30.悪夢からの目覚め

 

 それは十二番目の月が昇って少しした頃だった。
 旅行者たちが「空に近い場所で十二番目の月が見たい」と言うので、あまり勧めはしなかったが夕方頃に山頂につくようにとイリス山を登る。
 なんでも、十二番目の月は天魔の獣たちの月なのだそうだ。
 十二番目の月は淡い赤紫色の月。
 俺たちはこの月が好きだった。
 俺たちの瞳の色は珍しい。十二番目の月の色によく似ているから、誕生月でもないのによく二人で俺たちの月なんだと笑い合った。
 いつものようにエーオが先頭を歩き、俺が最後尾を歩く。
 地震が起きたのは、ちょうど中腹の辺りだった。
 当時山道はさほど整備されていなかった。地震が起きると俺たちは立ち止まって、周りを注意することにしていた。岩石が集まってできたような山道だ、いつ崩れてきてもおかしくなかったから。
 運がなかったのだ。
 本当に、それも人にめがけて落ちてくることなどまずないのに、岩が頭上から崩れてきた。最初はぱらぱらと、だがすぐに大きなものが。旅行者たちに向けて降ってきた。
 俺は、動けなかった。俺が動く前より先に、エーオが動いていたから。
 どうか、戻れるのならば。
 その時先に、俺が動ければ。
 血だらけの仲間を前に、旅行者が罵倒する、あの声を聞かずに済んだ。大切な存在を失わずに済んだ。
「赤紫の瞳を持つ人間がいるから天魔の獣たちがお怒りになった」
 本当に、許されるなら。
 あの罵倒を聞かせた人間の、その愚かさを山の神が許してくれるように。
 天魔の獣たちのことなど、俺は知らない。
 俺が許しを請うのは、この山に。
 そのためになら、何日でも祈ろう。願おう。




『お前のような人間の願いが叶うと、本当に思っている?
 なんて愚かなやつだ!』



■□


「……っ」
 唐突に入り込んだ眩しさに目を閉じた。けれどもう一度眠りたいとは思えずに、エアーはゆっくりと目を開ける。
 心臓がうるさいほど鳴っている。嫌な夢を、みたから、だろう。
「……?」
 目を開けてはっきりと視界を確認して、エアーは訝った。ここはどこだろう。
 丸太が見える木製の天井。ゆっくりと視線を動かすと、青白いカーテンで空間が仕切られているのが見えた。カーテンの外から、カコンと音が聞こえる。静かな空間に妙に響く小さな音。
 訝って体を起こそうとして、息をのんだ。
「いっ、」
 半分だけ体を起こした状態で足を動かそうとして、動かなかった。そも、起きようと腹に力を入れた時点で激痛が走ったのだけれど。
「ったあ……」
 なんとか上半身だけ起こして、がっくりと力を抜いた。動かない足は毛布に覆われていて様子が見えない。
(俺、もしかして医士んところに運ばれた? それしかこの状況、思いつかないんだけど)
 じわじわと状況を理解しようと思考が始まる。
(そもそも、なんでそんな状況なったんだ?)
 思い出そうと、思考が進む寸前である。
 シャッと勢いよくカーテンが無遠慮に開いた。音に驚いてエアーが振り向いた先にいたのは小柄な女性。片手にマグカップを持っていて、表情はニコリともしていない。
「ふん、起きたか」
 口調にも愛想の一つもない。
 やはり無遠慮にエアーに近づくとやはり遠慮する様子もなく、毛布を勢いよくはがす――片手で。
「な、なにっ」
「口が聞けるほどには元気らしいね。ガキは本当に体力が盛んで羨ましいこと」
「なんなんだよっ」
「口のきき方も知らなしのかね、くそガキが」
 言うと、小柄な女が添え木がしてあったエアーの足を親指で押した。
「い……っ」
「ほら、治ってない。大人しく横になっときな」
「そういう確認の仕方ありかよっ!」
「やかましいね。叫ばなくとも聞こえるさ」
 だいたい、とさらに無遠慮に近づいて、小柄な女。エアーは足が動かないため、すぐには逃げられない。女の顔を見つめながら、少しばかり涙眼だ。
「こっちが、開くだろう」
 ちなみに全部同じ手。片手はマグカップを握ったまま。開いている方の手でエアーの腹を軽く押した。
「――っ!」
「軽く熱があるね。薬を換えよう」
「お……おねがいだかっ」
「ん、どうかしたのかね」
「手……離して……っくだ、さいっ」
「そこまで痛いもんじゃないだろう」
 いいや、痛い。
 なぜかは知らないけれど、かなり痛い。
 少ししてから女の手が離れた。痛みが遠ざかってエアーは大きく息を吐く。
 なぜだか知らないけれど、無償に疲れた。
 ぐったりとしたエアーの様子を眺めて、満足そうに女が微かに笑う。マグカップを口元に持っていくと、一口、中身を飲み込む。
「大人しく寝とくんだね。お前の連れもまだ眠ってる」
「連れ……? クレハ?」
「そう」
 言うとくるりと踵を返す。
 エアーは大きく息を吐き出すと、ぱたりと背後に倒れた。
 本当に、今すぐ眠ってしまいたいほど何故か疲れた。でも、まだ、眠りたくない。また悪夢を見そうな気がする。
 エアーはふうと大きく息を吐くと、なんとなしに両手を天井に伸ばした。体がきしむように音をたてた。どうやら結構な時間を横になっていたらしい。腕を動かすだけでも血のめぐりを感じる。
 それにしても、とエアーは思う。
 たしかに自分は怪我をしやすいけれど、こんなに痣なんてものがあっただろうかと。
(どうして、だっけ?)
 女の登場で忘れていた事柄を思い出してみる。もう一度思い出そうと思考に走ると、すぐに思い出した。
「あ!」
(崖から落ちたんだ! んでとっさに崖に剣刺して、でも上から……)
 さらに岩が落ちてきて諸共に崖下に落ちた。
 エアーは両手を動かしてみて、またはあと大きく息をついた。
(助かったんだ)
 生きてる、と実感すると安心して力が抜けた。ベッドに沈むように力を抜いて、それから眼を閉じる。
(お礼、言わなきゃ……)
 目を閉じればすぐに暗闇が。
 エアーはほんの少しの思考の後に、すぐに眠りに落ちた。
  
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