>> エピローグ 未来へ <<




   ゼイランドの首都セレダランスの中央に、ゼイランド国王の住む王城があった。
 ゼイランド国王ルーゼントは小太りの男で、政務に忙しない。現在の妻とあわせ、二人の妻を持っており、最初の妻――カレント・フェンガラスとの間に姫が一人と双子の王子が生まれている。今の妻――メディナ・リーヴァとの間に子はないが、メディナの連れ子である三つ子を、ルーゼントは我が子であるように育てている。
 ルーゼントとカレントの間に生まれた姫は、レイディナと名づけられていた。五歳のときに行方不明になるも、昨今、民衆の歓迎を受けて帰還する。横に、ルーゼントと王子クレヴァーの姿があった。
 クレヴァーは、次期国王としての素質と、類稀なる美貌を持っていた。ルーゼントと同じ白銀の髪と鋭い眼光を持つ。臣下の人間に囃し立てられることはあっても、馬鹿にされることはなかった。セレダランスの貴族の女たちの視線を集めながら、誰かに現を抜かすということは全くなく、うるさがっているくらいものだった。最近はイシュに愚痴をこぼす。故にか、表情も昔より柔らかくなったと専らの評判だった。
 イシュは、一歳にも満たない頃、レイディナと共に行方不明になっていたクレヴァーの双子の弟である。クレヴァーと同じ顔でありながら、母カレントと同じ色――鉄色の髪を持つ。セレダランスの王城に無理やり連れて来られてからは、専らクレヴァーの話し相手と、見世物状態になっていた。
 もうすぐ、クレヴァーとイシュの一八歳の誕生日だった。ゼイランドの成人年齢は一八歳で、国中が湧きだって王子たちの成人を祝い始めた。
 渦中の一人である、イシュー・フェンガラス=ゼイランド・サー――イシュ・フィングラスは、セレダランスの町並みが見渡せる、高台にいた。誰でも来ることができる場所だが、今はお祭り気分に忙しいのか、イシュ以外誰もいなかった。
 イシュは石造りの縁に腰をかけ、背中でセレダランスの町並みを眺めていた。いつも通りのくたびれた服を着て、剣をぶら下げている。ゼイランドの宝剣クルス・リュードはやはり、彼の腰に括られていた。
「……つっかれた……」
 ぼそり、とイシュは呟く。本当の誕生日は知らなかったが、別の誕生日であってもこれほどまで祝福された誕生日は今だかつてない。――それに、まだ誕生日でもないのだ、祝われるいわれはない。
 ゼイランドの王族万歳の雰囲気は、やはり当事者にならなければわからないものなんだと、イシュは改めてクレヴァーに同情する。――とはいえ、既に自分も王族であることがばれている、傍観者になりきれない。
 半眼になって、一人、うぅ、と唸った。中途半端に伸びた髪は細く柔らかく、無造作に下に垂れる。至極、邪魔だった。
「イシュー様」
 と、淡々とした男の声が、イシュを呼ぶ。王城ではとにかく「イシュー様」だった。様なんかつけないで欲しいと、イシュはとにかく頼んだ。だが、誰も聞いてはくれなかった。
 イシュは顔を上げ、前髪をかきあげて自分を呼ぶ人間を見やった。
 王国剣士、ジェン・クレーズ。
「ジェンさぁん」
 とイシュは嘆息交じりに答える。ジェンはニコリと笑うと、イシュの目の前に立ち、手の平に拳を当てるという礼法を示した。
 相変わらずの黒い服で、しっかりとした足取りだ。一時は危篤状態になった彼だが、奇跡的にも生き返ってきたと言うわけである。
「やめてくれよな、ホントゼイランドって王子王子ーだよな」
 顔を膨らませて、イシュは言う。ジェンはまた微かに笑いを浮かべた。
「私もまだ、イシュ殿がイシュー様だという実感がわかない。赤子のとき、一度拝見させていただいたが……」
「こんなにバカに育つとは思わなかったっていうんだろ? 分かってるよ、そこらへんでひそひそ話してるのまる聞こえだもんな」
「大きさが違いすぎて、実感がわかないだけです」
「……そ、そか……そう、だよな……?」
(どっかずれてんだよな、ジェンさんって)
 腕を組み、イシュは胸中で苦笑をもらす。だがジェンを好きなことは好きなのだ、おそらくずれているからこそ、なのかもしれない。
 ジェンは「あぁ」と思いついたように口を開いた。
「レイディナ様の、衛兵に戻ることにしました。レイディナ様と共に、そのうちアンコータブルへと赴くでしょう」
「そか、」
 とイシュは笑顔を作って見せる。イシュがレイディナに再会してからまもなく、ユソラが息を吹き返したのだ。カンの命鱗を受け、再び生命としての鼓動を得たのである。
 レイディナはユソラと結ばれるだろう、イシュは直接聞いていないが、そうであればいいと思う。
 イシュは目を細め、空を見上げた。青く澄み渡った空に白い千切れ雲が泳ぐ、限りない大空。
「そうだよな、幸せになってくれよってレイディナに伝えてくれよ、ジェンさん」
 ジェンは訝って首を傾げた。イシュはジェンの顔を見やると、悪戯に笑い、片手を上げた。
「絶対な、絶対伝えてくれよ。心から祝福してるってさ!」
 不意に、イシュの身体が高台の外へと傾いた。ジェンは無言でイシュに飛びつき、身体を支えようと試みた。――だが触れた瞬間、イシュの身体が消えてしまった。
 唖然として辺りを見渡すも、イシュの姿はない。
 風にジェンの黒い髪がなびく。ジェンは不意に風が吹いた方向をみやり、微かに笑いを浮かべた。
 何故か、風が笑っているように思えた。

