――夢を見ていたような気がした。
 怖い夢だった、悲しい夢だった。怖いとか悲しいとかいう感情なんて、とても久しぶりに感じた気がする。
 知恵はぼんやりと目の前を眺めて、大きく息を吸った。肺に入り込む空気が心地よく、そのまま重力に押されるままに肺から息を追いだす。
「おはよう、知恵」
 聞き覚えのない声が聞こえて、知恵は訝りながら目線を動かす。小さな三つ編みを二つさげた女性が近くに座っているのが見えた。小さな顔、体系だって見るからに小柄。かわいらしい女の子。
 知恵が体を起こすと、ベッドが少しだけぎしりと音をたてた。
「おはよう……?」
「あ、初めまして、だね」
「はじめまして……」
「私水把(みずは)。水をつかむ、水把。私も選出者。知恵の学校の大先輩」
「あ……はい、はじめ、まして」
「敬語はなしでいいの。私より新しい女の子は知恵が初めてだから仲良くしてね」
 ぽかん、と知恵に空白があった。困惑した様子で、ゆっくりと「うん」と答えて口を閉ざす。
 水把が心配そうに知恵の顔をのぞく。
「どこか痛い?」
「ううん」
「動ける?」
「あ、うん」
 知恵の返答は至極ぎこちない。何故かと問われれば知恵を知る者なら即答するだろう。――寝起きが悪いから。知恵はこれでも必死に寝起きが悪いのを隠しているのである。
「あの、ここ、どこ?」
「知恵の部屋。……って言われてもいきなりここだからピンとこないかもしれないけど、知恵のために用意されてた部屋」
「私の?」
「そう。『知識』を管理してる全てを知れる人がいてね、その人の設計通りに『形』を管理してる人が創った部屋だから好みに合ってると思うんだけど――あ。あのね、『形』の管理者は、ものの形を作れるの。機械とかも構造を想像できれば簡単に作れるのよ」
 だから、と水把は笑顔で続ける。
「今も錬たちが壊したホール直してるのは『形』の管理者の真麻。本当、知恵も大変だったよね」
「なんのことか……」
「覚えてない? 気を失う前のこと」
「気を……?」
「うん」
 ――まったく覚えていない。
 おそらく起きたばかりだからだと知恵は思う。自覚できるだけ今回は寝起きはいい方だ。だからと言って、頭の回転までは良いわけではなかったらしい。
「君は『隔たり』の力を使って倒れたんだよ」
 別所から声が聞こえた。水把よりも遠くだ。聞き覚えがある。
 部屋の入口方面から現れたのは、忍だ。後ろに知恵には見覚えのない男がついてきている。
「君が倒れた理由はね、おそらく力の使いすぎ。慣れていないからね。そうなんだろう? 水把」
「たぶんね」
「慣れてしまえば……というか、使い方をわかってしまえば、いくら使っても倒れないぐらいにはなるよ。使いすぎるとやっぱり疲れるけど――精神面が」
「精神面?」
「そう、気を使って疲れるとかあるだろう? あれと一緒だよ」
 なんのことか、と知恵は口の中で繰り返した。気を使って疲れたことなどあっただろうか。――おそらく気を使ったことがないからだ、と一人で納得する。
 知恵の沈黙を理解と受け取ったのか、忍がうん、とうなずいて、実に微妙な表情で半分だけ背後に振り返る。
「それじゃ紹介するよ、知恵。緋月だ」
 忍の後ろにいたのは、漆黒の髪、漆黒の瞳。忍の背後に隠れきれては、全くいない。忍よりも頭一つほど背が高い形で、壁に寄り掛かって腕を組み、不機嫌そうに顔を歪めている。
「……面倒くせぇ……」
 確かに、そう、呟いた。
 忍がため息ひとつに緋月に振り返る。
「面倒くさい、じゃない。自己紹介ぐらいしろよ」
「わかってんよ」
 忍と緋月の間に流れる空気は険悪なのに対し、知恵の傍に座っている水把はその様子を見てくすくす笑っている。知恵が訝って水把を見やれば、水把は人差し指を口にあてて目くばせで緋月を示した。
「『時』の、緋月だ。……これでいいかよ」
「緋月にしたら上出来」
「てめぇ……」
 緋月はしばらくどこ吹く風の忍を睨みつけたあと、諦めたように溜息をついた。――水把が知恵に耳打ちした内容によれば、いつものことなので気にしないほうがいいらしい。なんでも、忍が緋月を連れてくること自体、とても珍しいのだとか。二人の仲の悪さはナイズでは常識らしい。
「で」
 緋月が今度は知恵を見やった。実をいえば知恵は、最初見たときから直感で『こいつ何か気に食わない』と思っている。さらに実は、緋月も知恵のその感想を、直感で感じ取ってはいる。
「一応訊くが、お前は?」
 知恵は胸中で嘆息する。
「知恵」
「『隔たり』の管理者だったよな」
「さっきからね、訊きそびれてはいたんだけど……あんたの『時』とか、『形』とか『知識』もそう。管理するってなに? なんのそれを管理するわけ」
「全部」
「は?」
「全部の世界に存在するそいつらを管理してるのが聖獣。で、そいつらに俺達はセンテアの分だけ任されてる」
 

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