96.ファルカ領主家との会食

   べちん、と気持ちがいいぐらいに音が鳴った。「きゃあ」と声がして、顔にあった温もりが遠ざかる。エアーは不快な脳の覚醒に、顔をしかめながら目を開けた。
「何……」
 顔に手を当てようとして腕を動かしたところで、腕が何かに引っかかって動かないことに気が付く。見れば手首に結ばれた布が、ベッドの手すりで固定されている。
「何だ?」
 起き上がろうとして、ふと視線を感じた。頭の上。
 じっと見つめる幼い瞳が。
「………」
 無言のままこっちを向いて動かない。その小さな顔の隣には、見覚えのある青い瞳。
「あの……」
「あぁ」
 そうだ、とエアーは思い出す。思い出したと同時に苛立ちが先ん出た。
「おはようございます。ピーク・レーグンはどこですか?」
 青い瞳の女の子が困った顔になる。
「あの人に、何のつもりか伺います」





 昨夜のことである。
 病院の食堂にて、ファルカ領主ミーシャ・ローン・エシファルカとその夫ルタト・カルファシエ、王国軍の面々が同じ食卓についた。食事をしながらではあったが、今後の方針を決めるためのものであった。
「件の“化物”にもう遭遇されたようですね」
 ミーシャは少し苦笑に似た笑顔を見せた。
「街の人々が騒いでいたのが夕方には私にも聞こえてきました。とても喜んでいました」
「あぁ、そういや、盗賊の“化物”がどうのつって病院の中でも騒いでましたけど」
「我々だけで盗賊たちに手が出せなかった理由、それが彼らの連れている“化物”。エアー高等兵士はご覧になりましたでしょう?」
「はい。たしかに姿だけを言うなら、“化物”です」
 答えてエアーが少し自嘲に似た嘲笑を漏らす。
「ですが、所詮生き物に変わりありません。死なないわけではありません」
「その生き物に、我々は手を焼いているんです。まともに太刀打ちできる人間が、そこらじゅうにごろごろしてるわけじゃないんですから」
 少し口調が乱れたミーシャに隣でルタトが苦笑した。パンをむしりながらミーシャの言葉に続く。
「相手は必ず数人規模でしか動かないんですよ。それを一つ一つ潰しても、どこからか人は増えてるようだし、“化物”の数だって減らない。それに、彼らはずっとこの病院を狙ってます、俺が離れるわけにはいかない。ファルカであれに対抗できるのは俺ぐらいなんです。単純に人手が足りません」
 パチンと指を鳴らしたのはピークだ。
「盗賊団潰しにいってこっちが潰れたら意味ないっすもんねぇ」
 言ってへらへらと笑う、ピークをルタトが睨んだ。
「笑いごとじゃありませんよ。犠牲者が増えるばっかりだ」
「だから俺らに頼んだんでしょう。まぁ、俺は直接見たわけじゃないんで正確には言えませんが、大丈夫でしょう」
「ったく、あんたのその自信はどっから出てくんだよ」
「だってルタトが平気なら平気でしょう」
「あの程度だったら平気です」
 食事を進めているようで進めていないエアーが言うと、視線は自然と集まる。
「まず盗賊たちの合図がなければ襲ってこない。タイミングは計れます。相手を目で追っているのでなければ」
「なるほど」
 相変わらず緊張感のない顔と声でピーク、再びぱちんと指を鳴らした。
「ってことらしいです。平気っすよ」
「だから、あんたら二人を基準にすんな!」
 噛みつかんばかりの勢いでルタトが言うので、ピークが実に愉快そうに笑った。その横で大きくため息をついたのはビジカル。机の下で思いっきりピークの足を踏んだ。――ちなみに挫いた方ではないので、多少遠慮はしている。
 ぎゃっと声を上げたピークを睨んで、ビジカル。
「教士、その口ぶりだと、教士とエアー高等兵士二人でそちらを担当するように聞こえますが。“化物”、少なくないんじゃないんですか?」
「まー、そりゃそうでしょうけど」
 なんで踏む必要性が、とピークは小さく呟く。ビジカルは素知らぬふり。
「最初のうちは本当に、エアーに任せりゃいいかなと。俺はあっちの仕事がありますし、それに剣士を付き合わせて欲しいなあと思ってたところなんで」
 エアーが眉を上げた。
「どういうことですか」
「だから、俺はちょっと別の仕事をしてきます。その間、エアー。お前は町に出てくる“化物”退治にいそしみなさい」
 相変わらずのへらへらとした笑顔で。エアーは眉をひそめた。
「だから、どういうつもりですか。一つ一つ潰したところで解決にはならないという話だったはずです」
「潰さないよりはましでしょう」
 エアーが一瞬答えに困ると、ピークはすぐにエアーから視線を別に送った。ルタトとミーシャに視線が移る。
「思うに、無関係じゃないでしょう」
 ルタトが肩を竦めた。隣でミーシャが少し笑顔になる。
「そう思います」
「そうですか」
 不機嫌そうな声が割り入った。エアーは声と同じように不機嫌な顔のまま、一つため息。
「分かりました。なるべく早く結果を出してください。あなたの仕事は出た結果を兼ねての報告で結構です」
「分かってます。いやー、ホント物分かりいいっすよねー、エアー」
 からかいの声に、エアーはピークを睨んだだけ。睨んで、席を立った。
「以上なら、これで俺は失礼します。四人もお貸しします。いいな」
 と見守りながら食事をしていた四人の剣士に視線を送る。それぞれが返事をするのを待ってから、もう一度ピーク、ミーシャ、ルタトを見た。
「よろしいですか?」
「いいですけど……」
 ミーシャが居心地悪そうにピークを見た。ピークはひらりと手を返す。ミーシャは少し肩を落とした。
「なんだか申し訳ない」
「?」
 ミーシャがもう一度エアーに視線を送った瞬間、エアーが大きくふらついた。慌てて立ち上がったのはホルンとマーカーで、エアーは踏みとどまると片手で二人を制した。
 魔道士たちは至極冷静で、特にピークは上機嫌そうな笑顔。エアーはピークを睨んだ。
「……なんのつもりですか?」
「なんの、ってなんすか? 顔色悪いっすよ、エアー。体調悪いんじゃないんすか?」
「日に焼けない体質なんです」
 エアーの口調がとげとげしい。いつもの不機嫌に増している。エアーは舌打ちすると、姿勢を整えてもう一度礼をする。
「先に失礼します」
「……ごめんなさいっ!」
 ミーシャが叫んで何かを引っ張るような仕草をする。
 エアーが確認できた昨夜の出来事はそこまでだ。エアーの意識は一瞬で暗転した。
 自分が無防備に床に倒れたことも、その後ひと悶着あったことも、エアーの意識には入り込まなかった。
  
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