■□ 二話 大剣の竜騎士、順風 □■


    陽が高く昇った頃、一行はクェイトに着いた。クェイトは城下町から二番目に近い港町で、老若男女の人々が思い思いに商売や買い物を楽しんでいる。様々な国からの品物が並び、まさに物の宝庫だった。
 街の入り口でばらけた一行は、港で再び会する。貿易船が出入りする荷物置き場の一角で、カランとティーンを抜かした六人が自分の荷物を置いて思い思いの格好で休んでいる。
 ユーガは他の誰よりも元気だった。
 日陰に座るウィクに走り寄って「王子王子っ!」と。
「俺って船に乗れるんでしょうか!」
 眼を輝かせてユーガが問う。ウィクは苦笑を浮かべ、「ユーガ」と諭すように名前を呼んだ。
「私を呼ぶときはウィクと……」
「ユーガには無理だな、きっとはしゃぎすぎて海の藻屑だ」
 ウィクの横に唐突にエアーが現れて首を突っ込む。ウィクの顔はますます苦々しいものになっている。先ほどの自分の言葉を、きちんとユーガが聞いてくれたのか否か、分からないのだから。
 ユーガはエアーの顔を見、半ばむきになって答えた。
「大丈夫ですよ、一応泳げますから!」
「一応で溺れないほど海は甘くないぜ?」
 エアーの口調は明らかにからかっている。ユーガは「大丈夫ですってー」とさらに食いついた。
「そういうエアーさんはどうなんですか。『海に落ちないから大丈夫だ』なんて言い訳聞きませんよ」
「あれ? お前知らなかったっけ? 俺フリク出身だぜ? 泳げて当たり前じゃん?」
「港町出身でも、泳げる確信なんてないじゃないですか。理由になってませんよ」
「うわっ、ユーガのくせに言うねぇ。俺のことばかにしてねぇか、お前」
「嵐の海に入ったバカが、バカにされなくてどうするつもり?」
 うわ、とエアーが顔を歪めた。「それ、言うなよ」と飄々と笑いながら、首を突っ込んだアタラに振りかえる。
「船」
 唐突に、別の声が割り込んだ。
 ウィクの目の前で繰り広げられる騒ぎを傍観していた、デリク・ガータージ・カタンである。
「面白そうだな」
「はぁ?」
 デリクの顔に、全員の視線が集まった。中でも訝った声をあげたのはエアーで、ユーガ以外は半ばぽかんとした顔でデリクを眺めている。
 ユーガはエアーの目の前から即座に身を翻し、デリクに満面の笑みをむける。
「そうでしょう? だから少しだけ船で移動しませんか?」
 実に嬉々とした様子で、ユーガはデリクを見る。デリクは少しだけ眉を上げて、ユーガの顔を見下ろし――ユーガの背後に立つ、赤紫の髪を持つ女性の冷笑を見つけた。
「ガキ」
 とアタラは淡々と言い放つ。ユーガの顔から喜色が薄れて、周りでほかの人間が小さく声を立てて笑っている。
 いわば、ユーガ・ライトルという人間は、親衛隊の他の人間にとって弟のようなものなのである。今年成人したばかりのウィクよりも若く、今だ一八歳という若さで、性格も無邪気なほどだ。
 ウィクは笑いをこらえた顔で問う。
「でもデリク、船でどこにいくつもりなんだ?」
「気の向くまま。貿易船にでも乗せてもらえればいいが……」
 そうだな、とデリクは少しだけ考えるそぶりをした後、ニコリ、と笑いをユーガに向けた。
「ここからならばバチカがいいだろう。どうだ、ユーガ」
「いいですね、そこにしましょう! 行きましょうバチカ!」
「行ったこともないくせに」
 アタラが辛辣に突っ込んで、ユーガが再び苦笑を浮かべて黙った。――図星である。名前だけならば何度か聞いたことがあるものの、行ったことなど、本当にないのだ。
 思えば、仕事以外でどこかに出かけたことなど、ほとんどなかったなぁとユーガはしみじみ思う。ユーガは軍人家の長男であって、一〇歳になる頃には見習兵士として城にあがるべく訓練ばかりしていた。十一歳の頃には見習兵士に入っていたし、当時は外国に物見遊山に出掛けられるほど平和でもなかった。
「まぁ……」
 ユーガを沈黙させた張本人、アタラが続ける。少しばかり静かになった中でも、アタラの声は独白じみて聞こえにくい。
「船の上なら、大丈夫だとは思うけど……」
 横に立つヴィアがニコリと笑いを浮かべた。俯き加減のアタラを見下ろして「大丈夫よ」と。
「天空隊なら、ね?」
「空が一番やばいんじゃねーの? 船だし、むしろ天空隊以外は害にならねぇって」
「私がいる空よ? なんか文句でもあるつもり、エアー」
「いいえー、ゴザイマセンよー」
 ヴィアが満面に笑みを湛えている。――戦闘が絡むと人格が変わるヴィアだ、普段は優しく穏やかだったとしても、ペガサス・リーに跨り戦いに赴けば、誰もが恐れる姿となる。
 エアーは一度、ヴィアの戦う姿をちらりとだが見たことがあった。当時は何も感慨を受けるつもりもなかったが、後になってみれば、恐ろしい人間なのだということくらい、きちんと理解できている。両手を体の前でひらひらとふって、嘆息混じりにヴィアに背中を向けた。  まぁ、大丈夫だろう。
 エアーは努力して納得すると、クェイトの――発展した港の風景を眺めた。
 ウィクは苦笑を浮かべ、空を見上げる。
 そういえばマウェート王国との最後の戦いも、バチカだった。クェイトについたときの、あの何とも言えない感慨を不意に思い出し、ウィクは小さく声を立てて短い笑いを吐き出した。


