00.邂逅=始まり

   ウィアズ王国歴六三年。ウィアズ王国軍兵見習兵士の肩書きを持った少年がいる。齢一四。幼さの抜けない顔と表情。背丈は平均よりも小さい。
 だが彼の容姿の中で何より目を引くのは、世界で奇異とされる赤紫の眼だ。驚きに惜しみなく開いているが、マウェート王国に生まれていれば処刑されていた目の色である。世界で信じられている二四の天魔の獣たちの教えでは、彼のような赤紫の瞳は反逆者の証と言われている。だが、彼自身に罪はない。たとえ二四の天魔の獣たちの教本、天魔史に描かれている反逆者と同じ剣士を目指していても。
 少年の名をエアー・レクイズ。
「そんなに痛ぇ?」
 エアーは木剣を担いで不思議そうに首をかしげた。目の前には踏み固められた地面に蹲る少年。おそらくエアーよりも年上だ。先ほどエアーに木剣で叩かれた腹を押さえて、恨めしそうにエアーを見上げている。
「当てる瞬間ぐらい、手加減しろよ……っ!」
「え……した、けど……一応」
 言ってから、やばい、とエアーは思った。蹲った少年が顔を真っ赤に染めたからだ。
「ごめん……」
 ますます真っ赤になった少年の顔を見て、エアーはいたたまれない気持ちになった。――昔の自分を見ている気分になった。昔自分をいじめていた人間の立場になった気がした。
 少年が立ち上がって目の前から去る。エアーは彼を見送った。
 エアーが立たされている空地には見習兵士の剣士たちが多くがいた。空地の壁にずらりと並んで座っており、その顔のほとんどは幼い。
 エアーがいる空地はウィアズ王国ウィアズ王国軍見習兵士の、剣士を集めた小さな訓練場だった。見習兵士たちの訓練場は小さいながらウィアズ王城の軍の敷地にある。
 エアーはため息ひとつに自己完結した。まぁいいかと、思うようにすることにした。
 周りで見ていた人間たちの静かな喧噪。小さな話し声。エアー自身に届かないが、エアーのことを話しているのは明明白白だった。
 エアーは木剣を下ろして、人差し指で頬をかいた。――次の指示がこない。
 実はエアー。約一年前、見習兵士を脱走して実家に帰ったものの。四日前、王城の城下町を歩いていたら顔見知りの見習兵士育成部の兵士に捕まって、今に至る。本日は模擬試合。戦場で一対一であることは少ないが、戦いに慣らすため、である。エアーを慣らそうと始まったはずなのに、なぜかエアーの一人勝ちだ。
「さて、っとどうしようかなぁ」
 静かな喧噪を破って、担当の見習兵士育成部の兵士の一人がぼんやりと声を出した。実を言うと、見習兵士育成部という部署は現在の情勢、ウィアズ王国軍の正規軍所属よりも、はるかに閑職である。前線に出ない貴族だとか、芽が出なかった人間だとかが回されることが多い部署だ。
「エアーだっけ」
 ニッコリと、担当の兵士が笑った。エアーは振り返って「はい」と答える。
「君、真面目にやる気ある?」
「は?」
「のびそうだなぁ。今年高等兵士に送るの勿体ないなぁ」
「はぁ」
 ぽかんと口をあけて間の抜けた返事をする。
「っていうか、送ったらかわいそうだなぁ」
「は?」
 もうすでに訳が分からない。
 ――と、誰かが見習兵士の訓練場に入ってきた。エアーは耳聡く反応する。音は、二つ。
