|
耳元で甲高く音が鳴った。キィンと耳障りな鉄の音。
剣士の剣を短剣で受け止めて、カランは顔をしかめた。ち、と小さく舌打ちする。雨でぬれた前髪がぴったりと顔に張り付いて、気持ち悪いのと邪魔なのと、持ち場から追い出されてしまった苛立ちと。
押し合って、少し間合いを取る。カランは剣士を睨みつけた。――とはいえ、元々眼つきは鋭い。睨みつけたように、見えたのだ。
カランが再び短剣を構えると、剣士も剣を持ち直す。睨みあった瞬間、カランの顔の横すれすれを、矢が通り過ぎた。通り過ぎた矢はカランと睨みあっていた剣士の顔面に突き刺さる。
矢の空気の摩擦音に顔をしかめてカランが背後を見れば、馬に跨ったまま矢を放った弓士が一人。ちなみに、カランのよく知る男だ。
「伝達だぜ、副官さん」
至極真面目に、インザ・ヒュルヴィ。後に弓士隊の中にできる、弓馬隊の創始者である。
「ここは第二の剣士隊に任せて後退。弓士は天空の援護、だってよ」
カランは短剣を鞘に納めて、すぐに矢筒から矢を取り出し、前方に放った。
森の中から剣士が溢れてくる。森の中の覇権を争ったが、負けてしまった。
ウィアズの剣士たちも森の中からの弓士の攻撃に苦戦しているようだった。
「理想論だな」
「あ、そう言われたら伝えてくださいー、って言われたんだけど」
インザも矢を放ちながら。言葉は流暢だが、行動は止まっていない。
「『どっかの剣士が先になんかしてると思うんで、安心しなさい』って」
口調を真似てインザが言えば、カランが手を止めてインザに振り返った。
「命令元はリセさんじゃないのか?」
「あぁ、総司令補の魔道士から」
「へぇ」
雨に濡れた髪の毛をかきあげて、「そっか」と呟くようにカランが答えた。カランは少し周りを見渡すと、インザを一瞥して、弓を前に構えた。
「もう少し経ってから従う」
「いいのか? 勝手に判断してもよ」
「簡単に退がれる状態じゃない」
退ける状態にないことをおそらく総司令補の魔道士は知っているだろうな、とカランは思った。総司令補が戦いの指揮を執った姿を見たことはなかったけれど、曲者、のような気がする。伝達を受けた人間が答える内容まで予想して伝達を送るなんて、よほど物好きだ。
「インザ、下級兵士たちの援護してくれ。覚えてるか?」
「さっぱり」
「じゃあ死にそうな退き方してるやつを助けてくれ」
「はいはい副官さん。そんなカラン副官にプレゼント」
口調は至極軽く、表情は真面目なまま。インザは馬に積んである矢の束を一つ、カランに放り投げた。続けて、途中で死体から拾った剣を放り投げれば、剣を受け取った瞬間にカランが明らかに嫌な顔をした。
「矢だけにしろよ」
「今だけは意地張んなよ。下級兵士のためだろ? お前が前に出てりゃ、大抵のやつは安心して退くから」
「嫌な癖だな」
答えながら矢筒の中に矢の束を突っ込んだ。片手が塞がってしまっていたから否応なく弓を背負う形にくくって、インザを横目で睨みつける。
「ホンティアさんにも、クォンカさんにも言うなよ」
「言わないから頼んだぜ、カラン。お前が一番前にいると、安心して退かせられる」
カランが舌打ちした。舌打ちして弓士たちが退くのに苦戦している前へと走る。剣士たちの間に混ざって剣を持つ姿はやはり、頼りない。
(皮肉だよな)
剣を抜いて鞘を捨てた。カランの表情は不機嫌そのもの。
(あれだけ嫌だったのに、頼るはめになるなんて)
そもそも、カランの足は速い。すぐにウィアズ軍の森との最前線に着くと、森から溢れる剣士の一人と一合、合わせた後に翻した剣の一閃で、剣士の両腕を斬り落とした。
「四番隊!」
叫ぶ声に反応できる、判別できる人間はどれほど残っているのか。