■□■


 デリク・ガータージ・カタンか、とカランは考えた。
 ティーンとカランは並んで港を歩いていた。他の六人とは別行動で、珍しい組み合わせだなと言われるに足る二人である。
 カラン・ヴァンダという人間は、ウィアズ王国の中では知らない人間はいない、といわれる。最高等兵士で、弓士最高勲章スナイパーを戴く。黒い竜騎士と異名を取ったカタン・ガータージ・デリクと肩を並べていた過去がある。
 ティーン・ターカーという人間は、長らくウィクの秘書と補佐をしてきた人間である。ウィクが初めて戦争に出たときに傍にいた人間であり、王国軍の第三大隊をウィクと共に率いていた人間だ。
 マウェート王国とウィアズ王国の大戦における、戦争の英雄カタン・ガータージ・デリクが失踪してから、すでに四年の月日が経った。カランはカタンに対し喧嘩を売ってからすでに、およそ二十年以上。ティーンはカタンと出会い、友人として会話をしてからおよそ一九年。
 数えれば長い年月を経ているにも関わらず、二人ははっきりと当時の彼のことを思い出すことができた。
 カランにとって見れば、それは苦々しいことのほかに何でもなかったのだが。
「ティーン」
 無言で歩いていたカランが、唐突に口を開いた。ティーンは半ば虚を突かれる思いで、横目でカランを見やった。カランは口元に手を当てており、何かを考えるそぶりをしている。
「どうした」
「デリク・ガータージ・カタン。ティーンは、見覚えないか」
「それはあるだろう、現存の高等兵士のほとんどが見たことがあるはずだ」
「あぁ……でも、間近で見るのは、本当に久しぶりだったから」
 あぁでも、とカランは胸中で続けた。
 あの頃は「デリク・ガータージ・カタン」ではなかった。髪も長く、ペガサスなどには乗っていなかった。
「間近で見た?」
 ティーンが訝って声をあげる。カランは少しだけ考えるように沈黙したあと「いや」と。
「何でもない。それより、船捜さなきゃ。どうせバチカに行くつもりなんだろう? デリクは」
「私に訊くべきではないだろう。だが、私も丁度そうしなければならないだろうと考えていたところだ」
 あぁやっぱり、とカランがにこやかに応える。ティーンはカランの顔を見やり、微弱に顔を歪めて笑いを作った。
「カランがいるおかげで、すぐに船は見つかりそうだがな」
 カランはティーンから目をそらし、大きくあくびする。あぁ眠いなどと呟きながら自分の髪の毛をかきあげる。
 何よりも有名だった理由は、必要以上に長い髪であったことくらい、カランも自覚している。だが、切る気はまったくない。昔から、ずっと伸ばしたままだ。理由は、表向きない。
 貿易船との交渉が終わって他の六人に合流した時、デリク・ガータージ・カタンは二人を迎えて、極自然な笑顔を浮かべていた。


