84.希望と裏切り

   ミレイドは眉を上げた。総統指揮官の姿を近くでは見たことがない。が、どうしてか思った。先に現れた彼女がコリネットだと。真っ白なローブの上に黒い外套を羽織る。真っ黒な瞳、黒くまっすぐな長髪。――魔女、コリネット。まるでそのままだった。
 ミレイドが隠れてピークをつつけば、ピークは軽く片手を上げてミレイドを制しただけ。
 うやうやしく腰を曲げたのは、コリネットに従ってきた大柄の男、インレアークだ。
「願いを聞き届けてくださり、ありがとうございます」
 ピークは眉を上げた。
「どういたしまして。つーか、我がまま言わないアークの願いじゃないっすか」
 冗談めかしたいつもの口調。ミレイドはピークの口調に嘆息するとテントの中を見回し、折りたたみの椅子を数脚、持ち上げてそれぞれに並べた。
「どうぞ」
 椅子を勧めた、ミレイドに視線が集まる。インレアークはピークを見た。
「この方は?」
「リセの後任の騎士隊長、ミレイドです。女にはだらしありませんが、分別はつく奴なんで」
「女性にだらしないは余計。俺にも正式に紹介してくれるんだろう?」
「あぁ、はい」
 と答えながらも、ピークは少し困った顔になった。 
「つって、俺も正式に紹介してもらってないんすよねえ。初対面です」
 そもそもこんなことは初めてだったから、とピークは思う。自分だけのと宣言した諜報員、インレアーク・アサランカ。彼が昨夜現れて「会わせたい方がいる」と言った。願われた。会ってやってくれ、と。
 こんなことは初めてだ。敵と、こんな形で会うことになるとは。
「私が、」
 顎を上げて、コリネット。不遜な態度。
「コリネット・ヌーガスカ・アーク。今回のマウェート王国軍総統指揮官だ」
「これはどうも」
 心持ち頭を下げてピーク。
「俺がピーク・レーグンです。今回のウィアズ王国軍の魔道士隊長です」
 コリネットがピークの顔を覗いて失笑した。
「贄魔道士か」
 不遜な笑み。ピークは少しにこりと。
「いや、ただの若づくりしてるおっさんです」
 自分で言うなよと少し後ろでミレイドが少し頭が痛そうな顔をした。
「で、こっちの頭痛そうにしてるのが騎士隊長のミレイド・テースクです」
 改めて紹介されて、ミレイドはともかく、簡易に礼をした。ミレイドを見やってコリネットも、少し後ろに並ぶインレアークを示した。
「インレアーク・アサランカだ。マウェートでは私の補佐、ウィアズが放った蝶だ」
 インレアークは無言で軽くうなずいて、ピークは食えない顔で笑う。
「それで、」
 この面子の中で、知らなかった人間は一人。ミレイドが腕を組んだ。
「俺たちに交渉でも?」
「なるものか。私も知っていて飼っていた、お互い知ったままでな。おそらくそれも気が付いていたのだろう? 放った張本人も」
 コリネットがピークを見やれば、相変わらずの食えない笑顔で。
「やー、知りませんでしたー。何やってるんですか? アーク」
 思い切り白々しい口調で言い放つ。インレアークは少し笑って、「申し訳ありません」と答えた。口調が少し柔らかい。
「四面楚歌の状態で交渉がいかんや。私はただ会いに来たのだ、雷神に」
 コリネットも少し笑いを含んでいるので、ミレイドは肩を竦めた。面倒くさい場面に引き合わされたなと、正直に思う。
「まぁ、長居がするつもりがないにせよ、座ったらどうっすかね?」
 自分が先に椅子に座りながら、ピークが。よいしょと声をかけて、せっかくミレイドが並べてくれてんですと、涼しい顔で呟く。言われた相手のコリネットもやはり涼しい顔で勧められた通りに椅子に座って、多少傍観者になりかけていたミレイドはやっぱり妙な場面だなあと感想を持つに限る。
「それで本当に何の用なんすか? マウェートの総統指揮官がただ会いに来たじゃ、裏切り者の烙印っすよ?」
「そうだろうな。いや、そもそも私は、」
 コリネットが呟いて、少し苦笑した。
「天魔の獣たちが戦争を終わらせるために与えた魔法の力を使いながら、アークの進言に従って戦争を長引かせている。そもそもが裏切り者だ」
「……アークは、有能ですか?」
「あぁ。ばれないように負ける策を言う。必要であれば勝つための情報もな。おかげでヌーガスカの名も落ちず、他国とのバランスも取れた。感謝する」
