11.出発の理由

   早朝隊長ホンティア・ジャイムに呼び出されて会議室に足を運んだカラン・ヴァンダは、会議室の中に入った途端、顔がひきつった。
 会議室の中には会いたくない顔が一つ、あまり会いたくないと思っていた顔が一つ。
 高等兵士が四人と中等兵士が一人。中等兵士はカランも知っている、クォンカの副官オリエック・ネオンだ。オリエックは出入口付近に椅子を置いて座っている、まるで門番のようだ。
「よし来たな。昨日でお前は俺から解放されたと思っているだろうが、まだ付き合ってもらうぞ」
 クォンカ・リーエ。
 早朝だというのに彼の饒舌は絶好調だ。
「ここで話した内容は、決して外に漏れることはない。それを承知の上で安心して聞け」
 クォンカ以外、誰も言葉を発しない。
 早朝だな、とカランは思った。
「はい」
 ほとんど聞き流す要領でカランが答える。座れと言われて座った椅子で脱力している。
「お前にはマウェートに諜報員として行ってもらう」
「はい」
「よし。この調子で最初から話すぞ」
 カランが聞き流している要領で返事したのを、クォンカは好機ととった。
 ホンティアが「早朝がいいわよ」と嬉々として言った故に今の時間なのだ。理由は「反抗できない状態だから」。事実今現在カランの頭はほとんど動いていないだろう。
 カタン・ガータージはカランの顔を見てくすくすと笑っている。だがカランは気がつこうとしていない。――カランはカタンを空から落とすと公言してはばからないほど、カタンが嫌いだった。幼少時の出会いに起因する、顔見知りではあった。
 カタンの表情を見ないようにしているおかげで、カランはクォンカの顔が微かに緩んだのを見逃した。オリエックに至っては顔に呆れたような色を映して、小さくあくびをすると、扉に向き直して目を閉じた。
「お前が何故選ばれたかまず教えてやろう。素人の自分がどうしてだと思っているだろうが、理由はある。一つ、お前はチェオ・プロの正体を知っている」
「……チェオ?」
 カランが眉をあげた。
「そうだ、チェオ・プロという人物の正体をお前は知っている。チェオの死は、ウィアズ王国にまだ諜報員がいるという証拠になった。二つ、知っていて何もしないでいたことだ。本来なら処分するか報告しなければならなかったことを、お前はしなかった。それは罪に値する」
「ちょ、ちょっとま――」
「カラン」
 抗議しようと声をあげたカランに、ホンティアがにっこりと笑って口元に人差し指をあてた。――黙れ、と最上級の命令である。こんなにもかわいらしい仕草をする時のホンティアほどカランにとって恐ろしいものはない。自然と言葉が止まった。
「三つ、――」
 クォンカが饒舌な口で次々理由を並べていく。カランはようやく覚めてきた脳でクォンカの言葉を処理していたけれど、途中ではっきりとわかったことがある。
 順応性が高いからだとか、寝坊した罰だとか、髪が金色だからだとか――理由はどうでもいいのだということだ。
 結局は自分を諜報員として送り込みたいだけ、にもかかわらず、クォンカの口上は続く。
 カランの気は、長くない。
 それどころか短いのである。
 カランは唐突に立ち上がると、ちょっとやそっとでは黙りそうにないクォンカの口を止めるべく、座っていた椅子を蹴飛ばした。ほぼ中央に座らせられていたはずにも関わらず、椅子は壁にぶつかって盛大な音を立てた。
 クォンカの饒舌な口が止まった。
「俺行きますから!」
 怒鳴りに似た声。クォンカがカランの顔を見て、必死で笑いを堪えている。カタンは実に楽しそうにニコニコと笑っていて、ホンティアはわざとらしく驚いている。――楽しそうだけれど。
 高等兵士の最後の一人アタラは迷惑そうに椅子を見やると、再び本に目を落とした。
 一番迷惑そうだったのは半分は眠っていたオリエックだったが、オリエックはカランが蹴飛ばした椅子をカランの元まで戻すと、すぐに元の場所に戻った。
 クォンカはカランを宥めるように椅子に座らせると、「よし」と告げた。
「じゃあ次に進むか」
「その前にクォンカさん。他の人に任せた方がいいんじゃないですか?」
 オリエックが白々しくにっこりと笑う。クォンカがオリエックを見やれば、オリエックは少しだけ肩を竦めて見せた。
「確かにクォンカさんの説明は解り易いですが、またキレられそうですし」
「いや、それは俺が面白いからいい」
 平生とクォンカ。ホンティアが「私も」と嬉々として手をあげる。オリエックは二人を見やって、至極短く息を吐いた。――二人の反応などわかっていたことなのだ。カラン・ヴァンダに多少同情する。時期が大きくずれていたら、もしかしたらカランの立場にいたのは自分かもしれない。
 カランはひときわ大きく息を吐きだした。
「早く終わらせましょうよ」
 ちなみに上った血が冷めるのも早いカランである。諦めた様子で椅子に深々座っている。
 カランを見やったクォンカがにやりと笑った。
「よし、簡潔に言う。証拠を残さず手掛かりを掴んでこい」
 クォンカが宣言した瞬間、会議室の中がしん、と静まり返ったように思えた。和やかな空気が流れていた会議室の空気が唐突に止まる。
「……具体的には」
 カランは椅子に座り直して問うた。真摯にクォンカを見つめる。
 クォンカが満足そうに笑った。
