114.先陣に教えを請う

   簡易前線基地、二人が到着して最初に出会ったのはオリエック・ネオンだった。クォンカが王城に戻っているので、副官のオリエックは基地で半数の剣士隊を統率している。なので一人で見張りにいるはずのない人物だった。
 オリエックの顔を見たピークの顔が、一瞬だけ引きつった。だがすぐ笑顔を作る。いつものへらへらした笑顔ではない、社交的な作り笑い。
「こんにちは。ウィアズ王国軍の方でお間違いないですね?」
 出した声は別人だ。エアーはピークを見やって口を堅く閉じた。おそらくピークは“レス”の方の声を変えるのは忘れているはずだ。そもそも演技ができるとも思っていないエアーは、この演技に慣れ過ぎた“はた迷惑な魔道士隊長”にすべて任せることにした。
「えぇ」
 ピークも多少胡散臭かったが、答えたオリエックの笑みと口調はかなり白々しかった。
「ここはウィアズ王国が占領しております。どのような要件ですか?」
 白々しく剣に手を置いてオリエック。エアーがひょいと馬から降りると、ピークが「あぁ!」と、わざとらしく声を上げて、あわただしく馬から降りる。
「馬上から失礼しました。後ろの方々は補給部隊らしいのですが、先んじて商売にまいりました、しがない商人です」
「そうですか」
「ええ、薬草や茶葉を中心に。もちろんこちらでも取り扱わせていただきたいので、補給部隊の方々にお願いして早々に」
「あはは、ふてぶてしい方ですね」
「商人たるもの、多少はふてぶてしくありませんと」
 笑いあう二人を横からみて、エアーは思った。
 帰りたい、と心底。
「では補給部隊の迎い入れは手配しましょう。どうぞ先へ。あなたは――」
「あぁ、こちらは護衛のレス。私はライと申します」
 こちらと呼ばれたエアーは、オリエックに向けて本心で会釈した。オリエックは小さく頷いて、きょろっと白々しく周りを見る。
「お二人だけですか? あとは補給部隊で間違いありませんか?」
「えぇえぇ。我々それほど大きな荷物を扱うわけじゃあありませんので」
「そうですか。ではお二人は案内するので、こちらへどうぞ」
「はい。どちらへ?」
「まずは高等兵士の方々に許可を取っていただきます」
 オリエックが満面に浮かべた白々しい笑み。絶対に二人の正体など見抜いているのだろう、白々しさには軽蔑が混ざる。――気もするがわからない。オリエックの表情は読めない。
 はあ、とピークが少しため息をついた。オリエックが背中を向けて歩き出して、補給部隊からも離れたのを見計らって少しだけ。横に並んだエアーが見やれば、“ライ”の顔のまま首筋を指先でかいた。
「……機嫌悪そうだ」
 ぼそっと一言。本心でしていそうな苦笑で、ピークが。エアーが訝る隙もなく、少し前のオリエックが不意に振り返った。
「あぁ、そうそう。アンクトック高等兵士の機嫌が悪いので気を付けてくださいね」
 オリエックの白々しい笑み。
「はい」と答えたピークは苦笑のままだ。本心で苦笑するほどに、ピークはアンクトックに頭が上がらない。――アンクトックに、というより三練士の三人にだ。ナーロウとは性格が合わないしロウガラにはなぜか軽蔑されている。唯一軽く話せるのはアンクトックではあるが、アンクトックが本気で怒り出したら煩い上に、クォンカの饒舌か、親友のナーロウ、ロウガラがいなければどうにもならない。――現在、三人ともいないのである。
「レス、アンクトックさんがキレたら合図を送る、俺をつれて逃げるぞ」
 エアーは無言で頷いた。余計なことには首を突っ込みたくない。最後の文法が気になりはしたが、特に理由もなく、そうなんだろうと納得することにした。
