65.二つの才

   ダン、と音が響いて少年が一人床に転がった。「うっわ」と呟いたのは、少年を見下ろす男、エアー・レクイズ。
「受け身とれたか?」
 痛そうな音だったなと思いながらも、顔に同情はない。訓練場の中では怪我など日常茶飯事だ。
 少年がふらふらと立ちあがって、「なんとか」と答えた。
「だからお前、前のめり過ぎ。そんなんじゃ力はいんねぇだろって」
「はい」
「よし。次」
 ふらつく足で少年がエアーの前から立ち退いた。続けて別の顔がエアーの前に立つ。先ほどの少年よりも背は高いし、大人びている。だがやはり若い。
「どっからでも」
 木剣を片手で構えて、エアー。班別に分かれての訓練。変わらずの三班長エアー・レクイズは、時折こうして一人ひとりの癖を見るときがある。本人の戦い方は基本の“き”もあるようにも見えないのに、指摘するのはいつも基本からだ。
 木剣を振る剣士に、エアーは片手で木剣を合わせる。合わせていなして、相手が向かうに任せる。
「お前さ、」
 相手は必死で動いているのに、エアーはかなり余裕のある表情で。
「受けるほうが得意だろ」
 エアーが木剣を攻撃に動かした。剣士はエアーの剣を受け止める。周りからどよめきが少し、起きた。
「よおし」
 少し意地悪い笑顔で。
 エアーはさらに攻撃のために木剣を振る。そのことごとくを剣士が受け止めて、拍手が起きた。
「ただし、目で追いすぎな」
 短く笑って、エアー。
 円を描くように木剣を振り下ろすと、木剣は剣士の足をしたたかに打った。
 オーソドックスなフェイントである。
「よし」
 と声をかけたのは、エアーではなかった。
 腕を組んで仁王立つ、エリク・フェイ。
「ただし怪我人出しすぎだ」
 中等兵士の一人が、思わず息を吐き出して笑った。
「もう少しぐらい手加減できるようになってから下級兵士相手にしやがれ!」
 周りから多少ぱちぱちと拍手があった。ぽかんとしているのはエアーのみ。下級兵士たちが居心地が悪そうにいそいそと目線を逸らした。
「今日だけで何人怪我人出してんだ! 馬鹿かお前! 怪我しない程度っていう言葉の意味がわかんねーのかよっ!」
「怪我なんざ普通にするもんだと思ってるね! お前だって脱臼骨折、普通にしたことあんだろ?」
「お前で三回、オリエックさんで一回。ワネックで二回だ。お前が一番多いんだっつーんだよ!」
「はっ、みみっちいな。俺はすでに数えてない!」
「偉ぶるな、んなことで!」
 大体とっくに休憩時間なんだよと、続けて叫びながらエリクはエアーに近づいた。
 クォンカ・リーエ旗下第一剣士隊、一班副班長エリク・フェイ。
 剣士としての強さは隊内でも上位に就くが、どちらかというと情報収集、判断の面で重宝がられてクォンカ直下一班の副班長に就いている。
 三班長エアー・レクイズ。
 剣士としては国内有数の強さを持つ。にも拘わらず無名に近いが、最近はよく剣士たちの間で彼の名前が出る。
 次の式典を区切りに、王国軍は三大隊制になる。大隊が一つ新設されるのだ。
 そのための訓練施設増設作業をしながら、兵士たちは誰が三番目の高等兵士になるのかと、予想し合っているのである。
 まず下級兵士たちの大半の意見は二つに分かれる。第一剣士隊隊長クォンカ・リーエの副官オリエック・ネオンか、第二剣士隊隊長ノヴァ・イティンクスの副官、レコルト・エグリアンの昇格である。
 ただし中等兵士になると話は変わる。
 二人の副官はおそらく、自分の隊長から離れないだろう。長い年数を供にしてきただけに、二人の隊長も手放しがたいだろう、と。
 ならば新しい隊長は、と問うと三人に一人程度の確率でエアーの名前が出た。副官はと問えばほとんどの人間がエリクだと答える。副官の項目ではエアーは登場しない。情報の収集に全く興味を持たないからだ。
 エアーを予想する人間は言う。
 あの実力には無償に惹かれるが、隊を率いるには少し心許ない。エリクがついているなら、おそらく、と。
 そんな中等兵士たちの言葉を知ってか知らずか、エアーはエリクが唐突に突き出した剣を軽々と避けた。
「お、なんだなんだ?」
 軽く笑いながら、エアー。
 エリクは眉を挙げた。とはいえ、少し口元が笑っている。
「体力余ってるなら付き合えよ。俺もだいぶ体力余ってるんだ」
「あぁいいぜ」
 けらけらと笑いながら、エアーは手の中で木剣を回した。
「今日も白魔道士送りにしてやるよ」
「今日は逆にお前を白魔道士に送ってやる」
 エリクが答えて、剣を構えた。
 二人の周りからそろそろと人が避け、見物するように円になる。その中心で楽しそうな表情でエアーも剣を構えようとした瞬間、軽い歩調で二人の間にオリエック・ネオンが立った。
 いつも通りの白々しい笑顔。現れたオリエックにエアーとエリクの表情が固まった。
「試合するなら俺が審判やってあげるよ。体力余ってるし、暇だしね」
「はあ」
 苦笑で答えて、エアーが頭をかいた。オリエックは「それに」と自分の背後にある訓練場の入口を示した。
「ノヴァさんと隊長が来てるんだ。ちょうど二人の戦いが見たいって」
 言われてエアーとエリクの二人が入口を見やった。
 視線の道を作るように、野次馬が二つに分かれた。
 クォンカは両腕を組んで、「おう」と、二人の視線を受けるとニヤリと笑って見せた。
「勝ったほうに、セイト王子のお使いに行ってきてもらおうと思ってな」
「せっ」
 声を挙げたのは、エリク。
「セイト王子の? なんで俺たちが!」
 驚愕の声。オリエックは迷惑そうに耳を押さえてエリクを見たが、エリクは気にもできない様子だ。同じく迷惑そうなのはエアー。エリクの声はかなり大きかった。
 クォンカも苦笑を浮かべ、腕を組んだままの手で人差し指を一本挙げた。
「俺はこれから、ノヴァと統合部署だ。その間はオリエックに隊を見てもらわなきゃならん。だがセイト王子が剣士のお使い要員が欲しいんだと。だったら、できるだけできる人間を、と」
「はあ」
 ため息交じりに納得したのはエアー。木剣をくるりと手の中で回して、「わっかりました」と、驚愕するエリクの代わりに答える。
「どっちなのかが嫌な予感がしないわけではないですけど、勝負自体は嫌いじゃないし」
 息を吐き切って、剣を片手でエリクに向けた。
 エリクもエアーの声に一笑。両手で剣を持ち直した。
「一本勝負な。決まらなかったらたぶん、どっちもお呼ばれなしだ」
「おう」
 二人、少しだけ位置を正して、間合いを取り、改めて剣を構える。様子に二人の高等兵士が満足そうな表情になる。
 オリエックが二人の間から少し離れた。片手を挙げ、二人に向かって二コリと笑う。
「怪我は、しないようにしておいたほうがいいと思うよ」
 ――先ほどの口論もしっかり聞いていたオリエックである。エアーが苦い顔になった。
(って、言われてもなぁ)
 オリエックが右手を振り下ろす。
「始め!」
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