5.行く先を求めて

   下級兵士の部屋は八人部屋だ。二段ベッドが四つ並んでいて木製のロッカーが八つ置かれている。
 エアーが自分に割り当てられた部屋に着くと、同じ部屋のテルグットがいた。エアーのものの下のベッドに、暗い表情で座っている。
「……よぉ」
 テルグットはエアーに目を合わせられずに、目を逸らした。
「よお」
 エアーは応えて自分のロッカーを開ける。引き払うため、荷物を整理しに来たのだ。
「お前、さ」
「ん?」
「本当に、」
 テルグットは言いずらそうに言葉を切る。エアーは言われることを予想していたけれど、先取りはせずに待つ。ロッカーの中にほとんど私物はない。制服は畳んでベッドの上に置き、他の私物は横下げのバッグに詰め込んだ。
「人、殺した、のか?」
「うん。たぶんそうなる」
 答えるエアーは冷静だった。
「……なんで?」
「俺、弱かったから」
「お前が?」
「あぁ。弱かったから、勝てなかったんだ」
「じゃあなんで」
「よくわかんない」
 エアーがロッカーを閉める。自分のベッドに登るためにテルグットを見た。
「でも俺、帰ってくるよ。二年間、休隊だって。でも俺がしたことは……負けたことだけだから、後ろめたくないから、帰ってくる」
 テルグットの横の梯子を上り、ベッドの上を整理する。テルグットはエアーを見上げた。
「お前のさ、そん時の服みたけど、血だらけだっただろ。お前も怪我してたみたいだって言ってた」
「うん」
「怖くないのかよ、ここ」
「何が?」
「俺、戦場より、ここが怖いんだ」
 テルグットの言葉にエアーは疑問を覚えてテルグットを見下ろす。テルグットはエアーと目が合うと、すぐに目線を落とした。
「笑ってると、次の瞬間には死んじまいそうで」
「何言ってんだよ」
「みんな、死んじまうんじゃないかって。なぁ」
 エアーは、テルグットの恐怖の理由を知らない。
「お前、本当に、帰ってくるのか?」
「あぁ。絶対。だから死なずに待ってろよ」
「……わかった」
 言い聞かせるようにテルグットが頷く。
「お前が休隊にさせられても信じるってなら、俺も信じる。そう決めてたんだ」
 エアーはわけも分からず「そっか」と、答えた。ベッドの上の整理などすぐに終わった。梯子を飛び降りて、テルグットの前に立つ。
「じゃ、待ってろよ。絶対お前よりもでかくなって帰ってくるから」
 エアーは懇親の力で笑った。テルグットもエアーの笑顔を見て、失笑した。
「おう、ちび。首を長くして待っててやんよ」
 ぱしりとテルグットと手の平を打ち合わせて、エアーは踵を返した。片手を振って「またな」と。
 部屋の外には監視役としてオリエックが待っている。
 オリエックはエアーを迎えると、「それじゃ、行こう」と至極あっさりと歩き出した。
「君は本当に浅はかだね」
「へ?」
「正直な感想」
 オリエックの言葉の意味を確かに知る日は、エアーには訪れないのである。