「おう、やってないな。休憩中か?」
 白髪の男が至極気楽に兵士たちに問うた。やってきた二人の男は、明らかに見習兵士たちとは格が違った。――雰囲気、と言うべきなのだろうか。二人とも見た目の様子は穏やかだ。だが、傍に寄れない何かがある気がする。
「これはクォンカ高等兵士。それにノヴァ高等兵士も」
 ――高等兵士。
 見習兵士たちがやってきた二人を一斉に見た。エアーは同じ場所で立ったまま、ぽかんとして二人を見ている。
「物色ですか?」
「おう」
 やはり答えたのは一人のみ。白髪と瑠璃のピアスが一番に目につく、クォンカ・リーエ、高等兵士である。町を歩く人間より体格がいいとはいえ、他国が震えあがり『化け物』と呼ぶほど強そうには、はっきり言って見えない。
「で、なんであいつは真ん中に一人なんだ?」
「あーあ」
 やはりのんびりと、担当兵士が諦めたように間延びした声を出す。エアーはきょとんとしてクォンカの視線を受け、自分を指さした。
「俺、ですか?」
「そうだ、お前だ。なんで一人で突っ立ってるか、言えるか?」
「戻っていいとも言われなかったので」
 エアーが実に素直に正直に答えれば、「あーあ」と、間伸びして担当の兵士がまた声を上げた。
「おい、何があったんだ?」
 にやにやと楽しげにクォンカが笑っている。担当の兵士に話を振れば、「いえね」と悪ノリした担当兵士が答える。エアーの脳裏に、何故か嫌な予感がよぎった。
「模擬試合の最中なんですけどね、こいつ三日前に来たくせ、結構実力あった奴本領発揮してないなーって感じに倒しちゃったので、次の対戦相手どうしようかなーと」
「なるほど」
 ますます楽しそうにクォンカが笑う。クォンカの少し後方でノヴァが呆れ顔で顔をそむけた。
「お前じゃ役不足かもってことか?」
「さあー、どうでしょう。負けちゃうかもですねー」
「じゃあ俺が相手しても文句ないな?」
「高等兵士様に逆らえるはずないですよ」
 ――話している二人は至極楽しそうだ。
 担当兵士が木剣を恭しくクォンカに差し出せば、クォンカは至極嬉しそうに訓練場横の中庭――エアーがいる空間へと降りてきた。
「やるぞ」
「え」
 ――ありえない。エアーは首を横に振った。――高等兵士だ。他国にも恐れられる存在が自分に「試合をやるぞ」と。
 嘘に決まってる。
「オリエックに嫌味を言われるぞ、クォンカ」
 ノヴァの至言にクォンカは肩をすくめただけだ。こうなればクォンカの意思が動かないことを、よくよく知っているノヴァである。
「エアー」
 ノヴァ・イティンクスはエアー・レクイズと同郷、それも実家が近く幼い頃から知っている仲である。ため息交じりのノヴァの声に、エアーは助けを求めてノヴァを見た。
「遊んでやれ」
「ちょ、ノヴァに……ノヴァさん!」
「クォンカも加減くらい知ってる」
 ノヴァはエアーの不安を知ってか知らずか、ほとんど我関せずの顔で見習兵士担当の兵士の横に腰を据えた。
 エアーはゆっくりとクォンカの顔を見上げる。エアーの顔を見たクォンカは声を出して笑い出して、木剣の先でもう一度エアーをつつき「やるぞ」と言った。
 エアーは腹をくくると、半ばやけくそのように試合の距離に立った。
(なんで俺が、高等兵士とやらなきゃいけないんだっ!)
