91.再会 昔馴染みと

   清潔感のある白、落ち着いた内装。消毒液の匂いが微かにするけれど、それに勝るのは花やハーブといった自然の香りだ。
 巨大と言える規模、ファルカ候立病院の一室で「待った!」と声を上げたのは、足を包帯で固定されている最中のピークだ。
「待った! ルタト、おかしくないですか? こんなに痛いはずありません!」
「うっさいです! もう一度言ってみてくださいよ、挫いた理由!」
「だから馬から飛び降りた時に、やばいなと思ったんです!」
「あんた何歳だと思ってるんですか? 格好つけてそういうことするから、負わなくていい怪我なんかするんでしょうが! ほら、何歳でしたっけ?」
「あははー……確か二四」
「嘘つけ! 分かってて嘘つくな!」
「はいはいスイマセン同い年。四十四になりました!」
「はーい、四十四のいい大人で高等兵士の魔道士さんが、なんで馬から飛び降りなきゃいけないんですか?」
「もーいいじゃないですか、悪かったですよ。だからもう勘弁してください!」
 パチン、と包帯の端を金具で留めて、ルタト・カルファシエが両手を打った。白衣が妙に似合う細身の男。眼鏡の位置を少し直して、半分ため息の吐息を吐く。とりあえずで固定された足に手を伸ばしているピークは少し、涙目だ。
「わかりました、勘弁してあげます。ったく、幾つなっても変わんないんだから」
「ルタトも変わんないっすねー。相変わらずマメで、忙しいのに手作りで茶菓子まで用意してる奴ルタト以外に見た時ありません」
「このマメさも結構不便ですからね。ミーシャと家事の取り合い、手紙をどっちが書くのか取り合い、ついでに結婚の記念日に驚かせてやろうと思って準備のために台所入ったら、同じことしてるミーシャを見つけたりとか。損してる気がします」
「はいはいごちそうさまです。本当変わりないみたいで安心しましたよ」
「そちらこそ改めてお変わりなく」
 答えてルタトが、ピークの足に向かって何かを投げたような仕草をする。無呪文での魔法である。本来呪文を使う魔法を呪文無しで使うのは、まさに感覚の仕事である。魔道士によってその感覚は様々で、人によって異なる癖になって現れる。たとえばピークは指を鳴らし、副官のビジカルは指先で宙に軽く円を書く。ルタトは放り投げる、という形になる。
「治癒もかけときましたけど、治癒魔法の基本。治すんじゃなくて、自己治癒力を局地的に高めて治すだけですから、すぐに完璧にはくっつきませんよ。筋系は余計だ。一日ぐらい固定しておいてくださいね、また切れますよ」
「いやー、迷惑かけました」
「たぶん迷惑かかってるの、俺じゃなくてビジカルとかレック。本当あんた落ち着け」
 ちなみに今同じ部屋にいるのはビジカルのみだ。レックともう一人の魔道士マリーは病院内の見学中。この病院はウィアズ国内で最先端の医学が詰まっている。
「もっと言ってやってくれ。来る時も一緒に来た二番隊の剣士に手をつけようとしてた」
「はあ、またですか? まあ確かにあんたの魔力見抜く目もすごいとは思いますけど」
 ピークが一応ブーツを履き直している間に、ルタトは傍のポットからマグカップにお茶を注いだ。ピークの傍の机の上に置いて、自分の分も注ぎながら。
「節度を心がけてください。スパイス入れます? 身体がよく温まるようになりますけど」
「いや、スパイスはいりません」
 ――何につけても手際がいい。お茶を出しながら隣の棚に余った包帯類を戻していて、使った残りの薬も。
「それで、白黒どっちだったんですか? ビジカル、おかわりは?」
「……いや、いい」
 棚を完璧に閉め、整った棚を背中にルタトが二人のいる机の辺りに戻ってくる。
「たぶん、黒じゃないっすかねえ。白でもいけそうですけど」
「まぁ、正直もったいない感じではありましたけど」
「だったら剣士でいたいにせよ、覚えておいて損はないですね。便利ですからね、魔法は」
「でしょう! ルタトなら分かってくれると思ってました」
「ピークさんと一緒にしないでください。俺は一般的な感想を言ってるんです」
 二人と同じ机について、自分の分のお茶を一口飲んだ。飲みながら机に魔力で記号を描く。――魔法陣。魔法陣を覗き込んで、ピークもビジカルも興味深そうな顔になる。
「はぁ、なるほど。転位魔法陣に、アレンジ加えたもんっすね、これ。ルタトの創作ですか」