「利用されておいてよく感謝できるもんすねえ」
「利用したのは私も同じだ」
 コリネットが微笑を湛えた。淡い、本当に淡い微笑。表情を見たピークの何か言おうとした口が、ふとして止まった。代わりに続けたのはコリネット。淡々とした口調で。
「そして命を懸けて、私が最期に望む者に会わせてくれた。感謝する。インレアーク・アサランカはここでお前に返そう」
 ピークは少し、黙ったままコリネットの表情を見た。コリネットは沈黙を意ともしない。傍らの二人は、敢えてやはり沈黙のまま。
 しばらくして、ピークが真顔で問う。
「この戦いは、マウェートは勝つ気がないとでもいうんすか?」
「いいや、マウェートはウィアズの出鼻を挫きたがった。だが期待はしていないだろう。私が勝つならよし、勝たぬのならばしかたがない、その程度だ」
「ならインレアークは傍に置いてやってください。もしお前が死んだとしても、アークは自分でなんとかするでしょう。ま、アークの好きなように、っつー話ですが?」
 視線が、インレアークに集まった。インレアークは少し眉を上げた。
「俺に“自由”をくださると?」
「はい。お前が自ら捨てた自由を返してやります。まぁ、コリネットが総統指揮官でなくなったら、の話っすけど」
 インレアークは少し思案した後、少し笑って頭を下げた。
「ありがとうござます。自由がありがたいと思ったことは、今以上にありません」
「そりゃよかった」
 にこりと、ピークが笑う。少し苦笑に似ていた。
「私と戻るつもりか?」
 不機嫌そうなコリネットの声に、視線は再びコリネットに集まる。
「はい、一度戻ります。私がいなくなれば、周りが納得なさらないでしょう?」
「だろうが、しかし――」
「ハイハイ、後でベリュにいるリセんとこいってくださいねーアーク。諸々話しとくんでー」
 両手をぱちぱちと打ってコリネットの言葉を遮る。コリネットがピークを睨んだが、ピークは素知らぬふりだ。
「ハイ、話まとまったんで、他に用事がなきゃそろそろ帰ってください。そろそろ俺も自分のテントに戻らないとうるさいのがいます」
 らしかぬ白々しさ。盛大にため息をついて肩を竦めたのはミレイドだ。
「確かにな。ここのテントだって、不可侵なのがおかしいんだからな」
「……それは確かに、私もだが」
「ならとっとと帰りなさい。座ったばっかりのところ悪いですが」
「構わない」
 コリネットはさっさと立ち上がると、魔法陣の中央へ向かおうとする。向かおうとする道々、ピークに少しだけ振り返った。
「お節介な奴だな、雷神よ」
「やかましい。とっとと行ってください」
 魔法陣の上で消える寸前、コリネットが笑った。――お節介なことを言う奴だなと、ピークは思う。分かっているのだ、自分のこの癖を。
 インレアークはコリネットに続く前に、ピークに深々とウィアズ式の簡易礼を示す。
「感謝します、ピーク。きっと成しましょう」
「期待してます」
「またどこかでお会いするかもしれませんね」
 ピークが肩を竦めて見せる。
「しみったれたのは嫌いなんで、あいつみたくあっさり行ってくれると助かります」
「そうでしたね」
 ミレイドにも少し礼をして、インレアークもコリネットに続いて魔法陣の中に消えた。
 二人消えたのを確認してからピークが嘆息しながら指を鳴らせば、魔法陣は跡形もなく消える。
「ったく、どいつもこいつも」
 ピークが少し肩を落として呟けば、ミレイドが失笑。椅子を元の位置に戻しながら、苦笑でピークを見た。
「どうした? 後半、ピークらしくないやり方だったけど?」
「それは自覚してます。あぁホントにこれ、リセに話したらまた呆れられますよ」
 あぁあ、と声を上げたピークにミレイドが笑った。
「あの総統指揮官に惚れたのか? 歳も同じぐらいで同じ魔道士だし、ちょうどいいじゃないか」
「何言ってんすか。ミレイドも気が付いてたはずっすけど、あの二人どうせできてるんじゃないんすか? って、そうじゃなく」
 ため息をもう一つ、ピークは肩を竦めた。
「表情がなんとなく、エアーに似てるなと思ったんで」
「は?」
 なんでここでエアーが、とミレイドが思うのに答えるようにピークが続ける。いらいらと頭をかいて。
「諦めた表情っすよ」
「?」
「あいつが気を抜くとする表情にそっくりで、コリネット見てたら気が付きました。あれは諦めた奴の表情です」
