64.望み、そして

   デリクの槍が舞う。矢を叩き落としながら、空を舞いながら、ロウガラと戦いながら。まるで不利に傾いた状況を楽しむかのような表情で、竜とともに空を舞う。嵐の中を。
(望みを)
 カランは乱暴に矢を二本矢筒から取った。
(叶えられるのが片方だけって、言うなら)
 矢を一本番えて、素早く弦を引く。
(借りは返す。自分の望みを、必ず叶えるためにも!)
 矢を放す寸前、天空に黒い影が飛び込んできた。槍を掲げ、激しく叫ぶ。
「第二大隊総司令カタン・ガータージ、第一大隊の加勢に天空隊を先駆けた! セフィ! 俺と決着をつけろ!」
 珍しく怒りを込めた叫び声。
「お前になど、負けはしない!」
 カタンに視線が集まるのとカランが矢を放った時は、同時だった。
 鋭く進む一本の矢。
 気がついたのは、セフィ・ガータージだけだった。
 シリンダの大槍をはじいて、デリクへ向かう矢へと天馬を操り方向を変える。鋭く天馬が空を進む。
「させるか卑怯者!」
 カランの放った矢がセフィの槍にはじかれて、ようやく辺りも動きを始める。――はずだった。
「……え?」
 セフィが矢をはじいた格好で、硬直した。
 少しして、手から槍が落ちた。
 横腹から心臓に向けて、まっすぐに矢が刺さっていた。鎧の合間を縫って、深々と。
 地上では二本目の矢を放ったばかりのカランが、なぜか本人も茫然とセフィを見上げていた。
「……セフィ?」
 カタンが、驚愕を持って問う。
 戦場に現れた空白は、まさに刹那だった。
 カタンの驚愕や混乱など無視して、天空の時は再び動き出す。
 シリンダとロウガラは迷わず進んだ。
 シリンダは槍を落とした直後のセフィに、生き返るなとばかりに大槍を叩きつけた。セフィの身体は力なく天馬から落ちる。その天馬にも、地上から矢が襲っていた。
「セフィッ!」
 天馬から落ちるセフィを見つけて、デリクが叫んだ。
 悲鳴のようだった。
「セフィ!」
 二度、叫んで顔に血を浴びた。
 血を浴びてデリクは我に返る。――のと同時に、槍を落とした。
 自らが乗る竜の首にロウガラの槍が突き刺さっていた。竜がデリクを、かばった故である。
 だらりと力なく垂れる竜の首と溢れる血が、デリクから戦場に立つ勇気を失わせていた。
 この風巻く空。
 雨は荒々しく降り注ぎ、身体に叩きつけ、身体を冷やし。
 すべてを飲み込んでいくような、嵐の中。
「すまない……すまないっ、カナタっ。セフィ……っ!」
 いまさら寒さに、身体が震えた。――震えているのは、本当に寒さだけなのだろうか。
 目の前には槍を振り上げる敵が迫る。
 ロウガラ・エンプスは、デリクの様子に目を細めた。
「すぐに勝利を諦める奴が指揮官だったなんてな」
 ロウガラの呟きにデリクが息をのんだ。
 セフィが倒れても、自分が生きている限り、マウェートが勝てる可能性があったのではないのか。
 それこそが掲げた望みではなかったのかと。
「あ……」
「戦場から消えろ!」
 ロウガラの怒声とともに、デリクの身体をロウガラの槍が襲った。横殴りに殴られ、さらには風にデリクの身体が宙に舞った。
 デリクは死を覚悟した、あまりに高い場所まで飛んでいたから。
 死の間際に戦場を少しだけ見れた。
 地上でも人びとが必死に戦っていた、生き残るために。おそらくただたんに国のためだけではない理由のため。自分のためだけではない理由のために。
「すまない……マウェート」
 激しく叩きつけられる衝撃とともに、デリク・マウェートの意識は失われたのである。


■■■


「おにいちゃんっ!」

 船から救出されたエアーをフリクの港で誰より待っていたのは、エアーの妹であるテイル・レクイズだった。くりくりした赤い瞳、天真爛漫で明るい彼女の瞳から涙がこぼれていた。
 竜から降りて地上に立ったエアーに、テイルが力いっぱいにしがみつく。エアーは腰を曲げて「どうした」とテイルに問うた。テイルは首を振るのみ。
「本当にどうしたよ」
 暗い失笑まじりにエアー。テイルを足からはがして、抱き上げた。
「本当に戻ってくるとはな」
 町の方向から長身の男がやってくるのを見て、エアーは眉をあげた。
「ちょうどいい、言いたいことがあった」
「おいおい、待てってティーン!」
 ティーン・ターカー。隣にはクレハ・コーヴィの姿がある。不穏な雰囲気にエリクが訝りながら近づいてくる。
「船の上で、何人の人間が死んだと思っている! お前に続いて行った人間が!」
「……?」
「お前の行動に続いて行った人間のほとんどが、船の上で倒れた。あの魔道士が無理矢理に船を動かして、天空隊も手伝ったおかげでようやく制圧できた」
「………」
「船で生き残った人間などいない! お前の後先を考えない行動が、余計な死者を招いたのではないのか?」
「それは言いすぎだって! また頭に血ぃ上ってるぜ?」
 ティーンの肩を叩いてクレハが制止しても、ティーンはエアーを睨み据えたまま。
 エアーはテイルを胸に抱いたまま、ティーンの顔をしばらく眺め――ふとした瞬間に、にこりと笑った。
「そっか。悪かったよ」
「おい!」
 至極あっさりと返答して踵を返したエアーに、拍子抜けしたようにエリクが続く。エリクが肩を叩いても、エアーに反応はない。
 エアーはまるですがるようにテイルを抱きながら、港の一角に進む。人が集まる場所に。
 多くの義勇団員の姿があった。
 中心に微動せずに横たわる、一人の男の姿も。

