92.懐かしみ 悼む心

  「はーい、私ここの名物のこれっ!」
 ホルン・ノピト。細いラインで均衡が取れた体つき。小さめの顔だってくるくるの金髪だって、よく笑顔になる青い瞳だって魅力的だ。その上剣士としての実力も上級。剣士の中では噂にだってなる。
「ほらっ、ライフは何か食べないの?」
「……私水だけでいい」
「何よ、付き合い悪い」
「ホルンが食べ過ぎなだけっ!」
 二人ずつになって分かれて、最初の寄り道はパン屋だった。ちょうど小腹が空く時間帯だったからライフもパンを一つ買って、歩きながら二人で食べた。ホルンは好物のクロワッサンを二つも平らげていたのに、情報収集には人の集まる場所、と入ったのは酒場兼用の食堂だった。
(それも、)
「あいよ。姉さん食べきれるかい?」
「平気平気!」
(何このでかさ)
 ホルンが上機嫌で食べ始めたのは、分厚すぎる肉の塊。
「あら、ライフも食べる? ファルカのお肉は美味しいのよ?」
 本当に上機嫌で切り分けた肉をライフに。ライフは首を横に振った。
「……いい。なんか見てたら胸やけが」
「おいしいのに」
 ぱくっと口に入れて本当に幸せそうな顔。――絶対目的忘れてる、とライフは思う。遊びに来たわけじゃないのに。
「ファルカはね、畜産が盛んなの。特に牛。ミルクも肉も国内最高級。特にこのお店で扱ってるお肉はね、美味しいんだけど安いところを使ってるのよ。それをうまく煮込んで柔らかくしてるの。でしょ?」
「そうそう。よく知ってるねえ」
「私食べ歩くの大好きなの。運動量も半端じゃないからすぐお腹空くし。それに遠征で町の近くで一晩休む時あるじゃない? 情報知ってたらおいしいところいけるなーっていつも調べてるのよ」
「私いつも疲れ果ててる。どんな体力」
「もうちょっと馬に乗るのうまくなれば余裕が出るよ。おじさん、ミルクも」
 暖かいうちにと少し暇があると食を進めて、すでに大きな肉の半分はない。周りが少し唖然とした様子でホルンを見守っている。
「あぁ……ミルクね。今出せないんだ、領主様のご意向でね」
「え? どうして?」
「たぶん最近流行ってた、妙な病気のせいなんだけどねぇ」
 ミルクの代わりだよと暖かいお茶をそっとホルンの前に置いて、カウンターの中の店主が腕を組んだ。
「たぶん院長からの要請だね。まぁ禁止されたら本当にピタッとそういう人が出てこなくなったから正しいんだろうけど、農家には大打撃でねぇ。肉も禁止されるんじゃないかって、怯えてるよ、皆」
「もったいなーい」
 それでもおいしい肉を食べているホルンの顔は上機嫌だ。ライフは少し肩を竦めて店主に問う。
「どのくらい前の話なんですか?」
「二か月前だよ。ちょうどならずもんが暴れ出すちょっと前だ」
「うわー、じゃあこれだけ閑散としてても仕方がないんだ」
「そうだねぇ。前は、もう少し賑やかだったんだけど」
 店主が嘆息した。店の中に客の数は少ない。
「牛に病気の様子はないってのに、なんで人間だけ病気にかかるかなあ」
「本当にミルクなの?」
「おそらくね」
 少し唸ってから、店主は「あぁ」と顔を上げた。
「ごめんよ、こんな話を聞かせて」
「いいの。それでどっちかが大丈夫になったら、暮らしはもっと楽になるの?」
「そりゃもう! 乳牛育ててる農家は収入があがるし、その分物も回る。ならずもんたちがいなくなったら、無駄に搾取されることだってなくなるんだから!」
「よし、分かった! おいしい肉にしてくれるおじさんのためだもの。あんな奴らすぐに捕まえてあげるから」
「あはは、そりゃあ楽しみだ。面白いね、お姉さん」
 本当におかしそうに店主が笑うので、ホルンは少し不満げだ。横でライフは「それはそうでしょうとも」と思う。顔は苦笑。
「冗談だと思ってるでしょう」
「いや、意気込みだけは買ってるよ」
「失礼な。これでも私上級剣士なんだから」
