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エリクの叫び声に訓練場の中が一様に静まりかえる。あまり大きな足音とは思えないのに、訓練場の中を歩く音が妙に大きく聞こえた。
「うそだろ?」
エアーの口から思わず、否定の言葉が出た。立ち上がってエリクを見る。エリクは訓練場の入口から大股で近づいてくる。
「この前帰ったときそんなふうじゃ――」
「こんな嘘ついてたまるか!」
「つったってな!」
エアーはエリクの顔を睨みつけた。エリクはエアーの睨みになど怯まない。
エアーの目の前に立って、睨み返した。
「第二大隊の情報版から取ってきた。行くのは、第二大隊だって」
ぐいと紙をエアーの押し付けて、エリク。訓練場の中にも微かに、話し声が返ってくる。エアーはエリクに押し付けられた紙を奪い取ると、反対側の手でエリクの襟首を持って、引き寄せた。
「フリクの出身、俺だけじゃねぇんだぞ。考えろよ」
至極、小さな声で。怒りを噛み殺した声。
「お前は嘘つかねぇのは知ってる。そうやって情報集めてくれるのも感謝する。けど、そうじゃねぇやつのほうが多いだろ。そっちのほうが考えなしにここにいる。だろ」
エアーが顎で訓練場の外に走り出した少年を示した。エリクが少年に振りむいた瞬間、エアーは奪い取った紙をエリクに返して、エリクの肩を叩きながら、とっと走り出した。
「どこに、」
ダン! 訓練場の中に響いた音。エアーが少年を追い越した場所で急激に立ち止まった音だ。
訓練場の入口の真前。少年の目の前、エアーは少年を真正面に立ちどまる。
「行くつもりだ!」
ぴたりと立ち止まった少年は、エアーを見上げて、明らかに動揺する。一歩、二歩、後ずさって震える口を開く。
「フリクに……」
「何をしに?」
「かっ、家族に会いに」
「今日は休日じゃない。休暇をとりたいなら、隊長に許しをもらえ。見習の時に習ったろ、初歩的なことで無駄に怒られるなよ?」
言いながら手近にあった木剣を取り、木剣をくるくると宙で回した。
「で、朝の集合前にフリクに逃げたいってなら、相手になるぜ? 外に出すわけにはいかなくなった――でしょう?」
エアーが飄々と笑う頃には訓練場の出入口に付近に数名の剣士が集まっていた。エアーを含め、クォンカのこの隊にて、班長を務める人間たちだ。
「そういうことだ。こいつもフリクの出身だ。今すぐ向かいたいのはお前ひとりじゃないぞ」
「そうそ」
少年の班の班長に軽々しく相槌を打ちながら、エアーは胸中で嘆息した。
――本当に、今すぐフリクに向かいたい。
フリクは必ず戦場になる。
戦場になれば、必ず死者が出る――王国軍からも、フリクからも。
それに、この状態になってしまった以上、父親は確実に死ぬ。処刑か戦死か、選べと言われたら父親は、笑って戦死すると答えるだろう。
(親父が死んだら、母さんもテイルも悲しむな)
「どうかしたの? 入口に集まって」
白々しい笑顔で登場、オリエック・ネオン。エアーは背後に現れた気配に、目に見えて肩を上下させた。――声を立てられるまで、気が付かなかった。考え事に熱中しすぎていたらしい。
「いえ、副官に御心配おかけするほどのことではないかと」
ぺこり、とエアーの隣に立っていたいかつい顔の剣士が頭を下げた。オリエックは彼を一瞥すると、すぐに視線をエアーによこす。
「で、エアーに訊くけど、本当に?」
「本当ですよ」
苦笑を浮かべて、エアーは答えた。オリエックは「ふぅん」とまったく納得していなさそうに二人の間を抜けた。
「クォンカさんに迷惑をかけないことだったら、いいや」
「あぁ、だったら、オリエックさん。集合の後でいいので相談に乗ってください」
聞いて、オリエックが立ち止まった。
「エアーが相談?」
「はい」
「ろくでもなさそうな相談だね」
「ははっ、確かにろくでもないかも」
やはり苦笑のままエアー。オリエックはにっこりと白々しく笑うと、訓練場の奥へと向かった。
「じゃあ、準備運動に付き合ってもらおうか。クォンカさんは今日は会議で少し遅れそうだから、時間まで、ね」
がこん、と荒々しく音が鳴った。オリエックが木剣を一本、取り出してエアーに向けた。
「エアーも身体動かした方が目が覚めるんじゃない?」
「……そうかも、ですね」
苦笑して、エアー。とんっと軽く床を蹴ってオリエックに近づく。
二人とも、腰には剣を提げたまま。試合だというほど重苦しい対峙ではない。オリエックが軽く振り下ろした木剣をエアーが受けて、退く。退いた後にエアーが同じく軽く木剣を振って、オリエックが軽く受けた。
傍目にもわかるほど、実力の半分も出していない打ち合いを少しだけ続けて、不意に。
「それじゃ、体も温まってきたことだし、本題に入ろう」
