113.道化の始まり

   最近のエアーにしては珍しく、口から大きなため息がでてきた。言いたいことたっぷりのため息を聞いて、隣に並ぶ男がへらへら笑う。
「まぁた、大きなため息っすねぇ」
 茶化されたエアーは答えない。答えないが、隣に並んでいる男――ピーク・レーグンはエアーの言いたいことをよく理解していた。そして理解していれば言わなくてもいいのに言うのがピークである。
「どうせ『なんでこいつとまた出張なんだ』ぐらいに思ってるんじゃないっすか?」
 エアーは横目でピークを睨んで、「ですね」と低い声で肯定した。
「いやー、でもまぁ、エアーが、あそこまでクォンカに弱いとは知らなかったっすねぇ」
 へらへらとエアーには癇に障る笑顔でピーク。エアーは進行方向に目線を戻したけれど、顔にはまるっきり不機嫌が描かれている。
「俺が言ったときは文句ありげな顔しといて、クォンカの一言で行くっつーのはまぁ」
 意味ありげなピークのにやり顔。
「これからも使われそうっすねぇ、エアー」
「うるさい」
 答えてエアーは馬の上でうなだれた。横でピークがおかしそうに笑っている。
 もう一度大きくため息をついてから、エアー。目線はピークに送らない。
「……タメ口でも構いませんか」
「どうぞ、どっちでも慣れてるんで」
 へらっとピークが。答えたピークを無意識に見たエアーはまた一つ、今度は胸中で嘆息した。一応先輩で年上なので丁寧な対応を心がけてはいたのだが、どうも続かない。最近頭によぎるのは、ファルカでピークの副官や隊員が言っていた『はた迷惑な魔道士隊長』という言葉。適格な表現だと思う。
「じゃあピーク」
「あ、いきなりそこもっすか」
「構いませんか?」
「まぁ、構わないっすけど」
「ですか」
 ちっ、とエアーが音に出して舌打ちした。軽くぬかるむ平坦な道をピーク他数名と馬で歩きながら、それでもまだいいか、とエアーは思った。
 カタン・ガータージのように困れば肩書を前面に出して対処されたり、外聞を考えろなどと言われたりしないだけましだ、と。実を言えば、この出張で長期不在について、カタンにくぎを刺されている。本当の目的を伝えず休暇として申請したにも関わらず、前回のように暴走しないように、と。
 良い面など肯定されなかった、悪い面だけ非難された。
 賊の討伐も、抑制も、必要なことなのに。
「それにしても」
 ピークは先ほどからずっとへらへらと笑っている。このへらへらと笑う顔、癇に障るもの以外の何物でもない。自覚もあるだろうが、ピークは止めないのか止められないのか、ほぼその顔だ。
「自分でやっといてなんですが、エアーの金髪碧眼は、見慣れないっつーか、別人っすね」
 顔は変えてないはずなんですが、とピーク。
「それは俺だからだろう」
 エアーを見たとき、まず印象に残るのが珍しい赤紫の目だからという理由だろうが、城下町を出る時点で顔見知りにもばれていない。普段着ないベージュのフード付きローブを着させられて、特徴的な形の愛剣は荷物の中に隠れており、城下町で売られていた汎用の剣を腰に下げている。特徴をそげ落としただけでばれないものだ。
 一方ピークはいつも着ている赤紫のローブではない。着崩したワイシャツにジーンズ。深い緑色の使いこまれたトレンチコート。使えないくせに短剣を腰に挿していて、顔は青紫の目を濃い青に変えただけ。
 にも関わらず、ピークもばれなかった。
 ピークが不真面目の塊と称されているのは、高等兵士の中でもかなり休暇を取るほうだということにも起因するのだが、その休暇のほとんどが諜報活動だったとすれば納得がいく。慣れ過ぎなのだ。
「前線基地」
 ぬかるみをゆっくりと馬が歩く。エアーは先頭をピークと馬調を合わせていて、後ろには馬車が何台も続いている。二人がいるのは先頭でも少し離れた先頭だ。周りには数名のみ。
 二人の前――川を越えた先に、小さく簡易防衛基地が見えてきた。先日マウェートに攻め入ってウィアズが占拠した場所だ。そこから先、進めばいいものを、ウィアズはなぜか進まずにいる。進まず、大隊の交代を始めているのだ。
 エアーはふとしてピークに目線を送った。表情はない。
「前線が進まないのは、お前のせいか」
「はあ、なんでそこで俺のせい」
「あれ」
 顔を少しだけ挙げて、エアー。視線の先をたどるピークは眉を顰めた。
「なんすか?」
 エアーがまたちっと舌打ちした。見えないのかと。
 エアーは馬面を返し、後列へと大声で。
「全員止まれ!」
 訝った、ピークは一瞬。直後に理解した。
 微かな音が聞こえたかと思えば直後、悲鳴のような金切り声をあげて翼の生えた何かがエアーめがけて飛んできたのだ。
 どこから飛んできたのか、時間は少しあった。あったが故に慣れない剣でも間に合ったのだ。
 抜いたその太刀が、エアーの喉めがけてとがった口を開けていた“それ”の脳天にぶち当たる。いなす形で受け流され、“それ”は地面に叩きつけられたが、相当な衝撃だったのだろう。地面に叩きつけられた“それ”がドスンと音を立て、エアーが乗っていた馬が数歩よろよろとよろめいた。
 叩きつけられた“それ”は、ワニの口犬の顔と胴体、蛇のしっぽと鳥の翼を付けた“化け物”。頭に割れ目ができてさらに生き物の形としては歪。ぴくぴくと動いて、すぐに動かなくなった。
 エアーは不機嫌な顔にさらに皺を寄せて不快を表す。
「ここまで酷いとは聞いてない」
「俺もここまで酷いとは思わなかったっすよ」
 へらっと笑ってピーク。指をぱちんと鳴らすと簡易基地があるはずの方向を指さした。
「ま、詳しいことはホンティアたちに聞きましょう。で、そろそろ」
「あぁ」
 答えたエアーは不服そう。
「行くぞ、ライ」
「はいはい、みなさんも行きましょう」
 後方に大きく手を振り移動の指示を出してピーク。
「で、レス。それ持ってきてくれます?」
 それ、と指さされたのは先ほど死んだ“化け物”だ。レスと呼ばれたエアーは肩を竦めると、返事もせずに従った。
  
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