97.少年と少女と、つかの間の

   ふぇ、っと声が聞こえた。頭の上でエアーを見つめていた男の子が声を上げて泣き出して、青い瞳の女の子がベッドからおろして慌ててあやしはじめる。
 怖くないよって、言いながらも自分が怯えてたのが分かる。――エアーにも女の子が一瞬怯えたのが、見えた。
 何の関係もない二人を怯えさせて、エアーは少し決まりが悪かった。片腕を封じられたまま、なんとかベッドの上で座った形になる。
「……すいません」
「え? えっ、いいえっ」
 青い目の女の子が慌てて返事した。恥ずかしそうに笑いながら、泣きやんだ男の子を抱きかかえて立ち上がる。
「ちょっと、びっくりしちゃっただけだと思いますから」
「そうですか」
 エアーは一つため息。ベッドの傍の窓に目線を逃がせば、外はすっかり明るい。病院の傍の孤児院の子供たちが外に出て、それぞれの仕事を賑やかに始めた。その様子が夢と少し重なったので、エアーは窓からも目線を逃した。
「からだの具合は、いかがですか?」
 少し控えめに女の子が問う。部屋の中にある椅子に座って男の子を膝の上に乗せた。その前のテーブルには切っただけの布が置いてあって、エアーは少し、驚いた。もしかしたら彼女が布を裁つ音で、あんな夢を見たのかもしれない。
「……いかが、ですか?」
「あ……あぁ、別に、悪くはありません」
 また姿勢を直そうとして腕が引っかかる。布の結び方は見覚えがある。町で賊などを捕まえた時に使う結び方だ。衝撃ではほどけないし、片手でほどくのも難しい。抜けにくい結び方。それも一番難しいやり方で。
「これ、解いていただけますか?」
「解かせちゃだめってミーシャさんに言われてるんです。ごめんなさい」
「動けないんですが」
「もう少しでミーシャさんの仕事がひと段落つくと思うので、それまで待ってください。厳命なんです」
「そうですか」
 答えたエアーの声は浮かない。ベッドに座りこんで、何をするでもなく周りを見ていた。
 病院の音。どうやら入院している患者たちに食事を運んでいるらしい。食器の音が遠くで聞こえて、おはようございますという声もする。ありがとう、助かります。そんなやり取り。窓の外からは変わらず子供たちの声が聞こえてきていて、年長らしい声がひときわ大きく叫んだ。こら、遊ぶな。いじめるな。同じようなタイミングで鶏の叫び声が聞こえてくる。孤児院の隣にある小さな養鶏場から聞こえてくるのだろう。
 部屋の中からは、少しぎしぎしと椅子がきしむ音がして、女の子と男の子が何か会話している。会話している内容を、エアーは聞き取ろうとはしなかった。
(まだ、ましか……今日の目覚めは)
 エアーは肩から息を吐き出して、窓の外を見やった。
「あっ、そうだ!」
 がたんと勢いよく椅子が倒れる音がして、エアーは部屋の中に視線を戻す。きゃあと言いながら男の子を地面に置いて椅子を直す。青い目の女の子が慌てた様子で近づいてきた。
 ぺこりと、勢いよくお辞儀。
「昨日は、どうもありがとうございました」
「昨日?」
「助けていただいて」
 エアーは少し沈黙してから、「あぁ」と答えた。忘れていた。
「手荒にしてしまいましたが、本当に怪我はありませんでしたか?」
「えぇ。ちょっと驚いたぐらいで。心配してくださってありがとうございます」
 言って、にっこりと笑った。青い目の女の子の影には先ほどの男の子。
 じっとエアーを見つめて、「なあ」と唐突に。
「お前なんで目、赤紫色なの?」
「これか?」
 エアーは失笑した。
「なんでだろうな?」
「もしかして天魔史に出てくる、赤紫の眼を持つ剣士じゃないか?」
「違う。そんな大昔の話に出てくる奴が、ここにいるか」