 と言っている前には綺麗に平らげられた皿。
「上級剣士? お姉さんは剣士かい。その称号はどこでもらったんだい?」
 やはり冗談だと思っているらしい、店主は笑いながら問う。ホルンはあっと思って少し背筋を伸ばした。
「私今はウィアズ王国軍第三剣士隊所属なんだけど、上級剣士の称号をくれたのは、前の所属の第二剣士隊、隊長ノヴァ・イティンクスね」
 店主の笑った顔が、固まった。ぽかんとした顔。
(私だって信じられなかったもんね、試合でエリクさんも、ワネックも倒してたんだから)
 ホルンが勝てなかったのは、ただ一人。
「なんて偉そうなこと言ったけど、隊長には勝てないのよね。いつも笑いながらあしらわれちゃう」
 第三剣士隊長エアー・レクイズ。
 実を言えば、ほとんど無名である。
「ホルンの時は結構本気だったと思うけど。最後きちんと剣使ってるし」
「ライフいつも蹴飛ばされてお終いだもんね」
「それ、関係ないっ!」
「来るときだってつっかかって飛ばされてた」
「だからそれ、関係ないでしょ!」
「高等兵士が来てるのかい!」
 ばん、と唐突にカウンターの中から身を乗り出して、店主が。二人とも同時に店主を見て、ぽかんとした。
「第三剣士隊長だか誰だか知らないが、高等兵士なんだ、化物のように強いに違いない! そうだろう?」
 店の中からそうだと声が上がり、客数が少ない店の中が俄かに騒ぎ始める。
「ちょっと待った! 俺は夏、王城のとこまで行ってきて、式典を見てきた!」
 客の一人が手を上げた。
「新しく剣士隊長になったのは、若干二十歳前後の野郎で、今まで聞いたこともない名前だった。それも第一大隊の総司令補だぞ? 来るわけがない、第一大隊はこの前スノータイラーで戦ってきたばかりだ」
「なんだ、こんな子たちが嘘ついてるとでも言ってんのか?」
「たまには虚勢を張りたくもなるだろうさ。悪いことは言わない、そんな嘘、今のファルカでつくんじゃねー!」
「なによ、カチンときた! よく聞きな、この酔っ払い!」
 ホルンが立ちあがって振り返る。ライフは小さな声で「あーあ」と呟く。止める気は、あまりない。王国軍内でも城下町でも、こういった争いはよくあるのだ。誰が強いだ、誰が一番だ、個人の意見の食い違いで。こういうときは手を出しそうになったら止めるが一番。言いたい放題言い合ったら、分かりあうのが大抵。土地柄によるけれど。
「今年新しく高等兵士になったのはね、剣士はエアー・レクイズ! 聞いたことないってあんたの耳が遠かったんじゃない? 元々彼は王国軍の中でも指折りの実力でした! 勲章だって受けたことあるんだから!」
「指折りの実力ぅ? じゃあ巨星ワネック、金色の獅子ホルン。そいつらよりはどうだ?」
「あったりまえでしょ、ワネックよりも私よりも断然強いんだから」
「誰も姉さんのことは聞いてねーよ。金色の獅子よりはどうなんだよ」
「だからそれは私。ホルン・ノピト。勝手に名前つけないでほしいな」
 数秒の間。
 沈黙の後に返ってきた喧騒は大きかった。少ない客たちが大声で笑い始めるのだ。
「あははははは、分かった! おねーさんは、強いホルンだな! じゃあ隣のねえさんが巨星ワネックってか!」
「そんなわけないでしょ!」
 唐突に話を振られて、ライフは立ち上がった。
「言っちゃなんだけど、あのデブにされるなんて本当腹立つ! 女として気に食わないっ!」
「デブって……」
 ホルンがライフを呆れた顔で見て、ついで顔を逸らしてやはり笑い始める。
「腹いったい……あーあ、あとで合流したらワネックに言ってやろーっと。残念そうな顔するだろうなー」
「あ、あ! 絶対内緒、ぜえったい内緒! あの人の残念そう顔、本当に苦手なの!」
「心が痛むわよねぇ、ライフ。言ってやろうっと」
「止めてよ、もうー!」
