90.大通りにて サイカイ

   呼ばれて赤毛の女――イオナが顔を上げた。
「エアー? ね、エアーだよね!」
「あぁ、久しぶり」
「うん、久しぶり!」
 答えたイオナの両目から唐突にぼろぼろと大粒の涙があふれ出した。両手で一生懸命拭いながら、「あのね」と嗚咽の間に言葉を紡ぐ。
「二度と、会えるとっ、思ってなかったからっ」
 自分も、とエアーは答えなかった。イオナに会うのは、複雑だった。
「ごめんね、待ってなくてごめんねっ、ずっと謝りたくて」
「いいよ」
 昔はほとんど背丈は変わらなかったのに、いつの間にかすっかり追い越してしまっていたイオナの頭に手を置いて、エアーは本当に淡く、笑った。
「いいんだ、元気そうでよかった」
 答えたエアーの言葉に、イオナがとうとう声を上げて泣き始めた。エアーにしがみついて泣き始めてしまったので、周りはぽかんというか居心地が悪いというか。
「あー……と? どういうこと、っすかね?」
 居心地が悪そうに遠くからピークが問う。声にエアーがピークに顔を向けた。
「同期です」
「ん?」
「六三年、見習い兵士から一緒にクォンカさんの隊に入隊した、同期です」
「あぁ、なるほど。王国軍の」
 納得したとばかりにピークが指を鳴らした。
「それでさっきの気持ちのいい蹴りができたわけっすか」
「それはっ」
 顔を真っ赤にして涙をぬぐいながら、イオナが顔を伏せた。片手はエアーの服を掴んだまま。
「あの、助けてくださってありがとうございます。エアーも、その、本当に強くなったんだね」
「別に」
「馬だって昔はそんなに乗れなかったのに、どうしたの? すごく上手になってた。さらっと女の子抱え上げちゃうし、昔のイメージと全然違うじゃん」
「それはもう、何年も経ったから」
 どこか不機嫌そうな低い声のまま、エアーはイオナの手をゆっくりと払った。イオナの手が離れて自由になると、先ほど自分が抱え上げて助けた女の子へと向かう。
「ライフ、怪我はなさそうか?」
「……大丈夫です、隊長」
 むすっとした表情のライフ。笑顔を浮かべれば綺麗の部類に入る顔なのに、とりあえず笑う事が少ない。――エアーに噛みついている時間が多いからだ。気に食わない、と自分の隊長に向かって連呼する、向こう見ずだった。
「驚かせてすいませんでした。家まで送らせましょうか?」
 エアーを見上げる青い瞳。きょとんとしているのが傍目によくわかる。女の子と言っても、一五か一六程だろう。籠を大事に抱えている。
「……送らせます。どこですか?」
「あっ」
 二度目の問いかけでようやく女の子が気が付いた。周りを慌ただしく見て、「もしかして」と声を上げた。
「本当に王国軍の方! 院長に御用ですね?」
「院長に?」
「はい、ルタト・カルファシエに」
「俺が用で来たのは、ローン家の――」
「あぁ、はい! すいません、その通りです!」
 言い忘れてました、と声を上げたピーク。へらへらと笑いながら、ぴょこっと変な動きで前に動いた。
「えぇ、ルタトに。ってか夫妻に用です」
 またぴょこっと前に進む。エアーがピークの近くのワネックに目線を送ると、ワネックは無言で頷いた。
 ワネック・アスキ。色黒で恰幅がいい。大剣を背負っているが、長剣も腰に吊るしている。大抵の場合は長剣を使う。とても純粋な笑顔の持ち主である。
「今日着くって連絡はしてあるんですが、忙しいっすかね?」
「時間空けるって言ってました。それより……あの……」
 ぴょこっと前に進む、ピークが首を傾げた。その後ろからワネックが近づいて、ひょいとピークを持ち上げた。
「わ、わっ、何すんですかっ」
「足」
 極短くピークに答えたのはエアー。
「捻挫ですか」
「う……」
 立つ瀬ない様子の――というか本当に立っていないのだけれど――ピークは、ワネックに持ち上げられたまま自分の馬の上に置かれた。ピークはばちが悪そうに苦笑。
「「はあ」」
 ため息が二つぐらい重なった、のはピークが連れてきた魔道士のうち二人。副官ビジカルと、ピークの魔道士隊では白魔道士筆頭レック。
「ルタトに絶対言ってやろ。このまま治さないまま連れてきましょう、ビジカルさん」
「そうしよう。どうせ俺たちが言っても立て板に水だろうし」
「よし、マリーも治すなよ。隊長には反省が必要だから」
「ってそこ! 全部聞こえてます! ホントにお前ら俺を何だと思ってるんすか!」
「「はた迷惑な隊長」ですよ」
 声が二つ重なった。ピークは重なった声に「二人一緒に連れてくるんじゃなかった」と嘆く。――実を言えば、魔道士隊では日常風景だったけれど。
「……ふふっ」
 イオナがくすくすと笑い始めて、周りもつられて笑い始めてしまった。笑っていないのは高等兵士二人ぐらいのもので、エアーはピークに向かって肩をすくめてみせる。
「はた迷惑な魔道士隊長ピークさん」
「真顔でそれ言うの止めなさい」
「病院関係の仕事ではなかったと思いますが?」
「元々は院長が俺に要請をかけてきてたんすよ。賊討伐がこの前の会議で話題に上ったんで、ついでに最近うるさい盗賊団の討伐しようってことで、エアーを補佐に指名したわけです」
「俺は盗賊団の討伐にとしか聞いていませんが」
「エアーは討伐のほうに力を入れてくれればいいです。院長の要請は、俺に対する個人的な要請みたいなもんっすからね」
「……わかりました」
 二人で話している間に周りの笑いは止んでいて、また恐る恐る、イオナがエアーに近づいた。小さな声で、そっと。
「いる間に、話す時間はとれない?」
 声に、エアーがイオナに振り返った。振り返って、少しだけ首をかしげる。
「状況を確認してからによる。すぐには答えられない」
「だよね。分かってたけどさ」
 イオナは残念そうに、でも笑顔をつくった。
「送らせる、どこに行くんだ?」
「いいよ、平気」
「危険はないのか?」
「心配なら自分で送ってきたらいいんじゃないっすか」
 よいしょと足を挫いたまま馬を操ってエアーの傍に寄る、ピーク。
「どうせ領主のほうは夜まで忙しいでしょうし、話は夜になります。夕方までに真ん中の病院に来てくれりゃあいいんで」
「聞く他にできることもあるはずですが」
「それは俺の仕事です。っつーことで、せっかくなんでお前は送ってきなさい。数年ぶりじゃないっすか」
 へらへらと笑った顔でピークが。この顔を見ているエアーは大抵眉間に皺が寄っている。
「むしろうちは病院で研修も兼ねている奴がいるので、そちらさんのほうは夕方合流してくださると大変助かります。ついでに他で色々聞いて来てください」
 ここまで言われると、行くしかない。言いくるめられたエアーの顔がますます不機嫌になる。
「わかりました」
 全く納得していないような顔。ピークは失笑した。
 エアーは剣士たちにそれぞれ二人ずつで行動することと夕暮れに病院の正面口で集まることを指示すると、居心地が悪そうなイオナの手をとった。
「送る。一緒に馬に乗るか? それとも歩いたほうがいいのか? イオナも馬に乗るのは苦手だったはずだ」
 イオナは一瞬ポカンとして、すぐに満面に花が咲いたような笑顔を見せた。
「うん、今も苦手。だから歩こう」
「わかった。ついて行く」
 エアーは自分の馬を引いて、イオナは上機嫌に。