 ちなみに今基地にいる高等兵士は四名。第二大隊の二番隊弓士ホンティア・ジャイム、四番隊騎士アンクトック・ダレム、五番隊竜騎士レイゲルト・シルベーロ、一番隊の副官魔道士トア・サー。総指揮はホンティアが執っている。 
 前線の基地であるにも関わらず雰囲気は緩く、休んでいる隊員も多い。見知らぬ二人を引率するオリエックに興味を示す人間すらほとんどいない。あるいは、ある程度見たことのある二人に似ていたから認識が素通りになっているのかもしれない。
 オリエックが引率して、ほぼ中心にあるテントに二人は連れられた。会議テントだ。
「どうぞ。こちらに高等兵士さまたちをお呼びするのでお待ちください?」
 開けもせず、オリエック。白々しい笑み。
 ピークもわざとらしくちょこっと頭を下げる。
「はあ、ありがとうございます。ご足労をおかけしまして」
「いえ。暇ですから」
「またまた」
 あはは、とまた二人で笑い合うのにエアーは目を逸らした。
 逸らしてテントを見やって、不意に――本当に不意に嫌な予感がした。
 オリエックが離れるとピークが無造作にテントに入ろうとするので、エアーは肩を掴んでピークを止めた。
「俺が先に行く」
 と小さな声で。やはり声は変えられていない。ピークを追い越してテントの入口の布に手をかけて、同時に剣にも手をかけた。――愛剣を使いたい、とエアーは心底に思う。慣れない感触、慣れない部位、重さ。無性にある嫌な予感すら、愛剣に触れば少しは楽になるのに、と。
 テントの入口をゆっくりと開け、中に入って閉じる。テントの中は暗闇だった。妙だなと思う隙すらなく、横から鋭く気配が押し寄せる。――振り下ろされる剣の音だ。
 認識するが早いか、エアーは即座に地面を蹴った。踊るように回転しながら前に進み剣を振るい、相手の寸前で止めた。
「あら」
 ――聞き覚えのある、
「見えもせずによく止めたわね、名乗りなさい」
 圧倒的不利の状況で、高飛車に告げる声。
(このせいか……)
 できるなら思いっきりため息をつきたい。つきたいけれどそんな余裕を相手がくれはしない。――ついたら怖そうだ。
「おい」
 短く声を掛ければ、後から入ってきたピークが無言で指を鳴らした。ピークが指を鳴らすとテントの中はいっきに明るくなる。
 明るくなってお互いの姿が確認できると、エアーは改めて剣をひいた。
「どういうことだ、ピーク」
 不機嫌な声でエアー。剣をすとんと鞘に落とした。
 エアーが剣を向けていた相手は「あらまあ」と大げさに、自分も剣を鞘に戻す。二番隊隊長ホンティア・ジャイムだ。
「その声エアーじゃない! ピークもご苦労さまね!」
「あぁ、ホンティア。簡単に見破らないでほしいんすけど」
 さっきまでエアーを殺す勢いで剣を振るってきたはずのホンティアはにっこりと、人差し指をえくぼに当てて笑う。
「私に勝てるやつが、そうそういたら困るもの?」
「しかも闇討ちっすからねー」
「そうそう。エアーにも負けちゃうとは思ってなかったんだけどねー」
 闇討ちされた相手を放置し楽しそうに笑う二人を見て、エアーは耐えかねたため息をついた。――王城を出発してから何度目だろう。
「どういうことですか、ホンティアさん」
「どういうことって?」
「どうして襲われました」
「あら、それね」
 ぽんぽん、と両手を叩いてホンティア。合わせた手を片頬に当てて、にっこりと。
「最近テントに来る奴がみーんな、いわゆる暗殺者ってやつでね。だんだん確認するの面倒になってきちゃって」
 謝る気ゼロ。悪気ゼロ。ホンティアのかわいこぶった笑顔を見ながらピークがいつもの調子でへらへら笑う。パチンと指を鳴らして「なるほど」と。
「それでオリエックがここに普通の人間入るの拒んでるって感じっすね!」
「そ、みたい。入る人間入る人間、みんな死体になったら困るでしょう?」