オリエックの速度が急激に上がった。オリエックの速さに反応してエアーも速度を上げる。
先ほどの様子など、最初からなかったかのようだ。打ち合う音に訓練場に居た何人かが二人に振り返る。二人は相手の木剣を自分の木剣で防ぎ攻撃を繰り出す。先ほどとやっていることは同じだというのに、何もかもが違った。速さも、音も、力も、迫力も。
実を言えばエアーはこのクォンカの隊にて三班長だ。班長の数字は実力順になっていたから、エアーはこの隊で三番目に強いはず、と言うことになっている。ちなみに一番はいわおうがな、隊長クォンカ・リーエ。二番目――二班長は副官のオリエック・ネオンだ。
隊でも実力ある二人の打ち合いだ。練習とはいえ、見守る人数が増えるのも自然だというもの。
見守る人数が増えたのを目の端に見つけて、オリエックがくすりと笑った。
「緊張してる?」
白々しい笑み。エアーもにやりと笑った。
「全然。もう慣れましたよ」
ってことで、とエアー。
呟くとさらに速度を上げた。オリエックが微かに、楽しげに笑った。防戦一方になる。
「本当? なら、まだ考えてるだけかな。踏ん切りがつかないだけだ」
刹那、オリエックの木剣が翻った。エアーの木剣がはじき出されて、胴ががら空きになる。
「俺からのアドバイスがあるとしたら、」
オリエックが垂直に木剣をエアーに向けて手前に引いた。引いて、止まった時間は一瞬。次の瞬間には鋭く突きだされた。
バコン! と訓練場に音が響いた。
オリエックが垂直に突き出した木剣の切っ先は、エアーがとっさに防御に使った木剣に突き刺さる。さらには、エアーの木剣を突き通して、真っ二つに折ったのである。
オリエックはエアーの胸の真前に木剣を突き立てた状態でにっこりと白々しく笑う。
「今日も晴れてる? ってことかな」
かこん、と折れた木剣が床に転がる。エアーはオリエックの木剣を見ろして、大きく息を吐いた。
「なんです? それ」
「気になっただけだよ。それと、何かあったらクォンカさんに直接言って。わざわざ俺通さなくても、エアーなら平気だよ。そのための班長なんだから」
「ふあーい」
肩から力を抜いて、さらに竦めた。駆け寄ったエリクが折れた木剣を拾ってエアーの顔をまじまじと見る。
「何やってんだよ、あの状態でオリエックさんの受けたら折れるの当たり前だろ? もったいねー」
「うるせー。あぁするしか思いつかなかったんだって」
「エアーなら避けたろ、いつもなら」
「……かもなぁ」
折れた木剣をエリクから受け取って、エアーはぽりぽりと頭をかいた。
エリクはやはりまじまじとエアーの顔を覗き、怪訝な顔になる。
「集中力の欠如。三班長ぉ、しっかりしてくれよな。……相談ぐらい、俺でよかったらのるしさ」
「……は?」
虚を突かれてエアーはエリクを見た。エリクはエアーに背中を向ける最中にエアーを一瞥して、両手を頭の後ろで組んだ。
「ちなみに今日は曇ってるよ。なんかじめじめしてるし、雨でも降るんじゃないかなー」
「おい!」
エリクを追ってエアー。
「しっらじらしい! なんだよ、なんて言ったんだよっ」
「うるせっ! 二度と言うか!」
どうせ聞こえてんだろ、ばーかばーか、とか幼稚な言葉で罵倒しあって、最終的には笑いながら取っ組み合い。
エアーがエリクを負かして、エリクが転がってさらに口喧嘩――がいつものコースなのだけれど、今日床に転がったのはエアーだ。「うわ」とか声を上げてごろんと床に転がった。
「は?」
驚いたのは、負かしたエリクだった。きょとんとした様子でエアーを見下ろす。エアーは床に胡坐をかくように座って、ふう、と大きく嘆息する。エアーが嘆息する音に、もう一つ、エリクの嘆息が重なった。
「お前、態度とかに出過ぎ。もう少し隠せって」
「う、うるせぇっ! 俺だって気にしてんだっての!」
ちなみに、エリクの言葉をエアーはさんざん言われている。本人にとっては本当に不本意だ。顔に出したいと、思っていない。
特に、この迷いだけはと。
――ふと、もう一度嘆息の音が聞こえてエアーは落としていた眼を上げる。目線を上げた先にはエリクがいる。エリクはエアーと一瞬目が合うと、すぐ逸らして背中を向けようとする。
「……お前さ、も少しぐらい、俺のこと信用してくれても、いいんじゃね?」
本当に呟くような小さな声音で、エリクが。虚を突かれてエアーがエリクを見張っていると、訓練場の中に怒声が響いているのが聞こえた。
「整列だ! とっとと並べ!」
げ、と音を出してエアー。慌てて立ち上がる姿を、嘲笑うように振りかえるエリクの小憎たらしい笑顔。
訓練場の中には既に、隊長クォンカ・リーエがいた。
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