 ライフの顔は真っ赤だ。真っ赤なライフの頭をぽんぽんとなでるホルンに、先ほどまでの怒りの様相はない。「ちぇ」とライフは思った。
「隊長が言われてた時は食ってかかってたくせに」
「当たり前じゃない。私のは言われ慣れてるけど、隊長のはね、聞き捨てならないの」
 ライフが不機嫌そうな顔になる。その素直さに、ホルンがくすくすと笑った。
「おじさん、お勘定」
 ポケットから財布を取り出して会計を済ませているホルンの横で、ライフは腰に手。
「今回の面子皆『隊長隊長』って。そういう人ばっかり集めたあの人のこと、やっぱり気に食わない」
「ライフはいつだって隊長のこと気に食わないじゃない」
 ぽんと手の平でライフの頭を少しなでてホルンは笑顔で踵を返した。片手を振って先ほどの口論の相手に笑いかける。
「今に見てなさいよ、すぐあんたの耳にも入るから」
「はいはい。聞こえてきたら王城まで行ってホルンさんに土下座しにいくよ」
「待ってるからねー」
 がらんがらん、と入口のなりこが響いて、二人は外に出た。
「さて、次に行こう」
「もう食べるような店に行きませんからね」
「はいはい」
 ホルンは笑いながら、街並みを眺める。
「前から聞こうと思ってたけど、なんで皆あんな人のこと尊敬したりしてるわけ? マーカーだってほとんど会話したときもないくせに最近妙に気にしてるみたいだし」
「そうねぇ、ワネックなら少しわかるかな。ワネックはずっと同じ隊だったし。小さいころの隊長のことだって知ってるみたいだし。その延長かな」
「ふうーん」
「私は――そうね。あの人が誰より努力してて強いから、かな。それとあの人の歌、聞いた時ある? 本当上手いんだから」
 ホルンが少し、目を細めた。懐かしむような顔。
「誰よりうまく『詩人(うたうたい)』を歌うんだ。聞いた時からかな、『こいつただのバカじゃない』って思ったの」
「ただのバカじゃなくたって――」
 それくらい、ライフにも分かっている。ただのバカじゃない、ただのバカだったら高等兵士にはならない。
 でも。
「副官が――エリクさんが死んだ時、誰より悲しむだろうって思ってたあいつは、泣きもしなかったじゃない。報告しにいった私に一言『そうか』ってだけで、それだけだった。何なの? なんであいつがっ、なんであんな冷たい奴がっ」
「よし、ライフは優しい」
 ホルンはライフに手を伸ばして、また優しく頭を二度ほど叩いた。抱き寄せて、肩を叩く。
「そうねぇ、隊長は泣かなかった。男の人は不便よね。でもライフが泣いてあげたんでしょう」
「だって、エリクさんがあんまり、不憫でっ」
「確かにあの二人はいっつも一緒で、仲が良くて。隊長見ててエリクを思い出すのはよくわかるけど」
「だから気に食わないの!」
 ため込んだ涙がライフの両目からこぼれおちた。ホルンが促すように肩を叩くので余計にとめどなく。
「きっと隊長――エアーもね、悲しんでたから」
「それでも……それでもっ!」
「うん、一緒に泣いてあげられなくてごめんね。私たちは別れた人たちのためにも、一生懸命、生きなきゃいけないから」
 ホルンの声はただ優しく響くだけ。
「ねぇ、ライフ。少しでもエアーのこと許せるようになったら、一度頼んでごらん? 『詩人(うたうたい)』歌ってくださいって。きっと断れないから」
 くすくすと笑いながらホルンが。
 ライフはホルンを見上げて、青い瞳に映る自分の姿を見つけた。ぼろぼろに泣いてホルンにすがっている、ただ弱い自分を。
「許せるように、なったら」
 ライフは眼を逸らしてホルンから離れた。
 死んだ人たちのためにも一生懸命に生きよう――詩人の歌詞の中に隠れた意味。
 あの歌をエアー・レクイズはどんな声で歌うのだろうと、ライフは少し思った。
  
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