44.愛

   ウィアズ国王には四人の息子がいる。うち年長の二人は同じ歳である。
 王位継承権を持つセイトは、国王と傍妻の間に生まれた子だ。金色の髪と意思の強そうな青い目をもつ美少年である。
 もう一人の名は、ウィク。正妃が生んだ子である。黒い髪に優しそうな青い眼。表舞台に立つことがあっても、いつもセイトの影に隠れていて、子どもながらに微笑んでいるだけで目立つことはなかった。
 今年、彼らは数えて同じく十二歳となった。
 二人とも教育の一環として剣士としての訓練を受けている。二人とも成長はなはだしく、見習い兵士たちと混ざって楽しそうに剣を振るう。
 特にウィクの、剣士としての成長は素晴らしかった。普段は目立たないというのに、見習兵士たちと戦って負けることがない。下級兵士たちと混ざって試合して、遜色はない。中等兵士たちとも試合することもある。
 対してセイトは政に関心が深かった。故にか国王がちょっとしたことでも仕事をふれば、必ず成功へと導く。
 この幼き二人の王子を見、国民は「ウィアズは必ずやさらに栄えるだろう」と称えるのだ。
 しかし王城内――特に行政部においては、ご多聞に漏れず、二人の王子を掲げて対立をする勢力がある。
 理由は、ウィクが先に生まれたにも関わらず第一の王位継承権を持たないことにもあった。
 ウィクは王妃の裏切りの証拠であると言われていた。
 なぜなら、ウィクの黒髪は王族に生まれえない。王族にはウィクの他に金色以外の髪を持つものがいない。他の髪色を混ぜていない王族の中には、ありえない髪色なのである。
 ウィクを掲げる勢力すらウィクに対する目線は冷たい。