 明るい声で冗談にならない内容をさらっと、ホンティア。
「さしずめ、ホンティアに戒めを送るつもりで俺たちがここに連れてこられたってわけっすね。ホント中等兵士にしとくの勿体ないっすよねぇ、オリエック」
「ホントよねー。オリエックもどうかしてるわ」
 妙に楽しそうな二人を横目に、エアーは背負っていた袋を地面に置いた。妙に柔らかい。先ほどの動きの最中も固形の動きをしていなかった。中を見ようと、思ったその時だった。
 ブッ、という思い切り噴き出した笑い声に意識が奪われた。
「だーーっはっはっは! お前らなんて恰好だ!」
 テントの入口がきちんとしまってから思いっきり笑ったのは第二大隊四番隊隊長騎士アンクトック・ダレム。三練士と呼ばれる一人だ。意味は『三人の熟練の士』という意味で、そのままの通り三人は兵士たちが一般的に退役する歳をゆうに超えている。ウィアズ王国軍の退役の平均年齢が低いのもそうだろうが、五十四以上という歳は戦線の最前列で戦うにはまさにギリギリな年齢だと言われていた。
「特にそのエアーの……」
 くっ、とまた腹を抱えて笑い始める。アンクトックの横に並ぶのは半笑いの第二大隊五番隊長竜騎士レイゲルト・シルベーロ。その後ろに第一大隊一番隊の副官魔道士トア・サーと三番隊の副官剣士オリエック・ネオンだ。
 指名をされたエアーはちょっと肩をすくめ、不機嫌そうな顔。髪や目の色が変わって別人のようでも変わらない表情。
「褒め言葉ならピーク・レーグンに」
 エアーの解答に苦笑したのはトア・サーだった。
「やっぱりピークさんでしたか。アタラさんがいないからって自由にし過ぎでは?」
「そのアタラがいるのに出てこれた俺の努力は否定しないでほしいっすね」
「で? ピークにエアー」
 いつの間にか笑い終わったアンクトックが姿勢を正し、腕を組んだ。
「第一大隊のお前らが何の用だ。どこかに向かうにしろ、わざわざここに立ち寄るということは、何か報告でもあるんだろう?」
 機嫌が悪い、と確かに傍目にわかるほどアンクトックは機嫌が悪かった。
「やーアンクトックさん、俺もここまで全員集められると思ってなかったんで、大した答えは持ってないんですが」
 いつもより若干余裕のない口調でピーク。
「これ。道中に拾ってきたもんなんすけど」
 と指さされたのは先ほどエアーが降ろした袋だ。中身は道中に倒した“化け物”。
「“これ”?」
 エアーが無造作に中を開けると――あったのはゼリー状の半固形物。色も形もすでに原型をとどめていない。透明な水色のゼリーが袋いっぱいに入っていた。
「これを、食えとでも?」
 腕を組んだまま眉を吊り上げてアンクトック。袋の中身を見たピークがぎょっとした。興味深げにトアが近寄ってきて、その隣になったエアーは眉を顰めている。
「いや、これはさすがに俺でも願い下げっす……けど、代わりに仮説を聞いてくださるっすかね?」
 アンクトックは短い嘲笑を吐き出し、踵を返した。なんだお前も知らないのか、と言外に込められた笑いだった。
「仮説ならいくらでもある。欲しいのは確信のある確説だ」
 不機嫌さを表す、低い声。出た声にアンクトックも自覚したのか、ちょっとだけ撥が悪そうに苦笑した。
「俺はお前らに付き合ってる暇なんぞない。お前らも余計な問題を増やさず、城に戻って隊の訓練やら式典の準備やらをしっかりしておくことだ」
 少しだけ声音に気を付けてアンクトックは全員に背中を向けた。その後一間空いたが、応えたのはエアーだった。
「俺は」
 言葉がゆっくりだったので、最初の一言でエアーに注目が集まった。注目が集まる中、変わらずの不機嫌とも取れる無表情でエアーは続ける。感情一つ込めない声で、アンクトックの背中に向かい。