□■□


「随分と遅かったな」
 デリクは二人を迎えるや否や、皮肉交じりに言う。カランは「あー」と頭をかきながら言葉を発し、大きくあくびをする。
「別に、約束した時間とかないし」
「貿易船に乗せてもらえることになりましたが、行き先はバチカでよろしかったのでしょうか?」
 ティーンはウィクに問う。ウィクは苦笑を浮かべ、小さく頷いた後「デリクに訊いてよ」と。
「私が今回の旅を計画してきたわけではないからね。私も行き先がわからないんだから」
「私も決めているつもりはないが……言っただろう、気の向くままと」
「それはつまり、当てもなく我々を――いえ、ウィク様を城の外へ出したというわけですか」
 ティーンがため息混じりに吐いた。デリクは薄っすらと笑いを浮かべ、曖昧に首をかしげる。
 ティーンにも、分かってはいた。デリクは気の向くままと言いながら、確実にどこかに向かっている。
 確かに、クェイトは城下町から離れるには丁度良い場所だ。だが丁度いい場所であるが故に、少しばかり訝りたい気分にもなるのである。
 ウィクはニコリと笑いを浮かべてティーンを見た。
「でも、バチカでよかったようだよ。丁度バチカに行こうかとデリクと話していたところだから」
 ティーンは少しだけ俯き「そうですか」と応える。言うと、少しだけ後ろへ退いた。
「それよりも、なんだが」
 技とらしく口元に手を当て、デリクが眉間に皺を寄せた。
「お前たちの馬の調子が悪くはないか」
 デリクの声に、全員が自分たちの馬の方向を見やった。日陰に繋いでおいた馬が、地面に足を折っている。
「あー」と、カランが声をあげた。いつのまにか横にいたエアーが虚空を見やり、ティーンがため息をついた。
 ウィクが苦笑を浮かべ「困ったな」と、全く困っていないような声で言った。
「夜中に起こしてしまったからね、疲れがでたのかもしれないね」
 誰も、何も言わなかった。
 短く嘆息したカランが三頭の馬に歩み寄って、上から様子を眺める。元々鋭い目を細めると、アタラを見やった。
「アタラ」
「分かってる」
 アタラがヴィアの横から歩み出すと、三頭の馬の前に立ち止まった。カランが横に並び、小さな声で何か告げている。街の喧騒でウィクには聞こえなかったが、エアーにははっきりと聞こえてきた。――エアーの聞き分けは、天才的なものがあった。
「……足んとこ、ちっこい奴。治すふりして全部抜ける?」
 極小さなカランの声だ。同じくアタラも小さな声で応える。
「魔法が万能なわけがないだろう、やってみるけど、」
 ――見られてたら不信に思われる、か。
 エアーは短く息を吐き出し、飄々と笑いを浮かべた。
「と、いうことでウィク様。どうします?」
 ウィクは半ばきょとんとした顔で、「どうする?」とエアーの言葉に問うた。
 エアーは飄々と笑った顔のまま、「ほら」と。
「アタラが治してくれてる間に、クェイト物見遊山でもしません? 俺は目立つんでご一緒できませんけど、影から護らせていただきますし」
「エアーさんが影からなんて無理じゃないですか。俺が傍でちゃんと護りますから、安心してくださいね、ウィク様」
「お前ホント俺のことバカにしてねぇか?」
「してませんよ。皆さんが言ってること真似して言ってみただけです」
 ユーガは苦笑を浮かべ、さっ、とウィクを見た。「ね?」と。すぐに満面に笑みを浮かべているのだ。
「俺が護りますから!」
「だがユーガ、そんな時間はないぞ、交渉した貿易船が出るからな」
「そんなこと言ったって、馬は……」
 言いかけたユーガの口を、ティーンが自分の背後を指差すというしぐさで止めた。ユーガがティーンの示した方向を見やれば、馬たちが起き上がっている。前でアタラが嘆息し、その横でカランが片手を上げて踵を返したところだった。
 ウィクが微笑を浮かべて腰をあげた。
「船に乗ろうか。皆、大丈夫かな」
「えぇ、人間ならば……ですが、ウィク様」
 ティーンがウィクに近づいて、声をひそめる。ウィクは相変わらず微笑を浮かべたまま、ティーンの声に耳を傾ける。
「くれぐれもお気を付けください、これは威嚇であるに違いありません」
「分かってる、ティーン。私もそれくらいなら分かるようになっているから」
 微笑を湛えたまま、ウィクが応える。
 ゆっくりと足を振りだし、微かに空を見上げた。
「行こうティーン。今日も空は綺麗だからね、きっと大丈夫さ」
 穏やかに笑いながら言うウィクを眺め、ティーンは胸中で嘆息する。――どうして彼が微笑みながら言えば、本当に大丈夫などと思えるのだろう。ウィク自身が大丈夫だとは、限らないのにも関わらず。
 ウィクにつられてティーンも見上げた空は、今日も広く晴れ渡る、ウィアズ王国を象徴するかのような真っ青な空だった。


