|
ぱら、ぱら、ぱら、とばらばらになった紙が上から風に乗ってやってきた。誰かが書類か何かをちぎって捨てたものらしい。
エアーは風上を見やったが、見えたのは長い金色の髪が翻る姿だけ。
迷惑な奴だなと思いながら、宙を舞う紙片を一枚手にとって何気なく眺めた。
『ス・』とだけ書かれていた。ちぎりすぎて元の文字などわからなかったけれど、おそらく重要な情報ではないのだろう。こんなに無防備に放り投げるなんて。
エアーはウィアズ城を改めて見上げて、短く息を吐いた。
実に四日ぶり。
ノヴァが城に戻らなくてはならなかったから、ノヴァの代わりにフリクの後始末を手伝ってきた。ある程度名の知れた騎士なんだとクレハが言っていたクレハの友人も、流石に上司に言い訳が利かなくなったらしいと、すぐに自分の隊に戻って行った。手伝ってくれた魔道士のワイズも、「戻らないとやばい」のだそうだった。
王国軍で残ったのは、フリク出身の人間とエリクと、クレハと。
あまり多くの人間とはいえず、名の知れた人間も多くなく。
エアーは戦いの延長もあってそれを統率する立場にもなったが、文句も人一倍浴びた。
なんだか疲れたなぁと思いながら、何気なく城門の前で立ち止まって、見上げていた。
実を言うと最後まで残ったのは、エアーとほんの数名だけ。エリクもクレハも二日目には隊に戻って行った。
「あーあ」
思わず呟いて、肩から息を吐きだした。フリクの人間に約束させられたことが、一つある。
カタン・ガータージに会って、礼を言って欲しいのだという。
竜騎士の最高等兵士だから、訓練場がわからなくてもどうにか人に訊いてたどり着けと、厳命された。礼を言うついでに、ウクライの最期の言葉のことも聞いてみろと。
面倒くさいことこの上なくて。他の隊に行くのが億劫過ぎて。なんだか無性に疲れていて。
本当は父親の最期の言葉のことも、本物を聞きたくないと思っていた。
最期の言葉は、父親の竜から聞かされた。後に自分に乗るかと問うた竜に、エアーは首を横に振っている。
自分は、父親に誇りに思われるような人間じゃないから、と。
気がついたら強くなることに目的なんかなくて、強くなることだけが目標になっていた自分なんかには。
「おーい、そこの」
門番の兵士が定位置から声をあげた。エアーは眉をあげて視線を落とした。
「あんまり突っ立ってるとあぶねーぞ。入るなら入れ、どこの所属だ?」
「あぁ、クォンカ高等兵士の――第一大隊三番隊です。階級は中等兵士で上級剣士、エアー・レクイズです」
「あー、知ってる知ってる。お前か。問題ないから入れ」
「はい。ご苦労様です。あ、ついでに」
軽い調子で歩きながら門に近づく。
「カタン・ガータージ最高等兵士の訓練場ってどこか知ってますか? フリクの人たちから、伝言があって」
「あぁ、カタン最高等兵士なら、今日は休みで出てった。訓練場に行っても、本人はいないぞ」
「まさか。戦いが終わったばっかりじゃないですか」
「あぁ。今日ぐらいはって聞いてる」
「あー……」
エアーは顔をしかめて頭をかいた。
今日行かなかったら絶対行かない、という自信があったから。
「なんでいないんです?」
「さあ? だいぶ疲れてる顔して歩いてたからな。体調でも崩したんじゃないか?」
「はあ」
あんまり納得がいかずに、半生程度に返事をした。煮え切らない。
「緊急だったか?」
「いや……ま、いいかな」
肩をすくめて、門番に笑って見せた。門番が失笑する。
「そうか。ま、お前も疲れてる顔してるぞ。休みでも取れ」
「俺のこれは精神的なものなので。隊の訓練にでも出てたほうがよっぽど効果的ですよ」
言って、あははとエアーは笑った。
まるでひらひらと舞う紙片のような、不格好な笑いだった。
□
「目は覚めたか?」
薄暗い山小屋に入って一番、カタンは中にいる魔道士に声をかけた。
「いいえ。かなり酷い怪我です。生きているのは、天魔の獣たちの起こした奇跡としか」
「そうか。あるいは、彼女の願いかな」
無遠慮に奥まで入って、ベッドに横たわる男を見下ろした。
全身に包帯が巻かれたまま、身動きせずにベッドに横になっている。微かにある呼吸だけが、彼がまだ死んでいないことを証明していた。
白魔道士に治療させるにあたって、会わせる前に短く髪を切った。不格好にかなり短くなった髪、傷だらけの姿で、誰が彼をデリク・マウェートだとわかるだろう。
そもそも、姿を知っている人間も少ないのだ。
デリクが生きていると知っているのは、自分しか。
カタンは白魔道士に視線を動かした。にこりと笑って見せる。
「頼んだ。どうか動けるところまでは、治療してやってくれ」
「えぇ。金さえもらえればなんでも。カタン最高等兵士さん」
白魔道士もにこりと笑った。
「この人が誰だろうとかまいはしませんよ。他言もしません。あなただけはくれぐれも気をつけて」
「あぁ」
答えて、カタンは再び、ベッドに横たわるデリクを見た。
あるいは、エゴか、とも。
かけがえのない人間が助けようとした人間が生きている。自分にはそれだけでもありがたい。
カタンはデリクに、希望を託した。
| |