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外門には箱が山のように積まれていた。外側に文字が書かれた紙が張られていて、何が入っていてどこの隊のもの、とわかるようになっているらしい。
「あの! 手伝いに!」
箱の向こう側で馬車から荷物をおろしている弓士の女に声をかける。――見たことがある、と思った。確かクォンカをよく訪ねてくるホンティア・ジャイムを迎えに来る弓士だ。確かホンティアの副官ティーベリア。
「本当?」
嬉しそうにティーベリアが声を上げた。
「でも大丈夫? エアー君でしょ、その声。下手に動かすと崩れるわよ?」
「なんとかします。軽いのなら俺にも持てるって言われましたし」
「本当。じゃあありがたく手伝ってもらおうね。とりあえず箱、少しずつでいいいから書かれてるところに持ってってくれる? いくらなんでも下ろす場所が足りなくなりそう」
「はぁい」
本当に人手が足りないのだろう。こんな雑用まで副官だけでやってるなんて、と思う。もしかしたら他にも手伝っている人間もいるかもしれないけれど、公休中は多くの人間が実家に帰っている。城の中は少し寂しいくらいだ。
エアーはとりあえず手近にあった箱をひょいと持ち上げた。――軽い。中身はどうやら制服。式典ぐらいでしか着ないものだ。
「えと……第二弓士隊……?」
「あぁ、それはうちのことね」
箱の一つを重そうに持ち上げて、ティーベリア。
「第一弓士隊はナーロウさんの隊。ちなみに君がいるのは第一剣士隊ね。見習の時に習わなかった?」
「俺三日目でクォンカさんに下級兵士にあげてもらったので」
「あぁ、そっか。そうだっけ」
ティーベリアは至極愉快そうだ。よいしょと箱を馬車の下におろして、残り数個の馬車の中を見やった。
「うちの場所くらい覚えてるでしょ? よろしくね」
エアーはティーベリアを見やって、「はーい」と。箱を数個持って外門を後にする。
本当に三つなら持てた。三つでだいぶ視界が閉ざされてしまうけれど、まだぎりぎり前が見られる。これ以上は不安定に過ぎるだろう。
途中オリエックとすれ違った。オリエックは相変わらずの白々しい笑顔で「ありがとう」と、なぜだかエアーは怖かった。
第二弓士隊に行く。
第二弓士隊長ホンティア・ジャイムはクォンカと仲が良い。量の多い銀髪を伸ばしている、体格の良い女性だ。言動行動はかわいらしい――と言わなければとりあえず殴られそうだ、とエアーは思う。ホンティアはエアーを初めて見たときに子供をなでるかのように頭を少しぽんぽん、と叩いて「本当」と。
「聞いてた通りに小さいのねー。きちんと栄養のあるもの食べて、きちんと寝なさい。訓練もしっかりね」
ちなみに隊長の肩書を持つので、ホンティアも高等兵士である。にもかかわらず至極気軽に姉か母親のように声をかけるのだから、王国軍に入ってからというもの、エアーは高等兵士という存在に抱いていた固定観念を崩され続けている。
ただし彼らの実力は本物だ。ホンティアは弓だけでなく剣を扱うことにかけても達者だった。クォンカに命令されてエアーはホンティアと試合したが、勝ったことがない。
考え事をしていると不意に、空気が開けた。訓練場についたのだ。弓士の訓練場は剣士の訓練場とは様相が違っていて少々新鮮だった。
「なんか、改めて見るとすっげーよなぁ」
訓練場には的が置いてあったり矢が大量においてあったり、なんだか好奇心を刺激する風景ではある。ゆっくりと訓練場の奥まで進んで箱を置いた。
窓の外を見た。訓練場の外には草むらが広がっている。故意に伸ばしているのだろう。人の背丈ほどある草が壁の外側一メートル先ほどから生い茂る。
「うわ……」
こんな背丈の高い草は初めて見るかも、と思った時。
「え?」
赤い物が目に入った。誰かが叫んだ声が聞こえたと思った瞬間だった。エアーは食らいつくように窓の外を見た。
草むらと壁との間に、人が倒れている。胸に、矢が刺さっている。
「え? おい!」
窓をとっさに開けてエアーは叫んだ。思うに倒れたのは直前だ。
「おい! 返事しろ!」
倒れた人間に、返事はない。
エアーは窓に登ると、窓から外へと飛び出す。ふわりと、浮いた瞬間。
何かが風を切って訪れる音を聞いた。
