38.双リ(フタリ)

   ガン! と壁が悲鳴を上げた。
 石造りの壁だから、本来悲鳴を上げるのは殴った本人。勢いと強さから言えば、打ち身程度は負っていいものを平気な顔で――目の前の男を睨みつけたまま仁王立ちしているのはカラン・ヴァンダだ。
 鈍い色の長い金髪を高く括って、括った布で前髪をあげている。目の色は水色だ。眼付はもともと鋭かったけれど、今はさらに鋭い。
「カタン、立ち止まれ! いい加減にしろ!」
 歳は十九。体格はどちらかといえば大柄の部類に入るのだろう。怒鳴っているわりには背筋はぴんと伸びているし、殴ったことで重心がずれることはない。有名なホンティア・ジャイムの現副官とは彼のことだ。
 カランの目の前にいるのはカランと同じ長髪であれど、正反対のように色は真っ黒。結ばれてもいない。表情は――これも正反対のように上機嫌に笑いを堪えた顔。歳は二四。
 第二大隊総司令、現在唯一の最高等兵士カタン・ガータージである。
 名前は似ていれど、容姿も性格もほぼ正反対な二人は、よくよく喧嘩をする。――とはいえ、本気で怒って喧嘩をしているのはカランのみ。カタンはどうやらカランを怒らせて遊んでいるようだった。
 カタンが一息、笑いをたまらず吐き出した。
「何をだ?」
 言う声も笑いをこらえた声。カランの頭にさらに血がのぼる、様が傍目にもわかった。
「第一大隊の四番隊に意味もなくくるな!」
「何を言ってる。俺はホンティアさんに用があって行ったんだ」
「嘘をつくな! あの時間はいつも隊長がいないことを知ってるはずだ!」
「あぁ! そうだった! 忘れていた!」
 大仰に、カタン。さらにカランの頭に血がのぼる。すでに限界など突破しているのではないかと思えるほど。カランは先ほど壁を殴った拳をあげて、カタンをさらに睨みつけた。
「カタン――」
「やめなさい!」
 唐突に張り裂けんばかりに叫ぶ女の声が廊下に響いた。――それも、二人がいる横のガラスが派手に割れる音を切り裂いて聞こえる。
 すごい大声だ。とんでもない騒音だ。
 カランの頭に昇っていた血も一気に下がって、カランは音源を見やる。カランもカタンもとっさにガラスから少し退いたものの、二人ともガラスの欠片を思い切りかぶった。
 音の余韻が途切れると廊下に聞こえるのは翼が宙を叩く音。二人が唖然としてガラスがあった場所の向こう側を見ていると、天馬が地面に着地した。天馬に跨るのはいかにも快活そうな女性である。手にはむき出しの槍をにぎっている。――ガラスを叩き割った槍だ。
 退役したエリーザの後任、副官であったサリア・フィティである。高等兵士に昇格したのは今年。決定直後から王国軍の中では知らぬ人はいない存在となった。
 理由は、この、騒音の理由。
 二人はサリアの姿を確認すると、二様にため息をついた。サリアは二人の様子などお構いなしだ。
「第二大隊総司令、兼第二大隊一番隊長カタン・ガータージ。第一大隊四番隊の副官カラン・ヴァンダ。二人とも自分の責務をほっぽりだして、毎日毎日喧嘩喧嘩。春辺りから目に余るようになってきたし、いつもいっつーも! 困ってるのはね! 聞きなさいカラン・ヴァンダ!」
 呼ばれて、びくりと肩を震わせた、カランは顔をしかめて耳を塞ぐ。カランは体に刺さったガラスの欠片を抜いていて、サリアを見ていなかった。――実を言うと先ほどの口上も聞き飽きてきていたから。
 サリアはカランを睨みつけ、持っていた槍先をカランに向けて叫ぶ。
「あなたの隊長は困っています!」
 言われて、カランはすっかり冷めた頭をぽりぽりとかいた。サリアは大声で続ける。
「自覚はありますか!」
「あー……隊長は俺を副官にするときに『これから忙しくなりそうだ』とか言ってます」
「だからって許されるわけじゃないでしょう!」
 カランは言われて嘆息すると、踵を返した。頭の上でひらひらと手を振って。
「最初っからこうなること予測済みだったことだけは言っておきますね。それじゃ、俺は隊長困らせてばっかりだと後が恐いので帰ります」
「待ちなさいカラン・ヴァンダ! まだ終わってない!」
「呼ぶときは名前だけで結構ですよー」
 サリアは「うぅ」と唸ると、振り返らずに去って行くカランの後ろ姿を子犬のように睨みつけた。
 カタンは苦笑いを浮かべ、割れたガラスを足で壁際に寄せる。
「サリア、やり過ぎだぞ」
「カタン! あなたまで飄々としていることはないのに!」
 サリアはカタンに振り返り叫んだ。カタンはサリアの大声に顔をしかめた。カタンの背後には騒音を聞きつけて駆け付けた兵士たちがいる。
 不意に兵士たちの姿を見つけたサリアが「しまった」という顔つきになる。カタンはサリアの顔と兵士たちの姿を一通り見て、サリアに肩をすくめてみせた。
「サリアの反省文ものだな、これは」
 サリアはカタンの言葉に息をのんだ。飲んだけれど気丈に、ぷいとそっぽを向いて顔を膨らませた。
「カタンが書きなさいよ」
「高等兵士は必ず書くように、が国王陛下の方針だったはずだろう?」
 サリアは「うぅ」と唸った。顔は耳まで真っ赤だ。
 見たカタンが笑う。本当に楽しそうに、大きな声で。
「サリア! いつ見ても君の猪突猛進の姿は面白いな!」
「笑わないでよ!」
 そもそもカタンがカランと喧嘩するのが悪いんだからと、再び子犬のように吠えながら天馬から降りてカタンに近づく。カタンは割れた窓を開けてサリアを迎えた。
「でもおかげで少しは目が覚めたよ。ありがとうサリア」
 まるで子供にするようにサリアの頭を撫でて、カタン。サリアは顔を真っ赤に染めて恨めしそうにカタンを睨んだ。