(なぁ、親父)

 エアーの背中を見送ったティーンも、言葉を続けなかった。少しだけ見送った後に、自分も踵を返し、短く嘆息した。
「……だが、おそらく、」
 悲嘆のような、ティーンの呟き。クレハが苦笑した。
「間違いではなかったから、か」
「だな」
 クレハは苦笑のまま、ティーンの背中を軽く叩いた。
「ティーンの言葉もさ、エアーに伝わってるって。ティーンのもたぶん、間違いじゃなかったんだって」
「そうだな」
 息を吐いて、ティーンは力を抜いた。
 少しだけ振り返って、エアー・レクイズの背中を見た。
 友人が何を語りかけても反応せずに、死体を見下ろした姿を。

(今、どこまで昇ってるかな)

 ――雨音が、うるさかった。
 港に打ち付ける波の音も。
 すすり泣く声も、すべての音が煩わしく感じられた。
 父親の傍らで母親が泣いている。妹が胸を掴む手に力がこもった。
「ごめん、な」
 ぽつり、とエアーは言葉を落とした。

(月は……やっぱり遠いよな。
 だから、今頼むよ。まだ声が届くうちに)

「俺は、」
 自分の涙は雨にごまかす。嗚咽だけは漏らさぬように。
「願ってた、だけだった。何かに届くはずもない願い事でさ」
 それでも願いたいと思う、理の無情さ。
「普段は護りたいものなんか考えたことなんかなかったのに、唯一護りたいと思ったフリクを護るために、親父を助けも出来なかった。フリクで戦った人間を、最後まで生きさせることが出来なかった」
 まるで懺悔のようだなと、エアーは少し思った。
 けれど許されたいと思って言葉が出ているわけではなかった。どうしてか零れ落ちる言葉はおそらく、
 この後悔が、消えて無くならないようにと。
「ごめん……綺麗事並べたって、結果は同じだった。本当、ごめん……」
 テイルを地面に下ろすついでに自分も地面に膝をついた。テイルは地面に立っても、エアーにしがみついたまま延々と泣いている。
 テイルを少しなでて、エアーは空を見た。
 空を厚い雲が覆っていた。大粒の雨が降り注ぎ、その雲すら確かに見上げることも困難だった。
 けれど空の向こうには、死者がたどり着くといわれている場所がある。願いが叶うといわれている場所がある。
 ならば、どうか、とエアーは思った。
(俺は親父が誇れる人間じゃない。だからどうか、許さないでほしい)
 エアーは叶うはずもない、届くはずもないことを、それに願った。





 この戦いは、ウィアズ王国の勝利で幕を閉じた。
 ウィアズ軍の決死さにマウェートがひるんだ故か、デリクとセフィがほぼ同時に戦死したことによる戦意の喪失か。二人の戦死後、瞬く間にウィアズ王国軍が戦いを制した。
 嵐は一日で去った。
 戦いの三日後、ウィアズ王国王妃の葬儀が執り行われた。
 同じくマウェートでも、デリク・マウェートの葬儀が行われた。しかしこちらに遺体はない。戦いののちの戦場は魔道士による浄化の炎で清められる――死体は焼失するのである。
 国中が悲しみに染まった、王妃の葬儀の二日後。
 一命を取り留めたものの、片腕を失ったリセ・アントア――第一大隊総司令は、辞意を表明した。戦うだけの力はもう残ってないのだという。高等兵士足りえない、新しい高等兵士をとリセは説いた。
 周りは激しく止めたが、リセの意思は変わらなかった。総司令補のピーク・レーグンだけは何も言わずリセの意思を受け入れたが、議論の間席を外していた。
 この後半年ほどこのピーク・レーグンが第一大隊を率いることになる。総司令補は三番隊長であるクォンカ・リーエが就いた。
 戦いは、止まらない。
 何度も何度も繰り返す。
 南と北の大国の争いは、抜け出すことが困難なところまで、深みにはまっていたのである。
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