反射的に音の源を見やれば自分に向かって矢が勢いよく飛んできている。エアーはとっさに両手で自分を守った。
ダン、か、なにか。
体を通して音が聞こえた。同時に腕が痛んで、エアーは息を呑む。
射られた。唐突に。
エアーは吹き飛ぶように地面に転がった。ごろごろごろ、と少し離れた場所で止まり、顔を上げた。
「なんのつもりで……っ」
文句を言おうと思った。だがエアーは言葉を呑む。
黒髪の男が、倒れていた少年に無造作に止めを刺しているのを見てしまったから。
エアーは知らず、剣に手をかけた。本能か何かが察している。危険だ、と。
黒髪の男が今度はエアーを見た。
エアーはすぐに踏み出せるように全身に力を込める、座った状態のまま。
「お前らは、気づいちゃいけなかったんだよ」
低く、唸るように、嘆くように。男が至極小さく告げた。倒れていた少年に止めを刺した短剣の血を拭い、一歩一歩、ゆっくりとエアーに近づく。
弓士だった。弓を背負っている。おそらく先ほどエアーを射たのは彼だ。エアーの腕にはまだ矢が刺さったまま。
心臓が高鳴る。男を見つめたまま、エアーは動けずにいた。相手はただの兵士じゃない。
「お前、クォンカ・リーエのお気に入りの剣士、エアー・レクイズだな」
エアーは訝った。クォンカに“高等兵士”と尊称をつけない。この男は何者か。
「赤紫の眼……間違いようがない。理解してないようで悪いが、ついでに殺させてもらう」
「断るっ」
「逃げたところでお前の背中を射る」
男は断言した。エアーは唾を飲み込んで、徐々に近づく男を見る。隙を窺ってどうにか状況を打破しなければ。
「ホンティア・ジャイムのお気に入りの実力はわかった。確かに気に入られるだけの実力はある、あいつの目は節穴じゃない。だが、クォンカ・リーエはどうだ? 高等兵士は全員が全員慧眼を持っているのか?」
「クォンカさんはすごい人だ」
自然と、答えていた。エアーにとって今誰よりも尊敬している人物は、クォンカだ。ゆえに思わず答えてしまったのだろう。
剣を握る手に力を込める。矢が刺さったままの腕に無理やり力を込めた。
男が眉をあげた。
「それがわかんないお前の眼の方が節穴だ!」
エアーが叫び声をあげて剣を振る。瞬発とともにの行動だ。男は短剣を使ってエアーの剣を防いだが――弾かれて手の外に放られた。
エアーは止まらなかった。地面を蹴ると宙に跳び、走った勢いのままに男の顔に膝をぶつける。
今度は男が地面に倒れた。エアーはすぐさま男の上に乗ると首元に剣をあてがう。
「俺の勝ち。お前の負け」
男がエアーを見て鼻白んだ。
「俺の勝ちだ」
男は躊躇なくエアーの剣をエアーの手の上から掴んだ。エアーはまさかと、思った。相手は本気だ。ただの試合じゃない。――そんなことは、相手が人一人を殺したときにわかっていたはずのことなのに。
エアーには、覚悟がなかったのだ。
仲間のはずの人間を殺す覚悟も、死にそうな人間を見捨てる覚悟も。たとえそのすべてが自分の命に繋がることでも。
エアーは必死で手に力を込めた。男はエアー以上の力でそれを外側から握る。そして、腹に力を込めた。
「まだまだ軽い!」
男がエアーの腹を蹴飛ばす。同時に手を放る。エアーは男の上から見事に吹き飛ばされた。だがエアーは吹き飛ばされ慣れしていた。空中ですぐに姿勢を整えて不時着をする。
剣を持つ手が、痛んだ。とんでもない握力だ、エアーは完全に力負けしていた。
――逃げなきゃ、とエアーは思っていた。けれど逃げた背中を射るという言葉も嘘ではないだろう。
エアーは震える手に力を込めた。怖いと思う自分を、認めたくない。
男が立ち上がった。完全に実力は男が上。
「お前……誰だよ」
震える声で、エアーは問う。
「なんで、こんなこと、なってんだよ」
自分に対する問いかけでもあった。
「第一大隊五番隊隊員と言ったらお前は俺を斬るのか」
「斬れるわけ……っ」
「知らないのか。軍の中での真剣勝負はご法度。死人がでたら両成敗だ。わかるか?」
「……っ」
まさか、とエアーは思う。死人は出た、目の前の男が一人殺していた。そして自分は剣を抜いた。目の前の男に射られてもいる。
つまり。
「お前はどっちみちに死ぬ。逃げたところでも、俺に勝ったところでも、俺よりやっかいな高等兵士たちの手でな!」