 それはまるで、恋人たちのようにも見えた。
「ってことは、あれか? 高等兵士同士のカップルってことか? ちぇ、天馬騎士と竜騎士じゃ珍しくもないな」
「クレハ、そういう考え事は頭の中で行え、口に出すな」
 ガツンと、クレハの頭に拳が落ちた。集まってきていた兵士たちの中に隠れていたクレハ・コーヴィは背後の頭上に振り返る。
 クレハよりも頭一つは背の高い、ティーン・ターカーがクレハの頭に落とした拳を宙に浮かせたままクレハを見下ろしている。
「てぃ、ティーン……?」
「隊長はすぐに気がついていたぞ」
「ま、まじでか?」
「本当だ。隣で聞いていた、『奴がいなくなるぞ』と、確信を持った声で」
 クレハの口がぽっかりとあいた。口から大きく息を吸った状態で、止まった。
 ティーンはクレハの様子を見下ろして代わりにと言わんばかりに大きく息を吐いた。
「なあ、ティーン、帰るから、さ」
「わかってる」
 ふうともう一度大きく息を吐き出して、ティーン。
『噂の種ある場所、話題のネタがある場所、面白そうな所、いたるところに現れる』と称されるクレハ・コーヴィ。クレハに聞けば王国軍内の話題などすぐに手に入るのだともっぱらの噂だ。
 何故なら、それだけ隊務をさぼっているから。
「一緒に謝るぐらい、もう、慣れた」
 ティーンが踵を返す。
 はは、とクレハが苦笑した。
 ちなみに何故彼が、と言われるが、そのクレハの第一の親友はティーン・ターカーだ。アンクトック・ダレム高等兵士の副官。アンクトックに「有能だ」と言わしめた、文武両道の騎士だ。
「さっすが俺の親友!」
「私にしてみれば迷惑な存在なだけだ」
 ティーンの即答に、クレハは明るく笑った。ばしんとティーンの肩を叩いて、「さすが」と再び。
「さすがティーンだ!」
 言ってけらけらと笑う。ティーンはクレハの表情を見やり「何がおかしいのか」と胸中で思う。けれどクレハにつられて口元に笑みが浮かんだ。そうやってなんだかんだと、ティーンはクレハのすることに関わってしまうのだ。
 ティーンがクレハのことで関わりたくないと思っていることはたった一つ。


