80.月の灯り、それは温もり

  「十二番目の月か。今宵も淡く美しいな」
 マウェート軍、中央に位置する場所にコリネットのための天幕はあった。傍らに出て空を望む、コリネット・ヌーガスカ・アークは自嘲に似た微笑を浮かべた。
「そうですね。マウェートで見た月と変わりなく」
 隣に立つのはコリネットよりも頭一つも二つも背の高い、インレアーク・アサランカ。答えたインレアークを見やって、コリネットは小さくくすりと笑った。
「明日は、昼だな」
「えぇ。昼です。その前に……」
 インレアークは空を見上げたまま、目を細めた。目を細めて言い淀んだインレアークを見やって、コリネットは皮肉の色濃い笑みを浮かべた。
「その言葉、お前にも私にも言えない言葉だろう」
 コリネットは見上げていた視線を地面に落して、髪を耳にかけた。
「アークらしくもない」
 インレアークもまた視線を落とした。落としたが、コリネットを見ない。
「いや、“らしい”などという言葉はお前には不用か。本当のお前はどんななのだ? ウィアズで生きている間のお前は、今のお前とは違うものなのだろう?」
「コリネット様」
「あぁ、少し口が過ぎたな」
 また小さくコリネットが笑った。インレアークはコリネットを見やり、少し眉間に皺を寄せた。
「あなたに俺はもう不用ですか?」
「意味を持たなくなるのだろう。こんな関わりも最期だ」
 インレアークはコリネットから目線を逸らし、一つ小さなため息。
 空を見上げた。
 見上げたインレアークに習うようにコリネットも空を見た。
 淡い、赤紫色の月。
「マウェートは、なぜこのようなことを」
「ウィアズも、なぜこのようなことを、だな」
 失笑。コリネットは微かに、本当に微かに笑みを浮かべた。浮かべて、片手を空に掲げた。まるで月を掴むような仕草。
「私も思った。まるでこの夜空のようだと」
「夜空の、ですか?」
「そうだ。見ろ」
 コリネットは少しインレアークを見、再び空を見る。上げていた手をゆっくりと下ろしながら、やはり淡く――まるで嘲るように笑う。
「今空にあるのは月だけではあるまい。小さくとも、星が沢山ある。たくさんの色のな。例えれば、ウィアズとマウェートはそのようなものなのだろう。隣り合って、競い合って光る、いじっぱりな星なのだ」
「星、ですか」
「あぁ。それとも月か? 夜を制覇しようとも、いつも止まることなく廻って行く。止まりたくとも止まれない。少々悲しい月だな」
「さようですね」
 インレアークは眼を細めた。
 淡い赤紫色の月。
 昨日までは撓って細い三日月の。
 三〇日ほど経てば小さくとも白く光る月が巡ってくる。
 決して乱れることのない周期が人々の生活の基準になった。まるで今の二つの国の戦いのよう。
 決してどちらかが勝ちすぎることなく、負けすぎることなく。戦いは二つの国にとって日常になった。
「このまま続いていくのでしょうか、戦いは」
「どうだろうな」
 自嘲するようなコリネットの失笑。インレアークはコリネットを見下ろして少し、目を細めた。
「だが今だけを考えるのならどうでもよいことだ。お前が傍にいる、いい夜だ。ただ、それだけでいい」
 インレアークは少し、頭を下げた。
「未来など考えるほど悲しいものだ。未来が美しく見えるほど、若くなくなったのだから」
「コリネット様」
 コリネットはインレアークを見上げた。インレアークが少しだけ笑顔を見せる。
「未来も過去も考えず、今だけを考えるのならば。あなたの望む方とお会いになられますか? あの方なら、悪いようにはなさらないかと」
「私の知るインレアークらしくないな。甘い言葉を吐くなど」
 それに、とコリネット。
「お前が望んでいるだろうと思って会ってみたいと思った。それだけのことにお前が命を懸けるのか?」
「俺の命は常に、己の行動全てに懸けております」
「そうか」
 コリネットが暗く失笑した。
「ならばその命、私のためにも使うか? 使うと言うのなら私もこの命、お前に懸けてやろう。最期の望み――お前が望んだ者に、会いに」
 インレアークがぺこりと頭を下げた。すぐに踵を返す、暗闇に溶ける背中、大柄の。
 コリネットは暗闇に溶け行く背中を見送って、微かに――本当に微かにだったけれど。
 “幸せ”そうな笑顔になった。
  
Back←// Utautai //→Next 
inserted by FC2 system