46.交声曲(カンタータ)

   突然の大声。怒鳴ったのはエアーだ。ウクライを睨みつけて少し、周りの視線が集まったに気がついて、はと気がついて顔を伏せた。
「……今言いたいことがあるなら、言え。エアー」
 ウクライの低い声で、静寂が落ちた。
 居心地の悪い沈黙。エアーは顔を伏せたまま、ゆっくりと大きく息を吸う。
 息を吸って、やはりゆっくりと顔を上げた。
 ウクライと視線が合う。視線が合って、エアーはウクライに対して改めて畏怖を感じた。
 お互い、家の外でのお互いの顔を見たことはなかった。特に、戦士としての顔は。
 ウクライの雰囲気を比喩して表現するのならば巨大な岩だなとエアーは思った。高い場所から見下ろしているような威圧感。倒せるのだろうかとか考えるよりも先に。
「お前の考えを正面から聞くのは初めてだな。父親の俺に従う様子もなく、ノヴァの言うなりでもない。お前の意見を聞かせろ」
 ――安心感を感じるのだ。畏怖したというのに、その動かざる姿を見つめて、なぜか安心をする。
「……俺も、家族が大切なんだよ。母さんのことも、テイルのことも、大事にしたいって思う。親父のことだってだ」
 誰かが失笑した。けれど構わずにエアーは続ける。
「それだけじゃない。俺はこの街が好きだ。皆のことも好きだ。だから、死なせたくない。悲しむ人がいてほしくないから、ここに来たんだ」
「それは俺たちに、戦うなと言いたいんだな?」
「あぁ」
「しかし、でなければどうやって思い知らす」
「思い知らせる必要なんかない。意見を通したいなら、もっと別のやり方があった。ここにノヴァさんだって、アタラだっている。俺だって頑張って力になる。もっと……もっともっと、家族を信頼してくれよ!」
 エアーの声に、再び沈黙が落ちた。だがエアーは止まらなかった。
「信頼するのは確かに大変かもしれない。信頼して裏切られるのはもっとだ。けど、結局最後は信じるしかないんだろ? 本当に家族と一緒に生きたいって言うなら、もっと信じてくれよ。信じあえないなら、共存するのは難しいだろ?」
 少しの間。波の音と潮風が場を支配する。
「だとするならお前は、もしことが起こるなら、王国軍として俺たちと戦うのか?」
「うん、たぶんそうなる」
「なら、しかたがないな」
「……うん。しかたがない」
 答えてエアー。軽く立ち上がって、簡易礼をする。手を胸にあてて勢いよく頭を下げた。
「ウィアズ王国軍第一大隊三番隊所属エアー・レクイズ。言いたいことは言ったので、以後は口を閉じさせていただきます」
 所属を述べた、ことこそが意思表示。ウクライが目を細めた。
「わかった、話し合いは決裂だな」
 ザッと音を立てて義勇団の面々が立ち上がった。エアーは簡易礼をした状態のまま動かない。決裂を示す証拠は、使者の死。まるでそれを待つかのようだった。
「待ってください!」
 叫んだのはノヴァ。処刑でもするかのようにエアーに振り上げられた槍とエアーの、間に入った。
「俺の話はまだ終わっていない!」
 ガツ、と鈍い音がした。
 鉄で出来た槍の柄を片手で受けて、ノヴァは周りとウクライを見渡した。
 ノヴァの頭からだらりと、血が額に流れた。
「王国軍の成り立ちはご存じですか?」
 ウクライが眉を上げた。――ノヴァ“らしくない”、早口でまくしたてるような鋭い口調。
「王国軍はもともと兵の集まりではありません。生活に苦した人々を王が保護し、仕事を与えていたのが始まりです。王に対して兵をあげた地域があった時、彼らは立ちあがったのだといいます」
 腕に受けた槍をゆっくりと押し返す。エアーは横で息をのんでノヴァを見た。ノヴァの視線は揺るがない。ウクライだけではない、義勇団の面々全ての顔を見渡すようにゆっくりと視線と顔を動かす。
「それを兵とし、王国の兵、ひいては王国軍っとしたのは、国を宣言した初代国王陛下です」
 額に流れた血が、目の横を通り過ぎて、顎に到達した。顔の中央を血が縦断し、ぽたり、と地面に落下する。
