81.月さえ消える、空の闇を

   暗闇に溶けるように佇む男。見慣れた光景だ、とカタンは思う。
 暗い――この男の瞳も表情も。暗い過去を見るように思えてしまう。
「ではカタン最高等兵士様、おっしゃるとおりに」
「………」
 カタンはすぐに言葉を返さなかった。
 少し考えるように、不快を表すように眉をひそめた後、「わかった」と呟いた。
「そうしてくれ」
「よろしいのですか?」
 何を今更、とカタンは思った。
 そもそもそうせざるをえないとしたのは、問い返した暗闇に溶けるこの男。
「……いい。問い返すな」
「御意に」
 恭しく男が頭を下げる。歳はカタンよりも一〇は上だ。プレゼリアに住んでいたころは関わりもなかった。
 プレゼリアの討伐後、住んでいた者は散り散りになり、それぞれに住居を探した。あるいはウィアズに、あるいはマウェートに、あるいはもっと遠くの土地、流浪の傭兵に。
 プレゼリアをふと思い出す時、カタンは今も思う。
 なぜ我々は“討伐”という名目で討たれなければならなかったのだろうと。
 元々豊かではなかったプレゼリアの跡地は二度と人が住めぬような焦土になった。大人たちのほとんどが失われた土地で、子供があてもなく泣き叫んでいれば、ずる賢い奴隷商が連れていき、すぐに人が見当たらなくなった。
 なぜ。
 そう問う人間はウィアズの国内でも国外でも多少はいるけれど、プレゼリアの傭兵たちを全滅せしめたウィアズ王国軍の実力は、全世界に知れ渡った。ウィアズ王国軍が世界有数の強さを持つ軍と改めて知らしめられたのは、プレゼリア討伐によるのだ。
(“恨み”で人を討つな、か)
 恨み、憎しみ。
 燃えるプレゼリアに振り返って湧いた気持ち。消えることない苦しさ。
『天騎士の俺には、地上につながる鎖など無用。プレゼリアですら止まり木だ。そうだろう? カタン、お前は俺に似て竜騎士としての才がある。俺たちが生きる場所は空だ。なあ?』
 父から全てを受け継いだ。漆黒の髪、瞳、武才。“ガータージ”という名も。
『俺たちが止まり木にあんまり長く居座ってたから、気の利いたやつが“お前の生きてる場所は空だろう”って、空に帰してくれたんだ。怨むなんて筋違いだよな』
 だろう? と父は笑う。
『地上に生きる奴には理解されなくてもしかたない。お前は“恨み”っていう鎖で人を討とうと思うなよ。鎖は俺たち天騎士には似合わないぞ』
 そう言う父の周りでは、逃げ切った人々が泣いていた。炎上がるプレゼリアに振り返り、声を殺して。
 振り返った場所には、失われた人々が住んでいた。失われた人々がいる。失われた暮らしがある。
「あのうるさい総司令補はどうなさいますか?」
 問う、男の瞳は暗い。
 憎しみ、諦め。
 まるであの過去のよう。
「構うな」
「左様ですか」
 再び男が恭しく頭を下げ、カタンに向かったまま出口に一歩下がる。
「では。私は傭兵隊に戻ります。あなた様だけはどうか、お気を付けくださいますよう。二度とこんな手間をかけさせることのないように。美しき、カタン最高等兵士様」
 微かに嘲りの混じる声。カタンは眉間に皺を寄せた。
(勝手に“手間”にしておいて何を)
 退出を宣言して、やはり闇に溶けるように男は天幕の中から消えた。
(美しき? 俺の、どこが)
 カタンは大きく息を吐き出し、簡易の机に身を投げ出した。
(正面から向かってくる、エアーのほうがよっぽど……)
 いや、とカタンは思い直す。手の平を握った。
(俺は俺の手段で、望むものを手に入れたい。他に任せるよりもずっと、犠牲の少ない方法で――)
 カタンは知らず大きな息を吐いた。
(姉さん、デリク)
 暗闇の中目を開けて、やはり暗闇を見た。
(俺は、間違っているだろうか? 曲げたくないんだ。自分が正しいと思うことを俺はしたい。そのための力を手に入れた。たとえ今間違っていたとしても、望む結果が手に入るのなら……)
