18.『ニック・アステリー』

   疑いを受けたことを知ったカランが新しい上司に対しての言い分は「自分はマウェート生まれではない」ということだった。
 ならば何処なのかと問われて、カランは少し躊躇したのち「ウィアズ」と答えた。新しい上司は眉を少し動かしはしたが、追求はできなかった。ウィアズからの亡命者は少なくない。ウィアズ王国民はどこにだって引っ越す、たとえ敵国でも。それがウィアズ王国の風習だった。
 周りの新兵たちも、一度は戸惑いはしたが、すぐにカランを受け入れた。ものの一日でカランは再び新兵たちの輪の中に戻ったのである。
 隠れるのなら人の中。
 カランはとりあえずの隠れ場所を決めた。


 十一番目の月、三〇日目。
 マウェート王国ではすべての人々が休日となる月末に、ブランク・ウィザンの処刑が行われることになった。
 ブランクはウイズ族の族長の息子。故に公開処刑となる。所詮ウィアズ王国と、国民に宣言するために。
「お前の居心地ももっと悪くなるかもだけだけどさ、俺たちがいるから安心しろ」
 ニックが“クリス”にそう言ったのは、二九日目。弓士仲間で“クリス”を囲みながら言った。夜のことである。
 三〇日目の朝、お祈りが終わるころには、“クリス”の姿はなかった。

 雪がちらつく天気だった。空には雲が。見上げれば印象は白。
 ――否、見上げただけの印象ではない。
 マウェート王国の国色は白だ。雪の白。純粋な白。故に好んで着る、白い服。
 人ごみの中を中央に向かって歩きながら、カランは処刑台の上を見つめていた。
 まだ誰もいない。けれど今日、予定ではあの場所にブランク・ウィザンが吊るされる。首をくくられてぶら下げられるのだ。
 処刑を止めるぐらいなら造作はないな、と思った。紐の太さを見れば、射抜けば体重を支えきれないだろうことが分かった。
 確かに嫌いだけれど、とカランは思う。処刑台の傍、高い場所を見上げて。
(利用させてもらう。たぶん、利用したのはあっちも一緒だ)
 ただの変人ではない、とブランクに対して思うけれど、確信はない。まるで事態が明るみに出るのを隠してくれたようなタイミングで、ブランクはカランの前に現れた。
 ブランクはカランの正体を知っているか、感じ取っている。その上で助けてくれた――のだと思う。ブランクに初めて会った時は印象が印象だったから気が付かなかったけれど、二回目にして今までの最後、見た顔には何故か不思議と躓きを感じるのだ。
 故に調べたブランクの履歴は、十年前に亡命してきたことで始まる。ウィアズとは直接かかわらない戦線に送り込まれる、今のカランと同じ総統指揮官の下の配属だった。実力はマウェートで指折り、特攻隊所属。
 だからこそ、利用させてもらうのだ。
 生き残るのか、生き残らないか。それはお互いの実力次第。今日、マウェートでの終わりを始まらせる。
 カランはふうと息を吐いて、何気なく空を見上げた。雪が降ってきている。雪が徐々に大粒になりつつある曇天を見上げ、少しだけ目を細める。辺りには野次馬が集まっていた。
「クリスッ! クリス、こんなところにいたのかよ」
 どた、ばた、と走り寄る音と声を聞いてカランはゆっくりと振り返った。中肉中背の金色の髪を持つ男。同じ表現ができる人間はおそらく、マウェートになら人ごみに石を投げれば当たるほどに見つかる。
 その中の一人と、ただ関わっただけだ、とカランは思う。
「朝から見当たらないからさ、どこにいったのかと思ったよ」
 カランの目の前で立ち止まって、ニック・アステリーは膝に手をついて大きく呼吸をする。吐く息は白く、外は寒いというのに汗までかいている。一週間に近い間訓練してきたというのに、体力なんてものが付いた様子もないし、毎日「筋肉痛がっ」と叫ぶ。カラン以外の周りの人間すら呆れさせるほど、運動能力のないこの男を。
 カランは心を置き去りにした気分で見つめた。
「やっぱ気になるのか? お祈りの時間より前に出てきちまうぐらいにさ」
 ニックはカランの横に並んで処刑台を見上げた。処刑台の上に続く階段にも、うっすらと雪が積もり始めていた。
「あの人、悪い人じゃ、なかったのかな。お前が気にするぐらいだからさ」
「悪い人って、」
 カランは溜めかねた息を一気に吐き出す。
「なんなんだろうな」
「ん?」
「悪い、って一体何だ?」
 カランは振り返った体の向きを正し、ニックと同じく処刑台を見上げた。
「あの人は、人を殺したから殺されるだろ」
「……まぁ、うん。そう、だな」
 ニックはカランの顔を見た。――否、“クリス”と信じている仲間の顔を。
「その人を殺すのは? 悪く、ないのか?」
「おい」
 ニックはカランの顔を凝視した。
 そんなことを言ってはいけないのだ、と。たとえ“クリス”がウィアズで生まれたのだとしても、マウェートで天魔の獣たちの教えは絶対だ。マウェートにいる限りは、従わなければならないのだ。ただ、真白く純粋に。
「仲間を殺すことは許せない。確かにそうだ、けど」
 カランは視線を落とした。
「俺たちは、他の人が仲間だと思っている敵を殺す。仲間を殺した人間を、敵の括りに追いやって殺す。それは人の認識次第だろ。あやふや過ぎる境界線だ」
 ニックはカランの姿に息を呑んだ。何かを胸に確かに抱いた、意志ある心に。
「だったら」
 一度、瞬きしてから、カランはニックを横目で見やった。
「自分が確かだと確信することだけが、自分にとっては確かな境界線だ。だろ、ニック」
「………っ」
「お前も、もういいと思うけど?」
 呟くような声量で告げて、カランはニックに背中を向けて歩きだす。
 ニックはカランの背中を見つめて、「何が」と震える小さな声で問う。
「何が、もう、いいんだよ、クリス……っ」
 見透かされた気分でニックは叫ぶ。ほとんど声にならない声で。
「何が……っ」
 カランは立ち止まることなく、一定の歩調で人ごみの中に消えた。
 ニックは人ごみの中に立ち尽くし、唇を噛んだ。
  
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