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「――おい! おい、エアーっ!」
がつん、という衝撃でエアーは重い瞼を開けた。目を開けると真ん前に人の顔があって、表情がみるみる笑顔になる。
「お前……?」
状況がうまく読み込めずにぼんやりとしていると、がつんと再び頭に衝撃が走った。
「心配したじゃねーかよ」
笑顔のまま、嘆息。「ほら」と声をかけてエリクがエアーの腕をとった。
「とっとと出ようぜ、本当に帰れる距離じゃなくなる」
「あ?」
「あ、じゃねぇよ。言っとくけど、あのワイズとかいう魔道士に感謝しとけよ。今この船、あいつの魔力で浮いてんだから」
「は?」
「だから!」
ぐい、と腕を引きよせて、エリク。
「この船、沈みそうなんだって!」
「はあ?」
声を上げてエアー。よろよろと立ち上がって、急いで剣を拾った。
「マジかよ?」
「真面目の大真面目。ふざけんな、寝ぼけてんじゃねぇ、っていうか寝てんじゃねーよ!」
「うるせっ」
「うるせーじゃねーよ!」
「お前こそそういうことは早く言えって!」
「うるせっ」
エリクが怒鳴った瞬間、再びエアーの足がふらついた。慌ててエリクの腕を掴んで、苦笑。足にすぐに力を入れられなかった。
「怪我でもしたのか?」
エリクが声を押さえて心配そうに問う。エアーはエリクを見やって、やはり苦笑した。
「いや、少し寝起きで――」
答えかけて、ふと。掴んでいる手にぬるりとした感触があった。
見れば掴んでいる腕の上腕が真っ赤に染まっている。
「おい、お前こそ、平気か?」
「何が?」
「傷だらけで血だらけじゃねーか!」
叫んで、身体に力を込め、姿勢を正す。
エリクが照れくさそうに苦笑する。――そんな場合でもないだろうに。
エアーはわざとエリクが傷を受けている腕をぽんと叩いて、ほら、と声をかけた。
「早く帰るぞ。白魔道士んとこに行こうぜ」
「だからそれ、俺の台詞。お前、寝てんじゃねーって」
「だから、それは、悪かったって」
エリクが軽く笑った。少しだけ走ってエアーを追い越しながら、ぽんとエアーの肩を叩く。
「わかればいいんだよ。お前も血だらけだしな、早く白魔道士んとこ行こうぜ。第二大隊の白魔道士がフリクに残ってくれたんだ」
「おう、そりゃよかった」
軽く笑うと、身体に力が満ちる気がした。エアーはエリクを追い越して船の中を走り、甲板に出た瞬間、思わず顔を背けた。
外は、嵐の真っただ中。
大粒の雨が顔に当たり、風が荒々しく吹く。
片手をかざして辺りを見渡しても、船の外は暗い海が広がる。――夜でもないのに。
「無事でよかったな! これで本当に隊長に報告してやれる!」
頭上から叫ぶ声。ワイズ・サティのものだ。
エアーは声に振り返り、ワイズを見た。舵の隣の、船を動かすために魔力を注ぐ球に手をかざしている。ワイズの隣には雨からワイズを護るように翼を広げている竜の姿。
「早く竜に乗れ! ウクライの倅!」
さらに隣には竜騎士の姿。ワイズを雨から護る竜とは別の竜に跨り、手招く。
「そいつに感謝しろよ! 誰もお前が生き残ってるだなんて思ってなかったんだからよ!」
「あ、あぁ」
エリクを伴って二人の元へ走ろうとしたエアーのすぐ背後で、風を切る音が聞こえた。
トン、と音がする。
呼ばれた気がしてエアーは音に振り返った。
振り返った場所に居たのは、無人の竜。鞍も手綱もついたまま。
「……オレザ」
ウクライの騎竜である。エアーは何度もウクライに乗せてもらった。
不思議と足が止まって、オレザの姿を見る。オレザは首を落として乗りやすいように身をかがめた。
「乗れ、って。お前、親父は?」
数歩オレザに近づいて、鞍にしみついた血を見つける。
「親父は……ウクライ・レクイズはどうしたよ!」
怒鳴って、俯いた。
容赦なく打ち付ける大粒の雨。
耳を支配する雨音。
「……帰ろう、エアー」
竜騎士の隣で、静かにエリクが。
エアーは振り返らずに「あぁ」と答えた。オレザの首を撫でて、ごめん、と静かに謝った。
「助けに来てくれて、ありがとな」
――声が、聞こえた、気がした。
オレザの声。
ウクライの最後の言葉。
「皆、どうも、ありがとう」
言って、オレザに跨った。竜の乗り方はウクライに習っていた。けれどエアーは竜騎士ではなく剣士になった。ウクライは苦笑したものだ。
竜騎士がエリクを乗せて飛び立ち、オレザも甲板から飛び立った。続けてワイズが竜に飛び乗れば、船はすぐに傾く。
フリクに向かいながら沈みゆく船を見下ろして、エアーは首を落とした。
まるで希望が消えるような沈み方。
手綱を握る手に力を込めて、エアーは暗い海の上を見た。
帰ろう。
帰られる場所にはきっと、沈まなかった希望が待っているから。
仄かで暖かい明かりがきっと――。
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