「たとえ王国軍が解体されたとしても、私は王国の一兵として存在し続けるつもりです。王国軍は決して消えはしません。なんのため王国の一兵となるのだと問うのでしたら、お答えします。大切なものを護るためです。町を越えて、土地を越えて、この空の続く限り!」
 今は灰色の雲が敷き詰められた空。
 さえぎるもののない空。ウィアズ王国における自由の象徴。
「死にに行くのではない! 死にに行かせるのではない! 護りたいものを護ろうと戦っている! 足掻いている!」
 一瞬の間。
 現役王国軍最後の一人が腰を上げて唸った。
「こんの……フリク馬鹿ども! 挑発してどうする!」
 アタラ・メイクル。
 指名された時は何故自分がとふてくされたが、今理由を理解する。
 ノヴァはおそらく、自分が最終的には言いたい放題言うのを予想していた。――か、もしくはノヴァの言葉も台本の内なのか。
「止めたいんじゃなかったのか! お前に任せて安心かと思った私が馬鹿だった!」
 ずいとノヴァとエアーに歩み寄って、ふん、と息を吐いて顎を上げた。
「だから、任せるのは辞める。義勇団だかしらないけど、私の敵じゃない」
 義勇団の面々がそれぞれに武器を手に取った。それぞれ弱くはないだろう。円を描くように三人は囲まれる。連携もある。
 ノヴァがアタラを見て、クスリと笑った。頭を少し抑えて、唐突に、崩れおちた。
「ノヴァさっ」
 慌ててエアーが助け起こすが、力はない。すぐにアタラに任せて、エアーはひとり、周りを警戒しながら剣をいつでも抜けるように支えた。――悲しいことだけれど。
「もう、辞めろ!」
 円の中に武装をほとんどしていない男が入り込んだ。義勇団の面々を後ろからかき分けて、エアーたちとウクライの間に両手を広げて立った。
 戦える人間のようには思えなかった。ひらひらと舞う服も動きにくそうだったし、何より腰に吊るすはずの剣を背負っていて、簡単には抜けそうにもなかった。
「もう辞めろ! ウクライ、意固地になるな!」
「ケイト。何をしにきた?」
「お前を止めにだ! 聞けウクライ! 王妃様は今、生死をさまよっていらっしゃる」
「……なんだと?」
「もともとご病気で、長くないという話だったが、フリクの報を聞いて、心を痛まれた。直後だそうだ」
「………」
「ウィク様は、誰より王妃様が頼りなんだ! せめて……ウィク様にはせめて! 王妃様の最後の姿は、本当の微笑みを見せてやってくれ! ウィク様は俺の家族のような人なんだよ!」
 ケイトはすがるように頭を下げた。地面に膝をつき、崇めるように。
「何事もなかったことにしてくれ! お前たちが今王国軍と争えば、双方に被害が出る。お前は必ず死ぬ。そうなれば“家族と生きたい”なんて言葉、自分から嘘にするんだ! 分かってるだろう!」
 ウクライが視線を下げた。
「ウクライ、頼む! みんなも、頼む! 頼むから、もう、同じ国の中で争おうとしないでくれ! 王国軍は必ず止める! 手出しをさせない! だからっ!」
 義勇団の面々が一気に騒がしくなった。ケイトは地面に膝をついたまま、ウクライを見つめている。ウクライは口を閉ざしたままだ。
「今……」
 喧騒にかきけされるほど、小さな声。
「争えば……」
 ふとしてウクライの視線がノヴァに移った。ノヴァはアタラに抱えられながら白魔法を受けている最中で、弱弱しく口が動く。
「マウェートの、思うがままだ……必ず、くる」
 至極ゆっくりとノヴァが海を指さした。――はるか遠くに、天騎士の姿が見える。天候芳しくなく、見晴らしは悪かったけれど、確かに。
 ウクライが立ち上がる。ウクライが動いたのに、自然と義勇団の口も止まった。
「王国軍の解体が……必要だと、言いだしたのは、誰です?」
 ウクライは海の向こう側を見つめて、眉間に皺を寄せた。
「……のせられた、というのか、ノヴァ」
 ノヴァの返答はない。
「それも、王国軍にものせられたか。俺たちをも戦力として扱うためなのか」
「そう」