■□■


 海原を進む大きな帆船の甲板に、ユーガ・ライトルが縁に体重をかけて立っている。海上をかける潮風に、彼の淡い色の金色の髪と長い尾を引く鉢巻がなびき、ユーガは至極気持ちよさそうに眼を細めている。足元に立てかけられているのは、ユーガが地上で使う大剣で、剣士でさえも生半可な実力で向かえば怪我をするといわれるほどの実力の象徴でもあった。
 ユーガを見守るティーンが使う剣はまっすぐで異常なほどに長い長剣だった。甲板の上、樽に腰掛け長剣を抱く形で、足に頬杖をつきながらユーガを眺めている。
「静かな海だね、ティーン」
 横に座るウィクがにっこりと笑い、不意に話しかけた。ウィクも樽に腰掛けているが、剣は腰にかけたままだ。
 ティーンはウィクを見やると、短く失笑する。
「えぇ、しかしまだ気は抜けません」
「休んでもいいのに。私なら大丈夫だから」
「私が気を抜くわけには行きません」
 微笑を湛え、ティーンが答える。ウィクは小さな声でけらけらと笑うと、ティーンが見ていた方向にいる、ユーガをみやった。眼を細め、「そうだね」と。
「でも、心配性だな、ティーンは」
「用心深いと言ってくださりませんか」
「あははっ、そうだね。用心深いな、ティーンは」
 おかしそうにけらけらと笑い、ウィクがティーンを見やった。ティーンはウィクを一瞥すると、もう一度ユーガを見やる。
 ウィクとティーンがユーガに最初に出会ったのは、ユーガが親衛隊に入るときだった。当時のユーガの顔といえば、『不本意』を丸々表情に出した顔で、見たウィクは声に出してけらけらと笑っていた。反対にティーンは大きく嘆息し、入隊からしばらく面倒を見ることにしたのだ。
 しばらく、と言っていたのにも関わらず、今も相変わらずユーガの面倒を見ている気がしていたのは気のせいなのだろうかと、ティーンは不意に思った。故にか、少しばかり大人びて見えるユーガの表情が、妙に嬉しかった。おそらく、ウィクはティーンの心中を図らずも解かっているのだろう。
 二人の間に沈黙が流れて、潮風が走る。他の親衛隊の人間は各々の場所で、各々の好きな格好で佇む。カランとエアーは船尾に、ヴィアとアタラはユーガとは反対側の淵に体重をかけて黙っている。デリクはウィクとティーンとは背中合わせの場所だ。
「……あ」
 と、誰かがぽつりと呟いた。
 次の瞬間である。
 大きな高笑いが響き渡り、腹から出たヴィアの大きな声が響き渡った。
「無礼者が見える! どうやら痛い目に遭いたいらしい!」
 ヴィア・ハワー、戦闘における人格の登場である。
「うわっぃ……たー」と頭を抱えて呟いたのはエアーで、呆れたという口調のわりにさほど迷惑そうでもない。
 ウィクは苦笑を浮かべると腰を上げ、空を見上げた。緑色のドラゴンを操る竜騎士が一騎、空からウィクを見下ろしている。
 ウィクはにこりと笑いを浮かべ、ヴィアを制するように片手を挙げる。
「どうしたのかな。君は、城で会った人のようだけれど?」
「覚えていただきまして、恐悦にございます、ウィク様」
 ドラゴンの上で軽く頭を下げ、竜騎士は続ける。
「とある方より伝言を賜ってまいりました。その方の命令で、私の名は明かせませんが……」
 小さな声音で、薄っすらと目を細め、竜騎士が言う。口に小さく笑いを浮かべると、悟られないように槍を持ち直す。
「『二度と帰ってくるな』と」
「それは――」
 ウィクがにこりと笑って見せた。竜騎士は表情を険しく一変させると、唐突に急降下する。ウィクは動ぜず、床を蹴って場所を移動した。
 ドラゴンの起こす風が、船を大きく揺らしている。船員たちが船長の名の下に規律を正して避難を始める。――『何かが起こったら、我々に任せて船内に非難してください』と、いうのがティーンとカランからの条件かつ命令だったのである。
 最初の一撃を交わされた竜騎士が、船の床ぎりぎりで平行に進行を取った。刹那、横から出てきたティーンが目の前で長剣を抜いて見せた。途端に竜騎士は空へと上がり、鋭く舌打ちする。
「君に、言われる言葉ではないよ」
 ウィクが一撃を避けた場所で続ける。
「私は帰らなければならない。今、君に言える言葉はそれだけだ」
 竜騎士が顔を歪めた。ティーンは長剣をおさめると、短く嘆息する。
「一騎……だと、思えないが。帰っていただけるかどうか」
 まるで愚痴るような口調でティーンが言う。ウィクは曖昧に表情を作ると、小さく首を傾げた。
「ホントに、甘く見られたもんですよ」
 エアーの声が割り込んで指を鳴らした。鳴らした指を自分の後方に向けて立て、軽く笑いを浮かべる。
「そう思いません? ねぇ、ウィク様」
「これで甘いと思えるほうがおかしいけどな」
「それは納得」
 相棒と称されるカランと軽口を叩き、エアーは口笛を吹いた。エアーが指差さした先にあったのは、まさに竜騎士の大群であった。ウィアズ王国王国軍の一個隊に比べれば小数ではあるが、八人だけの人数に対して見れば大群である。
 だが八人それぞれが他国に恐れられ「一人で百人に値する」と詠われる高等兵士が名を連ねる。言えば、妥当な数なのだろう。
 エアーは軽々しく笑ったままの顔で、カランから離れてウィクの横に立った。剣を抜かない状態のまま「ま」と。
「まさか、船を沈めるような無茶はしないでしょうから? 俺もティーンも休んでますよ。ね、ウィク様?」
 ウィクはエアーに顔を覗かれて、曖昧な微笑を作ってみせる。エアーの反対側でティーンが嘆息した音が聞こえた。
「しかたがないか」
 と、デリクが冷静な声音を出した。甲板の広い場所に立つと「セフィ!」と、高らかに叫ぶ。
 セフィが甲板の上から飛び立つ。人間たちから隔離された場所にいた一騎が飛び上がると、同じくヴィアのペガサス・リーも空へと舞い上がった。
「リー! 行くよぉ!」
 デリクの反対側に走りながらヴィアが叫ぶ。リーは空中から急降下すると、甲板の上すれすれでヴィアを拾い、一瞬で空に舞い上がる。
 二人の天馬騎士が空に昇ったのはほぼ同時で、竜騎士が独りだけ残されていた。弓士のカランは自分の持ち場から離れた様子もない。
 ユーガは「わぁっ」と、不謹慎にも至極嬉しそうな声を出した。
「伝説の天馬騎士と同じ空で戦えるぞ、レジャー!」
 阿吽の呼吸で、ユーガの目の前の海上にレジャーが舞い降り、滑空する。ユーガは躊躇なく船から飛び降りると、レジャーの背中に跨り上空へと上昇する。
 地上で剣士二人と騎士一人の三人が見守る中、誰にも語られることなない争いは勃発した。


