なんでどうしてなんで。
 頭の中に疑問符が次々と浮かぶ。重なりすぎた疑問符はすでに疑問符であるのかすらも怪しい。もしかしたら文字なのか、映像なのか。
 必死になって走っているうちに、何を知りたいのかがよくわからなくなった。
 道の横の茂みの中に突っ込んで、少し切れている息に気がついて立ち止まった。
(なんで私走ってんの)
 辺りは微かな朝靄。
(なんでこんなとこいるの?)
 茂みと木々と、辺りは深い緑。昨日まで生きていた場所とは別の世界で。朝靄の姿はまるで夢の中のようで。
(なんで、)
「おい!」
 声と共に乱暴に肩を掴まれて知恵は振り向いた。振り向いた先にいたのは緋月。確認した瞬間、乾いたパシンという音と共に片方の頬が熱くなる。
「逃げてんじゃねぇよ! こん馬鹿!」
 痛みだと分かったのは、数秒してからだった。
 辛うじて平手だったけれど、緋月は容赦なかった。いつの間にか知恵は横を向いていて、痛みだと自覚してからゆっくりと打たれた頬を押さえた。
「逃げてなんか……」
 知恵の頭の中にはまだ疑問符ばかりだ。そもそもこの世界に連れてこられてからわけのわからないことばかりだったのだ。その上に中途半端に隠された甲斐の不調の理由。どうやら知恵以外の人間は理由を知っているらしかった。
「逃げてんじゃねぇかよ。おい」
(なんで、そんなこと言われなきゃいけないのよ)
 軽く肩を押されて、知恵は再び緋月を見る。
(なんであんたがそれを気にしてんのよ)
 言葉にせず、知恵はただ緋月を睨んだ。緋月は顔を歪めた。
「なんだよ。言いたいことがあんなら言いやがれ」
 ゆっくりと口を開けて、口から空気を吸い込む。
「逃げて、何が悪いのよ」
「なんだと?」
「なんで逃げちゃいけないのよ」
「当たり前だろ!」
「逃げて、何が悪いのよ!」
 傍目にも緋月の頭に血が上ったのが分かった。
 感情のままに緋月が片手を振り上げると、知恵が反射的に身を縮めた。その姿に緋月は顔を歪めた。舌打ちすると手を下す。
「教えてやるよ。知りたくもねぇだろーけどよ」
 知りたい気持ちと、知らないでいたい気持ちと。
「甲斐の野郎が倒れた理由。……って、お前甲斐が倒れたのも覚えてねぇだろ。お前も倒れてたもんな」
 そもそも知ってどうなるというのだろう。
「……何時?」
「昨日。お前が錬と徹に連れてかれて、そん時だ」
「どうなったの? 忍も私が『隔たり』使って倒れたってしか教えてくれなかったけど」
「お前が『隔たり』で魔物いっきにぶっ飛ばしたから、魔物の『心』が聞こえた甲斐がぶっ倒れたんだと。同調だとか言ってたけどよくわかんねぇ」
「私が……?」
 緋月から目線を逸らして、知恵は風に揺れる茂みを見やった。
「昨日……」
 小さな声で、知恵が。緋月は眉を顰めた。
「甲斐たちが魔物と戦ってた時、魔物が倒れるたびに甲斐が苦しそうな顔してた。自分が痛いみたいな顔してて」
 感情のない呟きのような言葉。
「たすけ、た……か、った……?」
 疑問符。
 知恵の頭を占領しているのは今だ疑問符。
「助けたかった、わけがないじゃない。この私が」
「?」
「ただたんに面倒くさかったからそうしただけ。責任とか問われても困るし、なんで逃げるなとか馬鹿に言われなきゃいけないのよ。何から逃げるの? 逃げなきゃいけないものがあるの? 全部勝手に決めて、勝手に関わってくるだけじゃない。馬っ鹿じゃないの? そんなに嫌だったら、関わってこなきゃいいでしょ!」
「んだと?」
 乱暴に知恵を掴んで緋月が怒鳴った。知恵は本能的に緋月を睨む。
「だから、関わんなって言ってんのよ!」
「それ、俺に言ってんのか。誰に言ってんだ?」
「あんたも、どいつも、こいつも!」
『隔たり』
 そんなものずっと感じてきた。
 他人と自分。他人と他人。一瞬だけ分かり合えても、すぐに感じる『隔たり』。
 一時の感情なんかに流されて、忘れてはいけないのだ。
 自分は、一人だということ。
 

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