73.“友人”

   夜の食事の時間で隊に合流したエアーは、周りには何事もなかったかのように振舞っていた。
 けれど向かい側に座ることになったエリクには丸わかり。座ろうとした瞬間に顔をゆがめたところをみれば、絶対にどこか痛めている。おそらくクォンカと試合してどこか打ったに違いない。
 はあ、と思わずエリクが嘆息するのに、エアーが大げさに眉をあげた。
「なんだよ?」
「べっつに?」
「眼の前で嘆息しといて別にもねーだろ。言いたいことあんなら言いやがれ」
「別に? ケツは流石に恥ずかしいだろーなーと思ってさ」
「別にケツじゃねーよ、背中を少し――」
「へえー?」
 冷静にエリクが答えて、いただきますと一言。食事を一口口に運んだ。周りで聞いていた数名が微かに失笑。
「背中、痛めたのかよ。支障は?」
 エアーが、げ、と顔をゆがめた。
「……ない」
「はい嘘。医務室で湿布してもらってこい。副官命令」
「お前な、その副官命令してる相手は、お前の一応は上司だからな」
「ああ、わかってるけど?」
「命令できる立場じゃねーだろって」
「でも俺のが正論だろ?」
「だと、したって!」
 と、少し前かがみになったエアーがまた顔を歪めた。声まで出たところ、相当ひどく痛めたのか。エリクは冷静を装うのをやめた。失笑して、肩をすくめる。
「ほらみろ」
「うるせーっ」
「ふくかーん、隊長の背中にでっかい痣できてまーす」
「おいお前らっ、勝手にめくんじゃねーっ!」
「いいから行けよ。仕事手伝ってやるから」
「それはありがたいけどな!」
 叫んでエアーは、食事が終わって集まった隊員たちを片手で追い払った。背中をめくっていた数名が声をあげて笑う。笑う姿を見て、エリクもつられて笑った。だがエアーに睨まれて、なんとか笑いをこらえた。
「それより。王城周回、追加になった奴は?」
「なし」
「は? マジかよ」
「ああ。ほら、あの一人だけつけられなかったやつが手伝ってくれたんだけど、うまい具合にやってくれたんだよ。どいつが途中でサボったのかなんて俺にわかんない具合にさ」
「へえ……って、それじゃ意味ねぇだろ」
「まあな。けど、お前も厳しく訓練しすぎだ」
 言って、エリクが失笑。
「これ言うの何度目だよ」
「さあ?」
 エアーが小さくくすりと笑った。笑って、ようやく自分の食事を本格的に始めた。
「そういや、それ言われんの、俺が高等兵士になる前からだったよなあ」
「いい加減直せよ、怒鳴んのもめんどくせーつーんだよっ」
「あはは、怒鳴られねぇのも物足りねーな」
 至極軽くゆるく笑う、エアーを見てエリクは安心感とともに、少し物足りなさを感じた。
 昔はもっと馬鹿をやって、周りから止められたくらいなのに、と。あの頃は気楽だったなとか、ほんの数ヶ月前なのに、懐かしくも思うのだ。
「なあ」「なあ」
 二人ほぼ同時。話しかけようとして、声が重なったので止まった。同じようにちらりと相手を見た。
「……なんだよ」
 問い返したのは、まずエアー。
「お前から言えよ」
「いや、お前から」
「いーや、お前から。隊長命令」
「こういうときに権力振りかざすんじゃねーよ!」
 思わず声をあげて反論したエリクに、エアーが楽しげに笑った。とっとと食べ終わった食器をテーブルの上において、片手を一つ振る。
「俺のは本当どうでもいい話だからさ。言ってたら忘れたんだよな」
「忘れんの早すぎだっ」
 ちえ、とエリクが舌打ちした。同じく使い終わった食器をトレーの上に並べて、ごちそうさまと一言。そろそろ食堂は三番隊の時間だ。
「医務室まで連れてくって話しようと思っただけだ。俺も今、無理矢理連れてけばいいだけってことに気がついた」
「だから大げさだって。こんなんほっといて治るだろーが」
「とっとと治ってもらわなきゃ困るだろーがよっ!」
 エリクが立ち上がったところで、周りに集まっていた剣士たちがやはりわらわらと、からかうような表情で二人のトレーを片づけていく。エアーはやはり抗議の声をあげるが、エリクは楽しそうだ。軽く周りに礼を言って、ほら、とエアーに声をかけた。
「行くぞ、エアー」
「くそっ、全員あっちにつきやがって」
「当然じゃん。人望の差」
「ちくしょー」
 周りから笑いが起こる。立ち上がったエアーの背中をやはり無遠慮にめくって、一人が「うわ」と声をあげた。
「こんなところに痣なんてできるもんなんですね」
「そうとう酷いよな、これ」
「だからお前ら! 勝手にめくってるんじゃねーってんだよっ!」
 再び追い払おうとして身体をねじったところで、再び動きが止まった。すぐには動き出したけれど、周りはきちんと見つけていたようで。
「ハイハイ、隊長。おとなしく副官に従ってください」
「っ、くそっ」
 およそ高等兵士として恐れられていない扱いだった。扱いもノリも数ヶ月前までと一緒。中等兵士だったころと変わりない。確かに小隊内は和やかだった。それなりに楽しかった。
 けれど、何かが足りないのではないかと、エアーは少し考えていて。
 エリクに連れ出されて二人きり、医務室に向かう道で、エアーから思わず嘆息が漏れた。
「はあ」
 肩から力が抜けて、天井のない斜め上を見た。
 秋のウィアズ王国。空には十番目の月が浮かぶ、去年と変わりない空。
 エリクがエアーをちらりと見た。
「どうした?」
「ん?」
 エアーがエリクを見やればエリクは苦笑。
「ため息。でっけーのが出てたけど?」
「あぁ。いや、本当別に」
 答えて頭をかいた。エリクから視線を外して再び斜め上の空を見る。
 ――自分が高等兵士になった理由を考えたことがあるか、とエアーはクォンカに連れ出されて訊かれた。エアーは「ある」と答えた。「あるけれど、はっきりとは分からない」と。
 第一大隊の二番隊になった理由は考えたことがあるか、とも訊かれた。エアーは「ある」とこちらも答えた。
 おそらく「どうしても勝ちたい」と思う人間がカタンの傍に欲しかったのだ。カタンには勝利よりも大切なものがありそうで、その点でエアーと気が合わない。エアーは「そんなことは勝ってから言え」が常套文句だ。
 争いの中、どんなに崇高な思想を持っていたとしても、弱ければ踏みにじられる。強くなければ、勝利者になければ――。
 けれど最近になって思う。
 “強い”というのは、ただ“強く”あればいいのか? その“強い”とは? 勝利者の条件とは?