「ミーシャのです。ただあいつじゃ魔力足りないので、実践は俺」
「さすが魔法原理の女王。考え付かなかったな……教士、便利ですよ、これ」
「っていうか発動前に見抜いたあんたらが俺はすごいと思いますけどね。俺が実践するまでどれだけうんちく聞かされたと思ってるんだか」
「そりゃお前が魔法原理赤点クラスだったからっすよ」
「うっさいです。それにそれは元です。あんたの条件通り満点とって召喚の授業編入したでしょうが」
 言いながら出来上がった魔法陣に、また何か放り投げる仕草をする。――刹那、魔法陣の上に箱が一つ。中には分厚い本とバラの紙が何枚も。横には小さな布袋がある。ルタトがもう一度放り投げる仕草を、今度は部屋の入口に向かってすると、ビジカルが「はあ」と大きくため息をついた。
「王城の小会議室に使われてる、あの不可侵だろ? 魔力有り余ってると本当普通に色々使えるよな」
「せっかくの力なんだから、使わなきゃもったいない」
「魔力ある奴の台詞」
「ビジカルも結構あるじゃないっすか。何不貞腐れてんです?」
「いえ、不貞腐れてませんよ? ただ世界最高の魔力の持ち主とか、四大召喚獣使役してる奴とかが身の周りにいすぎると、少し自信をなくすなと思ったぐらいです」
「ビジカルも使役すりゃあいいじゃないっすか。セリファとか」
「ライディッシュと睨み合わせるつもりですか。それに嫌ですよ、あの気分屋のお転婆は」
 あははと楽しげにピークが笑った。手と目は箱の中に入っていたバラの紙に使われている。ビジカルも分厚い本を手にとって読みながらの会話である。
「ヌリガルの変種ですか」
「はい。ソンポかと思ってたんですが、色々調べてたらヌリガルが近いかと」
「そうっすね、七割ぐらいヌリガルでしょう。形だけソンポ……いや、二割ぐらいホソかも」
「煮込むと清涼系の香り、真っ青、染色させず、なら、当てはまるのはヌリガル、ホソ、ユーラカだけじゃない。オマホニにもだ。 付箋」
 木箱の中の付箋をルタトが取り出してビジカルに。その間に「ああ」と、声をピークが上げた。
「それなら最近ズゥンで発見されたのも、そういうのありましたね」
「あぁ、あれも研究の途中で公表されてませんけど、確かバルハって名前になったかと。ただしあれを扱う時は手袋必須です。人間程度の手じゃただれます」
「あー……となると、違うっすね」
 つーか、と話しながらもやはり、手はバラの資料をめくり、目は資料に注がれたまま。
「ルタトは俺たちの、王国軍でしか保持してない情報を目当てに要請したんだとは思いますが、ご覧の通りこんな植物知りません」
「俺も当てはまる植物は知りませんね。やっぱりヌリガルが当てはまる項目が多いから、ヌリガルの変種……ってことになるかな」
 薬草学ならピークよりも上手と自負するビジカルである。少し肩を落とした。
「ただし、これ。ヌリガルの代用で使おうにもできないんです。ヌリガルは煎じれば鎮静剤になるので、気持ちが高ぶって眠れないときなんかに患者に出してたりするんですけど、こっちのは――」
 言いながら、ルタトは箱の中の布袋を取り出した。中身をテーブルに数枚出す。
 問題の、植物である。
「一時的に思考能力が著しく下がります」
「なるほど?」
 一応頷いてから、ピークはルタトを見た。ルタトは苦笑。
「確認済みっすか」
「ヌリガルの代用いけるだろうと思って飲んだら大変でした。ミーシャの縫合と、逆効果の薬をたらふく飲まされました。副作用で三日寝込むはめになりましたよ」
「ルタトにしては珍しく軽挙だったんじゃないっすか」
「それは、サンプルを採取してから数日後に、これの群生地が半分くらいはだかになってたんで。しばらくしても被害を耳にしないから平気だろうと」
「群生ですか」
「はい、ちょうど半年ぐらい前に」
「今はどうしたんすか?」
「今もう丸裸です。根こそぎ」
「っつーことは人為的ですね」
「そう、掘り返されてましたから。本当に根こそぎです」
「なるほど。要請された理由の真意がようやく見えてきました」
 バラになった資料を机に置いて、ピークはへらへらと笑う。
「で、その症状が、町で出始めたのはいつです?」
「二か月ぐらい前です」
「被害の中心地は?」
「孤児院。それも小さい子供ほど症状がよく出た。とにかく従順になるんです。孤児院の院長が申し出てくれなかった気が付かなかったかも」
「なるほど。隣の孤児院ってことは直接摂取しているわけじゃないっすね」
