藍は普通の中学三年生である。
 ファンタジーと妄想が好きなだけで、これといったことはない。たとえば神経科に通わざるを得ない状況であるとか、目の中に小人が住んでいるんだとか、そんなことは絶対にない。
 容姿も普通だ。
 男であるがゆえか多少短くなっている髪には、色は無く黒一色。耳や鼻やましてや腹などにピアスなどもない。極々どこにでもいるような、年齢よりもさらに童顔の少年である。
 受験ノイローゼなどになるほど勉強もしていないし、ドラッグなどには手を出していない。霊感など皆無だ。
 それなのに非通常のことがあろうともびくともしない度胸がある。
 彼はよく、現実の中にありながら、幻想の世界を見るのである。


運命の子


 夏休みの一日だった。
 その日も太陽は高く、空は青々として、暑い一日の始まりを象徴していた。
 横になった場所からみる窓の外は、その青と、山間にある田舎ならではの木々の枝しか見ることはできず、いつもの風景でしかなかった。
 たとえば、自分が今置かされている状況が非日常であったとしても。
 彼は嘆息して、もう一度目を閉じた。
『起きなさいっ! 何時だと思ってるの!』
 非日常の声が聞こえて、ゆっくりと眼を開ける。
 相変わらず、目の前には金色に光る剣が実際寸の大きさで横たわっている。
 彼――藍は諦めて置きあがり、剣を見下ろした。
「剣ってしゃべるもんかなあ」
『私をただの剣と思ったら大間違いなのよっ!』
 剣は即答して見せた。柄と鞘に埋めこまれた青色の宝石を瞬かせながら、主張するように叫ぶ。
『私はね! 大きくもなれるし小さくもなれる、魔法の剣なのよ! そんじょそこらの剣と一緒にしてもらったら困るわ!』
「いや、そのまえにそらへんに剣なんて無いし」
 藍はやはり嘆息した。寝ぼけた頭をぽりぽりとかいて、現実なのか確かめるために頬をつねってみれば、頬は悲鳴を上げて痛む。
 藍は観念するように剣を半眼で見やった。
「ねぇ、剣さんさ、なんででかくて俺の前にあるわけ?」
 他の人間がみたら、馬鹿にするんじゃないかなあと思いながら、藍は彼女――声が高いから多分女――に話しかけた。
 彼女は宝石を瞬かせる。
『なによぉっ! 藍が買ってくれて私は大きくなれたのよ! 藍と一緒に旅に出るために!』
「は?」
『は? じゃないわ! 酷いのね! 私のこと忘れるなんて!』
 ぽかん、と藍は口をあけた。剣をしっかりと眺めながら、記憶をたどる――たどるまでもなくこんなものは買っていないのだが。
 剣はさらに話しつづける。おそらく泣いているのだろう。啜り声が聞こえる。
『だって、私は運命の出会いだっ……て思ってたのよ? それなのに藍ったら私のこと一日二日で忘れて――』
 ビシャン!
 唐突に部屋のドアが開いた。驚いてその方向に顔を向ければ、母親が息みだった様子でドアの前に立っている。
 藍は母親に向かって意気揚々と叫ぶ。
「俺旅に出るよ!」
「はいはい、そんな暇があったら受験勉強しなさいよ」
 母親はひらひらと手を振って部屋を後にしていく。藍は憤慨して剣へと目をやった。
 だが剣の姿はどこにもなく、数日前に買ったキーホルダーの姿が、物言わず横たわっていた。

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