 昼時はどこの隊も決まって少し長い休憩が入る。食事時間が隊によって決められているので時間帯は隊によってまちまちだが、大抵第一、第二大隊、同じ番号の小隊は同じ時間昼休みが入る。近い番号の小隊も被ることが多い。
 第二大隊四番隊の昼休みに訓練場に現れたのは、剣士だった。
 剣士だ、と断定できるのは帯剣をしているせいだ。騎士は城内では大抵帯剣をしない。弓士は大抵弓を背負っているからすぐに判断できる。
 背の高い剣士だった。何より珍しい赤紫の瞳。珍しい剣の形状。むき出しになった両腕には洗い流しただけの擦り傷やら痣が。
 剣士は訓練場に入る前に一応、ぺこりと頭を下げた。騎士たちの訓練場は屋内が広くない。剣士は中庭に降りると騎士たちの間を縫いながらきょろきょろと視線を動かす。
 一通り見たのか、適当な場所で立ち止まって腰に手をあてた。
 嘆息ひとつ。息を吸った。
「クレハ! どこにいんだよ!」
 よく、通る声だった。

「……今、俺、呼ばれたか?」
 日陰で寝そべっていたクレハは、声に目を開けた。横にいるティーンに視線を送り、視線でも問う。ティーンも不思議そうな様子で、「聞き覚えのない声だが」と答えた。
「私も幻聴かと思ったが――」
「いるって聞いてきたんだ! どこにいんだよ!」
 再び、剣士の声。
 声にようやく二人が音源を辿る。騎士たちの間に隠れてちら、ほら、と姿が見える。背の高い剣士の姿。
「……誰だあ?」
 ひょいと腹筋で起きあがってクレハは改めて剣士を見た。相変わらず辺りを見渡していて――ふとした瞬間にクレハと目が合った。
 赤紫の瞳――
「あ!」
 クレハが声を上げたのと同時、剣士がクレハに気がついて悪戯に笑う。
「いーたっ! クレハ! 会いに来いって言ったのクレハだろ?」
「エアーじゃねーかっ」
 勢いよく立ちあがって「そうだそうだ」と。
「昨日式典あったの忘れてたぜ」
「……忘れることではなさそうだがな」
「あはは……あ、ティーン、紹介するぜ?」
「かまうな」
 答えたティーンがクレハから目線を逸らして手に持った本に落ちた。クレハは肩をすくめると「じゃ、行ってくる」と場所を離れる。
 エアーは騎士たちの間を歩きながら少しだけクレハに近づいていて、ニコニコと笑っている。
「クレハ、久し振り」
クレハは近づいてエアーを見上げると、「うーわー」と。
「俺よりでかくなりやがって……」
「うん、伸びた伸びた。って言ってもクレハとあんまり変わんないよな」
「変わるわっ、俺が見上げてるだろーがっ」
「あははっ、もしかしてクレハ自分の身長気にしてねぇ?」
「うっ……」
 クレハがつい、息をのんだ。――図星である。
 クレハはごまかすように手を振った。
「俺は、いいんだよ! 騎士だからな!」
「理由になってないけどな」
「いーの! それよりエアー。本当に会いに来てくれてありがとな」
 言い、クレハは満面に笑みを浮かべた。
 ――あぁ、変わってないな、とエアーは面くらいながら思い、にっと笑って見せた。
 右手を出して言う。
「約束だろ?」
 クレハは出された右手の手の平に手を打ちつけて「あぁ」と。
「約束だよな、お兄ちゃん待ってたぜ!」
「だからなんで兄さんなんだよ!」
 打ちつけられた手を翻して、クレハの手を叩く。クレハは少し驚いたようにエアーを見やった。
 エアーは満面に子供のように笑みを浮かべているのだ。
「でもほんっとうありがとうな! お礼が言いたかったんだ」
 クレハはほんの少しの間唖然とすると、口に笑いを浮かべた。
「なら、あおいこだな、エアー」
 ――変わったな、とクレハは思う。一年の間にまるで別人のように丸くなっている。
 変化に、クレハは時の流れを思った。
 けれど空は一年前と変わらず青いし、ウィアズ王国は何年経っても茹だるように暑い。
「そっか、なら、よかったや」
 少しだけはにかむようなエアーの満面の笑顔。その笑顔にクレハも思わず笑い出してしまった。
 エアーが帰りたかった場所、戻りたいともがいた場所。
 それがマウェートとの争いなど傍目には分からない、ウィアズ王城の日常の光景だった。
  
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