 ピークは質問しながらいつもポケットに入れている炭のペンで白紙の紙に情報を記入していく。実に書きにくいペンなのに、さらさらと書き綴る。
「母乳を受けてない乳児にまで症状がでたので、おそらくミルクに混入しているようです。ミルクの摂取を禁止したところ激減したのでほぼ間違いないです。それでも同じ症状の患者はなくならないので、他にも原因があるはずです」
 なるほど、と聞きながらピークはお茶を飲んだ。少し冷めていた。
「ファルカなら肉でしょう」
 ルタトもお茶で喉をうるおして肩を落とす。
「この状態で肉の出荷まで止めたら、ファルカの畜産は破綻だな……」
「ま、その前になんとかしますよ。カルファシエが恥を忍んで王国軍に要請かけたんです、なんとかしなきゃ俺たちの名折れっすからね」
 ってことで、炭のペンを持っていた手をぽんぽんと叩いてピーク。
「俺は早速明日、畜産農家見に行ってきます。あとで地図よこしてください」
「あんた一人で行くつもりですか?」
「いえ、剣士も貸してもらうつもりです」
「ありがたいです。畜産は町の最大財源だから、俺たちは下手に手を出せなかったし、 郊外の農地は広すぎる。時間が取れなかった。けどね」
 ルタトが苦笑。
「最大六人でしょう? 輸出禁止してから気が立ってますよ、あそこらへん。危険です」
「あぁ、平気です。精鋭らしいんで」
 自分の心配はまったくしていない、ピークは涼しい顔でお茶を飲んだ。
「相変わらず心配性っすねぇ」
「あんたは相変わらず自信家で」
 心配してやってるんだからなとルタトが言えば、ピークは楽しげに笑う。指をパチンと鳴らして、ビジカルに指先を向けた。
「で、ビジカルはこの葉の研究に没頭してくれて構いません。ちなみにこれの治療方法は完璧ですか?」
「いいや、だいたいはミーシャの縫合魔法に頼るしかありません。ビジカルの手を借りられるのは助かる。ミーシャが魔法原理の女王なら、ビジカルは薬草学の帝王だからな」
「編入してきた召喚のクラスで最高位とった奴に褒められて光栄だよ、まったく」
「あははー、俺の身の周りも人材が豊富でありがたいことっすよ」
 資料をビジカルに渡しながらピークがへらへらと笑った。
 一番腹立たしいことは、とビジカルもルタトも思う。
 齢二四にして魔道士学校教士を務めたこの男、ピーク・レーグン。品格も素行もいいとは言えないのに、召喚と黒魔法のクラスを請け負いながら当時学生たちより劣ることがなかったことだ。それを当たり前のように暮らしている。
「あぁそうそう、ルタト」
 やはりへらへらとした笑いのままでピークが。
「絵具持ってたら、色の部分は絵具使ってください。言葉じゃ正確になりません」
「はいはい。今度買ってきます、ピーク教士」
 大仰に肩を竦めてルタトが返答すると、ピークが苦笑した。
「参りました。本当に懐かしくなってきました」
「本当に」
 とんとん、と部屋のドアがノックされた。ルタトが椅子に座ったまま「はい」と答えると、外から女性の声が。
「馬鹿タルト! 教士きたら教えてって言ったでしょー!」
「ル、タ、ト! いい加減にしろ!」
 ルタトが急いで立ちあがってドアへ向かう。慌てた様子のルタトを見やって、ピークはビジカルに目配せした。ビジカルも苦笑して、ドアを見やった。
 開けたドアの前でぎゃんぎゃんと軽く言い合いをしているのは、ルタトと、その妻ファルカ領主ミーシャ・ローン・エシファルカだ。ルタトより頭一つも二つも小さい背で背伸びをするようにルタトに噛みついて怒鳴りながら、ふと気が付いて部屋の中を覗いた。ぱっと笑顔になる、小さな顔。
「お久しぶりです教士! ベリーのタルト焼きあがったんですって、いかがですか?」
 笑いをこらえたピークの隣でビジカルが堪え切れずに笑いだす。
「はいはい、ごちそうさまです。ホント久しいっすねぇ」
「はい!」
 ミーシャが元気よく答えたので、ピークもとうとう笑い出した。
 魔道士隊の前身、魔道士学校時代。よくこの四人で同じような会話をした。思い出すと無償に懐かしくて、可笑しくなってくる。もう二十年近く経ったのにも関わらず変わりない友人たちが。
 無理を押しても来てよかったなと、ピークは笑いながら思った。
  
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