52.進むための、意思

  「フリクは、どうなっただろうか」
 マウェート王国軍、天空隊の最後尾近辺にて、デリクは傍らのセフィ・ガータージに呟くように問うた。セフィはデリクを見やり、薄く微笑んでみせる。
「どうでしょうか。フリクへの進軍を任せた指揮官のラン・リーは、たった一人だろうとも打ち滅ぼせる自信があると息巻いておりましたが」
 くすくすとセフィが笑った。
「所詮ウィアズ軍を翻弄するための、翻弄隊でしかありません。あまり期待をしない方がよろしいかと」
「そうするしかないのか」
 ふう、とデリクは肩を落として見せる。「しかし」と続けると、自分がいる天空隊の先を見た。
「おかげでこちらの敵は少数だ。天空隊を打ち破ったなら、我々も地上隊に加勢しよう」
「えぇ。しかし殿下? 私のわがままを一つ、お許しくださいます?」
「ん? お前の弟のことか?」
「えぇ。いい機会です。決着をつけようかと」
「決着がつけられるとしても、相手は疲弊している。それでもいいのか?」
「私は純粋なマウェート国民ではありませんから。しかしたとえ弟が万全であっても、私に負ける要素はありません」
「あぁ」
 デリクはセフィに笑いかけた。
 フリクがあるであろう場所はすでに真っ黒な雲の下。この上空も風が巻いている。微かに雨も。
 思いの外敵の動きは速かったけれど、想定内だ。この広いウィアザンステップで戦うことになったことは、土地に不慣れなマウェートにとって、多少は益となる事実だ。
「この戦いで決着をつけよう。長引かせて、領国の民がもうこれ以上、苦しむことのないように」
「えぇ」
 セフィが優しく微笑んだ。
 実を言えば、彼女は味方の中でも恐れられる人物だった。魔のように強い、魔のように厳しい。事実デリクにすら厳しかった。
 だがデリクはセフィに初めて槍を握らされて天馬に乗せてもらって以来天騎士になることを志し、セフィの厳しい訓練にも決して弱音を吐かなかった。父との対立の末に無理やりに天騎士になった今では、セフィは誰より大切な存在だった。傍らに存在できる唯一の存在、それほどに稀有。
「この戦いが終わったらきっと、父も認めてくださるだろう」
 父――マウェート国王さえ認めれば、自分は天騎士として生きていける、これからも、とデリクは思っていた。
 そしてその傍らにはセフィがいる。
「終結させるのは魔道士だけじゃない。人間の意思だからな」
 ――夢を。
 未来を、夢見ていた。
 セフィは肯定し、さあ、と声をかけた。
 デリクは竜の手綱を握り、肯く。
「マウェートの民よ! この戦いを終結させる意思はここにあるぞ! 戦いを勝利という終結に導け!」
 わああ、とマウェート軍が歓声に満ちる。