「だって剣士だって言ってたぞ、父さんが!」
「確かに剣士だが、」
 手の届かない範囲にある自分の愛剣に目をやって、エアーは再び失笑。繋がれている片手を上げて見せる。
「その天魔史に出てくる奴が、こんな姿になるのか?」
「んん」
 エアーの腕に付いている布をじっと見つめて、男の子は靴をぽいぽいっと脱いだ。ベッドによじ登ろうとする。なまじ低くなかったベッドだ。じたばたとするも、登りきれない。見かねたエアーが片手ですぐ持ち上げると、案外に抵抗なくベッドの上に立つ。立つと今度はエアーの顔をじっと見る。
「お前、父さんよりでかいな」
「お前の父さんは、でかいのか」
「おう、でっかい。だから俺もいつかでっかくなるんだ」
 ベッドの上で背伸びしてえいえい、と片手を天井へ伸ばす。でかいと表現したいのだろう。ベッドが少しきしんだので、青い目の女の子がなだめるように男の子に手を伸ばす。少し落ち着いた様子の男の子に、エアーは少し笑った。
「なんていうんだ? 名前は?」
「ノワール。お前はなんていうんだ? 名前は?」
「エアーだ」
 答えて、エアーはノワールの頭をなでる。その手にじゃれつくように遊ぶので、余計面白がった。
「いくつだ」
「五つ。小賢しいだろう」
「はは、小賢しいな」
 しばらくエアーが片手でノワールと遊んでいると、ふと、ノワールが外側に指を突き出した。ベッドの横で茫然と見守っていた青い目の女の子を指差したのだ。
「エアー、失礼だぞ」
「ん?」
「女性には先に名乗って名前聞き出さなきゃいけないんだって、大兄が言ってた」
「あぁ……そうか」
 言われてエアーは青い目の女の子に視線を送った。本当に、一応、とばかり。
「エアー・レクイズと言います。あなたは?」
「え?」
 思わず声が裏返って、女の子。両手をぎゅっと握って、顔は真っ赤。
「ゆっ、ユエリアです。ユエリア・エクティンっ」
「初めまして」
「はっ、はじめましてっ」
 話を振られると思っていなかったユエリアはしどろもどろだ。エアーは少し肩を竦めてノワールに視線を戻す。ノワールはエアーをじっと見つめていて。
「ユエ姉さんは俺のだからな。手、出すなよ」
「お前のに手を出すか」
 答えてエアーはノワールのぷっくらしたほっぺを軽くつまんだ。ノワールが当然抗議するのをさも面白そうに。
(遊んでる……)
 ぽかんとして見ているユエリアの心境、まさに複雑。
(私にしか懐かなかったのにな、ノワール。でも仲直りできてよかった、かな)
 それを仲直りと言うかはともかく。
 だめだと無言で訴えるようにノワールはぺちぺちとエアーの手を叩いた。エアーは手を離すと、笑いながらまたノワールの頭をなでた。
「悪かった。お前のほっぺがつかめって言っててうるさくてな」
「んー」
 自分もつかもうとエアーに近づいて、ノワールはエアーの足の辺りでぴょこぴょこ動く。エアーは大人気もなく顔を逸らして逃げていて。
 横でユエリアは思わず、笑った。
「だ、だめじゃない、ノワール。エアーさんに迷惑かけちゃ」
「だめじゃない。エアーが先にー」
 ユエリアが抱き上げて少し距離を取らせると、むーとノワールが顔を膨らませた。その顔にユエリアが笑った。――ふとして、エアーがあっとした顔になる。自然に笑顔になっていた自分の顔に手をやって、顔をそむけた。
「あの……?」
 エアーの顔を覗きこんで、ユエリア。エアーがユエリアたちにもう一度向かい直る頃には、笑顔は消えていた。
「笑ってもかまわないと思いますけど?」
 ユエリアは努めて控えめに。エアーはばちが悪そうに眼を泳がせた。返答はなし。
 少しだけ沈黙が流れて、ユエリアは思い切ってノワールを改めてベッドに立たせた。
「ノワール! エアーさんに突撃!」