エアーの頭の中に、軍規はあまり入っていない。見習兵士三日目で下級兵士に昇格が決定した故だ。軍規は見習兵士の時に叩きこまれる。
もしも極刑というものがあったとしても、処刑が高等兵士たちの手で行われるとは夢にも思わなかった。気さくなクォンカやホンティアたちを見ていればなおのこと。
――怖い、とエアーは思った。男が落胆したように呟く。
「……お気に入りって割には、ただの弱虫か。こんだけ言われて向ってこない馬鹿。救う価値もないか」
「クォンカさんを……馬鹿にするなよ」
必死になって言葉を紡ぐ。死は目の前にある。
「それに俺は、弱虫なんかじゃない……もう、弱虫なんかじゃない……」
俺は、とエアーは思う。腕に刺さった矢を、無理やりに抜いた。
「俺は……っ」
痛みで顔をしかめた。痛みのおかげ分、怖さが少し遠ざかる。男が微かに笑った。
「生きる……っ!」
エアーは剣を持った。両手で、強く握る。両手に込めた力よりもさらに強く力を込めて地面を蹴り、男に剣を向けた。今までよりも速さはある。男は地面を蹴ってエアーの一閃から身を退いた。だがエアーは止まらない。振り上げた剣をすぐに切り返す。ち、と男が小さく舌打ちした。
満足げに笑う男の顔のすぐ傍を、エアーの剣が通り過ぎる。男は素早くエアーの腕を掴み、力尽くで地面に押し倒した。
体格も、力も、エアーが勝るものなどなかった。おそらく経験や努力の量、何もかもも。
「おいお前」
今更になって男が小声で言う。
「生きたいんだろう? だったら生き延びようぜ」
「……何、言って?」
地面に押し付けられ剣とともに両腕は封じられたまま、信じられずにエアーは男の顔を見上げた。
「逃げるんだよ。俺も、あいつ殺したから、このまんまじゃ高等兵士に殺されちまう。俺が逃げ道知ってる。安心しろ」
「だから、何言って」
「本当はお前は殺したくないんだよ。誰が仲間を無差別に殺したいか」
「……嘘だ」
男の目が揺らいだ、細められた。エアーの心の中に、確かに恐怖はあった。逃げられるものなら、逃げてしまいたいという気持ちもあった。けれどそれは今の状況からであって、この国や軍からではない。何より自分の可能性を信じてくれた人を、裏切りたくなかった。
そう思うと、不思議と恐怖が薄れていく。死ぬかもしれないという思いが、別段、どうでもよいことのように思えた。なぜなら今この状況をどうにかすれば、彼が――自分が信じた高等兵士が、救ってくれるような気が、不思議としていた。
「お前誰だよ」
震えが、少しだけ治まった。男が大きく嘆息した、刹那。
草むらの中から矢が勢いよく飛び出してきた、男の命を狙うように。
男がとっさに身を退き、エアーの体から少しだけ離れた。エアーはその隙を見逃さない。
滑るように男の下から逃れて、低い体勢のまま男の足を払い、再び地面に倒す。地面に倒れて姿勢を整えようと手をついた男の頭を、エアーは全体重をかけて地面に押し付ける。そして頭の上の方向から首のすぐ傍へと剣を斜めに刺し、すぐに首が断ち切れる位置に手を置いた。
「動くな」
エアーの額から冷や汗がぽたりと落ちた。落ちた汗が男の顔に触れる。男はエアーを見上げて、顔を歪めた。
「俺が誰かと聞いたな」
「あぁ。でももういい」
がさりと草むらが揺れた。助けてくれた矢を放った誰かがいるはずだ。
「いいから聞け。俺はマウェート王国特殊情報部隊――諜報員チェオ・プロだ。だが、お前に、証拠はない!」
再び剣の柄に男の――チェオの手が伸びた。エアーは顔を顰めた。逃がさない、と思った。再びエアーの手の上からチェオが力を込める。エアーは力で抵抗する方向に驚愕する。チェオは剣を自らの首に向けて引いているのだ。
「お前……っ」
「芽はな、早めに摘み取るべきなんだ。どんな形であれ!」
チェオが叫んだ。――断末魔のように。
エアーの手から剣が離れた瞬間、チェオが自らの首を刎ねた。自分の力で持って。
チェオの首から血が盛大に広がる。頭がおかしな方向に上を向いた。
エアーはチェオの血を全身に浴びて、へたりと地面に座り込んだ。目を閉じることもできずに、ただチェオの亡骸を見る。
何を考えることもできなかった。
草むらの中の人物も、息を潜めていた。
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