□■□


「……ねぇウィク様。散々訊いてきたことなんですけど」
 小さく、ぽつり、とエアーが言葉を落とした。だが、戦いの喧騒に包まれた空間では、少しだけ離れて立つウィクとティーンの耳には届かない。
 エアーは何食わぬ顔で続ける。聞こえないことも知っていた顔で、聞こえていなくとも構わないという目で。
「俺は、何のために親衛隊に配属になったんでしょうねぇ」
 何の抑制もつけられない声、誰にも届かない声。
 どうせなら、とエアーは微かに思った。
 空で争う天空隊を見上げながら、少しだけ羨ましいと、心のどこかで呟いた。


■□■


『白き天馬騎士、戦う姿は鬼人の如く。笑う姿は慈母の如く』と、称される。ヴィア・ハワーが詠われたのは今から四年ほど前まで続いた、ウィアズ王国と隣国・マウェート王国との大戦時である。
 当初二大隊制であった王国軍の三大隊制への移行時、ヴィアは新設された三つ目の天馬騎士隊長として高等兵士の席につくことになる。当時、同じ大隊に配属された高等兵士の面々はヴィアの戦闘における人格を見て驚愕した――というのは余談ではあるが、確かに。普段のヴィアを知る人間であるなら、あまりの変わりように驚愕の念を隠しえないのは仕方がない。
 だがヴィアの戦闘における人格を、笑って受け入れた人物が三人いる。
 カタン・ガータージ・デリクと、サリア・フィティ。後に親友となるアタラ・メイクルである。
「死にたい奴はかかってきな! 遠慮はいらないよお!」
 ちなみに今現在共に戦っているデリク・ガータージ・カタンは、苦笑を浮かべていた。
「話には聞いていたが……」
 ぼそり、とセフィに溢す。セフィは敵の攻撃を悠々と避けた。
「……物騒この上ないな」
 セフィが笑うように鼻を鳴らした。デリクはかぶりをふって気を取り直すと、自分に襲い掛かる火の粉を確実に払う。
 ひゅん、とデリクの矛先の寸前を、矢が通り過ぎていった。普通の矢であるにしてはあまりに鋭い。どこまで登っていけるのかと、一瞬だけデリクは訝ったが、すぐにやめた。余計なことを気にしている場合ではない。
「わざとぎりぎりに飛ばさないでくださいよカランさーん!」
 デリクの上方から声が落ちた、ユーガのものだった。
 デリクは少し後退して、あきれついでに嘆息を漏らす。
 四年前まで続いた戦争で名を上げた人間なら大抵は知っている。ゆえの嘆息だった。
「これでよくウィアズ王国は守られていたな……」
 演習半分、負傷者多数。死者はいまだ誰もいない。
 竜の羽ばたく音と、竜騎士が海に落ちる盛大な音以外、ほとんど何も聞こえなかった。