「『確信』なんてもの、何ものにもないと思ってますが」
 ぴたり、と外へ向かうアンクトックの足が止まり、アンクトックは顔だけエアーに振り返った。アンクトックの顔は睨んでいたが、エアーは無表情でアンクトックを見据えたまま続ける。
「明日生きているという確信さえない」
 空気が一瞬にして凍った。アンクトックの顔が冷静なまま怒気を湛えたからだ。
「『確信』はな」
 いつもなら怒鳴っていただろう。誰にも止められないほど激しく。
 だがアンクトックはあくまで冷静な声音で、だが確かに怒っていた。
「信じるものだ。覚えておけよ、第一大隊の総司令補エアー・レクイズ。何よりも、明日生きているという確信を信じることが大切なんだとな」
「肝に銘じます」
「第一大隊に同情する」
 答えてアンクトックはすぐに、テントの入口から出た。
「あー」
「あら」
「………」
 ぱさり、と音を立ててテントの入口の布が閉まる。閉まるのを見送った三者が三様に反応を返したのに、最後の三人は閉まったテントの入口には反応しなかった。
 そのうちの一人、レイゲルトが眉をひそめる。体格のいい美丈夫で、深緑の髪を一つに編みこんでいる、美男子でもあった。
「おい、お前本当にエアー・レクイズか?」
 問われたエアーは無言でレイゲルトを見た。疑問ではない、言いたいことがあるのだろうことを察したが故、無言で。
「ワイズに聞いてたやつとずいぶん違うけど? お前誰だ?」
 腕を組んで顎を上げ、半眼で睨んでレイゲルト。エアーは表情一つ変えない。
「エアー・レクイズ」
 答えて、エアー。少し目を細めて不機嫌そうな表情になった。
「お前こそ誰だ」
「あぁあぁハジメマシテ、レイゲルト・シルベーロです」
 大仰にレイゲルトが肩をすくめた。
「面白味もねぇ変なやつ。俺も出ていいですか? 余計で不確かな情報は入れたくない」
「あー、まぁ、いんじゃないっすか? ねぇホンティア」
「あら、私に聞かないでくれる? 私だってピークの情報に期待してるんだから」
「あはは、お互いさまっすねぇ」
 へらへらと笑ってピークがパチンと一つ指を鳴らした。
「ってことで、レイゲルトはどうぞ。エアーは――」
「俺も外で待つ。ピーク、もう時間はない」
「あー、平気です、俺とお前だけなら平気ですって、待ちなさいって!」
 ピークの言葉を無視して、エアーはとっととテントから出た。まわりがくすくす笑うのに、ピークはわざとらしく肩を落としてみせる。
「もう少し適当でもいいと思うんすけどねぇ、エアーも」
「それをピークさんから言われても、実感は湧かないと思います」
 ね、と満面の笑みを浮かべてトア。大人しそうな雰囲気を持つ、セミロングの黒髪の女性。瞳は青紫だ。歳はアタラの一つ下だが、副官として隣に並ぶとまるで姉に見えてしまうほど、大人らしかった。
「“不真面目の塊”さん?」
 高等兵士アタラ・メイクルの副官でありながら同じく高等兵士。にっこりと笑いながら、アタラの代わりにさっくり釘を刺しておくのも副官の仕事と言わんばかり。
「さ、お早くあの“化け物”に関して、情報の交換を済ませてしまいましょう。これ、元“化け物”でしょう?」
「はいはい」と答えてわざとらしく苦笑しながら、前線基地は万全だろうとピークは思う。大隊の半分の人数だとはいえ、マウェートが攻めてきても簡単に負けはしないはずだ。だが、
「“化け物”輸入元がマウェートなのが一番怖いっすからねぇ」
 ぽりぽりと頭をかいてボヤいたピークの周りでホンティアとオリエックがそれぞれ頷く。――“未知”ほど、恐ろしいものはないのだと。
  
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