 オリエックとは外門で別れた。エアーはオリエックに「餞別代りだよ」と渡された馬と、支給用の剣を携えて街を歩く。渡された馬はエアーが一年間移動馬として使っていた馬だ。性格は大人しく、エアーの先導に何も言わずについてくる。
 ――振り返らないぞ、とエアーは思った。城に愛着はあるけれど、寂しさに負けて振り返るものかと。
 馬の蹄の音がすぐ近くで鳴る。辺りはすっかり夕暮れで、馬の影に溶け込んで自分の影も伸びていた。
(行くあて、ないんだよなぁ)
 エアーは我知らず嘆息を漏らした。故郷のフリクには帰れない。もしかしたら通知が行くのかもしれないけれど、どの面下げて、という気持ちがある。父親は昔王国軍の竜騎士だったし、戦死した兄も王国軍の剣士だったから余計にだ。
 城下町を囲う城壁に辿り着いた頃には、辺りは薄暗くなっていた。門は閉門寸前で、エアーは馬を傍らにその真ん中に立つ。
 心の中は空っぽだった。
 外に出た瞬間、自分を繋ぐものは何もなくなる。自由だとも表現できるけれど、孤独だとも表現できた。果ては様々な場所に続く平原を眺めて、エアーは目を細めた。
 馬が軽く鳴いた。馬の鬣を撫でて、微笑する。
「どこへでも行くか?」
 答えるように馬が鼻を鳴らす。エアーは馬を見やって、自分よりも背の高い馬に乗ろうと鞍に手をかけた。
「おっと」
 鞍に手をかけたエアーの肩をトントン、と軽いリズムで誰かが叩く。エアーが訝って振り返れば見たこともない男が馬上から身を乗り出して笑いかけている。
「今出発すりゃ肉食鳥の格好の餌だぜ」
 ウィアズ王国では珍しくもない黒髪の短髪、茶色の瞳。中肉中背。おそらくただのお節介。エアーはふんと鼻を鳴らすとそっぽをむいた。
「平気だよ」
「だいたいお前馬の乗り方知らないな。そんな腕じゃ、肉食鳥来た瞬間、馬に振り落とされて一人で対応することになって、憐れ奴らの食卓へって感じだ」
「だから、平気だって」
 再び馬に乗ろうとしたエアーの肩を、男がぐいと押さえつける。エアーがぴたりと動きを止めた。――動けない。
「いいか、軍隊で動いてるときは、肉食鳥は来ない。人間を狙う時は集団で動いてる奴じゃなくて、個々に動いてる奴を狙う。お前みたいな奴は格好の餌だ」
「お前なんなんだよ」
 男に振り返って、エアーは睨んだ。肩を押さえつけられているせいで動けない。エアーの問いに男は眉をあげた。
「あぁ、そうか。自己紹介してなかったな」
 言うとエアーから手を離して、エアーの馬の前に馬を動かす。
 胸を張って、「我こそは」と演劇のように言うのだ。
「第二大隊二番隊隊員クレハ・コーヴィ!」
 ただし所属の部分は聞き取れないくらいに早口で。
 言い終わったかと思うとにやりと笑って、馬から飛び降りた。訝るエアーの前まで来ると、エアーの頭をぐしゃぐしゃになでて悪戯に笑うのだ。
「ただし今は放浪者。ちょいと旅に出るとこなんだよ」
 ぐしゃぐしゃに撫でられた頭を押さえて、エアーは恨めしそうにクレハを見た。「で」と、クレハはエアーの顔を覗き込む。
「お前の名前は?」
「……エアー・レクイズ」
 答える声はまるきり不機嫌だ。エアーが答えると「よくできました」とでも言わんばかりに、クレハは満足そうに再びエアーの頭をぐしゃぐしゃに揺らす。
「止めろよっ!」
「おー、止めてやるけどお前、俺についてこいよー」
「なんでっ」
「どうせ行くあてもないんだろうが。お前旅の基本のきの字も知らなそうだし、そんな奴ほっとくのは、まぁ、眼ざめ悪いしな」
「そういうのをお節介って言うんだよ」
「話し相手になってやると思って、黙ってついてこいよ。お前、素直じゃねぇなぁ」
 素直じゃない、と言われたエアーが唐突にしゅんとして口を閉じた。――図星だった。クレハはエアーの反応を見てやはり面白可笑しそうに笑うのだ。
「お前、正直だな」
「……ちぇ」
「あははは、まぁ、いいからついてこい。それから話ししようぜ」
「わかったよ」
「よおし」
 クレハがエアーに馬の手綱を握らせた。
「とりあえず街中に戻るぞ。俺の隠れ家がある。そこで今日は休んで、明朝出発する」
「朝?」
「あぁ」
 クレハが先導して歩き、エアーはそれに続いた。二人がいなくなった門は、少しして閉められた。あたりは月明かりが照らす夜闇の道。
「俺は見つからない方がいい、お前はあまり長居しない方がいい。な? 完璧だろ」
 エアーは口を尖らせて答えなかった。沈黙の肯定だ。
「でも変なの。なんで見計らったみたいにクレハが出てきたんだよ」
「あ? 言ってなかったっけ。俺お前探してて」
「なんで?」
「いや、約束で城下町に今日の昼ぐらいまでいたんだけど、そこにカタンが来て、俺にお前連れてけって、ほら、頼んだんだ」
「……なんだよそれ」
「まぁ、お前は運が良かったってことだよ」
 クレハが困ったように笑う。エアーは追及するのもどうかと思ったから納得したことにして、クレハから目線を上げた。
 空には八番目の月。紺色の空に金色の星々。
「お前はきっと偉くなれるぞ」
 クレハも同じように空を見上げて、何気ない口調で言った。エアーはクレハを見やって、「は?」と。一言で問えばクレハは横眼でエアーを見やって悪戯に笑うのだ。
「そんな気がするんだよ。俺の第六感」
「どういう理屈だよ。クレハって変なやつだよな」
「俺からみりゃお前も変人。これ俺のモットー」
 とは言いつつ、適当なのは口調からも態度からも窺われる。
 エアーはクレハをしばらく見た後、大きく嘆息して――笑った。心から。笑うエアーを見て、クレハは満足そうに笑みを湛える。
 クレハは昼ごろ、カタンがやってきた時の問いにこう答えている。
『世界を見せようって、クォンカ高等兵士はやっぱりやるな。俺も同意見』
 賛成だと回答はしたけれど、真意が分からなければ、ただの濡れ衣に対する罰だ。真相を知らされず処分として放り出された。王国軍しか世界を知らない人間には、行くあてなどない。
 確実に信じていなければ戻ることのない道へ、無理やり歩まされたのだ。
 クレハが細い道へ曲がる。エアーも黙ってついてきた。
 小憎たらしい口をききながらも、憎みきれないこの少年も、とクレハは胸中で苦笑を浮かべた。
 カタン・ガータージが示唆した、この少年を連れて行けと言う願いも、その少年も。
 どちらともが、なんとなく、心地いいなと思う。
 出会えてよかったなと思う。
「まったく、本当にいい友人を持ったもんだぜ」
 呟いたクレハをエアーは訝って覗いた。けれどクレハの心境は夜闇に閉ざされて見えなかった。
 辺りはいつものウィアズ王国王城城下町。少しの喧噪少しの静けさ。
 特して言うのならば、美しい八番目の月が二人の出会いと出立の前夜を見守るように、青白く輝いていただけだ。
  
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