82.暗闇、覆う、空の、

   白くもくもくと昇る自分の息を見上げて、オリエック・ネオンはただ、立っていた。少し、寒いかな、とも思う。すぐに消える白い息は、その向こう、空を視界に入れるために消えるかのよう。
 空は曇っていた。星が、見えなかったから。月も。ただ暗闇が空を覆っている。
「おう」
 聞きなれた声がして、オリエックは視線を下した。
「どうした。珍しいものでも飛んでるのか?」
 大仰に肩をすくめた、クォンカ・リーエ。オリエックは白々しい笑みを浮かべ「えぇ」と答えた。
「飛んではいませんが、クォンカさんが通ります」
 答えた、オリエックの白々しい笑み。オリエックのこの笑い方は、どんなときでもあまり変わらない。どうやら意図してやっていないことをクォンカは知っていた。クォンカは失笑して歩き出す。
 高等兵士寮へ続く道。
 数多ある道の中からクォンカが通る道を予想して、見事的中させる副官。この有能さも、クォンカは慣れてしまってきていた。褒めれば答えて曰く、「クォンカさんの副官たる、と言っていただけると大変嬉しいです」と、当然のように。
「それで? 何か危急の用事でもあったか?」
「いいえ。危急ではありません。ここで待ってたくらいですし」
 オリエックがクォンカに続いて歩く。ゆっくりとした歩み。クォンカは眉を上げてオリエックに振り返った。
 オリエックはやはり、変わらずの白々しい笑み。
「エリクが、死にます」
 クォンカは眉を顰めた。
「どう思われますか?」
 少し怒っているかな、とクォンカはオリエックに思う。オリエックの心中を察することは難しいが、不可能ではなくなった。クォンカは立ち止まり、改めてオリエックに向かい直る。
「なんだ? 病気か?」
「クォンカさん」
 やはり怒っている、クォンカは苦笑する。
「なんだ?」
「第一大隊に、現地で傭兵隊が合流しました」
 クォンカの顔色が、変わった。
「地上隊のみの傭兵隊です。表向き、数の上で劣勢の地上隊の援護に必要とされたように見えますが、エアーもミレイドさんも、反対だったらしいです。雇ったのは、カタン最高等兵士です」
「事前会議じゃそんなことになってなかったはずだ」
「えぇ。どうやら道中。カタン最高等兵士に、直接話があったらしいです」
 ――傭兵隊、とクォンカは胸中で呟く。
「カタン最高等兵士は、プレゼリア出身者の希望ですから」
 希望、とクォンカは繰り返した。
 プレゼリア討伐。
 今も覚えている。
 高等兵士として出兵した初の。国内にはプレゼリアが賊であると報じられ、理由もあった。
 けれど、あれは、ただの。
「俺も覚えてますよ。あれはただの侵略、虐殺です。でもだから何だと思いますけど。彼らも同じことを他にしてました、その成果で生きていた彼らが、俺たちがしたことに反論すべきではないと思います」
 クォンカの心中を読んだかのようにオリエックが続ける。オリエックの変わることのない顔色。クォンカはオリエックの顔を見て苦笑した。
「かもな。だが、逆もしかりだ」
 オリエックが白々しく笑った。
「えぇ。クォンカさんは気にして下っていいと思いますが」
「なんだそれは」
「だからカタン・ガータージを最高等兵士に推したんでしょう?」
 珍しく確認するような言葉に、クォンカは首を傾げて沈黙を返した。オリエックは言葉を続けない。
 静かな夜だった。高等兵士寮へ続くこの道。高等兵士かその副官にしか使われることはあまりない。城内の見回りをして戻ってきたこの時間帯、起きている人間も少ないだろう。
「……エリクが知ったのが、ばれたか」
「みたいです」
「不用意だったな」
 プレゼリア討伐の真相を、知る者はすでに少ない。知る者を排除すべく討伐が行われたのだ。
 歴史は繰り返すという。もしくは意図して、あるいは気づこうとせず。その繰り返しに感じるのは、繰り返すという恐怖だから。
 克服したいと願い、消したいと願い、逃げたいと願い、同じことを繰り返す。
 クォンカはふうと息を吐いて空を見た。白い息が消えて見えたその先は、暗闇が広がる空。
「十二番目の月、か」
 オリエックはクォンカの顔を眺めたまま、いつもの白々しい笑顔。
「はい。今日から」
「なら、今日は“魔の日”だな。デリク・マウェートの誕生日だ」
「いくつでしたっけ、あの人」
「カタンと同じ歳だ。たしかな」
 言葉が途切れて息が吐き出されれば、再び白い息が暗闇にも見えた。
 沈黙が流れて、少し。
 クォンカが失笑して、少し笑顔になった。
「あいつはまた、悪夢でも見てるんだろうな」
「はい?」
「ほら、エアーの寝起きの癖だ。このぐらいになると毎年、大抵悲鳴を上げて起きる」
「あぁ」
 オリエックも失笑した。
「いつもうるさかったですね」
「鳥かと思うぐらい早い時間に起きるからな、あいつは」
「えぇ。この時期は毎年目ざましです」
 クォンカは小さく声を立てて笑った。笑って、少し。悲しそうに目を細めた。目を細めたクォンカを見つけて、オリエックは白々しい笑みのまま。
「誰かが言ってましたよ、あの年は呪われてるんだって」
 クォンカは笑うのを辞めた。目を閉じた。
「だろうな」
 あと一人、とクォンカは思った。
 残り、一人。
「あの年は、呪われているはずだ」
 目を開けて再び空を見た。
 暗闇、覆う、空を。
Back←//押していただけたら喜び。//→To be NextChapter. 
inserted by FC2 system