10.出会いの月夜

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 はらはらと空から大粒の雪が舞い降りてきている。見上げる顔の口からも白い煙が上り、そしてすぐに消えた。
 マウェート王国の式典は十一番目の月の二三日目。
 カラン・ヴァンダは白いローブに身を包み、マウェート王国の式典に参加していた。

■■

 アタラ・メイクルとカラン・ヴァンダが出会ったのは、十番目の月の中旬だった。
 真夜中、普段のカランならば絶対に起き出さない時間である。夢を見た気がして不意に目が覚めて、寝つける気もせずに中等兵士寮を抜け出した。
 中等兵士寮がある別棟から程近い中庭で、カランは手に持った弓矢を何気なく構える。
 矢を番えて、至極ゆっくりと暗闇に矢尻を向ける。
『ちなみにね、あなたは絶対に証言しちゃいけない』
『俺……俺、弱虫で……弱くて……本当……本当、すいません……っ』
 過去の、声。
 振り払うようにカランは矢を放った。空気を突き進む矢の音。どこかにぶつかった音。真夜中の中庭は酷く静かだった。
『頼んだ、カラン。頼んだ』
 過去の、声。失われた声。
 カランはかぶりを振った。矢筒から乱暴に矢を取り上げると、ふと、誰かの気配が近づいてきているのがわかった。
 敵意はない。
 カランは気配にゆっくりと振り返った。振り返ると唐突に光が目に入って目を閉じる。
「気にするな」
 高い声。
 目を細めて光の中にいる人物を見る。
 赤紫の髪――アタラ・メイクル。有名過ぎるほど有名なウィアズ王国史上最高の魔道士で最年少の高等兵士。カランが噂に聞いていたよりもさらに幼く見えた。ベンチに座って腿の上に分厚い本を置いている。光源は魔法だろう。宙に浮かんでいる。
「気にするな」
 繰り返して、アタラは本の上に手の平を置く。真白な肌。
「私のことだけじゃない」
 カランは訝って眉をあげた。
「あいつのことだ」
「あいつって? 誰のことを言ってるんです?」
 カランが初めて発した問い返し。アタラが目線をあげてカランを見た。気丈な瞳の中に、ふとして傷心したような表情が見えた。
「なら問う。お前は誰だ?」
「カラン・ヴァンダです」
「そう……」
 何故かアタラが肩を落としたのが見えた。カランは首を傾げた。
「あいつって、誰なんです? アタラさん」
「私にそう問い返した剣士のことだ」
「知りません」
「お前も知ってる剣士。わからないならわからないで別にいい。自分に向けて言った意味もあったみたいだから」
 言って再び本に目を落とす。
 カランはアタラの姿を見て、胸から息を吐いた。――カランが知っている剣士。
 おそらくチェオ・プロを殺したことになった剣士だ。チェオが諜報員であったという証拠はカランがデコラーヴェに託されて持っていた。けれどホンティアは受け取ったのちにカランに言った。
『あの子――あなたが助けた剣士ね、もしもあなたが会いたいと思ってもすぐには会えないわよ。もしかしたら二度と会えないかも』
 薄らと笑いながら、ホンティア。消えそうな笑顔。
『二年間、軍から追い出すことになったから』
 どうしてと思うカランにホンティアは答えた。カランの心中など分かり切っているかのように。
『言ったでしょう? それが私たちの罪。高等兵士たちの罪。恨まれて済むならそれで結構じゃない』
 ぐりぐりと乱暴にカランの頭を撫でて踵を返すホンティアの笑顔。すべてを押し隠した笑顔の中に、確かに何かがあった。言葉とは裏腹の、何か。
「アタラ高等兵士はご存じなんですか?」
 弓を下ろして、問う。アタラは目線をあげずに頷いた。
「高等兵士なら誰でも。……呼び捨てでいい」
「?」
「わざわざ階級まで言うのは大変でしょう? ティアにお前の話は聞いてる」
「ティアって?」
「ホンティア・ジャイム。お前の隊長でしょう? お寝坊癖のカラン?」
「うわ……それいつまで言われるんだろう。新年度なってから寝坊してないのに」
「飽きるまででしょ」
 答えてアタラが微かにくすりと笑ったのが聞こえた。意外に思えてアタラを見張る。
「……アタラ」
「……何?」
「いや、呼んで見ただけ。本当に普通に返事してくれるのか確認しようと思って」
 アタラが鼻で笑った。すぐに目線を本に戻す。カランはアタラを見て少しだけ――ほんの少しだけ淡く笑った。
「わかんないな、アタラさん」
 顔をあげたアタラの顔。少しだけ不機嫌そうな顔を見てカランは今度こそ笑った、出会いの月夜。

 諜報員クリス・アステリーが生まれることになったのは、実にその翌日のことだった。
  
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