 二人の真ん中で見習育成部の兵士が右手を掲げて叫ぶ。
「始め!」
 エアーは直後、地面を蹴って木剣を振り上げた。クォンカは少しばかり口に笑いを作ると、エアーが振り上げようとした木剣を、自分の木剣を振り上げられる場所に置くという行為で止め、反対に自分の木剣を翻し、エアーの木剣を奥へと押し出した。
 エアーは当然のごとく弾き飛ばされ、とっさに地面を蹴って宙へと舞いあがる。その脚力たるや、おそらく中等兵士以上に匹敵するだろう。エアーは宙で身体をひねらせて一回転し、足を深く曲げて不時着する。見習兵士の中から、笑いと賛辞の入った拍手が飛ぶ。
 クォンカは剣を両手で構えながらも、やはり顔には笑いを堪えている。――嬉しそうだ。まるで子供が新しいおもちゃを与えられて遊んでいるかのような表情。
「軽いな」
「はい。兄さんによく言われましたよ、お前絶対剣士になれないって」
「そうか?」
 答えて、クォンカ。刹那に踏み出し、エアーの襟首を掴んだ。
 クォンカの顔はやはり笑っている。エアーを片手で持ち上げると、まるでボールでも投げるかのように、エアーを壁に放り投げた。
 エアーには驚愕で悲鳴を上げる暇もない。とっさに空中で身体をひねらせ、壁に足をつけた。重力に従って体が落ちる前に投げられた勢いのまま壁を垂直に踏み、蹴る。再び宙に跳んだ。エアーの下にいる剣士が半ば唖然としてエアーの軌跡を顔で追っている。
 エアーは前転しながら地面に着地すると、そのまま立ちあがり、今度は地面を強く蹴り、クォンカに向かって木剣を突き出す。
 クォンカはエアーの切っ先を悠々と避けると、片足でエアーの足を引っかけた。転びかけたエアーの背中を押して、無理やりに地面に転がす。
 エアーはごろごろと地面を転がり、目を回してなかなか起き上がれそうにない。審判がため息交じりに左手を上げて振り下ろす。
「止め! っていうか止めてください」
 途端クォンカが笑いだした。とんでもないくらいの大笑いだ。ぽかんとする周りをよそに、「よし」と、独白すると木剣を担当兵士に放り投げて返す。
 クォンカの笑いが止まった。
 クォンカはエアーに向かい直ると、姿勢を正す。
「エアー――」
 唐突にクォンカは口を汚し、横目でノヴァを見やった。ノヴァは短く「レクイズ」と続ける。クォンカは悪戯に笑うと、片手をあげてノヴァに感謝の意の合図する。
「エアー・レクイズ、第一大隊四番隊に配属させる。理由は、席が空いていることと俺のめがねにかなったことだな。お前は、良い剣士になれるぞ」
 エアーは頭を抑えながら起き上がり訝ってクォンカを見上げる。クォンカは悪戯に笑みを浮かべ、エアーを見下ろしている。
「本気だ、下級兵士に昇格させる」
 エアーは唖然としてクォンカを見上げた。頭を抑えていた手さえもおろして、クォンカを見――てはいないのだろう。どこか茫然として魂が抜けたような雰囲気がある。
 エアーの代わりに慌てたのは育成部の剣士だ。今だ作りかけのエアーの書類をクォンカに突き出して叫ぶ。――ちなみに先ほどクォンカと話していた兵士のほうはやはり楽しそうに笑っている。
「こいつ、一年で見習やめて三日前に帰ってきたんですよ? その人事は流石に無茶ですよ、クォンカ高等兵士」
 クォンカは少しばかり驚いたような顔で、育成部の人間を見やり。
「無茶か?」
 と。育成部の剣士は肩を落として、小さく呟く。――こう言ったらクォンカ高等兵士は退かないにきまってる。
「……無茶です」
「まぁ、大丈夫だろう。人間やってやれないことはない」
 言うと、クォンカはけらけらと笑い、ノヴァは大きく嘆息する。――言ったらあとは翻すことなんてないに決まってる。
見習兵士の中でも有数の実力といわれた剣士を打ち倒しての後のことだから、見習兵士育成部の人間が悲鳴をあげた以外は、誰も文句を言わなかった。
『エアー・レクイズ、第一大隊四番隊に配属させる。理由は、席が空いていることと俺のめがねにかなったことだな。お前は、良い剣士になれるぞ』
 クォンカははっきりと言いきったのだ。当時エアーでさえ信じていなかった剣士への道を切り開いたのは、クォンカ・リーエという高等兵士だったのである。

 そして時は流れ、翌年六四年、夏。
 ウィアズ王国ならではの、茹だるように暑い、七番目の月の末のことだった。
 
Back←//押していただけたら喜び。//→To be NextChapter. 
inserted by FC2 system