 ユエリアの命令ならなんでもとばかり、ノワールは素直に思いっきりエアーに突撃した。「わ」と声を上げてエアーは片手でノワールを受け止める。受け止めた拍子にノワールに顔が近づいたので、これをノワールは逃さなかった。思いっきりつねる。
「お前っ、根に持つなっ」
「お前のほっぺがつねろって言ってたぞ」
「お前なぁ……」
「ユエ姉さんの言う事きいて笑えー」
「わかった、わかったから」
 エアーは苦笑した。苦笑してノワールの頭を少しなでると、大人しくノワールが手を離した。ころん、と転がるようにエアーの腕から逃げ出す。
「エアー、外行こう。一人だと出してもらえないんだ。剣士だろ、護衛になれよ」
 わしっとエアーが繋がれている布を掴んで。
「街の外。小兄に教えてもらったところにユエ姉さんつれて行きたい」
 ぐらぐらと揺らす。そんなことで結び目が緩んだりしないのが、この結び方。
「生憎俺も自由じゃない。これが取れて、暇な時間がもし取れたら連れて行ってやるよ」
「ん、約束だな」
 ノワールにじっと見つめられて、エアーが困ったのをユエリアは見た。こうして暇そうに子供の相手をしていても、相手は高等兵士なんだということを思い出す。何か声をかけようとしたところで、エアーが少し笑ったように優しい顔になった。ノワールの顔を覗きこんで話しているから、会話にだけ集中している。
「わかった。お前がユエ姉さんを連れていけるようにする。俺は護衛につけないかもしれないが、その時はきっと護衛なんて必要なくなってる。どうだ?」
「エアーも一緒がいい」
「時間があったらな。ただし俺と行く時は夜になってるかもしれないし、早朝かもしれない。いつでも好きな時に行けるようにするから、俺のことは諦めろ」
「じゃあこうしよう」
 ノワールの目はエアーをじっと見つめたまま。両手は布を握っている。
「できるだけ一緒がいい。エアーも努力する。どうだ?」
「わかった、そうする。できるだけ一緒にな。努力もする」
「うん」
「よし、賢いな」
 納得したようにノワールが頷いて、少し笑顔になった。ノワールもあまり笑わない子供だった。
 ころんと転がるようにエアーの足に座って、エアーの腕に結ばれている布を動かし始める。結び目を一生懸命になってひっぱったり押したりする。
「ユエ姉さん、これとれない」
「え? あ! だめ、とっちゃだめ! お母さんに怒られるよ!」
「とれない」
 ぶんぶんと布を振りながら甘えるようにユエリアを見る。ユエリアが困っていると、エアーが「まずここを」と結び目の一つを指差した。
「ここから抜く」
「ん」
 ノワールが素直に従って、両手の力の限り引っ張って抜くと、びくともしていなかった結び目が微かに緩んだ。
「あっ! だめですよ、エアーさん!」
「次はここだ、ノワール。見えるか?」
「ん」
「だから、厳命されてるんですってば! もうっ」
「反対側から引っ張ってみろ、動くからそのまま抜けるところまで抜くんだ」
「もー、エアーさんーっ!」
 エアーが笑いをこらえてるのに気が付いたから余計。ユエリアは顔を真っ赤にしながら唸るしかなかった。
「だから、笑ってもいいですから、笑ってください! 目を瞑っときますから」
「く……ははっ」
 ノワールが最後まで布を引っ張ると、するりとエアーの腕から布がほどけた。よし偉いとノワールを褒めて撫でながら、エアーは笑った。何故か無償に可笑しくて声まで出てしまったので、ノワールが「目を瞑ってても聞こえるぞ」と顔の下で言った。ミーシャが姿を現したのはちょうどこのタイミングである。
  
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