 答えたのは、アタラだった。
「王国軍だけじゃ荷が重いから。ここだけじゃなくて、ウィアザンステップにもマウェートの軍勢が迫ってるはず。率いているのは、セフィ・ガータージ」
 アタラに表情はない。
「空の小娘って呼んでたあのセフィ」
「あぁ、あの小娘か。出世したもんだ」
 ウクライが暗く失笑した。
「なるほど。荷が重いほどの大軍勢、か。面白い。のせられてやろうじゃないか」
 ウクライが笑った。義勇団の面々に振り返り、声を張り上げる。
「我々が戦うと決めた理由は、家族と生きるためだな?」
 少しだけ戸惑いの残る声で、おう、と義勇団が返答する。
「その理由に、間違いはないか?」
 おう、と声がそろった。
「ならば、家族と生きるため、このフリクはマウェートに蹂躙させらせんぞ!」
「「「おう!」」」
 声が一層高まって、義勇団のそれぞれが自分の武器を掲げた。
「よおし! 迎撃の準備だ!」
 わっ、と義勇団が散った。重苦しかった空気が幾分か和らいだ。おそらく、誰もが迷っていたのだろう。ウクライすらも。
 この街は、本当にウィアズ王国が好きだった。そんな街に生まれたからこそ。
 エアーは肩から力を抜いた。不思議と失笑がこぼれた。
「よかった……」
「よくない」
 やはり言いきったのは、アタラ。ノヴァを地面に横たえて、エアーの真前で顔を見上げる。
「フリクのこれから、一時的とはいえ、お前に任せることになるなんて」
「は?」
「私は王妃様との約束があるから、すぐに戻らなきゃいけない。王国軍の到達もまだだ。ノヴァは意識がないし」
 魔法で治したけどと、不服そうに顔を膨らませて。
「……クォンカの隊の三班長。フリクの後始末、なんとかしろ」
 本当に小さな声で言うと、アタラはエアーに背中を向けて呪文を唱え始める。
 朗々とした声。自信漲る声。
 エアーはアタラの背中を少しだけ見つめたのち、ふっと破顔した。
「おう。やるだけやるっつーか、やってみせる」
 アタラがちらりとエアーに振り返った。けれどすぐに顔をそむけて空に手を掲げた。
「来たれ! バンガスァファン!」
 唐突な強風。――魔力の風。空が割れ、現われたのは巨大な人間の顔。目と口しかない顔だ。それだけでも恐ろしいのに体は竜の鱗が敷き詰められた細長い胴体に、黒い鳥の翼が生えている。
「私を青の国、長の住処に連れてゆけ!」
 バンガスァファンと呼ばれたそれは、アタラの意をすぐに聞き届け、アタラに向かって急降下。周りを押しつぶすかと思われたが、一瞬後、アタラとともに姿を消していた。
「エアー」
 呼ばれてエアーは振り返る。ウクライがちょいちょい、と手まねきするので、大人しく近づくと、ぐいと肩を掴まれた。
「みんな聞いてくれ! ここに俺の息子がいる! なんと、俺とは違って地上隊だ!」
 散った義勇団からはやし立てる声やら、「知ってるぞ」やら、陽気な声が上がった。
 ぽんぽん、と肩を抱きながら肩を叩いて、ウクライが。
「ノヴァが倒れてる今は、地上隊をこいつに任せたいと思う。異論はあるか?」
 異論なし、と笑いながら声が上がる。驚いたのはエアーのみのようで。
「よおし! おそらくこいつは王国軍の権限を持っても指揮をとってくれるぞ! あとから合流してくれるだろう王国軍にも、申し訳がたつ! これは安心だ!」
 どっと義勇団が笑った。迷いなく。
 様子をエアーはウクライの横で眺めて、思わず笑ってしまった。
「くそ親父……」
 愛しさをこめて呟けば、ウクライは笑顔を返す。
「頼んだぞ」
「おう」
 一歩、エアーは前に出た。
「王国軍の権限を持って指揮を執ります! 絶対にマウェート軍にフリクを蹂躙させない!」
 エアーの声に、「おぉ!」と声が同時に上がる。エアーは一瞬考えたが、すぐに辞めた。
 しっかりと二つの足で立ち、地上隊の人間を見つけて、うん、と頷く。
「火矢の準備を!」
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