 ユーガ・ライトルは軍人一家ライトル家の長男にして、竜人シリンダと呼ばれ名高い竜騎士シリンダ・ライトルの息子である。母親は同じ大隊の高等兵士を務める天馬騎士レッカで、シリンダはよく、天空隊の先輩たちにからかわれたらしい。ユーガは日に日にシリンダにそっくりになってくるのだと、ユーガ自身も言われた覚えがある。――戦い方はまったく違うけれど、と。
 ユーガはレジャーの背中に立った。竜の背中は酷く不安定でバランスをとろうともなかなか長くは立てない。戦いの真っ只中に竜の背中に立つことは、自殺行為とも言える行為だ。
 ユーガは足の裏でレジャーに合図を送った。レジャーは一声鳴くと、不意に急降下を始めた。ユーガは手綱を握ってはいるが、同じ速度で落下しているのと大差はなかった。
 レジャーが急激に止まった。空中でぐるりと前転をすると、ユーガを空中へと放り投げる。放り投げだされたユーガはいつの間にか大剣を手にして、放り出された先をじとしてみていた。
 ユーガが見る先に、一人の竜騎士がいた。竜騎士は音もなく空中に現れたユーガに対して目をむくと、すばやく槍を構えて待ち構える。だが、遅かった。
 ユーガは空中で大剣を振り、槍に当てて受け流す。そのまま竜騎士が乗っている竜の背中に着地すると、ニッコリと満面に笑みを湛えた。
「海に落ちる? どうする?」
 竜騎士が顔を険しくゆがめ、ユーガに向かい直る。
「弱輩者が何を!」
 刹那、ユーガが表情を落とした。相手が何かするより先に、大きく振りかぶり、肘を思い切り相手の顔にぶつける。ひるんだ身体に追い討ちをかけるように、踵で竜から叩き落とした。
 実を言えばこの体術。とある人物にユーガが実際にやられた方法である。ユーガのときは下に海はなく、あまり上空でもなかったが、容赦はなかった。
「……うっわー、寿命縮むって、ユーガ」
 ぼそり、と呟いたのは船の上で傍観を決め込んでいたエアーだった。隣にいるウィクがけらけらと笑い、「そうだね」と明るい声で答える。
「エアーは他人のことが言えないと思うけど、ユーガの戦い方は本当に寿命が縮む。よりによって空中だからね」
「ユーガにとっては地上よりも空中のほうが安定するのでしょう。……あとでしかりつけてはおきますが」
 至極平和に会話を交わし、ひときわ派手に動き回っていたユーガを眺める。ユーガは迎えにきた自分の愛竜レジャーに飛び乗ると、槍を掲げて叫ぶ。
「将は落ちた! 退くなら今のうちだぞ!」
 空の時が、一瞬だけ止まった。隣で戦っていた竜騎士同士が顔を合わせ、少しだけ頷いた。――直後。
 堰を切ったように竜騎士たちが踵を返して引き返し始める。中には小さく「助かった」と呟く声さえある。本当は戦いたくて戦っているわけではなかったのだ。
 海に落ちた竜騎士たちの上に相方の竜が飛んでいる。ひょうきんな竜は釣りでもするかのように尻尾を海の中にたらして、相手が掴んだところを引き上げるという――おそらく竜自身は良いことをしたと思っているに違いないが、もっと別の助けた方があるだろう。様々な助けられ方で助けられた竜騎士たちも、退いていく他の竜騎士たちへと続いていく。
 中で、一騎、海から上がって船に登った竜騎士がいた。最初に現れて、ユーガに海に落とされた竜騎士だった。
 ぜい、ぜいと荒い呼吸で空気をむさぼりながら、甲板に両手を置いている。海水が身体から滴る。横に、竜が佇んでいた。
 空で戦っていたヴィアやデリクやユーガたちがゆっくりと集まって、全員がウィクの周りにあつまった。ウィクは全員の前に出て少しだけ首をかしげる。
「まだ、伝言があるのか?」
「と、とんでもない……伝言はあれで最後……手向けの言葉にしろと……」
 いいながら、竜騎士はゆっくりと立ち上がった。ウィクは柔らかに微笑を湛えていて、少しだけ気の毒そうに覗いている。
 気の毒だと、思われる理由はないのだ、と竜騎士は思う。誰よりも気の毒なのはウィク自身だろうと、そしてウィク自身も自分の気の毒さを充分知っているはずだ。