 ミレイドが訝った。ピークはミレイドのいない空間を見つめながら腕を組んだ。
「聞くに、エアーは高等兵士昇格する前一度王子相手に嫌だつって駄々こねたらしいっすね。でも結局は総司令補までやってます。まぁ、それは言いくるめられたでしょうし、仕方なかったにせよですよ? そうやって普段からすぐに諦めてばかりで生きてんだったら……」
 ピークの顔が歪む。
「そんな奴は死にやすいっすね、すぐ死にます。生きることすら諦めかねません」
「待て待て。話が突飛すぎる」
 ミレイドは苦笑した。
「たしかに死にやすくはなるだろうけど、エアーの場合は死にそうにない。周りの人間がそうさせないだろう? たとえば俺とかピークとか。“あの”副官とか」
 ピークが失笑。ミレイドも自分で言って少し笑っている。
「まあ確かに、“あの”副官がいれば、死のうにも死ねなさそうですが」
「だろう? 本当に今日はどうしたんだ、いつもならこういう諭すのはピークのはずじゃないか」
「いや、歳がひとつ増えたせいか、無性に、嫌な予感がするんで」
 できるだけ軽い口調を心がけてピークは答える。ミレイドがぽかんとした顔になった。
 そりゃそうだと、ピークはミレイドの顔を見て思う。“予感”だなんて、自分にしては根拠がなさすぎる。だがおそらく、この予感には根拠があるはずだ。見落としたか、流してしまったかした、無意識の情報の中に。
 少しの間だけピークは真剣に考え込んで、だが辞めた。大きく息を吐きながら、肩を落としてテントの入口を見やった。
「……まぁ、とにかく隊にとっとと帰らないと」
 勤めていつものように呟きながら、コリネットの表情を思う。言葉を繰り返す。
 諦めているようなあの顔、あの言葉。
『さいごに――』
 ―――最期に?
『私が最期に望む――』





 インレアークがテントの中に姿を現すと、魔法陣はすぐに消えた。もうウィアズに行くこともあるまいとコリネットは思う。薄暗いテントの中、インレアークを見上げて、皮肉めいた笑みを浮かべて見せる。
「甘いな、あの男は」
「然様ですね」
「お前も我が軍の実態を教えていないのだろう」
「はい」
 コリネットは失笑する。顔色を変えることなく即答したインレアークに迷いはない。迷いないからこそ、悲しい。
「本当に逃げられるとでも? あれは逃げたければ逃げろという意味だろう。どこまで分かって言ったのかは知らないが、私たちに駆け落ちのようなものでもしろというのか」
 インレアークが顔を逸らした。軽く肩が震えている。コリネットはインレアークを睨んだ。
「笑うな、笑いごとではない」
「いや、駆け落ちでもいいかなと。あの方はそれほど考えてはいなかったと思いますが」
「かもしれない」
 つかみにくい男だったなと、コリネットは思う。自分にインレアークを与えて、己は何がしたかったのだろう。
「ご満足いただけましたか?」
 まだ少し笑いの残る顔でインレアーク。コリネットは少し首を傾げた。
「さあな」
 コリネットは颯爽と踵を返す。テントの出入り口に向かって。
 外からは布一枚だけで隔てられたこの空間、いま不可侵を解けば外と同一の空間になる。今は、この空間に二人だけで。
「アーク」
 インレアークは眉を上げた。少し傍に寄って、「はい」と短く答える。
「この期に及んで未練がましいが、今お前が傍にいることを、ありがたく思う」
「俺もあなたに会えたことを感謝します」
「何にだ?」
「廻り合わせに。そして己に。マウェート行きを選んだのは俺です」
「そうか」
「この世界にも、まだ希望はあったのですね」
「そうだな」
 コリネットはインレアークに背中を向けたまま、そっと手を入口に向けた。
 一斉に入ってくるざわめきの音。人の気配。コリネットは大きく息を吸って、ついで絞るように声をだした。
「マウェートよ、裏切り者を殺せ。私は臆せず月に行こう」
 コリネットは勢いよく布の扉を開けた。
 空は曇っていたけれど、入り込む朝の光はとても明るくすがすがしい。
 布一枚隔てた向こうの世界へ、コリネットはインレアークを伴って出る。
 いい終わりだと、コリネットはそう思った。
  
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