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「ひっ……っくしっ!」
盛大なくしゃみに周りがどっと笑った。
薄着すぎますよー、とか、風邪ですかー? またー? とか至極気楽に声をかけてくる。かけられているのは、彼らの隊長のエアーだ。
エアーは鼻を少しこすって「うるせー」と、鼻をすすった。
「他の隊の誰かが噂でもしてんだよ。……たぶん」
「どうでもいいことに自信なくしてんじゃねーよ!」
ゴツ、と後ろから頭を叩いたのは副官のエリク。テントを張るための杭を両手に持っているので、威力はけっこうある。エアーは叩かれた後ろ頭を押さえて、恨めしそうにエリクに振り向いた。
「それこそどうでもいいことで怒ってんじゃねーよ」
「思わずつっこみたくなるんだよ!」
言う、エリクの言葉に和やかな笑いがやはり起きた。ただ楽しいから笑っているという様子。エアーは周りを見て、ため息交じりに肩を竦めた。
十二番目の月、一日目。
スノータイラーに到着したのは数時間前。すでにスノータイラーの向こう側にはマウェート軍が着いていた。
「っていうかさ、お前またその外套かよ。別の色持ってんだろ」
「いいじゃねぇか、汚れ目立たないし」
「縁起悪そうな色だから俺は見てるだけで嫌だ」
「なんだよそれ」
大仰に肩を竦めて、エアー。
「根拠もなく縁起なんてもん担いでどうすんだ。少なくとも、俺はこれ着てて大怪我したことねぇよ。ってことはむしろいいんじゃねー?」
「お前の基準ででかい怪我って相当だからな!」
けっ、とエリクが鼻を鳴らした。エアーはニコニコと「おうよ」と、ひらりと黒い外套を翻して見せた。
「そうそう、俺もう少ししたら軍議だからさ、あと頼むな」
「あぁ、わかってる」
「俺も奴らできるだけどうにかするからさ」
陣営の奥を隠しぎみに指差して、エアー。エアーの顔は苦笑。指差した先にいるのは、ウィアズの色を持たない兵士たちだ。
グリンランドの傭兵隊、分隊。全てが馬に乗らず短い槍を扱う槍士で成り立つ彼らは、主に海沿いで活動していることが多い。グリンランドから近い海岸沿い、海戦。有名な傭兵隊ではあったが、ウィアズに縁はなかった。隣接している部分がないのだ。
なんでも、“昔の縁で”カタンと傭兵隊の重要人物が知り合いだったらしく、今度の戦いに参加してくれるのだという。分隊だから、と苦笑を浮かべながらカタンは言ったけれど、直接関わることになるのはカタンがいる天空隊ではなかった。猛反対したエアーと、珍しく意見して反対したミレイドの地上隊だ。
「……頼んだ、からな」
「?」
エアーが訝ったのも無理はない。エリクの勢いが唐突になくなったから。
「どうした、――よ?」
問う、タイミングに重なって二人の頭上すれすれを白い天馬が横切る。突風、ごうという音。少し離れた場所で着地した、
白い、天馬。
「――っ」
エリクが息をのんだ。直後。
「エアー・レクイズ!」
とんでもない大声。サリア・フィティ。天馬から颯爽と跳び下りると大股でエアーに近づいてくる。
頭一つ以上も背の高いエアーを見上げて、サリア。両手を自分の腰に当てた。
「指示し終わったら軍議って言ってたでしょう!」
“騒音”と比喩されるほどの大声だ。眼の前で叫ばれたエアーはいわおうがな、顔をしかめた。ついでに耳も塞ぐ。
「叫ばないで下さいっ、五番隊長さん!」
「サリア・フィティ! いい加減に名前覚えなさい!」
「覚えてますってば」
耳を塞いだままで会話できているのは、耳を塞いだままでも聞こえるから。サリアは顔をしかめて、片手をエアーの耳に。
「――いっ、っだ!」
思いっきり引っ張った。
重力に任せただけだけれど、身長差があるから結構な威力。
「ちょ、ちょっと待ったってば!」
「うるさーあい! 新人なんだから、その軍議のテント張るの率先して手伝いなさーあい!」
「それと、耳、何の関係がっ」
「大あり! ちゃんと聞きなさい! エアー・レクイズ!」
「耳塞いでても聞こえるから叫ばないでくださいっ!」
エアーの声はまるで悲鳴だ。周りが失笑している、二番隊。
周りの失笑に気がついてサリアはエアーの耳から手を放した。
「エアーの副官は?」
「副官なら、すぐそばの」
放された耳を押さえるエアーは涙目だ。ちょいとエリクを指して、少しエリクに振り返る。振り返って、考える間もなく問いが出た。
「どうした?」
エリクが――怯えて、いたから。
エリクが問われてはとして我に返る。周りが笑っていたのに、一人だけ真顔で別の場所を見ていた。明らかに何かおかしかったから。
「お前、さっきからおかしいぞ」
「う、うっせーよっ」
エリクは平静を装った。
「お前が俺の心配するなんて、今夜は絶対雨だな!」
いつもより無駄に威勢がよかったけれど、エリクの様子にエアーは失笑した。
「なんだよ、それ」
「天気の予測。雪だったりしてな」
「お前なあ」
くすくすとエアーが笑った。肩から少し力を抜く。
「ま、いいや」
「おう。って、お前迎えに来てくれたんじゃねーのかよ? 五番隊長さん」
「だから、五番隊長じゃないの!」
「あぁ、すいません! サリア高等兵士」
愛想笑いのエリク。エリクの顔をじっと見て、サリア。
エリクに近づくと唐突にエリクの両肩と両腕をぽんぽんと叩いた。叩いてエリクの顔を覗き込んで、真剣な表情。
「肩の力抜いて。あなたの隊長はこんなんだからしっかりしなきゃいけないのはわかるけど、もっと楽に生きて」
「?」
「がんばりすぎちゃだめ」
「……っ」
エリクが息を呑んだ。呑んだ様子を遠くからエアーも見守っていたけれど、理由がわからなかったからすぐに視線を逸らした。遠くの隊員に指示を飛ばしているうちにサリアが戻ってきてエアーの腕を掴む。
「さ! 行くの!」
「はいはい。なんだったんです?」
「いいから、エアーは自分のことをしなさい!」
「はあーい」
サリアに引き摺られる形で進みながら、エリクにとエアーが振りかえって片手を上げた。
(あれ?)
わかるぐらい、エリクの顔が青ざめていた。
「おい!」
呼びかけた、声にエリクが器用に振り返る。
「無理、すんじゃねーぞ!」
かけた言葉にエリクが本当に嬉しそうに、けれどどうしてか、
泣きそうな顔で、笑った。
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