「他の隊の話なんてここ数ヶ月ほとんど聞かなかったのに、珍しく入ってきたものだから好奇心で来ちゃったのよ」
「わかった」
 一言、クォンカ。短く息を吐き出すと、平理と手の平を振った。
「こうなるだろうことは少しは予測していた」
「あら、じゃあ出所まで分かってるの?」
「いや、俺たちも少し派手にやりすぎただろう、そのせいだ」
「そうよね、聞いた限りだとクォンカのところの訓練場でカタンとやりあって、仲裁をアタラにしてもらったらしいじゃない」
「……噂話なんてものはそんなものだな」
「私がそんな面倒なことをするはずがないだろうに」
 ふう、とアタラが大きく嘆息した。
「話が大きくなってくれること自体は、狙い通りだけど」
「ふふっ、それで? どうしてその喧嘩相手までいるのかしら? カタン?」
 カタンはホンティアに少しだけ恐縮するように立ちすくむ。「いえ」と、答えたが、声に緊張が混じった。
「関わらせた」
 答えたのは、クォンカ。
「少しでも関わった以上、最後まで関わってもらわにゃならん」
「まあ! カタンには関わらせないもんだとばっかり思ってたわ。これで第一大隊からはほぼ全員ね、これに関わったの」
「全員?」
「えぇ、リセさんとエリーゼ以外」
 やはりホンティアは上機嫌ににっこりと微笑んだまま。至極楽しそうに告げた。
「……ということは、ここには見当たりませんが」
「諜報関係であいつが関わらないわけがないでしょう。散々ちょっかいだしてきやがって、あの不真面目の塊が!」
 おかげで情報集めるのが遅くなったんだと言外にありありと表現して、アタラ。周りは苦笑するしかない。
「まぁ、そういうわけもあって、リセさんは黙認してる立場ではあるわけだ。完璧に関わってなかったのはお前くらいだぞ? エリーゼさんはごめんだとつっぱねたからな」
「そうそ、そういうのはお前の仕事でしょう? って。毎度気持ちいいくらいに嫌われるわよねぇ、クォンカ」
「しかたない、と言うしかない。あそこの隊は隊長と副官と揃って真直ぐ過ぎる」
「真直ぐって言うか猪突猛進。見てて楽しいのよねー」
 酷く楽しそうにホンティアがころころと笑う。カタンは苦笑。カタンはこの中で誰より彼女たちを知っている。天馬騎士と竜騎士はいつも関わり深いのだ。とはいえ、エリーゼの副官とはまだ関わったことがない。すれ違いばかりだ。
「あそこの副官、絶対カタンと気が合うもの。違って?」
「真面目に話を進めさせる気がないなら、」
 嘆息と同時に、アタラ。
「今すぐこの取引はお終いだ。ずっと邪魔し続けてやる」
「ちょ、ちょっと待てアタラ。真面目に話を進めてないのはホンだけだぞ?」
「それにアタラだって結構のってたじゃない」
 至極真面目にアタラに向かって抗議するクォンカとホンティア。アタラは二人の顔を見て、ふん、と鼻を鳴らした。
 横から様子を見ていたカタンは思わず、噴き出した。笑いだしてしまった。
 クォンカもホンティアも五年以上高等兵士を務めるいい大人なのに、今年高等兵士に昇格したばかりの最年少の少女に振り回されている姿は、なんとなく“高等兵士”と銘打つには優しすぎる気がしないでもなかった。
 笑いだしたカタンに訝るように三人が振り返る。カタンは笑いを無理やりに止めた。
「あぁ、やはりクォンカさんはそういう姿の方が似合っています。あんなことがもう二度となくなればいいのにと思わずにはいられない」
 クォンカが目を細めた。
「だが、必要なことだ。それはわかっているだろう」
「はい。俺はきっとそれがなくなるように努力する。そのためにも協力させていただきます」
 至極真摯にカタンが返答する。クォンカは一つ、小さくため息をついた。横で嘲るような笑みをホンティアが一瞬だけ見せたが、誰にも気がつかれなかった。
