1.年度末のお手伝い
        ウィアズ王国歴六四年 七番目の月 二八日目
          ウィアズ王城城内

   どたんばたんと城内に賑やかな走り音が聞こえる。
「負けた奴は高等兵士の誰かに訓練をお願いする! ただしクォンカさん以外!」
 エアー・レクイズ、一六歳の夏。ウィアズ王国の新年度を祝う式典の、三日前のことである。
「てっめ! 自分が絶対負けねー勝負吹っかけてんじゃねーぞコラ!」
「あっはははっ! 最初から諦めんなよ!」
「走りでエアーに勝てるのって、クォンカさんとかしかいないじゃない! 私たちじゃ無理だよーっ!」
「じゃあ五秒だけ待ってやるから」
 賑やかな足音が一つ五秒だけ途絶る。エアーは城の廊下の真ん中に突っ立って指を一本ずつ立てる。満面の笑顔。
 エアーの後ろから走ってくるのは少年と少女。エアーとは同じ年だ。金色の髪と小麦色の肌の、細身だが背の高い少年、テルグット。赤毛と青い瞳、テルグットとは頭一つ違う背丈だけれど足の速さはほとんど同じ、少女イオナ。三人とも剣を提げたまま廊下を走る。
 五つの指を開いたエアーが二人に振り返った。
「負けんのどっちかだな!」
 近づいた二人を嘲笑うようにエアーは地面を蹴る。
 第一大隊四番隊下級兵士となって、エアーの剣士としての強さは飛躍的に伸びた。元は「軽い」と言われ続けて短所とされてきた身の軽さを、隊長であるクォンカが認めた故だろう。
 特にその足の速さを生かした――おもに伝令に使われるのだけれど――活躍ぶりは稀に見る。
 とはいえ、下級兵士の中で、という結果には終わっている。中等兵士としては当たり前の戦果を下級兵士で早々にあげている程度だ。
 それにエアーとしては褒められるよりも、こうやって仲間と――仲の良い人間と共にできる時間が大切だった。戦いに赴く時も三人でいたならなんとなく元気が出る。怖くないといえば嘘になるけれど、お互いの怯えた顔を見て笑いあう。――それが、幸せのようにエアーには感じられていた。
「三人とも暇?」
 立ちはだかるように現れたのは、クォンカ・リーエ隊長の副官、オリエック・ネオンだ。片手に大きな箱を積んでいる。隊内ではクォンカを恐れるよりもオリエックを恐れる人間が多い。というのも、穏やかそうに笑う顔がとても白々しいからだ。何を考えているのかわからない、怒っているのかなんなのかと。
 エアーが先頭でぴたりと足を止めた。同じくテルグットとイオナも足を止めた。エアーは苦笑を浮かべて「いや」と、苦々しく答える。
「忙しいわけじゃ、ないわけでもなくて」
「手が空いてるなら手伝って。昇格する人たちの制服とか運んでるんだ。副官だけじゃ手が足りなくてね」
「はぁ」
 手が空いていないわけがない。八番目の月の初日に行われるウィアズ王国新年度開始を祝う式典の三日以上前から、王国軍はほとんど動かない。中等兵士以下は三日前は昇格者を除いて完全に公休だ。高等兵士たちが式典の準備につきっきりになるので、隊を動かせないからだ。
「よかった。外門のところに箱が積んであるからよろしくエアー。あと、俺が持ってる箱にエアーの新しい制服も入ってるから後で取りにきて。テルグットたちのも」
「あ、ははは……はい」
 エアーは苦笑するしかない。
「俺だけ指名ですか?」
「二人なら頭下げて引き返したよ」
 うぅ、とエアーが苦笑のまま唸った。生贄にされたらしい。
「わかりました。エアー・レクイズ、荷物運び手伝います」
「軽い方ならエアーでも三つくらいは積めるよ。くれぐれも、軽い方でね」
「……はい」
 ちなみに去年からエアーの身長はさほど伸びていない。――成長期のはずなのにな、と嘆かれたのはつい二か月前。クォンカがオリエックに独り言のようにぼやいていたのを聞いてしまった。
 エアーはオリエックにぺこりとお辞儀をすると踵を返す。そのまま再び走って外門へと去る。エアーの後ろ姿をオリエックは少し見送った。
(本当速い)
 これでもう少し背が伸びれば、とオリエックは思う。確かに身軽さは長所ではあるけれど、軽すぎると言う短所にもなりかねなくなってきている。
 オリエックは箱を片手にエアーとは反対側に踵を返す。
(まぁ、クォンカさんとしてはとっとと中等兵士にあげてもっと重宝に使いたいっていうのがあると思うけど)
 本当にお気に入りだな、と思う。ぼんやりと自分の上司を思い出して胸中で嘆息した。
 クォンカは足の速さもそうだし、力、技術、何を取っても隊員に負けることはない。それほどの努力を重ねてきた人間だからだ。そのクォンカが嬉々としてオリエックに告げた。オリエックも一度同じようなことを喜ばれたことは、ある。
『オリエック、俺に張り合うやつがまた出たぞ。楽しみだ』
 クォンカの楽しみ、は集中的に遊ぶ――もとい、しごく、ということなのでオリエックは同情をすることにしている。羨ましくはあるのだけれど。
 エアーは今年中等兵士に昇格する。下級兵士は五年続いたら恥だと言われているが、一年で上がるのも稀だ。クォンカゆえの人事なのだろう。本人にはわざと告げていない。エアーたちの年齢はすぐ体格が変わるせいで下級兵士たちは“おさがり”が常用されているから、それで呼ばれたと思っているくらいだろう。
(俺も手伝いが増えるのは助かるかな)
 オリエックは走ることなく、重い方を片手に軽々と数個積んで、悠々と城の廊下を歩いた。
  
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