 イシュは王城の外の叢に隠した荷物を担ぎ、昔からの外套で顔からすっぽり顔を隠した。顔を隠したまま、セレダランスの街中を突っ切る。屋台が建ち並ぶ大通りを、わき見も触れずに駆ける。――風のように。
(ごめんな、陛下、皆。俺やっぱり旅にでるよ)
 胸中で謝りながら、少しの間過ごした産まれ故郷をふりかえる。――まったく故郷という実感がなかった。赤ん坊のころの記憶などなく、イシュにあるのはレイゼランズで育った記憶だけだ。故郷といって思い浮かべるのは、レイゼランズくらいものだった。
 だが、セレダランスは思い出の街だ。自分の心の中や未来を、見つけ出す始まり土地だった。
 いつか、また帰ってくる。
 進行方向を見やって、笑いを浮かべた。大通りを通りぬけた先の港に、人が待っているのだ。
 フード付きのローブに身を隠し、大通りを走ってくるイシュを見つけると、片手を上げて合図を送る。
 イシュは満面に笑みを湛えて、乗る船を指差した。
「行きましょう、クレヴァーさんっ!」
 クレヴァーがフードの中で笑った。フードが外れないように頭を抑え、イシュの横を走りだした。
 船が「ブォー」と、出発の蒸気を吐き出す。「待ってくれっ」と叫ぶ、イシュの顔には一片の曇りもない。隣を走るクレヴァーの顔にも、やはり曇りなどなく、面白そうに天を仰いで笑っていた。
 イシュが船に滑り込むと、クレヴァーは港で立ち止まって、イシュを見上げた。
「私はいかないよ、イシュー」
 桟橋の上でクレヴァーが立ち止まる。イシュは驚いて立ち止まり、船員が迷惑そうに二人を見やった。
 クレヴァーはフードの奥でニコリと笑い、片手を挙げ、一歩後ろに下がった。
「私は、ゼイランド・サーだから。私がすべきことのために、私はここを離れられない」
「でもクレヴァー兄」
 ようやく慣れた名前で、イシュはクレヴァーの名前を呼んだ。クレヴァーはフードの奥で声に出して笑いそうになるのを必死で堪えた。イシュが「クレヴァー兄」と呼ぶのは、酷くぎこちなかったが、本当に兄弟であるかのような気がしてくる。
 イシューと、再び離れるのは嫌だったけれど、とクレヴァーは思う。イシュと出会えたからこそ、自分も前に歩き出せるような気がしてきたのだから。
 イシュは困ったように眉間に皺を寄せる。
「世界を見て回るのも、ゼイランドのためになると思いますよクレヴァーさん」
 呼ぶ名前が、元に戻った。クレヴァーは声に出して笑うと、「だから」と。
「イシューが私の代わりに見てきてくれないか。父上にも、そう言っておく」
 イシュがいじけたように顔を歪めた。――また一人旅かな、と。説得したい気持ちを必死になって堪えている顔だ。
 イシュは「いいですけど」と、少しだけ俯いた。
「俺も結構寂しいなぁ、とか思ってるんだけど……」
 小さな声で、イシュが言う。クレヴァーはイシュの肩を桟橋の奥へと押しやり、自分は桟橋を降りた。
 船員があわただしく桟橋をおろし、船はすぐに出発する。
 イシュはすぐに甲板へと駆け上がった。
 少しだけ高い場所から見るセレダランスは、酷く美しい街だった。――初めて見下ろしたときも、綺麗な町並みだなと、感動したものだ。
 あの時ほど新鮮さはない。
だが酷く懐かしい。自分の産まれ故郷――セレダランス。
 イシュは港で見送るクレヴァーを見下ろし、片手を高く掲げた。満面に笑みを浮かべ、大きく手を振る。
「きっと手紙書きますね! どこ宛に送ればいいかわかりませんけど!」
「待ってる! 私も、書くから!」
 別れていくけれど、どうしてか寂しくはなかった。
 二人とも満面に笑みを浮かべていて、涙など流す様子もない。
「また会いましょうクレヴァーさん!」
「また帰ってきてくれイシュー!」
 また、会える。
 同じ時に産まれ、同じ時を生きた。
 種族は違い、育ちも違うけれど。反発しながらも共に歩き、各々のやるべきことのために歩き出すすべを、共に見つけたのだから。
 船は陸から遠く離れていく。イシュはずっとセレダランスの街並みを見ていた。
 イシュは小さな声で呟いた。声が風になって、大切な誰かの耳に入らないだろうかと。
「俺が生きてるってこと、証明してくれてありがとう」
 歩き出そう、皆に暖かい風が吹くように、自分も暖かい風になれるように。自分の傍で生きる大切な人々にだけでも、幸せを運ぶ風のように、なれるように。
 イシュはニコリと笑いを浮かべ、遠くなるセレダランスにいる人々へと語りかけた。誰にも聞こえる距離でも声でもない。
「俺も、生きてるってこと、証明できる人間になるから。幸せになってくれよ、皆」
 空の千切れ雲はいつのまにかどこかに消えて、空も真っ青に笑っている。
 ゼイランドでは桃色の花が咲く、暖かな春のことだった。

⇒ thank you for reading
⇒ befor story
⇒ top page

inserted by FC2 system