「腕に自信がなければ剣を捨てろ! 弓を持て!」
この土砂降りの中、どこまで声は届いているだろう。
「すぐに番えろ! 敵が向かってきていると思ったなら射ろ! 常に矢を持て! 常に一定の距離を保て!」
向かってきた剣士に、カランは踏み込んだ。インザから渡された剣を両手で握り、斬り上げる。
「矢が尽きたなら、倒れてるやつから奪え! 常に番えていろ! 敵に矢尻を向けろ!」
叫びながら返す刃で飛んできた矢を叩き落とす。おそらくカランが弓を背負っていなければ誰も、カランを弓士だとは認識しなかっただろう。
――というのを、ホンティアかクォンカに見つかると散々な目に遭う、ということを重々承知しているカランである。弓士であり続けたいと思っている自分に、剣士が使う剣は無用だ。剣士としての技術もあって困るものではないとはいえ、これ以上は無用だ。剣士として名をあげたいわけではない。
「弓士の殿は俺がとる! 俺より前に出るな! 退け!」
剣士たちに混ざっていた弓士たちが、剣を捨てた。乱雑の原因である彼らが剣を捨てて弓を持ち、一歩下がると、森との表層には接近戦に長けたウィアズ王国の剣士たちが覆う。より強固な膜となる。
剣士たちの援護をするように弓士たちが矢を射る。
「退け! すぐに行く!」
退きながら、弓士たちが矢を射る。
その弓士たちの前で剣を振るっていると、ふとマウェート軍とは別の声が、森の中から聞こえてくるのに気がついた。
マウェート軍が取り乱している。逃げ出すように森から飛び出してくる。だが飛び出した先で森から追い出され、だがまだとどまっていたウィアズ軍と遭遇し、混乱を極める。
今だな、とカランが思った瞬間、少し遠くで剣士の一人が叫んだ。敵を倒せと。
剣士たちがこぞって声をあげてマウェート軍に突撃する。カランは前に出ず、一息、吐いて剣を捨てた。
「ふへっ、本当よくやるお子さんだぜ」
至極愉快そうな声で登場、ブランク・ウィザン。いつの間に移動してきたのか、気がつけばカランのすぐそばに立っている。
カランが捨てた剣を拾って、にやにやと笑いながら剣を差し出してくる。
嫌な奴に見つかったな、とカランは思った。
「ほら、剣。お前も前に出たらどうだ?」
カランはブランクから目をそらして、前髪をあげた。短く嘆息。
「援軍」
低い声、不服そうな声にブランクが笑いをこらえた。
「どうもありがとうございます」
ブランクが奇妙な音で鼻を鳴らした。
「ウィアズは、ウイズ族のものだからな」
ウイズ族かと、声に出さずにカランは森を見やった。ブランクがウィアズ王国の先住民族であるウイズ族の族長に連なる人間であることは前に聞いた。どうやら“どこかの剣士が何かしてるはず”だったことは、ブランクに援軍を要請したことだったらしい。
とはいえ、自分にウイズ族の血が流れているような気がしないカランである。頷くように少しだけ頭を下げて、括っていた弓を取った。
「弓士は天空の援護に行きます」
「ふへっ、可愛くない反応だな!」
「可愛いとも思われたくないので」
カランが横目でブランクを睨んだ。ブランクは仰々しく肩をすくめて見せる。カランはブランクの反応など無視して踵を返す。
「デリク・マウェート」
少し声をあげて、ブランク。
「本当に竜騎士になったな。めでたいな?」
カランはふとして足を止めた。顔だけブランクに向けて、やはり、睨んだ。
「お前さん、本当は気に入ってたろう」
「だとして」
切り返す、声に怒りがこもる。
「今に関わりあることじゃない!」
ひゅう、とブランクが飄々と口笛を鳴らした。やはり奇妙に鼻も鳴らす。
カランに渡しそびれた剣を再び捨てて、ブランクもカランに背中を向けた。
