51.必ず

  「地上を指揮してるのは誰だ! 出て来い!」
 敵船が着実に近づく中、エアーの背後、街の中から怒号が響いた。エアーは振り返らずに同じく怒鳴る。
「出て来いも何も、一番前にいるだろうが! てめぇが出て来い!」
 切羽詰まっていたから、いらついていた。エアーの隣にはワイズが今だいて、肌寒い天気だというのに流れ出した汗を袖で拭い、エアーの代わりに声に振り返る。
「お前か! 高等兵士たちと一緒にきた奴、王国軍の奴だな」
「だからなんだよ!」
「おいっ」
 振り返らずに怒鳴り返したエアーの肩を、ワイズが叩いた。エアーは舌打ちすると、抜いたままの剣を鞘に戻す。ストン、と音が聞こえた。
「船、見張っててくれ。ちょっと目ぇ離すわ」
 ワイズを見ないまま、エアー。直後、鋭く振りかえった。振り返った先には男が一人、人々の間を突きぬけて近づいてきている姿があった。丁度拳を振り上げてエアーに突き出そうとしているところだ。エアーは振り返った瞬間に姿勢を低くして突き出された拳をひょいと避けた。避けた直後、低い位置から立ち上がる反動と腕力で、男の頬をしたたかに殴った。ぐらりと姿勢を崩した男の首に、即座に剣を突きつける。
 男の顔を感情のままに睨みつけて、エアー。低い声で問う。
「お前、門の番してた奴だな。マウェートからの工作員か?」
 エアーの瞳を見て、思わず男が唾を飲んだ。――それこそマウェートから来た証と言えるだろう。確かにエアーの睨みつける迫力はあったにせよ、フリクの人間でエアーを恐れる人間はいない。過去を知るが故に。
 男から沈黙が返って、エアーはさらにイラついた。
「おい! お前が原因か、って訊いてんだよ!」
 少しして、虚勢のように、ふ、と男が口に笑いを湛えた。
「だとしたらどうした。お前、何もわかっちゃいない、ただの平兵士なんだろ?」
「だとしたらどうした」
「お前の判断でフリクの住民の運命が決められるかって訊いてんだよ」
 嘲るような口調で男が言う。エアーは顔をしかめた。顔をしかめたエアーの表情を、男は好機ととった。大仰に両手を広げて「なあ皆」と。
「こいつが港ばっかり気にしてたせいで、町はマウェートの工作員たちに占拠されたぞ! 皆の家族の命が危険にさらされたんだ。所詮赤紫の瞳を持つ剣士なんて、戦場に立つしか脳がない! 命を救う力なんてない!」
 ざわ、と集まった義勇団の面々から声が。
「でたらめをいうな!」
「でたらめなんかじゃないさ! このまま戦ってたら町は壊滅するぞ! 大人しくマウェートに降れば町は安全だ! 命も、家族も、亡くす必要がない!」
「なにふざけたこと言ってやがる!」
「ふざけてなんかない! 俺だってこの町にしばらく滞在してて、この町のよさがわかった。だからこそ、この町を壊したくない! 皆に生きててほしい!」
「あいつらを撃退すりゃいいだけの話だろっ」
「それまでに何人死ぬと思ってる! これだから赤紫の瞳を持つ奴は!」
 怒鳴り返されて、エアーは再び顔をしかめた。――どうしてまだ、その嘲る声が胸に響くのだろう。自分の瞳の色が忌み嫌われているものであることぐらい、今まで生きてきた中で十分理解してきたつもりのエアーである。同時に、瞳の色など関係ない事実があるということも。にも関わらず――。
 港が混乱に満ちていく。嘘だという人間もいる、けれど本当だろうという人間もいる。エアーは剣を男に向けたまま、言葉を発することを辞めて、ただ迷っていた。
(俺の意思で、か)
 なんて重圧。他人の命や運命を、自分の判断で決めなければならないなんて。
「間違うなよ」
 ふと、声が聞こえた。聞き覚えのある声にエアーは目線を動かした。
「俺たちにしてみりゃ、これだからマウェートは! だ!」
 数瞬、人の群れの中から飛び出してきた影が男の肩を掴んで、放り投げた瞬間に顔面を思い切り殴った。ぽかんとしたエアーの視界の中、男が地面にどさっと倒れこむ。
「うしっ、少しすっきりした!」
「……は?」
 現れた影――エリク・フェイだ。エリクはエアーに振り向くと「ったく」と片手を腰にあてた。
「何最後まで言わせてんだよ」
「あ、いや」
「あいつの言葉に呑まれてたなんて言ったら、お前もマジ殴りするからな」
 エアーはエリクの言葉に、肩から力を抜いた。構えている必要性のなくなった剣を下ろして苦笑する。
「わり、助かった」
「貸しな。あと、お前が剣持った状態で迷ってたの、隊長に絶対チクってやるから」
「わっ! 辞めてくれっ!」
「やーだね。最近あの人の遊び俺に回って来てんだ、ちょうどいいや」
「お、お前なあ!」