 痛みも間違いも、きっと昇華される。
 自分が望んだ結果になったならわかってくれるはずだ。犠牲になった人も、誰もが。
 誰も悲しまない、誰も失われない、そんな楽園へ。
 この暗闇から、
 この手で。


「カタンッ」


 突如バサリと音がしてテントの中に光が入り込んだ。カタンが目を細めて光源を見やれば、サリアが満面の笑顔で立っていた。テントの外はかがり火で明るい。
「見て見てっ! 晴れてるのに、雪が降ってるの!」
「?」
 サリアが片手を差し出せば、差し出された手は微かに濡れている。カタンはくすりと小さく笑った。
「カタンも外に行こっ! こんなところ籠ってないでっ」
 カタンは入口にいるサリアの笑顔を少し眺めて、ゆっくりと腰を上げた。
「そんな格好じゃ風邪をひくぞ、サリア」
「平気よ! 並みの鍛え方してないもの!」
 サリアがぱっと動いてカタンの腕をとった。にっこりと笑ってカタンを見上げる。
「早くっ、すごく綺麗だから、カタンにも見せてあげたくて」
「わかった、わかったから」
 サリアに引き摺られるように歩きながら、カタンはやはり小さく笑う。さっきまで暗闇に落ち込んで行きそうだったのに、彼女が来ただけで辺りが明るくなった。一瞬で明るい気持ちになれた。
 サリアが再びテントの入口を広げて、二人で一緒に外に出る。篝火で明るいウィアズ軍の陣営に、数少なかったけれど、ひらひらと雪が舞っていた。篝火に照らされて、ちらりちらりと姿表すそのひとひら、ひとひらが、無償に――。
「ね? すごく綺麗。なのに月は出てるのよ」
 ほら、とサリアが空を示した。高くまで昇った赤紫色の月、ぼやけて小さくて淡いけれど、それがまるで天魔の獣たちのよう。
「今日から十二番目の月。もうすぐ今年も終わるね」
 早いな、なんて言いながらサリアはカタンの隣に並んで、腕を組んだまま。
「本当に綺麗だ、ありがとう」
「どういたしまして」
 サリアは明るい笑顔のまま色々な話をする。とりとめのない日常の会話、暇を見つけて二人きりで話すことも多くなって、周りもいちいち目にとめなくなってきた。たまにからかわれる程度だ。
「そういえばね、こういうふうに晴れてるのに雪が降ってるの、風花かもってエアーが」
「エアーが?」
「うん、さっき会ってね。暗い顔してたから無理矢理捕まえたら、そんなこと言ってた」
「そうか。でもきっと、風花ではないんじゃないかな」
 ほら、とカタンが森の奥を指す。ベリュのある方向だ。
「あっちの空は暗いから、たぶんあっちで雪が降ってて、それが風に乗ってきてるんだろう」
「じゃあこっちももうすぐ本降りになるね。積もるのかな」
「かもな。ここはそんなに積もる土地じゃないはずだから、足を取られるほどにはならないだろうけれど」
「地上隊の皆は大変ね」
 ぱたとサリアがカタンに寄り添った。頭をカタンの胸に当てて、少し力を込めてカタンの手を握る。
「……どうしたんだ?」
「……ううん。ただね、カタンが好きだなあって」
 答えた、サリアの声は浮かない。
「何があってもカタンと一緒にいたいって思う。傍にカタンがいれば、それだけで充分って思っちゃうときだってあって……それじゃ、だめなんだけどね」
 カタンは小さな声で相槌をうって先を促す。サリアは少しだけ、下を向いた。
「それじゃだめだって思うから、一生懸命高等兵士として頑張ってるの。きっと他の皆も、他人と自分を天秤にかけて選択して生きてるのね」
「何があった?」
 囁くように小さな声でカタンが問う。問う声にサリアが顔を上げた。カタンの手を握る手に力がこもる。
「こんな戦い方、皆悲しむ」
 大きくはなかったけれど、強い言葉。
「天騎士は沢山帰れるかもしれないけど、地上隊の皆は苦戦を強いられることぐらいわかってたでしょう? なのにどうして地上隊の皆の声は全部消すの? 傭兵隊のことだって、最後まで二人とも知らなかった」