「敵国の諜報員のたどる末路なんて、結局は惨憺としたものよ。同情してどうするのかしら?」
 冷たい声音、高い声。アタラが咳ばらいするとホンティアはにこりと笑った。
「あら、今度アタラも見に行く? 魔法じゃ開かないのよ、あそこ。私ぐらい鍛えた奴じゃないと中に入れないように扉重くしてあるから」
「いい。どうせ拷問所とかでもいうんでしょう。最近クォンカの眼にクマができてたのはそのせい」
 人差し指をぴんと立ててクォンカを指さす。クォンカは苦笑するしかない。クォンカにできたクマなど見えるか見えないかほどの微かなものでしかないというのに。
「お前も仕事少しは減らしたいでしょう。幼馴染が首を突っ込んだせいでクォンカに仕事が回ったのもあるから、手伝ってやらなくもない」
 言い、トン、とアタラが手の平で白紙の本を叩いた。自然視線はアタラの手元の白紙の本に移る。
「この本。一定範囲の声を集めて三分間だけ本に写し取る。そのあと一〇分経つと書かれた内容は消えるの」
「ほう? 見たことのない魔道具だな」
「えぇ。作った本人たちも悪趣味すぎて書庫の奥にしまったんでしょう。私が見つけたのも偶然だ」
「と、言うことはアタラ。お前が俺の動きに気がついたのはそいつのせいか」
「そう。使ってみたらクォンカが奴ら脅してるのが写し取られてたから」
「ということはお前も寝てないだろう。とっとと結論だすか」
「そうね」
 答えて、ポン、と再びアタラが本を叩いた。触れた部分がほのかに赤紫色に光を帯びた――と。
 本に勢いよく文字が書き連ねられていく。それも名前付きだ。
 確かに悪趣味だな、とクォンカは思う。これでは秘密どころではない。仕事の話だけならまだいい。だが明らかにプライベートな会話まで書き連ねられていくのだ。
 アタラがどこまでを範囲として指定したのかは分からなかったが、クォンカがよく知る人物の多くも書き連ねられていく。
 ――三分。
 だが、本の内容を改めて見る必要もなかった。
 誰もが誰がどこにいるのかという疑いを理解する一部が、確かにあった。
 沈黙。
 アタラはそっと本から手を離し、クォンカを見た。
「取引」
「あぁ」
「私からの要望は、もしあいつが帰ってきたら私に知らせてくれること」
「……それだけか?」
「えぇ。それまでにあいつの問いかけを言い返えせるようになることにしたの。もっとも帰ってくれば、だけど」
 嘲笑のようにアタラが短く息を吐く。クォンカは少しだけ目を細めてアタラを見た。
 本心を少しだけ見せたアタラの、慰めのような優しさに。
 自分たちも確かに人間なんだなと、改めて思い返すのだ。
「エアーのことだな。お前の幼馴染なんだったか?」
「一応。いいんでしょう?」
「あぁ、そんなことならお安い御用、だな」
 答えてクォンカはクスリと笑った。
「で?」
 クォンカはホンティアを見た。
「お前がわざわざ現れた理由は」
「あら、だからクォンカが来るからって言ったじゃない」
 混ぜっ返すかのようなホンティア。クォンカは肩を落とす。
「クォンカが来るなら、こういう話でしょう? だったら、新しく諜報員をあっちに送り込んだ方が手っとり早いと思って」
 至極軽い口調でホンティア。意味を汲み取ったクォンカがにやりと笑った。
「なるほど。その手があったか!」
 至極楽しそうにクォンカ。
 アタラが意味も分からず首を傾げるのに、ホンティアはにこにこと笑った。
「私が推薦するのはカタンも知ってる子よ。それでなんと、実はアタラと同い年、っていうことに最近気が付いたの!」
 楽しそうなのはホンティアとクォンカのみ。
 アタラとカタンはただ、訝るのみだった。
  
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