 非難じみた悲鳴を上げたエアーを、エリクがけらけらと軽く笑って流した。流して、地面に倒れた男を見やる。
 男は地面から震える手で起きあがり、だらだらと血が流れる鼻を押さえて二人を見上げている。
「で、どうすんだよ、こいつ」
「ほっとくのも面倒だから、殺すか?」
 ちなみに本人たちの知るところではないのだが、エアーとエリクの二人は、他に“悪友”と呼ばれている。為にならない、親友、両方の意味で。
「――取り込み中悪いけど」
 船を見張り続けていたワイズが、申し訳なそうに。
「船、結構近づいてきてるぞ。ちなみに俺はもうあれは打てないから、後は地上隊に任せるつもりなんだけど、平気か?」
「ああ、やるやる」
 エアーの対応が少し緩んでいる。緊張ばかりしていた表情から少し、和らいだ笑顔。
「相手数少なくなってくれたし、本当感謝する」
「あぁ。俺の力、無碍にするなよ」
「おう」
 片手をあげて、ワイズの肩を軽く叩いた。船の方向を向いたエアーに、地面に倒れて鼻を抑えたままの男が「待て」と。
「このまま降伏しろ。お前だって、故郷ぐらいは大切なんだろう」
「……あぁ」
「なら、降伏しろ! あの船が着岸するまでに降伏の意思がなかったら最後だ。この町は廃墟になる!」
「そんなことはさせねぇって」
「お前はただの平兵士だろうがっ」
「それでも、やるしかねぇだろ。今は高等兵士がいない。それでも勝たなきゃならねぇんだから、誰かがそれをやるしかねぇんだって」
「町は占拠したと言ってるだろうがっ」
「あぁ、その件な」
 エリクが意地悪く笑った。男を見下ろす意地悪な目。
「お前のすぐ後ろにいる奴に訊いてみろよ。面白い答えが聞けそうだからさ」
 言ってエリクは笑いながら他と同じく海の方向を見やった。直後、男の目の前に槍が突き刺さる。槍の持ち主を見上げてみれば、場に似合わぬ明るい笑顔の男。斜め後ろ――丁度男のすぐ後ろにいるのは、反対に不機嫌そうな表情の――。
「ウィアズ軍のっ」
 男の瞳孔が広がったのも無理はない。すでに多少は他国にも名が知られている、騎士ティーン・ターカー。
「町は解放した。降伏するのはそちらのほうだ。もし本当にこの町を救いたいというのなら、共に戦ってもらおう」
「なん……だって?」
「だから、町は救ったんだって。おい、エアー!」
 馬に跨ったままのもう一人の男、クレハ・コーヴィ。呼ばれてエアーが振り返って、驚いた表情をしたのも一瞬。船が着岸するぞと声があがり、エアーが誰より先に走り出した。
「あっ」
「おいっ! 待ちやがれっ!」
 二人の声にも、エアーは止まらなかった。途中魔道士たちや弓士たちにさがるように指示しながら、独り、船へと。
 すぐにエアーを追ったのは、エリク・フェイ。エリクはエアーの背中を睨みつけながら『必ず』と思っていた。
「独りでつっぱしってくんじゃねーよ!」
『必ず』独りにすまいと。二度と不安に押しつぶされて、怖気付くことのないようにと。誰より彼の孤独を知っているのは、自分なのだから。
 二人を見送って、ティーンは馬面を返した。
「戻るぞ、クレハ。まだ不安要素がある」
 クレハはティーンの表情を見て苦笑した。ティーンは指揮をとっている人間に文句を言ってやりたいとこの場所にきた。言い損ねたが故に不機嫌なのだろう。
 とはいえ、この状態で言うも何もなかったというのに。クレハは軽く肩をすくめて見せた。
「だな。何のために隊長に喧嘩売ってきたんだってな」
 けら、と少し笑って、クレハはティーンの肩を叩いた。叩かれてふと、ティーンはようやく自分の頭に血が昇っていたことに気がついた。クレハの苦笑を見て、ティーンも少しだけ、笑みを湛えた。
「そうだな。ありがとう」
 ティーンの横を、剣士が一人通り過ぎた。
 少しだけふらつくゆっくりとした足取り、徐々に確かになる。腰につるした剣に手を置いて、着岸する船を見て目を細めた。ノヴァ・イティンクスである。
 頭から流れていた血は拭き取っていたけれど、確かに流れた後は残る。綺麗な銀色の髪が血に汚れたままだ。
「無茶をするのは、クォンカのせいだな」
 呟いてするりと剣を抜いて微かに背後を見る。義勇団に紛れている見覚えのある剣士たちの姿を見つけ、目を細める。
「王国軍剣士、あの二人に続くぞ」
 わぁ、と歓声があがった。ノヴァは声を張り上げていたわけではなかったけれど、剣士たちが待ち望んでいた声だ。ノヴァが進み出すと剣士たちが挙って続いた。
 まさに、船が着岸した瞬間だった。
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