 かちゃりとドアを開けた。ウィクの眼に入り込んだのは、くしゃくしゃの紙。机の上に無造作に置かれて、真っ黒に塗り潰されている。
 ウィクの部屋は日当たりのよい、小さな部屋だった。いくつか部屋を見せられてウィク自身が選んだ場所だ。
 その小さな部屋にある、小さな机に、真っ黒な紙が。わざわざ黒の上に赤で、『にせものの王子さま』と拙い字で書かれている。
 ウィクは机の前に立って、紙を見下ろして嘆息した。誰がやったかなんて分かっていた。けれど、怒る気にも嫌う気にもなれない。
 何故なら書かれている言葉は、おそらく本当だから。大人たちが囁く言葉を、面白半分に鵜呑みにしているだけだから。
 こんこん、とドアがノックされて、ウィクは振り返る。腰にさげた剣を慌てて外しながら「いいよ」と、ノックに答える。
「失礼します、ウィク様」
 かちゃりと控えめにドアが開いた。入ってきたのはウィク専属の教士――秘書のような、世話係のような、最も近しい存在だった。
 ウィクは彼の顔を見て破顔した。
「おはよう、ケイト」
「おはようございます。ウィク様が戻ってきていてよかった。どうせ剣の稽古をなさっていたでしょう?」
「あははっ、うんっ」
「数式のほうも、その調子で練習してくださるとはかどるはずなんですけれどねえ?」
「うわっ、数式は嫌いだ。あんなの、数字の羅列じゃないか」
「そうおっしゃらず、きちんと法則を理解なさればウィク様だってすぐに計算できるようになりますよ。数を使う時は大抵つかいますからね、嫌わないであげてください」
 うぅーっと唸ってウィクがむくれた。ケイトはけらけらと笑うと、ウィクを愛おしそうに眼を細める。
「……きっとですよ?」
 なぜか小さな声で繰り返して、ケイトがさっとウィクの前に膝まづいた。ウィクは唐突のことに驚いてきょとんとケイトを見下ろす。
「どうしたんだい?」
「申し上げたいことが」
 ケイトがウィクを見上げる。ウィクが首をかしげると、ケイトは無理ににこりと笑って見せた。
「フリクに行ってまいります」
「フリクに? どうして?」
「反旗を翻した友人を、止めに参ります」
 決意のある声だった。
「……フリクが?」
「はい」
「そう、なのか……」
 ウィクは改めてケイトの姿を見下ろす。
 ケイトは剣を背負っていた。少し前、「自分もフリクで道場に通っていた時期がありました」と笑いながら教えてくれた。ウィクと試合しても、実力はウィクと同じぐらい。
「ケイト」
「はい」
「必ず、帰って……」
 滅多に剣を持たないケイトが剣を持つのは、それだけの決意の証。止めることはできない。
 ケイトはおそらく、刺し違えてもという覚悟で、フリクに行くのだ。
「はい。必ず」
 ケイトが目を細めて笑った。ウィクは思わずケイトから目を逸らした。
「……でももしも、私が帰らず、あなたがどうしても今の状況から抜け出したいと願う時がきたなら、」
 ウィクの顔を覗き込み、ケイトが優しい声音で続ける。
「王国軍にお入りなさい。ウィアズ王国軍は隔たりのない場所です。血筋も、過去も、故郷も、なんの隔たりもなく、ただ一つの兵士として王国軍に所属する者たちばかり。誰も拒まずに受け入れる場所です。幸い、ウィク様は剣士としての才能がある」
 ケイトがウィクの手を握った。
「すべてを悲観せず、希望を持ち続けてください。あなたを愛する人は確かにいる」
 ウィクはケイトの顔が見れなかった。遺言のように聞こえたから。
 そっと、ケイトの手がウィクから離れた。離れた感触に、ウィクはおそるおそるケイトを見る。ケイトは変わらず微笑んだままだ。
「それでは、ウィク様。行ってまいります」
 ウィクに一礼をし、ケイトが立ち上がって踵を返した。
 翻る、彼の全て。
 ウィクはケイトを見送って、立ち尽くす。
 きっとお別れなんだなと、思いながら。
「う、ウィクっ!」
 タッタ、と軽い足取りが急激に近づいて、騒がしく部屋のドアを開けた。ウィクは立ちつくしたままドアを見ていたから、否応なくドアから入り込んできた人物を正面から見ることになる。
 綺麗な金髪の美少年、セイト・ウィアズ。
 セイトは両膝に両手をついて片手で大きく呼吸をする。様に、ウィクは驚いてセイトを見張ってしまった。
「どうしたんだい、セイト?」
「どうした、じゃ、ないよ! ウィク!」
 二人の間でしかつかわない、ごく親しい口調でセイトは叫んだ。額に汗が滲んで、セイトの顔は必死を物語る。
「王妃様が! 王妃様が! ウィクの母さんが!」
 セイトは顔を大きくふって、悲鳴のように叫ぶ。その様子に、ウィクは続きを知った。
「母さんが?」
 あえて冷静に問い続ければ、セイトは焦れったそうに顔を上げ、ウィクを睨む。目には涙が滲んで、今にも零れ落ちそうだった。
「王妃様が死んでしまうよ!」
「――っ」
 ウィクは、声すら、出せなかった。すぐに部屋を飛び出して走る。目の前は涙で滲んで不鮮明だったけれど。
 涙をこぼせなかった。
 セイトが追ってきているのが分かっても、待ってあげることもできなかった。
『――強く、強く生きるのですよ、ウィク。あなたは強く生きられる人間です。だって、あの人の子どもですもの』
(あの人? あの人って誰ですか、母さん。僕の父さんは誰?)
『あなたの父はね、一番強い戦士だったの。空を統べ、漆黒の翼が敵陣に舞えば、必ず勝利をもたらす、そう、言われている人でね』
(僕には分かりません。誰ですか? 教えてください。僕は、誰?)
『あなたは、私の子です』
 ウィクは走りながら首を振った。零れそうだった涙を強く拭って。
『あなたを愛する人は確かにいる』
 ――失いたくない。
 愛してくれる人を失いたくない。きっと数少ない人を。
「ウィク様! 王妃様が!」
 すれ違う人々が、そろったように同じ台詞を唱える。ウィクは、立ち止まれなかった。
「心配なさらないでください。母は必ず無事です」
 ――そう、立ち止まって言うことができなかった。
  
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