35.帰還ス。

   隊の朝集合が終わって少しした第一剣士隊の訓練場。訓練場の主である隊長クォンカ・リーエは腹を抱えて大笑いだ。
「わぁっらわないでくださいよ! 本気でウィアズ離れてたんですから!」
 クォンカの目の前にいるのは、エアー・レクイズ。夏生まれの、年は十八。二年間の休隊処分を経て城に帰還――王国軍に復帰が許されたのは実に今日。しかし門番に所属を告げたおり、間違いを指摘されてすぐに入れなかった。――第一大隊四番隊だったこの隊は、今年から三番隊になったのである。
「だからってブランクが見つけるまで城の入り口で立ち尽くしてる奴がいると思うか?」
「いませんよ! でもいました!」
 身長は二年前からはるかに伸びた。平均より低い身長だったにも関わらず、今ならクォンカよりも身長は高い。二年でいっきに伸びたのである。声変わりも完全に終わったし、顔付も変わった。表情も素直に明るいと表現できる。性格もどちらかといえば素直になったのだろう。
 にも拘らず、なのだ。
 クォンカが笑う理由は、にも関わらず、変わらずエアーだったから、だ。エアーにとっては不本意極まりないことではあるが、なんとなくだが、クォンカが笑っている理由を察していた。
 げらげらとクォンカが笑い、エアーは必死になって訴える。
 この光景、なんだか久しいなとオリエック・ネオンは床に座って頬杖を突いた状態で思う。実を言うとオリエックはエアーがやってきた時に、誰だということを一瞬思い出せなかった、“にも拘わらず”。
「あ、それよりですね、クォンカさん」
 かぽ、と音を立ててオリエックが懐中時計を取り出してクォンカに掲げる。オリエックはにっこりと笑い、クォンカの顔を覗いた。
「そろそろ四番隊の集合が終わった時間じゃないですか?」
 クォンカはぴたりと笑いを止めると、「あ」と。
「……あいつが来るな」
「えぇ、とっても早くくると思いますよ」
 オリエックは満面に笑みを湛えたまま。クォンカは「人事だと思って」と。
「でも、今日は平気ですね」
「はい?」
 オリエックが見た先はエアー。エアーの顔を見て、まるで「お前がいるからね」と言いたそうな、白々しい笑み。エアーは昔からこの笑顔が怖かった。
 絶対に何かある。
 エアーは嫌な予感に忠実に、背負っていた荷物を下ろして廊下の壁際に置いた。
「オリエックさん、何で――」
「あらまあ! エアーじゃない! お久しぶりね! 元気だった? 私覚えてる?」
 聞き覚えのある声に、エアーが振り返る。廊下を走ってくる弓士――ホンティア・ジャイムの姿が見えた。
「ホ――」
 振り返った瞬間に腹部に何やら強い衝撃を受け、そのまま転がって訓練場の中へ。名前は呼ぼうと思えど呼ぶなど出来る状態ではない。
 ホンティアは量の多い前髪をかきあげると、猫を被ったような笑い顔を作り、身長には似合わずとても可愛らしい声で言うのだ。――エアーを殴り飛ばしておいて、本当に上機嫌に。
「クォンカの代わりにしてみたの。それと、私のところ寄ってってくれなかったし」
 まるで殴ったことが正当だといわんばかりにホンティア。エアーは腹を押さえながらよろよろと立ち上がり、胸中で「やっぱりな」と思う。嫌な予感はホンティアを見た瞬間に確信に変わっていたから。
「ホンティアさん……」
「あら、なあに?」
 あいもかわらず可愛らしい笑顔でホンティア。満面の笑顔を見つめて、エアーは苦笑交じりに息を吐いた。
「おひ、さし、ぶり、です」
 少しひきつった「お久しぶりです」。
 ホンティアは小さくくすりと笑うと「あら」と大げさに驚いて見せた。
「ちょっと、大人になったみたいじゃない!」
 どういう意味で言っているのか気になるところではある。ちなみに文句は昔から言えなかった。特にホンティアには。ホンティアは逆らってどうにかなる人物ではない。
「なるほど? やっぱりそいつが噂のクォンカの愛弟子ってわけだな」
 ホンティアがやってきた廊下の方向からつい今朝聞いたばかりの声が聞こえて、エアーは廊下の方向を見やった。中背で体格の良い男がいる――ブランク・ウィザンだ。
「ところで、」
 不機嫌そうなクォンカの声に、今度はエアーはクォンカを見やった。クォンカはブランクを見てひきつった笑み。
「お前はいつまでいるつもりだ?」
「もう少し、だ」
 ブランクは奇妙な音を出して嘲笑する。クォンカはブランクの様子にふんと短く息を吐くと、目線を背けた。
 ホンティアは二人の真ん中でくすくすと笑っている。オリエック呆れ顔で、短く嘆息した。
「俺はいいんですけどね、仕事手伝ってもらえますし。それにですね、クォンカさんも本当は」
「オリエック」
「はい、なんです?」
 至極自然に笑顔を返した自分の副官に、クォンカは脱力して両膝に両手をついた。
「その続きを言うな」
「分かってます。でもクォンカさんが私情入れて話すの面白くって」
「オリエック……」
 クォンカは更に脱力して首を垂らした。様子に、やはり面白そうにホンティアが笑っているのだ。
 エアーは取り残された感で様子を眺め、クォンカが体勢を整えたのを見計らって声をかけた。
「隊長。これからどうするべきか、教えていただいていいですか? 休隊処分なんて初めてで、どうしたらいいのかわからないんですけど」
「おう、そうだ」
 今更思い出したかのようなクォンカの口調。もちろん、わかっていてやっていたのはオリエック以下、エアー以外が理解している。
 クォンカは改めてエアーの姿を眺め、少しだけ目を細めた。――やはり二年前とは随分違う印象を受けるようになった。悪くない印象だ。
 ただ、悪くはないが――。
「帰ってきた報告も、諸々の手続きも俺がしておく。とりあえず復帰祝いに――」
「げ」と音を立てて、エアーは墓穴をほったことを自覚する。オリエックは腰を上げて、ぽん、ぽん、と埃を叩いた。
 クォンカはにやりと笑うと、親指で後ろを指す。先には現第一大隊三番隊――クォンカの隊の隊員たちがそれぞれいつもよりも少しだけ長い準備運動の時間を使っていた。
 うぅ、とエアーは頭を抱えて唸った。まさか戻ってきてすぐやるはめになるとは。
「試合をやる」
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