 竜騎士は少しだけ動いて、ウィクに問うた。
「あなたは……最初からこうなることをご存知だったのですか?」
 ウィクがニコリと笑って、首を横に振った。
「いや、知らなかった。これが最初ではないし、色んなことがあったからね、驚けないだけだよ」
「私には解せないのです、ウィク様。ウィク様はこうして狙われてしまう方です、しかしご自身も剣の使い手でしょう。それなのに、これほどまでの人物を集められている理由はなんなのです?」
 これほどまでの人物、と呼ばれたのは親衛隊のことである。親衛隊は全部で六人という少数ながら、元々王国軍で武名を上げている人間が多かった。最高等兵士のカランや、毎年昇格の指名を受けながら辞退し続けているアタラ、もともとカタンの下で補佐官をしていたエアーや、現在天馬騎士筆頭であるヴィア。ティーンは高等兵士に昇格した時点でウィクと共にあった。
 ウィクは困ったように首をかしげる。どうして、と問われてもウィク自身は分からなかった。ウィクが故意に集めたわけではなかったから。
 困るウィクの肩を、トントン、とエアーが叩いた。悪戯に笑みを浮かべてウィクの顔を覗く。
「ここが最前線だよ、見てわからないのか?」
 エアーの隣でカランが答えた。両手を組んでいるが、表情には険しさはない。
 竜騎士は首をかしげた。
「……いつも、このような?」
「君も分かっていたことだろう? 出張中はあまり気が抜けなくてね」
 やはり困ったような笑みのまま、ウィクが答えた。隣にいたエアーがくるりと踵を返して、竜騎士に背中を向け、カランが無造作にエアーの後を追った。
「では……私は……」
 半ば呆然とした、竜騎士の顔から表情が抜けた。甲板についていた手を握り、唐突に立ち上がって甲板を蹴った。
 走り出す先にいるのは一番前に出ているウィクだ。ウィクから離れた二人が微かに振り返る。だが今から踵を返したとて間に合いはしないだろう。竜騎士とウィクの距離は至極近い。
 竜騎士が腰の剣を握ってすばやく振りぬいた。まるで絶叫のように叫びながらウィクに向かって剣を振りかぶる。
 ウィクは剣の刃の先でニコリと笑った。自虐的ではない。まるで相手を、慰めるような目で。
 一瞬だけ、躊躇した竜騎士とウィクの間に、人が一人躍り出た。普通の剣よりも大きな剣を振り、振り下ろされた剣へとぶつけ、衝撃ではじき出す。甲高くむなしい音が海に響いた。
 ぴたり、と竜騎士の足が止まった。何もなくなった手の平を眺め、力なく甲板に座り込む。
「……私は……?」
 ウィクは剣をはじいたユーガの後ろから竜騎士を覗き見た。何もなくなった手を――否、虚空を見つめる竜騎士を哀れにも思えた。
「帰るといい」
 ウィクの声が、染み渡るように広がる。はじかれた剣を拾ったティーンが、竜騎士に剣を渡し、ウィクの傍に控えた。
 竜騎士はウィクの顔を見上げた。間にいたユーガは少しだけ退いて、だが警戒を怠ることはなく。
「どうしてか……分かった気がします。貴方が狙われるわけ、これほどまでの人物が貴方の親衛隊に集まっているわけを……」
 剣を鞘に収め、竜騎士は立ち上がった。
 式典で使われる簡易礼をウィクに示し、首をかすかに横に振った。
「この旅について、私は言及はいたしません。あったことでさえ知らないこととなります」
「そうだね、それがいい」
「貴方を守るべき人物は、より多いほうがいいはずでしょうが……」
「いいんだ。私は今いる皆に守られている。皆が強いからとかでなく、私には充分だよ。君が心配するようなことじゃない」
「そうですか……」
 竜騎士が顔を上げてウィクを見た。ウィクは穏やかな屈託のない笑顔を浮かべていた。決して平和でもないのに、平和そうな顔で。
 少しだけ、泣きたい気分ではあった。けれど、涙を見せる理由が見付からない。
 竜騎士はくるりと踵を返し、自分の相棒である竜に跨り、颯爽と空に消えた。