「第一大隊がマウェート本土に遠征に行く。海路でメアディンを目指す。王都から馬で三日の距離にある、お前も前に行ったことがあるだろう」
「……かなり大きい都市だったと思いますけど」
「そうだ。マウェートでも有数の都市だからな。お前も気が付いていると思うが、メアディン遠征はいつもフェイクだ。マウェートも重々承知している。お互い情報流通に利用するためだけの遠征だからな。あっちも本気で迎え撃たない。こっちも本気で攻め入らない」
 カランはぽかんとしてクォンカの言葉を聞いていた。眼はすっかり覚めていたから理解はできる。だが中等兵士の自分にそこまで教える神経が理解できなかった。
 今カラン・ヴァンダはただの第二弓士隊の隊員だと言うだけであって、ほとんどの兵士が持っている中等兵士という階級にいる。
 諜報員、というものに関わったからか、とカランは思う。けれどそんなことはカランにとって最終的に目指すものの通過点でしかなかった。ならば今高等兵士たちの事情を聞かされることに何の驚きを感じるべきか。
 カランはすぐに頭を切り替えた。
「はい」
 至極落ち着いたカランの返答。真摯な目。クォンカの満足たり、ホンティアの期待通りの反応だった。
「今回メアディンを、二週間包囲する。その二週間、間にマウェートの式典がある。お前は式典で新兵として王宮に入り込め。お膳立てはしておく。滞在中にこっちの情報が書かれてるものを探せ。こっちに忍び込んだ諜報員の手がかりでいい。持ち帰ることはしなくていい。だが手がかりを見つけて第一大隊がメアディンに滞在している間に帰ってこい」
 ゆっくりと噛み砕くようにクォンカが説明する。カランはただ耳と言葉を処理する脳だけを動かして整理する。
 つまりクォンカの計算では、カランはマウェートの王宮に新兵として一週間紛れ込む。紛れ込んでいる間に手がかりを探して来い、ということらしい。
「俺、馬乗れませんけど」
 大前提はメアディンからの移動が馬で三日。
 クォンカがカランを見たまま固まった。ホンティアも知らなかったと言わんばかりに目を見張っている。
「ちなみに乗れと言われても今まで乗れた試しがないので、出発まで乗れるようになる保証は全くありません。相性が悪いんです」
「……あー……」
 だからと言って天馬や竜に乗れるわけでもないらしい。カランはどうするんだと言わんばかりにクォンカを見上げている。
「だが今更人員を変えるわけにもいかないしな……ここまで聞かせたからには無理やりに行ってもらうしかないんだが……」
「大丈夫よ」
 妙にはっきり言い切ったのはカランにとっては魔の獣に似た女性ホンティア・ジャイム。ホンティアはにっこりと笑ってカランを見た。
「瞬発力も度胸もあるもの」
 どう繋がるのか。
「……ホンティアさん?」
「カランなら平気。馬に乗れなくたって三日ぐらいで王都に着けるわ」
 無茶だろう、カランは頭を抱えた。言えない、逆らえない。カランにとってホンティアは本当に肉食鳥や奇獣に襲われるよりも厄介だった。――嫌いではないのだけれど。
「……わかりました」
 従うしかないカランである。ホンティアは満足そうだ。いざとなればカランも移動手段を駆使して王都に向かう覚悟ぐらいならばあった。
「なら、よし。資料を渡しておく、出発まであと十四日だ。それまですべて暗記しておけ。ちなみに他の人間にばれないようにしろよ」
 カタンの目の前にあった資料を取り上げてカランに渡す。クォンカから資料を受けとって、カランはぱらぱらと枚数を確認した。――全部で五枚。
「あと、またうちの隊に遊びにこい。特別に訓練をつけてやる。うちの隊からもたまにそっちにやってることだ、違和はない」
「わかりました」
 答えて、カラン。資料を丸めて腰に提げていた矢筒に差し込んだ。
「やります」
 立ち上がるとぺこりとお辞儀をする。
「そろそろ行きます、いいですか?」
「おう。詳しい打ち合わせはまた今度、だ。言っておくが他の奴に言うなよ。言ったらお前を処分しなきゃならん」
「脅されなくたって言いません。こんな橋まともに渡ろうとするの俺くらいでしょうし、巻き込んでどうにかなる問題でもないと思うので」
「その通りだ」
 誰かが声を立てて微かに笑った。
 カランは会議室の外へ出ようと扉の前に立った。軽く押してもびくともしない。
「カラン・ヴァンダ」
 呼ばれて振り返る。
 先ほどまで我関せずと本を読んでいたアタラ・メイクルの声だ。
「失敗は許さない」
 途端、扉が自然に開き始めた。アタラが不可侵の魔法を使っていたのだ。
 カランはアタラを見てにこりと笑う。
「わかってるよ、アタラさん」
 不機嫌そうなアタラの顔。カランはひらりと手の平をあげると会議室の外に出た。
 外に出て扉が閉まる寸前に一言。大きくため息をした直後だから、おそらく本心が思わずもれてしまった言葉なのだが。
「……無茶だよな」
 カランの呟きに誰より納得したのはカタン・ガータージ。誰より理解したのはオリエック・ネオンだった。
 扉は閉められ、諜報員クリス・アステリーは生まれる。
 カラン・ヴァンダの人生において、確かな経過。確かな過去。決して変えられぬ事実。
 その一つがまさに、始まりを告げられたのである。
  
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