『勝たなくては』
「――おいっ」
 軽く肩を叩かれて、ふとしてエアーは視線を下げた。エリクが肩を竦めて顎で左を示す。
「どこまでいくつもりだよ。こっちだろ」
「あ、わり」
 促されて慌てて曲がるエアーを見て、エリクが苦笑。再び肩を竦めた。
「だからお前、顔に出過ぎだからな」
「は?」
「考え事。お前頭悪いんだから、深く考えてもしかたねーんじゃねーの?」
「はあ? なんだよ、その言い方はよ!」
 出た声が思いのほか大きくて、エアーは自分で顔をしかめた。エリクからは沈黙が返ったので余計に、エアーは言葉のそれ以上を飲み込んだ。
 ゆっくりとエリクの斜め後ろを歩きながら、知らずに肺いっぱいに吸い込んだ空気が、ため息になって飛び出した。
「……痛って」
 クォンカとの試合中に押し飛ばされて角にぶつけた背中が、不意にずきりと痛んで、ため息をごまかすために呟いた。けれどやはりエリクは振り返らずに歩く。ゆっくりとはしているけれど、エアーに振り返ることなどしない。エアーの歩みが遅いことなど当然とばかりだ。いつもはお互い競うように歩くのに。
 沈黙が、苦しいな、とエアーは思った。
 黙りこんでしまえば思考にはまりこんで、さらに苦しくなっていくのに。
「流れる、星に……」
 苦し紛れに出た言葉が歌になる。
「願いを……」
 エリクが少しだけ振り返った。エアーはエリクを一瞥して、少し上を見た。ウィアズ城の天井は高い。見えるのは薄暗闇。星など見えない。
「いつか、また、」
 小さい声で続けるエアーに、エリクが失笑した。ふっと息を吐き出して、少しだけ笑顔になる。
「何遠慮してんだ。いつもどおり歌えよ」
「………」
「『詩人(うたうたい)』好きなのお前だけじゃねーし。俺もお前が歌う歌は好きだし」
「………」
 口を閉じたエアーを見て、エリクが「ったく」と呟いた。短くため息を一つ。
「落ち込んでんじゃねーよ」
「あ?」
 もともとゆっくりだったエアーの足が止まった。無理に飄々と笑うと、大げさに肩をすくめて見せる。
「なんで落ち込まなきゃなんねーんだよ」
「馬鹿。お前がカタン総司令に負け続けてるのは軍の常識だ」
「だからって落ち込むか。くそっ」
「落ち込んでんじゃねーかよ」
 エリクがちぇと舌打ちして再びエアーに背中を向けた。背中を向けたエリクを見て、エアーが再び小さくため息。視線を逸らして、小さな声で。
「なあ」
 ともすれば広い城の中で消えてしまいそうなほど力ない。エリクが歩きながら振り返る。振りかえったエリクを見て、エアーは少しだけ笑顔になった。
「今度の、勝たなきゃな」
「ん?」
「勝たなきゃ、みんな、死んじまうよな」
 エリクは言葉がすぐに出なかった。
 勝ってもきっと誰か死ぬぞと、口に出せなかった。エアーだって本当は分かっているはずのことだ。
「あぁ」
 今自分の顔は変な顔かも、とエリクは少し思った。笑ったつもりでエアーに答える。
 無性に悲しくて。
 無性に苦しくて。
 無性に――。
「勝とうな、みんなで」
 心惹かれたから。その甘い言葉に。
「そのためにも隊長には、しっかりしてもらわないとな!」
 ひょいとエアーの横に並んでエリク。わざと力いっぱい背中を叩いた。ぎゃあとエアーが悲鳴をあげたので、やはり力いっぱいエリクは笑った。エリクが無遠慮に笑うので、エアーもつられて思わず、声を出して笑った。
 広い、広い広いウィアズ城の一角で。
 少しだけ心安らいだ瞬間。
  
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