 魔道士たちがもう一人の女の子を連れて病院に出発して、残ったのは四人の剣士だ。
 ワネック・アスキ、一班副班長。
 マーカー・クレイアン・サー、五班長。
 ホルン・ノピト、三班長。
 ライフ・ホリデド、八班長。
「行っちゃったなあ」
 肩を竦めて、ホルン・ノピト。癖の強い金色の髪、青い瞳。小柄でないにせよ細いそのラインの彼女を見れば、エアーの隊筆頭の強さを持つとは誰も思わない。班の順番的にも次代副官候補筆頭である。
「何よデレデレして、エアー・レクイズ! 気に食わないーっ」
「ライフ、それじゃまるで妬いてるみたいだよ?」
 からかうように笑いながら、マーカー。少し肩を竦めてライフに示すと、ライフはマーカーの顔を見て自分の顔を真っ赤にした。
「妬いてない! むしろあいつを燃やしてやりたいぐらいなの!」
「それは困るなあ、ライフ。隊長がいなくなったら大変だ。僕は寂しくて、毎日枕を濡らすよ」
 ワネックがゆったりと笑うと、ライフは「けっ」と息を吐いてそっぽを向く。ライフの様子を盗み見て、ホルンも笑いをこらえながら。
「私も隊長がいなくなるのは嫌。でもライフがつっかかっていいくのは見てて楽しから好き」
「隊長もあしらいがうまくなったからなあ、うん、楽しい」
「それは――そう、かしら? 隊長のあしらいは日に日にちょっと……危険になってると思うけど」
「あしらっているというより、領域から叩き出してるだけだから、ね……」
 マーカーとホルンがそれぞれに気の毒そうな顔でライフを見た。ライフは二人の顔を見比べて居心地が悪そう。ワネックは一人のんびりとしていて、青い空を見上げる。
「副官が――エリクがいなくなってから、隊長は不機嫌が増すばかりだなあ」
 ワネックの呟きに、マーカーが視線を落とす。
「……そうだね。そうとうショックを受けていたようだったから」
「顔色も悪いし……眠れてないんじゃないかな。中等の時に一二番目の月の辺りはよく眠れないって言ってたし。よく風邪ひくのに、大丈夫かしら」
「心配だなあ」
「心配よね……」
「どうにか休んでいただいたほうがいいんじゃないかと思うんだけど」
 何これ、と思ったのはライフだ。三人そろってエアーの心配ばかりしているのは、傍目に見て気持ち悪い。新しい宗教みたい。
「ねえ」
 どうにか乗りきろうと、ライフ。声を上げると三人一緒にライフを見た。
「その隊長から、色々聞いてこいって言われてなかったっけ?」
「ああ!」
 両手を打って、輝かんばかりの笑顔でホルン。
「そうそう。ライフが隊長の指示をちゃんと覚えてるなんて!」
「隊務にはきちんと従ってます!」
「ははっ、ライフを見習わないと。ワネック、行こうか」
「うん、それがいい。もてるのは隊長一人でいいからな」
「だから皆そうやって隊長隊長って――っ!」
「あははは」
 マーカーとワネック、ホルンとライフとで分かれて出発したのは、これからひと悶着あった後だ。
  
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