「何怒鳴ってんだ、待たせるなよ」
馬上から、インザ。声にカランはインザに振り返って「あぁ」と答えた。インザの後ろに、見慣れない男が並んでいた。
「他のやつらはお前の合図待ちだ。天空隊に射かけろって、この総司令補さんが」
ちょいちょい、と少しだけ顔を動かして背後の男を示してインザが言えば、後ろに並んでいた総司令補――ピーク・レーグンがへらへらと笑った。
「有名なホンティアの副官じゃないっすか。やー噂通りっすねぇ」
と無駄口を叩いて空を見る。
「有能だっていう噂も本物だと思うんで、この状況で何をどうしたらいいか、わかってんじゃないかと思ってるんすけど、どうです?」
言われて、カランも天空隊を見上げた。
ロウガラとシリンダ、デリクとセフィが対峙していて、円を描くように他の天空隊は近づかない。だがその円の外側でお互い境界を守るように戦い続けている。
竜騎士も天騎士もすべてが入り乱れ、雨に濡れた天馬の羽根が一枚、また一枚と地上へ降り注ぐ。
剣士や騎士たちが前線で戦っているからこそ余裕のある、この前線とはいえの後方でしか確認できない状況を。
楽しむかのようにピークは見上げ、馬面を返した。
片手を挙げてひらひらと振り。
「本当はホンティアがいりゃあよかったんすけどねぇ。ナーロウさんに頼むわけにもいかないので」
言い捨てると馬を走らせた。
最前線へ向かうのだ。
「なんか嫌な奴だな」
インザがピークを見送って呟く。カランは前髪を改めてどかして、矢筒から矢を取った。
「おいカラン」
カランはインザの声を背中に、無事に後方に退いた弓士たちに近づいた。
「塊にならない程度に列を組め」
「おいおい、ここで敵に射かけたら卑怯者の烙印だぜ? 高等兵士たちは正々堂々戦ってるんだしよ」
「矢を番えろ。インザ、ホンティアさんの無事と命令の確認してきてくれ。もし俺のやろうとしていることが間違ってるなら、すぐに戻って俺を止めろよ」
「……」
インザが嘆息した。
「……間違って、ねーんだろうなぁ」
「あぁ。あと、リセさんの所在も確認してきてくれ」
「おうよ、わかった。くれぐれも無茶すんなよ、副官さん」
もし二人の所属する隊がナーロウ・ワングァの隊であったのなら、『間違いである』という結論もあったかもしれない。けれどナーロウが正々堂々勝負するのとよしとするのなら、ホンティアは正々堂々の勝負など、児戯だと思っている節がある。
おそらく今指揮を執っている総司令補ピーク・レーグンも同じだろう。勝たなくてはならない状況で、何を、躊躇うのか。
――見ろ、あの戦いを。
セフィの魔のような強さに、シリンダが押されている。ロウガラもデリクに手こずってシリンダを援護できないでいる。
二人が負ければ、天空は制されるだろう。ただでさえ劣勢なのだ。
地上隊は、なんとかなるだろう。
天空を、制せば。
「空へ向けろ。斜め前方だ、敵を狙え」
指示をしながら、カランも矢を番え、空を見た。
――デリク・マウェート。
雨に濡れてもなお翻る一つに結んだ長い黒髪には、何の念がかけられているのだろう。
(俺は、進む。たとえ何を犠牲にしてでも、叶える、)
叶えてみせる、と。
カランは弓を引き絞った。カランに習うように他の弓士たちも弓を引く。
「放て!」
叫ぶと同時、カランも矢を放った。声に、デリクが意識を地上に向けた。刹那だが、カランと目が合った。
だがすぐにロウガラの攻撃を防ぎ、目線を逸らす。
ふとデリクが楽しげに笑った。地上からの矢の雨をかいくぐり、声を高々に叫んだ。
「お前に貸した貸し! 返せるものなら返してみせるんだな! “カラン・ヴァンダ”!」
| |