■□■


 未来を、夢見たことはあまりない。
 記憶に残らないほど幼い頃は夢なんかも話したことはあるだろうけれど、最近夢は何なのかと問われると、適当なことばかりを答えている。
 あえて言うなら隊長に勝つことかな、と笑いながら言う。もともと望みがあるとも思っていない、叶うと誰もが思わない目標を。
 敵と剣を合わせながら、打ち合いながら、エアーは少しだけ思った。元々は家族と生きるためだと反旗を翻した故郷、フリクの人々や、故郷の異変にいてもたってもいられずに飛び込んできた自分を。胸にある何かの思いは確かな形にはならないけれど、確かな何かの力になると。
 元々はマウェート兵たちが降りるために船から降ろされた桟橋を登る。横にはすぐに追ってきたエリク・フェイ。足元には自分が倒した敵の脱け殻。目に入り込むのはほとんどが敵。死体を踏み、それでも前に進もうとする勇猛な剣士の数が、少なくなってきている。慄く敵を前に、エアーは少しだけ肩を上下させながら、剣についていた血をひと振りで払った。名工が創った剣は、いくら敵を倒そうとも刃こぼれ一つしない。紅い刀身はまるで血を吸い込んで活き活きとしているかのよう。
 降りられない桟橋に業を煮やして下ろされた梯子は、他の剣士たちが群がり、梯子はすぐに崩される。
 他の船も岸についた。背後で誰かが叫んでいる声がする。けれど誰の声か、何の指示か、エアーには気にする余裕がなかった。
(あいつらがあそこまで言ってた理由って)
 廃墟になると、マウェートの工作員だった男は言った。確かに船には多くの兵士が乗っていたけれど、フリクを廃墟にできるほどの人数のようには思えなかった。他の船を合わせても、簡単にフリクを占領できるほどの数とも思えなかった。
 にも関わらず、あれほど確信を持った言い方をするとなると、必ず何かある。
(廃墟にさせてたまるかっ)
 エアーはすぅ、と息を吸い込んだ。エアーが剣を持ちなおして前を睨みつければ、確かに怯んだマウェートの兵士の姿がある。
「お前らの指揮官に、用がある」
 抑えた、声ののちに。
「道を、どけろ!」
 大喝。
 マウェート兵が確かにひるんだ。ひるんだ間隙をついて、エアーは目の前の死体をひとっ飛びに跳び越えて船に乗り込む。
 わ、わあ、と。
 マウェートの兵士たちが戸惑いの声を上げる。たった一人飛び込んだエアーに向かって慌てて動き出す。けれどエアーはただひたすら前に進んでいたから、周りは取り残されたかのように動くだけ。
「待てつってんだろーがよ!」
 続いて、エリク。行こうと思った瞬間に、ぽん、と肩を叩かれた。
 敵意のない合図に振り向けば、ノヴァが前を見据えたままで隣に立っている。くすりと笑った。
「なんて大声だ」
「の、ノヴァさん?」
「エリクまで来るとは思わなかった。二人とも無事に帰さないと、クォンカがうるさいな」
「は、はあ……ってそれより! エアーが一人で船ん中に突っ込んでったんです! 助けにいかないと!」
「うん、そうだな」
 ノヴァの返答はあっさりと、落ち着いていた。襲いくる敵兵の剣を悠々と避けて、長剣を鮮やかに振るう。
 エリクはノヴァに数瞬だけノヴァに目を奪われたが、すぐに我に返った。――先に進まなければ。自分も剣を両手で持って敵と対峙しながら、焦燥のままに足が勝手に船の中へと進む。
 気がつけば他にも、桟橋から船へ進もうとしているウィアズ側の人間がいる。
 船の中に入り込んだエリクとノヴァを援護するように、すぐ後ろにフリクの弓士が現れた。敵剣士と至極近いにもかかわらず狙いを定めて矢を放つ。続くように剣士が数名二人を追ってくる。
 中でも颯爽と、目立って現れたのはケイト・イクズである。鞘はやはり背負ったまま、剣を両手で握り、叫んだ。
「ノヴァ高等兵士! 報告があります!」
 ノヴァはケイトを一瞥しただけ。ケイトは構わず進んだ。
「天空は、制しました!」
「うん」
 ノヴァの返答はやはり落ち着いたまま。ケイトの報告に、刹那だが敵軍に動揺が走った。
「港でウクライの息子が告げられた例の言葉、やはりこの船に乗る指揮官に策があるようです! おそらく、召喚だと! 王国軍の魔道士が!」
「召喚か。うん、わかった」
 魔道士以外で、魔法の知識がある人間は少ない。ノヴァは少ないうちの一人だ。
「フリクに召喚できるだけの魔道士がいたか、忘れたな。完成する前に止めよう」
「えぇ、私も手伝います!」
 ノヴァは鮮やかに剣を振るいながら、小さく頷いた。
「無茶はするな」
「ありがとうございます」
 ケイトが破顔した。やはり颯爽と、ケイトは先頭の二人に加わった。決して弱くはないが、強くはない。上に、すでに随分と疲れ切っているようだった。
 エリクはケイトを一瞥、「いいから」と、さらに前に一歩前に出た。
「無茶すんなって、死ぬ気かよ」
「どなたか存じませんが」
 至極丁寧な答え。エリクは面食らいながらも、ケイトを援護するようにさらに前に進んだ。
 ケイトは肩で呼吸を整えて、にこりと笑う。
「ありがとうございます。ウィク様にも死ぬなと言われた身。必ず、死にますまい」
 答えたケイトの声に、一瞬だけ振り返ったエリクが見た表情。
 意志ある瞳、覚悟ある顔。
 エリクは自分が慄いたエアーの表情を思い出した。
 意志ある瞳、覚悟する顔。まっすぐに前を睨み据えた表情。
 剣を握り直して、エリク。
 眼前の敵を睨み据え、強く、前に踏み出した。

 ――慄くな。

 自分に言い聞かせながら強く、前に。両手に持った剣で眼前の敵を討ち、前に進む。
 ――必ず。
「俺は、絶対に!」
 奮い立たせるために叫んだ。気力と力の限り。
「絶対に! 生き残り、勝利する!」
 そして進む、この先へと。
 エアーが消えた、敵兵の中へと。
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