 ウィクは竜騎士を見送り、短く失笑する。誰もが沈黙して誰かの次の言葉を待つ。いつもそうだ、いつも皆が心のうちを隠している。
 本当は、戦いたくはないのだ。
「王子っ、無事ですかっ?」
 ユーガは場に似合わず、彼らしい元気な声で沈黙を破った。大剣は鞘にしまい、目を丸くしてウィクを覗く。
 ウィクはユーガの顔を見、ニコリと笑った。
「大丈夫だよ、ユーガ。だから、私を呼ぶときはウィクと……」
「良かったです、護れて」
 屈託なく笑うユーガを見て、ウィクも心の底から笑った。――本当に、ありがたいのだ。
 本当に、傍にいてくれるだけでありがたいのだ。強いからとか、護ってくれるからだとかではなく。屈託なく笑い、遠慮せず一緒にいてくれる。自分が黒髪の王族であるとか、本当は王城にいてはいけないのではないのかだとか、そんなことを忘れさせてくれる。生きていてもいいのだと思わせてくれる場所を、
「ありがとう、ユーガ」
 護れるような人間になりたいと、心の底から思っている。


「………」
 エアーは一番に場所から離れて、船首に立った。潮風が強く吹きつける場所で、水平線の向こうを眺める。
 水平線には何もない。水平線の向こう側には、おそらく目的地があるはずなのに。
「エアー」
 後ろから、エアーと相棒と称されるカランが声をかけた。風の強い場所では彼の長髪はいっそう邪魔そうで、カランは片手で自分の髪の毛を押さえながら、少しだけ首を傾げた。
「エアー」
 聞いていないはずがない。エアーは二度目の呼びかけで、ようやく振り向いた。カランは安著するように短く息を吐き出すと、ゆっくりと近づいてエアーの隣に立った。
「何だよ、カラン」
「別に。一人でふらふら歩いてくの見えたから」
 しれってとして、カランはエアーの隣の手すりに背中を任せた。エアーは再び水平線を見やり、「なんだよそれ」と、笑い交じりに応える。
「騒動も終ったからいいだろ?」
「うん。ただ、結構堪えてるんじゃないかと思っただけ」
「何が堪えるって?」
 エアーが飄々とした笑みを作り上げた。カランはエアーを目線だけで見る。
 エアーは肩をすくめ、半眼になって水平線を眺める。水平線の向こうに何を見ているのか、カランは少しだけ訝る。
「ありがたいだけありがたいぜ。俺はな。ウィク様の親衛隊なれてよかったかな」
「本当にそう思ってるのか?」
「あぁ。何言ってんだ、カラン。お前が嫌だっていうなよ」
「俺は元々自分から入った人間だし」
 ずるり、とカランは手すりの上で背中を滑らせて床に座った。エアーは短く笑うと「だったよなぁ」と。
「物好きな奴」
「矛盾してるぞ」
「こっ……細かいこと、気にするなよ」
 元々、エアーは嘘が苦手な人間だ。カランは空を見上げて大きく嘆息すると目を閉じた。エアーの心境など、カランが知りえるはずがない。エアーは自分の本当の心境など滅多に口にしないし、カランは言及してまで知りたいとは思わなかった。
 エアーには、カランが言及をしないことが、何よりありがたかった。
  


⇒To the Next story.
⇒To the story Before.
⇒ It Returns to the Cover.
inserted by FC2 system