エピローグ.オーバーチェア
        〜これより序章に続く〜

   これでもかと鍛え上げられた筋肉の塊が派手に床に転がった。転がったついでに気を失った半裸の男。
 倒れた男を見下ろしていた冷たい赤紫の瞳を観衆に移動した、長身痩躯の男の名はエアー・レクイズ。
「それで?」
 剣士として名高くなり始めた男だ。ウィアズ王国軍第一大隊の総司令補。他国に『化物』と呼ばれる高等兵士の一人である。
 なぜ高等兵士が『化物』呼ばわりか。単純に『化物のように強いから』だ。
「大人しく捕まるのか、刃向かうのか」
 剣さえ抜かず腕は組んだまま。不機嫌そうな低い声が小さな部屋に広がる。
「選ばせてやる。好きにしろ」
 さらに不機嫌そうに目が細められれば観衆から小さく息をのむ声がする。
 観衆は大人しく両手を上げた。
 エアーの背後からばたばたと王国軍の兵士が入り込んで観衆を締め上げる。エアーはつまらなそうに踵を返した。
 一滴の血も流さず、発足したばかりの強盗集団は解散したのである。



「まったく、エアーの眼力さまさまだよ」
 外に出てきたエアーを迎えたのは同じく高等兵士ミレイド・テースクだ。肩を竦めて明るい声で話しかける。エアーはミレイドを一瞥して進行方向を見た。
「悪かったな」
「褒めてるんだ、おかげで血を流さずに済んだ」
「そうか」
 答えるエアーの声は変わらず不機嫌なまま。ミレイドは苦笑した。
「あとはやっておくからお前は少し休め。戻ってきたばかりだろう? ファルカ行きだって決まったんだし」
「必要ない」
「休むのも立派な仕事だ。だいたい顔色が悪い。そんな顔色見せられる隊員たちも不憫だよ。今日は帰って休め。報告もしておくから」
 軽く背中を叩かれて、エアーは少し視線を落とした。表情からも帰りたくないのがよくわかる。ミレイドはどうしたものかなと思った。
「そうだ、早く次の副官決めておけよ。気持ちはわかるけどな」
 ミレイドは苦笑した。先の戦いが終わって、エアーは後処理と念のためでスノータイラーに数日留まった。帰ってきたのは今朝だ。帰ってきて早々会議で、各地の賊が議題だった。
 ピークが監視担当だったファルカの賊討伐の補助を請け負ったのはエアー。帰還早々だが、出発は明後日だ。
 その時点でエアーは副官を指名せず、隊員は休ませてくれと請求した。
 そういう請求をエアーがするのは、初めてだった。
 豹変、というか。
「ファルカで決める」
 この物言いもそう。
「ミレイド、ファルカ行きの間、迷惑かける」
 名前を呼ぶようになった。本当に唐突だ。サリアが名前を覚えろと散々言っても数ヶ月覚えなかったのに、唐突に覚えた。
 全ては“あの”副官が死んでから。
「気にするなよ」
 今は悲しみに暮れているからか、それは知らない。兵士の歴なら短くないエアーだ、克服する方法も持っているはずだろう。
 ともかくミレイドの今一番の困り事は、このエアーに対する対処法だ。考えるのに時間が欲しい。
「……女性の悋気のほうが、やりやすいよな……」
「聞こえてる」
「そうだよ!」
 良いこと思いついたとばかりのミレイドの笑顔。声を上げた。
「お前、一番街の娼家に恋人がいただろう。会いに行ってこいよ!」
「……流石に顔が広い」
「聞こえてるからな」
 エアーはミレイドから視線を逸らして嘆息した。
「行ってくる」
「よしっ」
 エアーはミレイドに軽く頭を下げて踵を返した。
(恋人じゃないんだけどな、あの人は……)
 嘆息は漏らさなかったけれど、足取りは重い。
(でも、きちんと別れを告げに行こう)
 逃げ続けた自分から、逃げるため。
 この世界に、立ち続けるために。 
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