「でもサリア、この戦いを世界が見てる。俺たちの戦いで、ウィアズ王国軍の評価が変わるんだ」
「わかってるっ! でもいいじゃない、嫌な人には文句言わせておいて。大切なのは大切な人じゃないの? 仲間じゃないの?」
「それは――」
「カタン! あなたはそれでいいの?」
 すぐ近くで真直ぐに見つめられて、カタンは言葉を失った。サリアの瞳に映る自分が確かに、迷っているのが見えた。
「仲間が、大切じゃないの?」
「大切だ……大切だから」
 天秤にかけて。
 こっちの仲間とあっちの仲間。あっちの仲間にいろんなものも積まれて、天秤は簡単に動く。
「大切だから、俺はこのままいく」
 天秤の上には仲間だけじゃない。
 国とか、名誉とか、未来とか、目的とか、他の誰かの命だとか。
 色んなものが乗っていて、一つ動かすのだって手が震えそうだ。一つ動かしただけで運命が変わる。天秤が、動く。
「それで……いいの?」
 かすれるようなサリアの問い。
 答えたらきっとサリアは悲しむだろうとカタンには分かっていた。けれど迷う自分を認められない。迷わない自分、それがサリアと共に居られた自分。手放したくないもの。
「いいんだ」
「そう……」
 ゆっくりと、サリアがカタンの手を放す。ゆっくりと惜しむようにカタンから少し離れて、サリアはカタンから目を逸らした。
「もう、取り消すつもりも、ないんだ。きっと皆、分かってくれるのに」
「サリア?」
「私たち高等兵士は絶対に言わない。けど中等兵士たちは分からないから? 自分のやることに反対する人間の麾下はもっと? そんなの言い訳じゃない。私たちだって元は中等兵士だった。それぞれに考えを持ってるんだから、対立して当然じゃない!」
「サリアっ」
 サリアの言葉を止めようとカタンがサリアに手を伸ばした瞬間、サリアがその大声で。
「来ないで!」
 拒絶の言葉。言ったサリアが誰より苦しそうな顔をしたけれど、カタンも行動も息も止めた。
 サリアは顔を歪めて、少し唇を噛んで目を一瞬だけカタンから逸らす。逸らしたけれど元々の意地の強さで、カタンをもう一度見つめる。
「あなたが裏切らないことは皆よく知ってる。そんなことってきっと笑ってくれる! なのに……なのにどうして」
 本当に悲しそうに。息がつまりそうになって、カタンも意地でサリアを見つめた。
「サリアは誰にだって優しすぎる。人を信じすぎるんじゃないのか?」
 そんなことを言いたいわけじゃないのに、口は勝手に動いて。
 サリアが、視線を交えたまま睨んで。
「カタンはいつだって迷い過ぎるのよ。迷いなく皆のこと受け入れてるふりして、本当のところ受け入れてからだって迷ってる。失礼じゃない」
「君は迷わな過ぎる。もう少し考えてあるべきだ」
 本当は喧嘩したいわけじゃないのに。
 二人に流れた沈黙に、耐えかねたのはサリアだった。
 ただ交わしていた視線を逸らして、カタンに横面を見せた。
「カタンの……馬鹿ったれっ」
 呟くように毒づいて、踵を返す。二人の怒鳴り声に唖然となっていた天騎士たちの間を抜けて、テントの間を、明かりの間を、走って消えていくサリアの背中。
 本当は愛しくてたまらないその背中が完全に消えるまで見つめて、カタンは大きな嘆息を漏らした。
 寒いな、と思った。サリアのぬくもりが消えて、胸が。
「あぁ……本当に、雪が」
 空を見上げてカタンは呟く。
 手を伸ばして雪を捕まえれば、手の平で雪はすぐに溶けて透明な水になる。けれどすぐに他の雪が乗って、消えて、乗って、消えて――。
 迫りくる雲に今日出たばかりの赤紫色の淡い月が、まるで暗闇に溶けるように消えた。
  
Back←// Utautai //→Next 
inserted by FC2 system